3話【魂の昇華】
「お前がダンジョンで拾った魔石を思い出してみろ。色がついていただろう」
リオンが袋から取り出した小さな魔石には、たしかに緑、黄、黒といった色がついている。
「この魔石のなかには……白魔石は入っていないみたいだな。そういえば、地下一階に出現する魔物には白魔石を落とすやつがいなかったか」
ハクビはそう口にして、自分が持っている袋の中から白く光る魔石を取り出してみせた。
「これが白魔石だ。色はかなり薄いほうだが、これをこの機械に入れると……」
白魔石を放り込むと機械が動き出し、魔石が小さく光る粒子のようなものに分解され、さらに粒子が結びついて液体へと形状を変化させた。液状となった物体が容器にトポトポと流れ込み、機械の動きが止まる。
「さて……と」
ハクビは、その液体の入った容器を手に取った。
「わたしたち人間には、魂というものがある。その魂――《アニマ》とも呼ばれているが、個人の性格が千差万別であるように、アニマの色もそれぞれ異なっているんだ」
「えーと、ぼくの場合は白色で、それが先天属性ということになるんですよね?」
「そうだな。そして自分のアニマと同色の魔石を体内に取り込むことで、アニマはどんどん輝きを増していく。これが――魂の昇華だ」
「魂の、昇華……?」
「アニマはその人間の全て……根源といってもいい。それが鍛えられることで、肉体や精神にも影響が及んで強化されていく。もちろん、ベースとなる肉体の基礎鍛錬や、魔法を行使する者なら精神の基礎鍛錬は欠かさないようにしなければならない。健全なアニマは健全な肉体と精神に宿るという言葉もあるぐらいだ。まあ、騙されたと思ってそれをグイッと一気飲みしてみるといい。わりとおいしいぞ」
「こ、これ、本当に大丈夫なんですか? いや、ぼくは師匠を信じます!」
リオンが容器に注がれた液体を飲み干すと、心臓がドクンと大きく脈打ち、次の瞬間に眩暈と頭痛に襲われた。吐き気もこみ上げてきたため、立っていることができずに床に座り込んでしまう。
「し、師匠……これ……?」
「ああ、まんまと騙されたな。魔石のエネルギーをアニマに馴染ませるには、多かれ少なかれ苦痛を伴うんだ。にしても、色の薄い低濃度の魔石を選んだつもりだったが、ちょっと濃かったかもしれないな」
「ぐぅ……でも、なんだか少し楽になってきました」
もがき苦しんでいたリオンが呼吸を落ち着かせ、額に浮かんだ冷や汗を拭いながら立ち上がった。
「地下深くにいる凶悪な魔物と戦うディガーには、こういった強化が必須になってくる。まだ実感できるほどではないだろうが、少しは強化されているはずだぞ」
そう言われて、リオンは自分の身体の感覚を確かめてみる。
やはり、実感できるほどに劇的な変化は起きていないようだ。
「でもでも! ということは、高濃度の……色の濃い魔石を一気に体内に取り込めば、ぼくも滅茶苦茶に強化されるってわけですか!?」
急激なレベルアップ、爆発的成長、という少年ならば誰もが心躍る未来を想像してしまったリオンは、鼻息を荒くして自らの師匠に詰め寄った。
「ああ、まず死ねるな」
「死ぬんですか!?」
端的に否定され、キラキラしていた少年の瞳がしょんぼりと光を失っていく。
「これは、魔石のエネルギーによって無理やりアニマを成長させているんだ。ちょっとずつ馴染ませていかないと、さっきの何倍、何十倍もの苦痛に苛まれることになる。魔石の過剰投与なんかすれば、アニマが焼きついて死んでしまうだろう。わたしが何のためにわざわざ色の薄い白魔石を選んだと思っている」
「け、けっこう苦しかったですけど」
「無駄口を利くな。それと、魂の昇華を利用することで無限に強くなれるわけじゃない。人間の器が大きいやつもいれば、肝っ玉の小さいやつもいる。それと一緒で、アニマの器の容量も個人によって様々なんだ。アニマの器が満杯になってしまえば、魂の昇華もそこまで。それ以降は魔石を体内に取り入れても溢れてしまう」
ハクビは自分の袋からいくつもの青魔石を取り出すと、機械の中にざらざらと流し込んだ。リオンが取り入れたものよりも高濃度の青魔石が、大量の粒子となって蒼炎のような輝きを放ち、やがて液状に変化して容器に流れ込む。
