起
神原西小学校。
ちょっとした山の中腹にあるどこにでもある小学校。
山の中腹にある学校なら当然のようにある坂道は傾斜がきつい。
この坂道は【心臓破りの坂】と呼ばれ普段の登校時はもちろん、主にマラソン大会でその名を遺憾なく発揮する。
他に特徴を上げるとすれば、校舎の窓から見る景色は海が広がっている事だろうか。
神原の町は平野が狭い。
そんなどこにでもある小学校の放課後に起きた出来事。
この話はどこでも見るようでどこにも見つからないどこかで見つけたい少年少女の冒険譚。
放課後。
腰まで届く長いポニーテールを揺らして廊下を駆ける少女が一人。
彼女はとある教室の入口で急停止すると勢いよく扉を開けた。
「由宇! 異世界への入口が見つかったわ!!」
ほとんどの生徒が帰宅した教室へ少女の大きな声が響き渡る。
少女の名前は【東海林司】。
学校で一番の美人と名高い少女である。
但し【黙っていれば】【動かなければ】と注意書きが添えられる。
「この前はマンホールだったよな。あれ確実に壊れたぞ?」
「異世界への鍵が合わなかっただけよ。あそこはあたしが行くべき異世界じゃなかったのよ」
「お前はあくまでもバールの事を鍵と言うのだな。それで今度はどこにあるんだ?」
司から「由宇」と呼ばれた少年の名は【栗戸由宇】。
学校一の美少女と呼ばれる司と幼馴染である事以外には特筆すべき事はない。
あえて挙げるとすれば男子の半数以上から恨みの視線が向けられても平気な精神の持ち主。
司の相棒。
実態は司の下僕である。
当番である由宇は黒板を綺麗にしていた。
「山頂にある神社よ!」
「よし分かった。お前一人で頑張れ」
教室へ「パーン」と良い音が響く。
音と共に由宇の顔が90度ねじれた。
黒板消しが彼の手を離れて飛んでいく。
「由宇はかよわい女の子を一人で行かせる気なの?」
「俺はかよわい女の子なら一人で行かせたりしないぞ?」
額をくっつけぐりぐりと押し合いながら話を続ける二人。
「今度は本物よ。実際に四人消えているの」
「お前の本物は何度目だ? 前々回の地下世界への入口は昔の防空壕ってオチだったよな?」
「そんな古い話忘れたわ」
「俺の記憶では先週の出来事なんだけどな……ぐふぅっ」
司の拳が由宇の腹筋を突き破る。
額は離れて由宇が教室の床へ膝を着く。
司は悶絶する由宇を見下ろしながら言葉を続けた。
「あんた今朝の朝礼で話があった事を忘れたの? 四人が怪我をして病院へ行った話」
「……確かに……そんな話が……あったな……」
「そうよ。それであたし小噺医院へ話を聞きに行ったのよ」
「お前は相変わらず怖ろしい体力だな」
司は放課後に心臓破りの坂を往復していた。
小噺医院は家族経営の小さな町医者。
心臓破りの坂を下りたすぐ近くに居を構えている。
御年百歳を超える先生だが子供が病気と聞けば夜中でも往診してくれる人情溢れる医院だ。
「小噺先生に聞いたらね。四人は転移したって。確かにこの耳で聞いたのよ!」
「……マジか……」
「そうよ。小噺先生が嘘を言う訳がないわ。確実な情報よ」
「……確かにな……」
「それとこの噂。四人のクラスでは結構有名だったみたいで有力な情報を得たの」
「……どんな?……」
未だ苦しそうに答える由宇。
そんな由宇へドヤ顔を決めて司が噂を語り始める。
「夕日を神社の鳥居の中へ入れて、四人同時に石を投げて、全ての石を鳥居へ乗せるの」
「……それで……異世界の扉が……開くのか……」
「そうよ。扉が開いたら四人が手を繋いで夕日へ向かって思いっきりジャンプするの」
「…………」
「四人同時に鳥居の上に石を乗せるのが大変そうだけどね」
由宇は言葉にできなかった。
山頂の神社で夕日へ向かってジャンプをすると漏れなく下り階段へ向かっての跳躍。
行き先は異世界ではなくなりそうだ。
死後の世界も異世界と言えば異世界なのかも知れないが。
これだけは絶対にやりたくない。
息が整い始めた由宇は立ち上がり司へ残念なお知らせを告げる。
「俺達には無理だな。二人しかいない」
「そんな事はないわ。今この教室には四人いる」
「おい! 他人を巻き込むな!」
「他人じゃないわ。クラスメイトよ」
「…面白そう…」
二人の会話に割って入ってきた少女。
膝まで伸びた漆黒の髪。
黒縁眼鏡に黒いワンピースに黒いタイツ。
