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聖母は救世主を産めるか?

作者: 安藤ナツ

 半年近く悩んだ挙句、新婚旅行に選んだのはイタリアの聖地巡礼旅行だった。聖地と言っても俺達夫婦は特別な信仰心はない。

 別に神は嫌いじゃあないが、宗教が気に喰わないのだ。もっとも、そんなことを考えているのは俺だけで、妻の方は典型的な日本人的無関心なんだが。

 つまり、聖地は聖地でも漫画『ジョジョの奇妙な冒険』の聖地であるイタリアが選ばれた。五部の舞台になった国であるし、俺の大好きなジョセフが波紋の修行をしたのもヴェネチアだ。

 日本から飛行機に乗り、時差ボケも収まって来て、旅行も本番と言う三日目の朝。俺達はテロに巻き込まれてホテルで一日を過ごすことになった。日本企業の新エネルギーの開発によって原油価格が暴落し、なんやかんやで中東の血気盛んな連中が暴れ回っているのは知っていたが、まさか自分達が巻き込まれるとは想像もしていなかった。

 と、言っても、だ。あくまで外出禁止令が出ているだけなので言う程に危機感はない。ホテルに閉じこもって暇潰しをしていると、夕方頃には外出禁止も解除された。情報が交錯しているが、少なくとも俺の周りではそれらしい出来事は何も起きなかった。

 まあ、用心して夕食はホテルで食べた方が無難か。高いホテルを選んだだけあって、ルームサービスの質は悪くない。ガラにもなく人助けをしたので気疲れもしたし、さっさと飯食って寝よう。


「『先生。本当にありがとうございました。お礼はまた後日、必ずお届けしますので』」


 ちらちらと腕時計を確認していたことで察したのか、延々とお礼を繰り返すおっさんもようやく帰る気になったみたいだった。イタリア人も空気を読めるらしい。慣れないイタリア語で話すのも疲れたし、ほっとする。


「『当然のことをしたまでですよ』」


 日本人らしく謙遜した後、最後におっさんに尋ねる。


「『ところで、その指は?』」

「『指? ああ。生まれつき薬指が少し短いんです。それがどうかしましたか?』」

「『失礼しました。職業柄、少し気になって』」

「『はは。勉強熱心で素晴らしいじゃあないですか。では』」

「『ええ。おやすみなさい』」


 ふう。なるほどね。まったく、業が深いねぇ。


「終わった? じゃ、ご飯頼もうよ。メニュー読んで」


 外面を外してベッドルームに戻ると、我が細君が子供のようにメニューを突き出して来た。イタリア語は読めなくても、英語も書かれているから読めるだろ……いや、イタリア語が喋れなければ結局は注文できねーか。日本人らしく、英語を読めても話せないって言ってたし。

 メニューを受け取り、適当にパスタとサラダを注文する。俺の場合、言語の問題ないが、小洒落た名前のイタリア料理は内容が想像できないから困る。無難な物を頼むしかない。飯時だから時間がかかると思ったが、料理は想像を超える速度で部屋に届いた。どうやらサービスらしい。人助けもしてみる物だ。ただ、俺も妻も酒は飲まないのでワインは余計だと突き返した。

 食事をとりながら会話を交わす。内容は当然昼間の暇潰し――もとい、一四歳の少女の出産を手助けしたことが中心となった。テロと言う非常事態に対する緊張が、多感な思春期の少女に過度なストレスを与えた結果、早産を引き起こしてしまったらしい。この事態だから病院に連れていくこともできず、仕方なしに俺が出産に立ち会ったのだ。『お客様の中にお医者様はいませんか?』って奴だ。心臓外科医なんだけどな。

 ドラマや映画だったら、一難去ってまた一難のトラブルの連続で、息つく暇もないサスペンスになったのだろが、幸いにも脚本家はヘボだった。特にトラブルはなく出産は成功し、母子共に健康。本当なら無理をしてでも病院に運びたい所だが、事情が事情であるし、今は自分達の部屋で休ませている。ま、俺の見立てでは特に問題はないだろう。

 ただ、問題は他にあって……


「でもさ、あの子が『処女』って本当だと思う?」


 ……あのおっさんとその娘は、自分が処女懐妊したと言い張って聞かなかったのだ。ぞっとしたぜ? 『娘が救世主を産んだかもしれない』とか真剣に言ってるんだから。

 ここ十年位で中東からヨーロッパにかけて治安の悪化が進んでいて、それに伴ってあらゆる宗教活動が活発化している。日本人からしてみれば、そんな状況で神を信じる方がどうにかしているとしか思えない。が、元々十字教の教えが根深いヨーロッパではそうではないらしい。