彼女は、その液体を躊躇うことなく一気に飲み干した。
「……ふぅっ!」
「そ、そんなに大量に飲んで大丈夫なんですか? 師匠」
「ふふ、誰に物を言っている。たしかに器の大きさによって体内に取り込める量に限界はあるが、徐々に魔石のエネルギーをアニマに馴染ませていくことで、一度に取り込める量は増えていくんだ。あ……でもちょっと気持ち悪い、というか吐きそう……今喋りかけたら殴る」
「むぐっ」
その言葉が本気であることを悟り、完全に口を閉ざしたリオンは、教えてもらったことを頭の中で反芻する。
人間には魂――アニマと呼ばれるものがあり、これを鍛えることで肉体や精神を強化できる。そのためには自分の先天属性と同色の魔石を取り込む必要があり、魔石の色が薄い――低濃度のものから少量ずつ取り込んで馴染ませる必要がある。最初からいきなり高濃度の魔石を取り込めば死ぬ危険性もある。
また、アニマの器の大きさは個人によって限界に差があるが、馴染ませていくことで一度に体内に取り込める魔石の濃度や量は増加していく。
(……こんなところかな)
「ふう……おさまってきた。ちなみにダンジョンの下の階層ほど、魔物は高濃度で大きな魔石を落とす。強くなりたければ、どんどん地下に潜ればいい。当然、魔石を換金したときの額も高くなる」
「ぼくの場合は、白魔石をアニマの成長に使用して、残りの魔石は換金してしまえばいいわけですね」
「そういうことだ。だから魔石の換金は最後に回した。もっとも、今回リオンが集めた魔石の中に白魔石はなかったわけだが」
ダンジョンに生息する、どの魔物が何色の魔石を落とすのかも、わかっている範囲で魔物図鑑に記載されている。自分の先天属性を知ったならば、強化に必要な魔石を持っている魔物を優先的に狩るのもいいだろう。
「それと……大事な事を言い忘れていた。基本的に魔石を換金できるのはギルドだけだと教えたが、もしかすると魔石を売ってくれとお願いしてくるやつがいるかもしれない。それが誰か……わかるか?」
いきなりの問いかけに、リオンはしばらく頭を悩ませてから言葉を発する。
「ディガー……ですか?」
「上出来だ。自分にとっては必要のない魔石でも、他人にとっては魂の昇華に必要な魔石ということもある。だが、ディガー同士とはいえ魔石の勝手な売買は禁止されている。絶対しないように」
ギルドではディガーが持ち帰った魔石を換金し、それを適正価格で様々な組織、機関に供給することで利益を得ている。
だからこそ、ディガーを支援する諸々の施設を充実させているのだ。
「不正が見つかれば、下手をするとディガーギルドを利用することができなくなる。諸々の施設も全て使用不可になるため、かなり大変だ」
「あの……でもさっき、ぼく師匠から魔石を一個もらっちゃいましたけど?」
リオンは恐る恐るそんなことを尋ねる。
「あれは弟子にプレゼントしたんだ。売買でなければ問題はない」
「ほ、本当ですか?」
「たとえば、ある程度経験を積んだディガーが六人……全員が異なる先天属性を持つ人間でパーティを組んでいるやつらもいる。そうすれば、拾う魔石を必ず誰かの成長に使用できるからだ。そういった魔石の譲渡は認められている」
「うーん、それだと結局ギルドに魔石が集まらなくなるんじゃないですか?」
「ディガーを続けるなら、武器防具の修理や購入費用、回復薬の補充、宿代に食事代、生活費なんかで絶対にお金は必要になってくるだろう。つまり、一定量の魔石は換金しないといけないわけだ」
「なる……ほど。じゃあ、さっきのはセーフですね!」
「まあ、難しく考える必要はない。魔石の売買は必ずギルドを通す。それだけの話だ」
「わかりました。あ、でも、それだとギルドから適正価格で魔石を買う人とかもいそうですよね」