全身を黒に染めた【黒井鶴】だ。
休み時間は常に一人で本を読んでいる事が多い【ボッチ】と呼ばれる人種。
嘘か誠か彼女は【十三の悪魔】を使役すると噂を聞く。
今読んでいた本も【悪魔の書】と背表紙に書かれている鈍器になりそうな分厚い本である。
彼女から声を掛けてくる場面を二人は見た事がなかった。
彼女が興味を示した事がこの莫迦らしい話へ信憑性を与えた。
司がいつにも増して天狗となる。
「見なさい。黒井さんが同意したのよ。この噂は間違い無いわ!」
「待て待て待て! 黒井さん。本気なのか?」
「…本気…」
「死ぬかもしれないのだぞ?」
「…人はいずれ死ぬ…」
「命を懸ける覚悟があるようね。黒井さん。歓迎するわ」
握手を求めて手を差し出す司。
鶴は司の手を無視して答えた。
「…鶴で良いわ…」
行き場のなくなった司の手は由宇の腹へと減り込む。
再び由宇は床へ膝を着く事となった。
「あと一人ね」
司は由宇を無視して呟く。
その視線は由宇と共に今日の当番をしていた人物を見据えていた。
「……やめろ司……晶に……手を出すんじゃねぇ……」
由宇は力を振り絞り立ち上がる。
震える膝に喝を入れて司と晶の間へ立ち塞がった。
由宇と共に当番をしていた人物の名は【根本晶】。
前髪も後ろ髪もきっちりと一直線に揃えられたショートボブが良く似合う【男の娘】だ。
彼は好き好んで【男の娘】でいる訳ではない。
髪を彼の母に切ってもらう事。
彼の母は他のカットが出来ない事。
元々の顔が優し気で可愛い女顔な事。
クラスで二番目に背が低い事。
体の線が細い事。
エトセトラ……etc……
あげ始めたら彼が【可愛い男の娘】である理由は止まらない。
「由宇。どいて。晶君を誘えない」
「どけるものか。司。俺はかよわい女の子は絶対に護ると言っただろう」
「…二人はあやしい関係?…」
「黒井さん違います! みなさん僕は男ですよ!」
「晶。何を言っているのだ。今いる三人の中で一番可愛いのはお前じゃないか……目がぁぁ」
「…由宇は一度死ねば良い…」
由宇が両眼を手で押さえて床を転げまわる。
彼の元居た位置に右手で勝利のVサインをした司が立っていた。
転がる由宇を鶴が爪先で蹴っている。
「腐った目は潰しておいたわ」
「…司グッジョブ…」
「栗戸さん! 大丈夫ですか?」
「目がァァ! メガァァ!」
「…サタン…」
「鶴っち。そこはドライブよ。それでね晶君。あたし達の話は聞いていたかしら」
「すみません。日誌を書いていたのでしっかり聞いていませんでした」
「これから異世界の扉を探しに行くのだけど、あなたも一緒に来ないかしら」
「…面白そう…」
「まず当番の仕事を終えないと」
「晶。やめろ。かよわい女の子が付き合う事じゃない」
「僕は男です! 絶対一緒に行きます」
「晶。やめてくれ。頼む! 司ぁぁ! テトラポット迷宮事件を忘れたとは言わせねぇぞ!」
「あれは残念だったわね。入口まで後少しだったとおもうわ。ドキドキが止まらなかったし」
「あれは死ぬ寸前って言うんだよ!」
テトラポットとは全方位に四本の足を生やした波消しブロックの事である。
主に海岸線に無造作に積まれており、子供ならば中を移動する事が可能なスペースがある。
立体的な迷路となっていて、その先に【異世界への入口】があるとの話だった。
司と由宇も迷宮へ挑んだ。
最初は順調に進んだ道も潮が満ちてくると様子が変わる。
迷宮の入口は結局見つからず、帰り道は時に海の中を泳いで帰らなければならなかった。
波に合わせて迷宮を移動した。
息継ぎの場所を必死に探した。
一つ間違えれば命を落としていたかもしれない。
悪夢のような迷宮探索が由宇の脳裏によみがえった。
【【※本当に危険です。絶対にテトラポットへ近づかないでください。真面目に死ねます】】
「晶。分かってくれ。俺にはお前しかいないのだ!」
「嫌です。栗戸さんが僕を男として見てくれない事が悪いのです」
「お前がいなくなったら俺は誰と体育でペアを組めば良いのだ……」
「あたしと組めば良いでしょ?」
「体育までお前とつるんだら、俺が体育館の裏に呼び出されるわ!」
「絶対に僕も行きますからね!」
「…腐っ腐っ腐…晶は漢…」
「黒井さん。ありがとうございます。僕は急いで日誌を書いてしまいますね」