#4 感情
4月4週目、水曜日。
輝夜が転入してから約2週間が経過し、同様に事件からも約2週間が過ぎ、落ち着きを取り戻してきた明星学園の生徒の間で、その噂は水面下で徐々に広がりを見せていた。
いわく、2年のあるクラスに転入してきた男子生徒はとてもイケメンで、そのカッコ良さは月に勝るとも劣らないとか、前の学校でモテすぎたが為に転校してきたとか、男も落としたとか何とか。
一体どこまでが事実なのかはわからないが、輝夜の顔立ちが整っていることは紛れもない事実で、現に登校してきたばかりの輝夜の目の前には、1人の女子生徒が緊張した面持ちで立っていた。
「――ふ、藤咲先輩! お、おはようございます!」
女子生徒の襟元には1年生であることを示す学年章が付いていた。もちろん輝夜との面識は無く、輝夜は内心で首を傾げていたが、それを表に出すことはせずに、まるで好きな人に声を掛けるときのように顔を赤らめている女子生徒に優しい微笑みを浮かべると、挨拶を返す。
「おはよう」
挨拶を返された女子生徒は数瞬放心したのちに表情を喜色に染めた。そして慌てたように輝夜に頭を下げると、その場を離れていく。その先には同じ1年生の女子生徒が居て、先程輝夜に挨拶をした女子生徒に何か声を掛けていた。――仲睦まじげな様子からしてきっと友人なのだろう。
通称ニコポととも呼ばれるイケメンにしか許されていない絶技を自覚も無く披露した輝夜は、女子生徒を見送ると、挨拶を返すために止めていた足を動かし、昇降口へと歩みを進める。
そこにいつの間にか隣に居た束咲がぽつりと呟いた。
「――ほんとイケメンだな」
友人の言葉に輝夜は苦笑して皮肉を返す。
「どの口が言ってるんだか。束咲だって前髪で顔隠してなければモテるでしょ」
昼休みを一緒に過ごすことが多い為、輝夜は束咲の素顔を何度か見たことがあった。といってもそれは主に寝顔で、起きている時の素顔は目にしたことは無い為、あくまで想像や予想からの言葉だったが、それは間違っていないようだった。
「まあな。でも輝夜程じゃねえよ」
「あ、やっぱ自覚はあったんだ」
からかうように告げる輝夜に束咲は肩を竦めてみせる。
「そりゃ自分の顔がそれなりだっていうのはわかってるけどな、モテたいとは思わねえ」
「それはどうして?」
「……んー」
輝夜の問いに束咲は言い淀む。
「言いたくないなら言わなくてもいいけど……」
「いや、そういう訳じゃないんだが……、俺の知り合いには恋愛関係でヤバイことになってる奴が多いんだよ。例えばストーカーに付きまとわれている奴とか、反対にストーキングをしている奴とかな。中にはそういったいざこざに巻き込まれて刺された奴とかも居るんだが、ソイツ等を見てきたせいで恋愛っつうのが面倒なものだと知ってな」
「……それは……なんというか」
思っていたよりも大分ハードな理由に輝夜は聞かなければ良かったなと後悔しつつ、相槌を打った。恋愛をしたことが無い輝夜でも、それが既に恋では無いことくらいは分かる。
恋は盲目とはよく言うが、そこまでいくとその恋は銃弾か何かに変わってしまっているのでは無いかと考えていた輝夜に、しかし束咲はあっけらかんとした表情で言ってみせた。
「まあ見る分には面白くていいけどな。映画顔負けの愛憎劇が見られるし」
「えぇ…………」
輝夜が何とも言えない表情を束咲に向けるが、束咲はそれに取り合わずに、先に昇降口に入る。
「輝夜は刺されないように気をつけておけよ。如何な八方美人でも恨まれることがあるかもしれないしな」
「それ、褒めてるの?」
むっとして問う輝夜に束咲はにかっと笑みを浮かべ、先に靴を履き変えると、輝夜に背を向けて廊下を進んでいく。
そんな友人の姿に、はぁ、と呆れたようなため息を吐いた輝夜は、脱いだ靴を仕舞おうと靴箱を開き、そこで中に入っていた封書に気づいた。
靴箱を開けた左手で封書を手に取り、入れ違いに靴を仕舞うと靴箱を閉じる。そして手にした封書に目を落とした。
