01.『家族』
私、大西杏は目の前の光景を見てため息をついた。
お母さんもお父さんもお兄ちゃんもいて一緒にご飯を食べているというのに会話が一切そこにはない。
お父さんは新聞紙を読んでいるしお兄ちゃんはスマホいじりながら……食事のほうがおまけみたいだ。
「……ごちそうさまでした」
お母さんにいたっては私たちとまるで一緒にいたくないみたい。
食器を運んで洗ってから洗面所へ向かう。
歯を磨きつつ考えてみたんだけど、あそこまで気まずいのにわざわざ一緒に食べる理由ってなんだろ。
みんないただきますもごちそうさまも言わないのに、一緒に食べる理由は……。
口をゆすいで洗面所及び家をあとにする。
「行ってきます」
私の言葉に返事をする人はこの家には存在しない。
教室に着くと親友である萩原穂ちゃんが「おはよ~」と挨拶をしてくれた。
「聞いてよ~穂ちゃん、朝ごはん食べるときとかに全然会話なくてさ~」
「あー杏の家は最近そうだもんねー」
お兄ちゃんが高校卒業するまではもう少し仲良かったんだけどなあ。
就職したけど続かなくて家に籠もるようになってから雰囲気が悪くなってしまった。
お母さんもお父さんも最初はしつこいくらい「働け」と言っていたけど、いつからかそれすら聞こえなくなって、気づけばあんな雰囲気最悪な家庭になっていたのだ。
お兄ちゃんを憎んでいるというわけではない、2人のときは優しいから。
だけど……私にまで嫌そうな顔しなくていいと思うんだ。
「至さん働けばいいのにね~そうすれば杏だって気まずくならないのに」
「でも、言うと怒鳴られるから」
基本的には優しいけどそれは触れられたくない話題なんだろう。
両親といるときは話しかけただけでも怒鳴られて怖くてどうしようもなくて。
会話がないならないでいいんだけど、ご飯だけは一緒に食べることが決まっていて。
家族のはずなのに誰か知らない人と食べてるみたいで、どうしても逃げたくなる。
「ん~どうしようもなくなったら私の家に逃げてこいっ」
「いますぐそうしたいよ~」
差しだしてくれた手を握りつつくねくねしていたら女の子がやって来て、
「あの、うるさいんですけど」
彼女の机の端を叩きつつその子は言ってきた。
「特にあなたですよ」
「ご、ごめんなさい……」
しゅんとしていると穂ちゃんが頭を撫でてくれて「大丈夫」と笑ってくれる。
「騒がしくしたのはごめん、だけどいちいち机を叩いて威圧する必要はあるのかな?」
「ここで騒がしくするほうが問題だと思いますけど」
「……分かった、廊下で話すよ」
優しくこちらの手を掴んだまま穂ちゃんが廊下まで連れだしてくれた。
私は見られないように片方の腕でにじんでいていた涙を拭いて彼女と向き合う。
「大丈夫だよ、私がいてあげるから」
「……うん」
彼女の優しそうな笑みがずっと昔から好きだった。
怖くても悲しくても寂しくても、それを吹き飛ばしてくれるくらいのパワーがある。
それでも――
「穂ー今日どこ行くー?」
「あ、ちょっと待って、ごめんね杏、いいかな?」
「さっきはありがと、お友達を優先してね」
彼女は「杏もだよっ」と言ってくれたけど、そう、彼女にはたくさんお友達がいるんだ。
だから、いつだって一緒にいられるわけじゃないし、ある程度は自分で頑張らなければいけない。
いつか彼女が完全に来てくれなくなったら……私の居場所は学校からも消えてしまう。
……席に戻って読書をすることにした。
お友達が彼女以外にいない私にとって、これが唯一時間をつぶす方法と言える。
単純に好きなだけだけど、そう内心で苦笑し読むのを始めた。
放課後になったら今週は掃除当番のため教室内を綺麗にすることにした。
まだ人が残っているから邪魔にならないようにしつつ、掃いたり拭いたりしていく。
でも――
「あの、人がいるのにそのまま突っ込むっておかしくないですか?」
「……ごめんなさい」
べつにぶつかったわけじゃないのに難癖をつけられてしまう。
家に帰りたくない、でも、放課後になったらすぐに帰りたかったら急いでいたのが間違いだったのかも。
