#2 不思議な男子生徒
その少年を目にした途端、強い風が吹き、輝夜の少し長い前髪を靡かせた。それによって一瞬視界を奪われる。
「――今日は少し風が強いみたいだな」
すぐに前髪を押さえて視界を確保した輝夜は、そう声を発した少年に目を向けた。
中肉中背で焦げ茶色の髪が鼻先まで伸びており、完全に目を覆い隠している以外に特徴の無いその少年を見て、輝夜はどこか違和感を覚える。
「えっと、……そうだね」
しかしそれが一体なんなのかが判らず、恐らくは自分に向けた物であろう言葉に対し曖昧に応じると、少年は不思議そうに首を傾げるが、直ぐに何かに納得したようで微かに笑みを浮かべて輝夜に一歩近づいた。
「そういや、自己紹介してなかったな。俺は箒原束咲。……、明星学園2年、クラスはB組。よろしく、藤咲輝夜君」
「あ、うん。よろしく――って、B組?」
同じクラスと聞いて輝夜は首を傾げる。
「ああ、君と同じクラスだよ」
「……んー? 教室内で一度も見かけなかったと思うんだけど……」
記憶を遡って朝から昼までの教室内に居た生徒の顔を思い出すが、そこに彼の顔は無い。
そのことに疑問を抱いていると、束咲が笑って教えてくれた。
「そりゃあ、ずっとここでサボってたからなあ」
「な、なるほど」
それは笑って答えられるものなのかと思いながらもとりあえず相槌を打っておくと、不意に一つの疑問が輝夜の頭をよぎった。
「……それって単位とか大丈夫なの?」
学生ならば大抵の人間が気にするであろう単位や出席日数は、普通に授業を受けていれば問題は無いものだが、素行に問題があると途端に怪しくなる物だ。
輝夜は心配そうに尋ねるが、束咲はまるで気にしてないというふうに頷き、どこか含みのある笑みを浮かべると言った。
「全然平気だよ。なんせ大丈夫な魔法がかかってるからね」
「へ、へえ……」
その言葉に一体なんと答えれば良かったのか。頭大丈夫ですか、と言うべきだったのか、それとも、賄賂か何かで、と詮索をするべきだったのか。
苦笑いを浮かべるしか出来なかった輝夜は、それらを全て横に退け、とりあえず昼食にしようと束咲を放置して柵に背中を預け腰を下ろす。そして購買で購入したサンドイッチを取り出し、封を開けて口に運ぶ。
「ん、結構美味しい」
あまり料理については詳しくないため食レポみたいなことは出来ないが、口の中に広がるその味は食を進ませるもので、束咲がじっと見ていることなど気にせずにもぐもぐとサンドイッチを食べ進める。
「…………」
輝夜のその様子を見ていた束咲は、やがて視線を外すと輝夜と同じように腰を下ろし、何処から取り出したのかホットドッグを手にしてそれを口に運んだ。
――それから20分。たったそれだけの時間で2人は仲を深め、現在は他愛ない話、もとい猥談に耽っていた。
「――俺はやっぱでかいほうがいいなあ。まあ小さい方も捨て難いけど、こう、ほら、なんていうの? 包容力? が違うっていうかあの包み込むような、こう――」
語彙力が尽きた束咲はボディランゲージでアレを表現しようと、両手を動かしてメロン――いや、スイカを形どった。
それはGなのかIなのか。
輝夜に良さを伝えようと必死に表現を続ける束咲に、輝夜は苦笑しながらもそれを受け取り、話を続ける。
「――確かに胸もいいけど、足とか腰なんかも魅力的だよね」
「ああ、確かにいいな。すらっと伸びる足、魅惑的な太もも、引き締まったウエスト。その上に実る二つの果実。……そこまで言ったら脇とかも――」
……そんな感じで一気に距離を縮めた2人は、昼休みの終わりが近いことに気づくと、ごみを集めて立ち上がる。
「――そろそろ昼休み終わりか。輝夜は午後の授業も受けるのか?」
「当然だよ。束咲は受けないの?」
「うーん……、たまには受けるかあ」
「それがいいと思うよ」
いつの間にやら互いに名前で呼び合うようになった二人は揃って教室へと戻っていった。
†††