 まあ、基本的にあの神様は負けている時にしか本気出さないしな。


「妊婦が処女なわけねーだろ。ついでに神は死んでる。俺達が殺したんだ」

「まあ、そうなんだけどさ。でも、コモドドラゴンみたいな大きな生物の単為生殖たんいせいしょくも確認されているんでしょ? まったくあり得ないってことはないんじゃないの?」


 ほう。そう言う意見は嫌いじゃあない。


「勉強している。プラス一〇ポイント!」

「やった!」

「そもそも、単為生殖は英語で『Parthenogenesis』。その語源はギリシャ語の『処女』に由来する」

「お。ぴったりじゃん。コモドドラゴンの単為生殖は正に処女懐妊なんだし、人間でもあり得るんじゃあないの?」


 コモドドラゴン――インドネシアのコモド島等に生息するオオトカゲ科に属する爬虫類――は確かに単為生殖を行うことが確認されている。要するに、あのでかいトカゲは雌だけで卵を産んで子孫を残せるのだ。

 単為生殖自体はそれほど珍しくないが、コモドドラゴンのような大型爬虫類となると話は別で、発見された時はかなり話題を呼んだ。

 そもそも生物が増えるには雌雄が必要だと思われがちだが、ただ増えるだけなら別に雄は必要ない。例えば、ハエの幼虫は栄養が豊富な餌場に辿り着くと、体内の卵が精子抜きに孵って爆発的にその数を増やす。確実に資源がある場所で自分と同じ遺伝子を持った娘を大量に繁殖させ、遺伝子を確実に残そうとしているわけだな。

 勿論、それらはクローンのようなもので、遺伝子的な多様性はない。

 そして、クローンと言うのは環境の変化に弱い。

 わかりやすくポケモンで例えるなら、氷タイプだけでパーティを組むような物だ。鋼や炎タイプが出て来るだけでパーティがズタズタになるように、多様性のない生物はたった一種類の病気や大規模な気候の変動で容易く絶滅してしまうと言う例えだ。そうならない為には、雄と遺伝子を掛け合わせ多様性を持たせた方が良い。だから、色々なタイプのポケモンでパーティーを組むのが主流なように、単為生殖はメジャーな生存戦略とはならなかった。

 …………本当にどうでも良い雑談なんだが、進化と言う概念が日本ですんなり受け入れられているのって、ポケモンの影響が大きそうだよな。

 話を戻して、それに昆虫程度ならまだしも、大きな生き物を単為生殖で産み出すのはリスクが大きい。ハエの一匹とネズミの一匹を比べてみても、出産に必要なエネルギーは大きな差がある。それに子供を産んだ後に、自分と子供を危険から守りながら育てるのも大変だ。単為生殖をするなら、出産と育児のコストが低い方が合理的で、ある程度大きな生物になってしまえば、有性生殖の方がロスが少ない。

 つまり、コモドドラゴンが異端なのだ。

 そして、それらを承知で聖母が処女で妊娠したとしても、まず救世主は産まれない。


「コモドドラゴンが産んだのは全て雄だってことは知ってるか?」


 マイ箸でパスタを啜りながら訪ねると、妻は首を横に振る。


「そーなの? でも、それならマリア様もキリストを産めるんじゃない?」

「いや。無理だ。コモドドラゴンが雄を産めるのは、雌の性染色体が『ZWヘテロ』だからなんだ」

「ヘテロ?」

「性染色体は基本的に二種類からなるんだが、それが違う組み合わせがヘテロで、一緒だとホモって呼ぶんだ。人間みたいに雄が『XYヘテロ』場合は『雄ヘテロ型』、コモドドラゴンや鳥類みたいに雌が『ZWヘテロ』の場合は『雌ヘテロ型』と呼ばれる。染色体はそれぞれ、雄ヘテロ型なら『X』『Y』、雌ヘテロ型は『W』『Z』で表すことになっている」