教室から人がいなくなったあとにすれば、やりにくくもないし楽で済んだのに。
「あのっ、人の顔を見ながら謝るべきじゃないんですか?」
「ごめんなさい」
うぅ……なんでこんなに何回も……怖くて一瞬しか見えなかった。
そしてそれが癪に障ったのか「あの!」と怒られて。
「もうそこらへんでやめてあげなさい、泣いてしまっているじゃない」
助けてくれた女の子の名前すら分からないのが申し訳ない。
「あとは私がやっておくから、あなたは帰りなさい」
「あ、ありがとうございますっ」
やっぱりだめだ……ひとりじゃなにもできない。
怖くてしかたないし穂ちゃんがいないと人の顔を見ることすらできない。
で、穂ちゃんに迷惑をかけたくないという思いもあって、ごちゃごちゃしてしまっていた。
鞄を持って教室をでる前にもう1度お礼をして、逃げるように走って下駄箱に向かう。
靴に履き替え校舎からでると穂ちゃんがそこにいて。
「よしよし」
急に抱きしめられてよく分からなくて、私は思わず「な、なんで?」と反応してしまった。
だっていつもなら彼女は部活動に励んでいる時間で、仮に先程のことをなんらかの手段で知ることができたとしても、それだけで抜けてくるような女の子ではなかったから。
「すぐ泣いちゃうんだから」
「あはは……怖くて」
「またあの子でしょ?」
「あ、うん、私が悪かったんだけどね」
少しでも早く終わらせようとしたのが間違っていたんだと思う。
その結果、あの子にも助けてくれた子にも迷惑をかけてしまったうえに、逃げるように去ってきてしまったのは、……痛かった。
目をつけられないよう、静かに真面目に迷惑をなるべくかけないようにと、決めていたのに。
「穂ちゃんの髪くすぐったいよ」
少し長い髪をわざと絡ませてきて、だから私もわざとつまんで横にやる。
同じシャンプーを使っているのに、どうしてここまでいい匂いがするんだろうか。
あ……べつにストーカーとかそういうのではなくて、単純に一緒にお風呂に入ることがあるからだけど。
「……心配だな~今日は部活休むかな~」
「いいよ、そういえばお友達との約束はどうしたの?」
「いや、あれは部活動どれにするっていう誘いだからね」
「あ、そうだったんだ、穂ちゃんはすごいな」
それほどでもと笑う彼女から離れて歩くことにした。
「校門で待ってて! すぐ着替えてくるからっ」
「いいの、あ……もぅ」
制止も虚しく彼女は走って行ってしまう。
自分が断ったときは近づいて来て、本当に支えてほしいは離れていくから難しいんだよね。
先に帰ると怒られてしまうので校門で本を読んでいると先程の女の子が来た。
「あ、あのっ、先程はありがとうございました!」
顔は見えなくてもお礼と謝罪くらいはすることはできる。
「あなた、どうして目を隠しているの?」
「え……こ、怖いので」
まさか話しかけられるとは考えていなかったから驚いたものの、返すこともできた。
「ちょっといい?」
こくりと頷いたら前髪を上げられて一気に顔が熱くなってしまう。
凄い綺麗な女の子だ……。
「……ありがとう、あなた萩原さんを待っているのでしょう?」
「は、はい」
目のところまで伸ばした髪の毛はじゃまだったとしても、自分を守るためには仕方ないことだ。
穂ちゃんからもよく「切りなよ~」と言われるけど、ずっとずっと切れずにきてしまった。
「杏ー!」
「穂ちゃんっ」
今度は自分から抱きしめてしまう。
「ちょっと藤原さんっ、杏をいじめないでよ~!」
「虐めてないわよ!」
「あ、穂ちゃん……この方は私を助けてくれたの」
「あ、そうなのっ? えへへっ、ごっめ~ん!」
偉そうだからこの子とは言えなくて先輩に対するときみたいになってしまった。
「萩原さん、大西さんの前髪切りましょう」
「あ、それいいね~!」
「む、無理ですよっ」
視界がクリアになってしまうのは凄く怖い。
ジロジロ見られるかもしれないし、……まあじゃまだから……それでも恥ずかしいから無理っ。