「――最近は物騒だから気を付けて帰れよ。ってことでホームルーム終わり」
担任の稔がそう締めくくって迎えた放課後。
輝夜が帰り支度をしていると、一人の男子生徒が近づいて輝夜の机に手を置いた。
「ねえ藤咲君。これからアイツ等とカラオケ行くんだけど、一緒に行かね?」
顔を上げると、視界に映ったのは、金色に染められた髪に着崩した制服、そして腰に付けたチェーン。
お世辞にも善良な一般学生には見えない、不良のような見た目をした男子生徒は、そう口にして親指で後方を指し示した。
そちらに視線を向けると数人のクラスメイトが輝夜に向けて手を振ってアピールをする。
輝夜はそんな彼等に微笑みを返し、少し考えてから頷いた。
「うん。いいよ」
「よっしゃ!」
輝夜の答えに不良のような見た目の男子生徒、波田恭介は嬉しそうに拳を握る。その喜び様は演技では無いようで、輝夜は笑みを零した。
何度かガッツポーズを繰り返し、ようやく波が収まったらしい恭介は他にも誘うきなのか、キョロキョロと視線を巡らせる。
そして恭介の目が向いたと同時に席から立ち上がった男子生徒、束咲に声を掛けた。
「――箒原! 箒原も一緒にカラオケ行かねえか?」
その期待に満ちた声に、束咲は申し訳なさそうな表情を見せると、左の掌を立てた。
「わりぃ。今日バイトなんだわ」
「そっかあ……、それじゃあしょうがねえな。バイト頑張ってこいよ!」
「ああ」
恭介に既に背を向けて歩き始めていた束咲が片手を挙げて応え、そのまま教室を出ていく。
束咲を見送った恭介は残念そうな表情をしていたが、やがて気を取り直すと輝夜と共に待ってくれていたクラスメイトの元へ向かった。
「わり、待たせた」
ここに居るのは部活に入っていない生徒と今日は部活が休みという生徒で輝夜と恭介を合わせて計10人だ。運動部に所属しているような筋肉質な体つきのクラスメイトからそれ程人付き合いが得意ではなさそうなクラスメイトまでが一同に集っていた。
「気にするなよ」
待っていたクラスメイトの1人がそう応える。続いて別のクラスメイトが尋ねた。
「箒原は来ないのか?」
「ああ、バイトなんだってよ」
「そりゃしょうがねえ」
肩を落として答えた恭介に、更に別のクラスメイトが励ますように笑いかけて恭介の肩を叩く。
それによって元気になった恭介は集まったメンバーを見て元気よく手を突き上げた。
「じゃみんな、そろそろ行くか!」
「「「「おぉ!」」」」
その言葉に声を挙げ、同じく手を突き上げるクラスメイト達を見て、輝夜は仲がいいなあと他人事のように感じながら、やや遅れて同じように声を出した。
†††
クラスメイト達との数時間に及ぶ交遊を終えた輝夜は、彼等と別れた後、コンビニで弁当を買ってから団地にある集合住宅に帰ってきた。
エレベーターを利用して4階に昇り、鍵を開けて扉を開く。「ただいま」と声を掛けて入るが、一人暮らしなので、もちろん返事は返って来ない。
靴を脱いで、短い廊下を進み突き当たりのドアを開けて電気を点ける。そしてテーブルに弁当を置くと、引き返し、廊下に出て右手にあるドアを開け、同じく電気を付けて中に入った。鞄を無造作に置き、制服を脱いでハンガーに掛け、クローゼットに閉まう。
そして自室を出た輝夜は今度は向かいにあるドアを開け、そこで手を洗い、うがいをすると、再びリビングに戻り買ってきた弁当に手を付けた。
簡単に夕食を済ませた輝夜は空の容器をゴミ箱に捨て片付けを終えると、リビングを出て脱衣所で服を脱ぎ浴室に足を踏み入れる。
シャワーを手早く済ませ、浴室から出ると、体を拭き、髪を乾かし、歯を磨く。
それらを終えると、自室へと戻った。
本当に高校生の部屋なのだろうかと疑う程に物が少ないその部屋に入った輝夜は、置いていた鞄からスマートフォンを取り出すと、数少ない家具であるベッドに向かい横たわる。
そしてアラームをセットすると、まだ8時にもなっていないのにそのまま目を瞑った。