8話【ぼくと薬屋】
――やっぱり師匠はすごい。
もしぼくがあの火炎の魔剣を入手していたら、自分の新しい武器として馬鹿みたいに振り回していただろう。それじゃあ、ブヒブヒと喜んでいたあのオークと何ら変わらない。
「売れば百万ゼニは下らない……かぁ」
駆け出しディガーにとっては、逆立ちしても一日で稼ぐことができない大金だ。
そんなものをポンッと手放せてしまえるのだから、やはり師匠はすごい。
魂の昇華によって《トゥリア》にまで到達している人間は、やはり器が違うということなのか。そういった人たちをお手本にしていれば、ぼくのアニマの器も少しは大きくなってくれるかもしれない。
そんなことを考えながら、ぼくは依頼書に載っている地図を頼りに歩みを続けていた。
苦労して見つけたキレート草を、依頼主へと届けるまでが仕事だ。
迷宮都市アブグラルドはとても広い街である。魔石という有用資源を無尽蔵に生み出すダンジョンを中心に発展し続けてきたわけで、その街並みは王都や帝都にも引けを取らない……と師匠が言っていた。
ちなみに、アブグラルドはどこの国家にも属さない自由都市なんだとか。
田舎から出てきたぼくには、そういった難しい話はよくわからないが、とにかく立派な街であることはわかる。
ダンジョン探索の合間に、街のどこに何があるのかちょくちょく探検しているのだが、未だに全容は掴めていない。
ダンジョンと違って、街の構造が変化してしまわないのが救いといえるだろう。
地図に従って歩いていると、周囲の雰囲気が変化していくことに気づいた。
大通りに軒を並べていた露天商の活気ある声が聞こえなくなり、静かな裏通りといった光景である。
たしかここを抜けると、職人街へと通じているはずだ。
武具工房で槌を振るう音、木工職人が鋸で木材を切り分けていく音なんかは、なぜか聞いていると心が落ち着く。故郷の村でも毎日聞こえてくる音だったからだろうか。
職人街へと到着し、ぼくはもう一度地図を見直してから歩き出した。
いや、歩き出そうとした……のだが、そこでちょうど地面にうずくまっている老婆と目が合ってしまった。壁に背中をあずけるようにして、座り込んでしまっている。
どこか身体の具合でも悪いのだろうか?
通りを行き交う人は、皆が目的をもってせかせかと足早に歩いていくものだから、誰もその老婆に声をかけようとはしない。ぼくは自分が田舎者だと理解しているから、敢えて言わせてもらうが、都会って怖いよね!
ここは田舎者の義理人情を見せつけるべきだと感じ、すぐさま声をかけようとして――
「憐れみの視線だけなら、間に合ってるよ」
――かける前に牽制された。
もしかすると都会ではこれが普通なのか? やっぱり都会って怖い。
とはいえ、ここでビビって逃げてしまうようでは、師匠にアニマの器が小さいやつだと失望されるだろう。
まずは相手を冷静に観察すること。
ダンジョンでも街中でも、ディガーのやることは一緒だ。
ふうむ……どうも足首が少し腫れているように見える。転んだのかな?
「ちょっと待っていてください。ぼく、ちょうどいい物を持ってますから」
職人街も大通りと同じく、整備された石畳の床に、等間隔に並んでいる魔導街灯――今は夕暮れ時のため、ほんのりと辺りを照らしている――がきちんと設置されているため、手元が暗くて困ることはない。
ぼくは革袋からホワイトブロムを取り出すと、葉を何枚か摘み取ってギュッと絞った。
こうすることで、葉から薬効成分がにじみ出てくるのだ。
絞った葉を重ね合わせるようにして、腫れている老婆の足首へと優しく添えるように押し当て、ずり落ちないように端っこを軽めに紐でしばる。
簡易な処置でしかないが、今のぼくにできるのはこれぐらいだ。
「素人の応急処置ですから、あとでちゃんとした人に診てもらってくださいね」
「……ありがとうよ」
そうして、ぼくは地面へとしゃがみこんだ。
「なにやってんだい?」
なにって……うずくまっている老婆を前にしてこのポーズ。やることは一つしかない。
「――ああ、そこを右に曲がっておくれ。その次を左だよ」
ぼくの背中におぶさっている老婆は、的確に道を示していく。
職人街の地理には詳しくないが、老婆を家まで送り届けるのにそれほど時間はかからなかった。このあと依頼品を納品しないといけないので、やや駆け足だ。
「……着いたよ。ここがあたしの家だ」
そこは、《クロネコ薬店》という看板が出ている薬屋だった。
三日月の下を、黒猫がちょこちょこと歩いている可愛らしいデザインが木彫りされている。
店の外だというのに、なんとも香ばしいような、それでいて酸っぱいような、独特な匂いが漂ってくるのは、調合作業の途中だったのだろうか。
――んん? ちょっと待った。依頼書に記載されている届け場所って……ここじゃない?