「ギルドを通して魔石を買い集めることは可能だ。実際、魔導機関を動かすために魔石は常に供給されているわけだからな。どこかの国が兵力強化を目的に魔石を購入していても不思議じゃないし、個人で購入している者もいるだろう。もっとも、自分でダンジョンに潜らないやつのアニマの器なんかはたかが知れている。リオンも自分の器を小さくするような真似だけは、してくれるなよ」
「も、もちろんそんなことしませんよ。ところで……独り立ちしたディガー同士でパーティを組むって方法もあるんですね」
独り立ちをすれば、稼ぎを重視して単身でダンジョンへ挑む者、気の合う仲間と一緒に潜る者たちなど、探索の方法は様々だ。
「でも、ぼくはずっと師匠についていきますから!」
「ふざけるな。一人前になったら即行で破門する」
「それって、どうやっても最終的に破門じゃないですか!?」
「それが嫌なら、わたしの相方が務まるぐらい強くなることだ。さて、次は魔石の換金所に行くぞ」
――館内に入ってすぐの所にある換金所へと戻ってきた二人は、手持ちの魔石を換金するため列に並んだ。順番が回ってきて、リオンは自分が手に入れた魔石二十個をテーブルの上に置く。
「ディガータグの提示をお願いできますか? ……はい、確認できました。リオン様のディガーランクは《ニル》のため、合計が九八〇〇ゼニになります」
「ニル……? あ、はい。ありがとうございます」
換金する際には、交易金貨、交易銀貨、交易銅貨という、多くの国で使用できる流通貨幣で支払われる。ちなみに、硬貨の材質や大きさによって額面が決められており、リオンの前には銀貨と銅貨がピシッと積まれた。
続けてハクビが魔石を換金する際も、ディガータグの提示を求められる。
「ハクビ様は《トゥリア》のため、合計金額は五八四〇〇ゼニになります」
「まあ……こんなものか。しばらくは稼ぎが少なくなりそうだな」
弟子の育成に時間を割かれるとはいっても、庶民が生活していくのに必要な金額がひと月でおよそ二〇万ゼニであることを考えると、けっして少なくはない金額である。
換金を終えた二人は、ふたたびソファに座り込むかたちで向かい合った。
「師匠。さっき換金のときに言われたディガーランクっていうのは、なんですか?」
「よし、今日はそれを教えてお終いにするか。さっき言ったアニマの成長っていうのは、正直なところ、成長度合いがわかりにくかっただろう」
「たしかに、実際に目で見えるものじゃないですもんね」
「その変化を実感できるのが《アビリティ》の発現だ。これは魂の昇華によって、魂が次元を超えたときに発現するものとされている」
「アビリティっていうと……何か特別な能力ってことですか?」
「そうだ。アビリティの内容は様々で、他人と同じアビリティが発現する場合もあれば、他の誰とも異なる特殊なものが発現する場合もある。たとえば、物理攻撃における一撃の威力を高める《強撃》というアビリティなんかは所持しているやつも多い。反対に、誰も見たことのないような新たな技や魔法を使えるようになる者もいる」
「師匠! なんだかぼく、すごく興奮してきました!」
「無駄口を利くな。アビリティの発現に伴って肉体や精神も大幅に強化されるため、発現したアビリティの数がそいつの強さを表す目安になるというわけだ」
そして、その強さはディガーとしてのランクに直結している。
発現したアビリティの数が一つの場合は《エナ》。
二つで《デュオ》。
三つで《トゥリア》。
まだその先もあるらしいが、四つ以上のアビリティを所持しているディガーは、かなり希少とのことだ。
「あ、あの師匠……ニルっていうのはどのランクになるんでしょうか?」
さきほど、リオンが職員に言われた言葉だ。
「ああ、それはアビリティがないということだ。何もない空白。お前のディガータグには名前しか記載されていないだろう。なんとも……可哀想に」
アビリティが発現すれば、自動的にディガータグにランクが浮かび上がるらしい。
とハクビが、さも大げさに哀れむような目を向けた。
「さ、最初からアビリティを所持している人もいるんですか?」
「いや、ほとんどいない。普通に生活していてアニマが次元を超えてしまっている者なんか、そうそういないだろう。ちなみにディガーランクが上がれば、魔石の換金レートも上がるから覚えておくといい。優秀なディガーほど良質な魔石を持ち帰ってくるわけだから、まあ当然だな」