封書――またはレターとも呼ばれている――には華美な装飾は施されておらず、枠を赤で縁取られているのみというシンプルな物だった。口は色合いは違うものの、同じ赤色の封蝋によって封がなされており、一般学生ならばそんな物は使わないだろうことから、この封書の差出人は恐らく上流階級の家の生まれだということが伺えた。封蝋に刻印されているのは送り主のイニシャルだろうか――。
そんなふうに思考しながら、常人ならば安易に開けるのは躊躇われるような様相のそれを輝夜は躊躇無く口を閉じる封蝋に指を掛け、封を開けた。
「…………」
「――おい、輝夜?」
中に入っていた手紙に目を通していると、束咲の声が輝夜の耳に届いた。――恐らくは足音が付いて来ないことに疑問を覚えたのだろう。
輝夜が顔を上げると、戻ってきた束咲がひょっこりと顔を出す。
「なにやってんだよ、って……それ、ラブレターか?」
まるでラブレターに見えないそれを見て束咲は、輝夜に届いてるのならラブレターなんだろうという安易な考えでそう口にしたのだが、よく見るとやはりラブレターには見えず、輝夜の返答が来るまでにラブレターってなんだっけというゲシュタルト崩壊に陥っていた。
「……うん、多分そう」
「――なんだよ、多分って。告白するから何処どこに来て、とでも書いてあったのか?」
「――――」
束咲の優れた慧眼に輝夜は驚嘆の表情を見せる。
その表情から自分の推測は大方あっていたのだろうと考えて、束咲は輝夜に得意げな笑みを向けると、輝夜からは苦笑を返された。
「――にしてもモテる男は大変だな。先週も告白されてただろ?」
「ああ、うん。断ったけど」
昇降口から移動した2人は話題はそのままに廊下を進み、階段を登っていく。
「そこそこ可愛かったのになんで断ったんだ?」
「……今はそういう気分じゃないからかな」
「ふーん……、そういえば今度味噌Gガールズがライブやるんだってよ」
一瞬固くなった輝夜の表情に、束咲は少し踏み込みすぎたかと後悔しつつ、やや強引に話題を変える。
風のように、または空気のようにのらりくらりとするのが束咲の生き方で、他人に踏み込みすぎること等滅多にないことだったのだが、風だってその場に留まることくらいあるだろうと束咲は踏み込みすぎた理由を探ることはしなかった。
「味噌Gガールズ? って何?」
「最近じわじわ人気になってきたオール30、Gカップのバストが売りのアイドルグループだよ。――」
まだ輝夜が転入してから2週間、それなりに仲良くなったとは思うものの、まだお互いに線を引いているようでその距離はさほど縮まってはいない。
せっかくいい友人になってくれそうな奴を見つけたのにまだまだ先は長いな、と考えつつ束咲は教室に着いてからも味噌Gガールズについて熱く語り、輝夜を呆れさせた。
†††
昼休み、手紙にあったとおりに校舎から少し離れた所に位置する西洋風の四阿――ガゼボとも言うその場所に足を運んだ輝夜はそこに佇む1人の女生徒と向き合っていた。
この場所にいるのは2人きりで人の気配等は全くと言っていいほど無いが、それも当然だろうと輝夜は思う。遊歩道を逸れ、道なき道を進むと唐突に現れるこの場所にたどり着ける人物がいるとしたら、最初からこの場所を知っているか、時間をかけて学園内を隈無く探索した生徒だけだろうから。
輝夜自身この2週間で学園内を幾度となく散策していたが、この場所に来るのは初めてだった。
きっと逢引をするにはもってこいの空間だろうと輝夜は身も蓋もないことを考えて、周囲を見回していると、同じ2年の女生徒、円条彩香が輝夜の方に向かって歩み寄って来た。
「――この場所は私のお気に入りの場所なんですの」
彩香はそう言いながら輝夜の脇と通り抜け、言葉を続ける。
「きっと私しか知らない秘密の園。静かで心地よくて、素敵な場所。藤咲君もそう思いませんか?」
振り返ってそう訪ねてきた彼女に、輝夜はまるで劇の中に迷い込んだかのような気分に陥りながら頷く。
「うん、そうだね。とても心地いい、素敵な場所だと思うよ」
微笑みを浮かべ、彩香に視線を合わせたままそう答えると、彼女の頬が僅かに紅潮した。
輝夜はそれを目にすると、視線を周囲に向ける。