小さく依頼主の名前が書かれているけど、たしかにクロネコ薬店とある。
ディガーギルドで販売されてる回復薬や解毒薬も、こういった薬屋から商品を仕入れているんだっけ。自浄作用のあるキレート草も、解毒薬の調合とかに使用するのだろう。
え、待って。もしかするとさっきの応急処置とか、プロの目から見ると失笑ものだったんじゃないの? やだ、恥ずかしい。
そんなぼくの心情をわかってくれるはずもなく、老婆は薬店の扉を押し開けた。
「メディお婆ちゃん! おかえりなさい」
出迎えの挨拶とともに駆け寄ってきたのは、まだ年端もいかない小さな子どもだった。
十歳ぐらいだろうか? 老婆はその少女の頭を撫でながら、優しい声音で話す。
「ただいま、フラウ。遅くなっちまって悪かったねえ。ちゃんと留守番しといてくれたかい?」
「うん! ねえねえ! そっちのお兄ちゃんは、お婆ちゃんの知り合い?」
フラウと呼ばれた少女が、ぼくの傍へとやって来て言う。
「あんたも遠慮せずに入りなよ。このまま何の礼もしないわけにはいかないからね。ああ……そういえば届け物があるとか言っていたね」
「あ、それなんですけど」
ぼくは革袋からキレート草を取り出した。
「おやまあ、届け先はウチだったってわけかい? そりゃあ手間が省けてよかったじゃないか」
老婆は手早くキレート草を確認し、満足げに頷くと依頼書に署名をしてくれた。
すぐさま代金が支払われ、これにて一件落着である。
「さて……仕事のやり取りも終わったことだし、あらためて自己紹介でもしておこうかね。あたしはメディ・ファーレンハイト。この迷宮都市アブグラルドで薬師をやっている。さっきは助けてくれてありがとうよ」
メディ婆さんが、フラウちゃんにもわかるよう簡単にさっきの事情を話した。
「えっと、ぼくはリオン・ヴェルニーといいます。まだまだ駆け出しですけど、ダンジョン探索を頑張ってます」
「あたしフラウ! メディお婆ちゃんを助けてくれてありがとう! お兄ちゃんディガーなの? すごいすごい! 魔物をバンバン倒して、珍しいものがいっぱいなんでしょ?」
フラウちゃんがやたらと興奮しており、ぼくのスボンをぐいぐいと引っ張るので、今にもすっぽ抜けてしまいそうだ。
はっはっは、よせやい。
「まあ、駆け出しディガーなら大金を稼ぐのはこれからだろうね」
「そうなの? じゃあフラウは頑張ってお薬作るから、お兄ちゃんも頑張ってどんどん稼いでね! 応援してるよ!」
ああ、ここ最近そんなに素直に励ましの言葉をもらったことがなかったから、なんかすごく胸のあたりがキュッとした。今キュッとした。
「フラウや。それだけ元気があるのなら、《ラフロウスの花》と《ガジュの葉》が良い具合に乾燥してると思うから、木鉢ですり潰して粉にしといてくれるかい?」
「うん、わかった。ガンガンすり潰すよ!」
拳をグッと握るポーズを見せて、フラウちゃんは店の奥へと引っ込んでいった。
元気なのはいいことだ。こっちまで力が湧いてくる。
「さて……騒がしいフラウがいなくなったことだし、少しばかり真面目な話でもしようかね。さきほど礼をすると言ったけど、感謝の言葉だけで済ませちまうほど、あたしは野暮じゃないつもりだよ」
と言いますと?
「さっきのホワイトブロム、まだいくつか持ってるかい?」
「はい、まだありますよ」
「あれは下級回復薬の材料になる薬草だ。さっき見た限りでは状態も申し分ない。それをあたしに渡せば、無料で下級回復薬に調合してあげるよ」
「え、いいんですか!? まだあと四株ほど持ってますけど」
「それなら、下級回復薬四つだね」
これは……けっこうお得な話だ。
下級回復薬を店で購入しようと思ったら、一つあたり一〇〇〇ゼニはする。
ホワイトブロムを売却するとしても、当たり前だがそんな高額では売れない。
市場に出回る回復薬には、調合代やら諸々が上乗せされているのだから。
……それが、タダ!?