「もう、驚かさないでくださいよ。それじゃあ、師匠も最初はアビリティを一つも所持してなかったんですよね?」
「わたしは、最初から一つ所持していた」
それはつまり、魔石によるアニマの強化をしなくとも、最初から次元を超えてしまっていたということだ。いったい、どのような生活をしていればそうなるのか。
「うぐぅ……でもでも! ぼくだっていつかは最高のディガーになれる可能性はあるっていうことですよね」
リオンは期待に胸を膨らませ、魔物図鑑から白魔石を落とす魔物を洗い出そうとページをめくり始めた。
明日までに全部読めと無茶を言われていたが、この調子だと本当に読破しそうだ。
「たしかに、可能性はある。だがしかし、アニマの器には限界があると言っただろう。どこで限界を迎えるかは人それぞれだが、アビリティが一つか二つ発現したところで成長限界に達する者も多い。わたしは三つだが、まだ成長を続けているのは喜ばしい限りだな」
成長限界に達した者が、そこから飛躍的に強くなれる可能性はない。
地道に身体を鍛えれば少しは強くなれるだろうが、その程度だ。
そのため、ダンジョンの到達階数もそこで打ち止めとなる。無理に進もうとすれば、凶悪な魔物に命を奪われ、最後にはダンジョンに呑み込まれるだけだ。
だからこそ、今までにダンジョンの最深部へ到達できた者はいない。
人は、無限に強くなれるわけではないのだ。
「でも、もしかしたら十個ぐらいアビリティが発現するかもしれませんよ」
「はっは、世の中はそんなに甘くはない」
なかなか心が折れないリオンは、図鑑をめくりながらハクビに問いかけた。
「そういえば、師匠の先天属性は青でしたけど、どんなアビリティを所持してるんですか?」
青魔石を大量に体内へ取り込んでいたことから、ハクビの先天属性が青なのは明らかだ。
「……お前、素直に質問すれば相手が優しく答えてくれるとでも思っているのか? 基本的に、自分のアビリティについては気軽に話すものじゃない」
「え?」
「戦うことになるのは、ダンジョンの魔物だけじゃないかもしれないということだ。まあ、お前にはそのうち見せることになるだろう。もしそれで問題が起こるようなら、リオンを弟子にしたわたしが馬鹿だったというだけさ」
そう言って、ハクビは目の前で図鑑を読み進めている少年の手を掴んだ。
「今度はどこに行くんですか?」
「今日ぐらいは食事を奢ってやろう。たらふく食って、たらふく呑んで、明日からのダンジョン探索に備えるといい」
「ありがとうございます、師匠! どこまでもついていきます!」
――その夜、リオンが宿屋に戻って来られたのは、深夜になってからだった。
「うう……師匠、あんなに呑んで大丈夫なのかな? 明日は時計塔の針が六時を指したらダンジョン前に集合って言ってたけど……うっぷ、なんか……魔石を取り込んだときより気持ち悪いや」
ベッドに倒れこんでしまいたい気持ちを我慢して、リオンがそれから必死に魔物図鑑を読むことになったのは、言うまでもない。
【人物紹介】
★ハクビ
東方の地出身の熟練ディガー。
アビリティの所持数は三つで、ディガーランクは《トゥリア》。
戦闘では天賦の才を持っており、弟子にしたリオンから心より尊敬されている。
◆装備品
●銀嶺の太刀
遥か東方の地で生まれた太刀という武器。
魔導機関が内蔵された特注品で、斬った相手を体内から氷結させる。
もちろん、普通に斬ることもできる。
●ミスリル銀糸の服
デザインと防御性を両立した最高級の服。裏地にふんだんに編み込んだミスリル銀糸のおかげで、鋼鉄製の鎧よりも遥かに高い防御性能を実現させている。
軽量で動きやすく、魔法への耐性もあるため非常に優れているが、ミスリルを細い糸状へ加工するのに高度な技術が必要なため、恐ろしく高価。
●氷炎鼠のマント
ダンジョンの深階層に生息している氷炎鼠の皮をなめして作られたマント。
氷と炎に高い耐性があり、過酷な環境になってくる深階層では必需品。