「それにしてもこんな場所があるなんて知らなかったなぁ。僕も転入してから何度か学園内を散策してたんだけど」
「ふふっ、そう簡単に見つかっては困りますわ。私だって見つけるまでに半年以上掛かった秘密の園ですから」
彩香は口に手を当てて上品に笑い、でも、と続ける。
「――もう私だけの秘密の園では失くなってしまいましたね」
唇に指を当て、魅力的な表情で視線を向けてくる彩香に輝夜はおどけるように応えた。
「それは悪いことをしちゃったかな」
「いいえ、秘密はいつかは知られてしまうことですから。それに藤咲君と2人だけの秘密になるというのは少し……嬉しい、です」
先程までよりも更に頬を赤に染めてそう口にした彩香は、両手を胸に当て、小さく息を吐いた。両手に伝わる心臓が奏でる音に内心で苦笑しながら、深呼吸に繋ぐ。それは水面に広がる波紋が溶けるのを待つように胸の高鳴りを鎮め――――。
そして、意思を投じた。
「――私と、お付き合いをしては頂けませんでしょうか?」
声が震えそうになるのを堪え、最後まで言い切ると、返答を待つ。
僅かな静寂の中、自分の心臓が大きく脈打ち、緊張の余り逃げ出したくなる気持ちを抑え、しかし輝夜の顔を見れずに下を向く。
そうして永遠とも感じた僅か数秒の沈黙の折に、声が聞こえた。
「ごめん。僕は誰とも付き合う気は無いんだ」
顔を上げると、申し訳なさそうな表情の輝夜が居た。
「そう……ですか……」
今度は声が震えるのを堪えることは出来なかった。
振られたという受け入れたくない事実が自身を苛む。様々な感情が行き交い、問いに対しての答えが自身を責める。告白を受け入れてくれない輝夜に怒りを、悲しみをぶつけたくなり、自己嫌悪に陥る――。
「――――どうして」
そうして立ち尽くしていた彩香は不意に疑問を抱いた。何故輝夜は誰とも付き合う気は無いのかと。
本来ならば聞くべきでは無いその疑問を、これくらい聞く権利はあるだろうと普段なら考えない理屈で彩香は感情を乗せて口にしてしまう。
「どうして……ですか? どうして誰とも付き合う気が無いのですか? 誰か好意を寄せている方でもいらっしゃるのですか?」
そこまで口にしてから聞くべきでは無かったことに気づくがもう遅い。後悔に苛まれ、しかし彩香は輝夜から視線を逸らせなかった。
――輝夜が首を横に振ったのだ。
その動作はつまり否定を意味し、彩香が付き合うに値しないと言われているも同然のことを示していた。
「なら、どうして! ……どうして――」
身を焦がすような劇場を感じ、声を荒らげていた彩香は自身の状態に気づき、深呼吸を挟んで落ち着きを取り戻してから再度問う。
「――……他に何か理由があるのですか?」
その問いには輝夜は応えなかった。どことなく悲しそうな表情で無言を貫く輝夜の姿に、彩香は聞くべきでは無いと思っていたことを忘れて、何か力になれるのでは、と言葉を紡ぐ。
だが、その言葉は被せるようにして放たれた言葉に塵と消えた。
「何か悩み事でもあるなら私が――」
「君には無理だよ」
柔らかな口調ではあるが、確かな否定を孕んだその言葉に彩香は驚き――、
「っ、そんなことは聞いてみなければわからないでしょう!」
すぐに否定されたことに気を立ててそう言い放つ。しかし、直後に返ってきた言葉に彩香は二の句が継げなかった。
「――なら、君は僕の為に死んでくれるのか? 何の意味も無く、ただ死んでくれるのか?」
今までよりも語気が強められて放たれたその言葉は、感情が込められているはずなのに何故か空虚さを感じさせるもので、彩香はただ唖然として輝夜を見る。
言葉からは温かみを感じられず、冷たさも無く、ただ虚ろ。
それを受け止めきれず、理解も及ばない彩香に、輝夜は悲しそうに見える笑顔を見せた。
「君じゃあ僕には関われないよ」
去っていく後ろ姿を見て、引き留めようと口を開いて、掛ける言葉が見つからず口を閉ざす。
伸ばしていた手を下ろし、輝夜の言った言葉の意味を考え、最後に見せた悲しそうな笑顔を思い浮かべて――。
その全てが判らず、彩香はそこに立ち尽くした。