「勘違いしないように言っておこうかね。無料で調合を請け負うのは今回だけじゃない。あんたに限って、必要な材料さえ持ってくれば、中級回復薬だろうと上級回復薬だろうと調合してやろうってことだよ」
なん……だと?
「いや……いやいやいや! それはさすがに悪いですよ。助けたお礼だと言われても、無料で調合してたらそっちの儲けがなくなっちゃうじゃないですか」
「一人ぐらい特別扱いしたぐらいで、あたしの店の経営は揺るがないから大丈夫さね」
マジか!? やったぜ!
――と、ついこないだまでのぼくなら、単純に喜んでいただろう。
だけど師匠の教えもあって、少しは用心深くなっているのだ。
「ただまあ、できればあたしのお願いを一つ聞いてほしいんだがね」
「ど、どんなお願いですか?」
きた。
ここ大事! すごく大事!
こほん、と咳払いをするメディ婆さん。
「フラウはあたしの孫にあたるんだが、あの子の両親は二人ともディガーだったのさ。いや、薬師としての技術を習得した上で、より価値ある材料を求めてダンジョンへと潜るようになったというほうが正しいかねえ。まあ、今こうしてあたしと孫の二人だけで暮らしている現状を見れば、両親がどうなったかは察しがつくだろう」
それはつまり……ダンジョンで魔物にやられてしまったということか。
「当時はそりゃもう泣き喚いたさ……あの子もあたしもね。だけど生きているあたしらは、これからも前に進んでいかなくちゃあならない。そのために、あたしは薬師として知っている全ての知識と技術をあの子に教え込んでいる最中ってわけさ」
メディ婆さんはそう言って、困ったように溜め息を吐いた。
「だけど……さっきのあの子の反応を見ただろう?」
なんというか、ディガーに憧れの気持ちを持っているように見えた。
両親がダンジョンで命を落としたのなら、そんな危険な場所に関わらないようにしようと考えても不思議ではないのに。
「当時は幼かったから、変に憎しみに囚われるようなことがなかったのは良かったと思ってるよ。たしかにダンジョン内部には色々と珍しい物があるし、両親が語る冒険譚にあの子が目を輝かせていたことも知ってる。もしかすると、将来はディガーになりたい――……なんてことを言う日が来るかもしれないねえ」
「心配……なんですね」
「できるだけ危険なことはしてほしくないが……どういった道を進むのかは、あの子の自由だからね。あたしにできるのは、その道をできるだけ安全なものにしておくぐらいさ。ディガーっていうのは、師弟関係を築くのも珍しくないんだろう? 優秀な師匠に教えてもらえれば、それだけ生き延びる確率が高くなる」
あ、はい。まさにぼくが今その状態です。
師匠には頭が上がりません。
「だからね。もしもこの先フラウがディガーになりたいと言ったら、あんたの弟子にしてやってくれないかい?」
なん……ですと!?
「今すぐってわけじゃないよ。きっと何年も先の話さ。そのときには、あんたも立派な一流のディガーに成長してるだろう。助けてもらったあたしが、あんたの器の大きさは保証するよ」
何年も先――そのときには、ぼくもアビリティをいくつも発現して一流のディガーになっているのだろうか……いや、絶対なりたい。
「それが、あたしのお願いさ」
将来どうなるかはわからないが、もしぼくが今の師匠ぐらいにまで成長できていれば、弟子を取って育てることが師匠への恩返しになるだろう。
もしかすると、師匠にもこういった誰かとの約束があったのかもしれない。
だからこそ、いきなり弟子にしてくれと頼んだぼくに色々と教えてくれているのかも。
「……だからね、それまではあんたもけっして死ぬんじゃないよ。あんたが死んだら悲しむ人間が増えたってことを覚えておきな」
ああ……なんとなく、わかってしまった。
メディ婆さんが孫をよろしく頼むと言っているのは、半分ぐらいが本気だろう。
さすがに、昨日今日会ったばかりの人間を全面的に信用したりはしない。
きっと残りの半分は、明日にも命を落とすかもしれない駆け出しディガーへの励ましだ。
なんだろう……助けたのはこっちなのに、いつの間にか立場が逆転している気がする。
メディ婆さんは、しわくちゃの顔をさらにクシャッと緩めた。
「そのための回復薬ぐらい、いくらでも作ってやるさね」
――ぼくは、ちょっとだけ泣いた。