 ちなみにアルファベッドに意味はない。数学の『X』や『Y』と一緒で、そう決まっているだけのことだ。


「へー。で、そのヘテロが何なの?」

「雌の『ZWヘテロ』が単為生殖した場合、子供の持つ性決定遺伝子は『ZZホモ』か『WW』の二パターンしかありえない。対になった遺伝子の片方だけしか遺伝しないからな」

「うん。その辺は生物の授業中に習った気がする」

「しかし『WW』は上手く育たないんだ。基本的にこっちは産まれないと考えてくれ」

「『WW』が駄目だとなると、必然的に残された『ZZ』の雄が産まれるわけだね? なるほど。で、人間は雄ヘテロ型だから、女性は『XX』の遺伝子を持ってて、そんな女性が単為生殖した場合、『Y』の遺伝子は何処からも持ってこれないから、『XX』の女の子しか産まれないと」

「そう言うことだ。科学的に考えると、マリアが単為生殖した場合、メシアは女性になる」

「なるなる。じゃあ、科学的に考えたらイエス様女体化した方がいいのかな?」


 知らんよ。

 個人的に言わせてもらえば、女体化だとか擬人化だとかは趣味じゃあない。ちょっと髪の毛が青いだけでドラえもんの擬人化だとか、その辺の金髪女子を男性偉人だとか、リスペクトが感じられないからだ。


「でもさ、じゃあ、救世主は誰の子供なんだろう?」


 くだらないことを考えていると、当然の疑問を妻が口にした。これは勿論聖母マリアの方じゃあなくて、今日のあの子の話だろう。単為生殖でないとなれば、あの子にはちゃんと人間の父親が存在するが、それが誰かと言う話だ。

 まあ、予想はついているけど。


「あの子はマリアじゃあなくて、ロトの娘さ」

「ロト? ドラクエの話?」

「お前は赤ん坊の右手の薬指を見たか?」

「え? ちっちゃくて可愛い手だなとは思ったけど、そこまでは覚えてないよ」


 まあ、そうだろうな。どの指もまだまだ短くてぱっと見ではわからなくても仕方がない。


「右手の薬指だけ短かったんだよ。短指症って言ってな、遺伝する奇形の一つなんだ」

「あの子、病気なの?」

「『大したことはない』なんて無責任に言えないが、命に関わる問題じゃあないよ。その証拠に父親はあの歳まで生きていただろ?」

「あのおじさんも、薬指が短かったの? 良く見ているね。実は探偵? …………ん? あ、ああ。ロトってそう言うこと?」


 そう言うこと。


「いや、でも、お爺ちゃんと赤ちゃんに病気が遺伝しているって言うのは妙な話じゃあないよね? 隔世遺伝って言うのもあるでしょ?」

「まあな。ロトは可能性の一つだ」


 俺の言葉にほっとする妻。もっとも、あの赤ん坊はあの父と娘の性交で産まれたと殆ど確信しているが。

 確信等と言いながら、物的証拠は何も無いけど。

 それでも、この四年間医者として働いて来たんだ、病床の人間関係って物も多少はわかって来た。

 父と娘の愛情と、男女の愛情の違いくらいは判断が付く。何度も何度もしつこく礼を述べるおっさんの姿に、俺は後者を見た。

 むしろ女性の方がそう言った事には敏感だろうから、妻だってイタリア語が聞き取れれば違和感を覚えただろう。

 ま、俺が首を突っ込むことじゃあないか。

 その後、食事を終えて良い雰囲気になった俺達だが、再び鳴り響いたけたたましいサイレンによって甘い空気は見事に破壊された。

 ネットで調べると、現在、自爆テロがイタリア国内で相次いでいるらしい。十歳前後の少女達が施設に突入した後に爆発したのを見た者が多数いるとのこと。少なくともそれが八か所と記事にはある。被害は主に教会で、警察署と病院も一か所ずつ爆破されたようだ。既に死傷者は四〇人を超えており、これからもっと増えるだろう。

 ほら、やっぱり救世主なんていやしない。

 誰だって、都合のいい救世主なんて産めるわけがない。

 たった一人に世界を任せるなんて馬鹿げてるし、間違っている。

 人は一人じゃあ増えることもできないんだぞ? 

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― 新着の感想 ―
[一言] 短編日刊から拝見しました。為になります。 自分は何かのネタになるかと学術書を一冊読んだくらいで遺伝子学にはくわしくないのですが、その観点からだとノアの方舟辺りもだいぶ怪しいんじゃないかと思い…
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