木の陰
いつだっただろう。こんな話を聞いたことがある。
昔、僕が住んでいるこの辺りには、魔法学校というものが存在していた。今はもうなくなってしまったけれど、すなわち魔法使いがこの辺りに住んでいたということになる、と。
その名残があってか、僕の周りでは不思議なことがたまに起こっている。
例えば僕が庭に植えた植物の種が、一晩のうちに花を咲かせたこと。しかもそれがこちらが何もしていないのに半年咲き続けたこと。この現象はあまり普段聞かない、というよりも聞いたことがなかった。
僕は昔からこの辺りに住んでいた人ではない。つい最近引っ越したばかりなのだ。不思議なことがたびたび起こるからなのか、人気のない物件だったらしい。でも僕がその物件を選んだのは、家賃が安かったこともあったが、魔法など信じない体質だったからだ。例えどんな不思議なことが起こったとしても、僕はそれに耐えられる自信があった。まあ、テレビのリモコンが勝手に動いたところを初めて見たときには、さすがに驚いたけれど‥‥‥。
「さあ、今日は何がどう動くのかな?」
誰もいない部屋にそう呟くのが僕の日課となっていた。不思議なことはもう慣れていた。
「まあ今日は大掃除の日だし、くれぐれもこれ以上物を散らかすような真似だけはしないでほしいな。どちらかといえば、散らかったものが片付いてくれる能力だったら尚よろし‥‥‥なんて」
まあ期待はしていないけど。
大掃除に取り掛かって一時間ほどだった頃、目の前に立っていた本棚から分厚い本が落ちてきた。一番下の段の本の整理をしていたので、僕はそれに気がつくことができず、避けることができなかった。
「なんなんだよもう。あれ、こんな本あったかな?」
引っ越したときどうだっただろう。本棚は最初からあったものを使っているが、果たしてこの本はあったかどうか。‥‥‥まあ正直覚えていない。
中身をチラチラと見てみれば、どれもこれも読めない字ばかりだった。ただ、たまに出てくる挿絵で、ここは魔法陣の章、植物の章、と分かるところがあった。そして最後にモノクロ写真が一枚挟まっていた。そこに写っていたのは三つ編み姿の女の子だった。かつて建っていた魔法学校の前で撮っているのか、彼女の衣装は漫画やアニメで出てくる魔法のローブにそっくりだ。とにかく本人には会えないのだから気にする必要はない。なんとなく本を机の上に置いて、僕は窓を開けた。
下に誰か女の子がいることに気がついた。木の陰に隠れて見えないが、まだ10歳前後といったところだろう。
「ねぇ君!」
声をかけられた彼女はびっくりして、こちらを見つめている。
「どうして? そこは私の部屋よ!」
「私の、部屋?」
「そうよ、あなた部外者でしょう。どうしてここにいるの」
「部外者? もしかして君、部屋の本棚にある本の持ち主なの?」
「なっ‥‥‥」
間違いなかった。古い写真に写っていたあの女の子が、僕の目の前に‥‥‥、いや、二階下にいる。
「ちょっと待ってて!」
僕は急いで階段を駆け下りると、女の子に本を手渡した。
「もうここに魔法学校なんてないんだよ。この家は魔法学校の跡地に建てられたもので、今は僕が住んでいるんだよ」
「嘘よ、だって魔法学校は永久不滅だって、学校長が言っていたもの‥‥‥」
「永久不滅ってのは無理だよ。物は作られたらいつか必ず終わる時が来るんだよ。学校だって同じさ」
「じゃあなんであなたが住んでいる部屋に、私の本があるのよ!」
「え?」
「ほら、おかしいでしょ?」
確かに、魔法学校が完全になくなったのに彼女の本があったことに理由をつけることはできない。とにかく早く彼女と別れた方がいいだろう。僕が家の方に向かおうと思ったその時、家から鐘の音が聞こえた。学校で聞くような鐘の音が、はっきりと。