1話【ダンジョン探索】
迷宮都市アブグラルドに存在するダンジョンの出入口は、街の中央部にある。
命知らずなディガーはともかく、一般人が立ち入ると危険なため、出入口の周囲にはゲートが設けられていた。
ただ、ダンジョンに生息している魔物が外に出てきた例は今までになく、ゲートの警備はそれほど厳重ではない。数人の衛兵がいるぐらいだ。
「なんでダンジョン内部の魔物は外に出てこないんだろう……外にいる魔物とは何か違うんでしょうか?」
捕らえた追い剥ぎの二人を衛兵に引き渡すべく、一旦ダンジョンから出てきたところで、リオンが尋ねた。
「それはわたしも知らない。外の世界に生息している魔物は死んでも魔石を落とすわけじゃないから、そもそも別物かもしれないな」
ハクビが答えたように、ダンジョンに生息する魔物は命が終われば魔石を落とすが、外界に生息している魔物は死んでも死体が残るだけだ。姿かたちも異なるため、生態系そのものが別である可能性が高い。
「ところで……お前の腰にある剣は飾りか?」
「え? ちゃんと切れますよ?」
「そうじゃない。ちゃんと扱えるのかと訊いている」
「あ、はい」
「それなら、まずはダンジョンの地下一階に出現する魔物と実際に戦ってもらおうか」
リオンとハクビは、踵を返すようにしてゲートをくぐり、地下へと続く階段を一段ずつ下りていく。
だんだんと薄暗くなっていったが、地下一階へ到着しても、周囲を見渡せるぐらいには明るかった。壁が燐光を帯びているせいか、地下にいることを失念してしまいそうだ。
「歩きながら話そう。基本的にダンジョン探索の方法は複雑なものじゃない。わたしたちが今いる大部屋から、あそこに見えるようにいくつも通路がのびている。通路の先は行き止まりかもしれないし、別の大部屋につながっていたりする。部屋と通路が連なって一つのフロアを形成しているわけだ。ここまではいいか?」
「はい」
「フロアのどこかに地下へと続く階段がある。それを下りていけば地下二階に到達だ。簡単だろう? ただし、階層が進むごとにフロア全体が広くなっていくから注意しろ。円錐を上から下に向かって下りていくイメージだ」
リオンがにんまりと微笑みを浮かべ、何かを言おうとして慌てて押し黙った。
そんな光景を目端に捉えたハクビが、綺麗な眉をわずかにひそめる。
「なんだ? 何か質問があるのなら、言えばいい」
「いえ、その、師匠って、実はすごく親切だなぁって思って」
軽く圧迫面接をされたときは怖かったが、追い剥ぎに襲われていたリオンをなんだかんだ助けてくれたわけで、渋々だが弟子になることを認めた後は、彼に必要な知識を的確に教え込んでいる。
ちなみに、弟子となったリオンは彼女を師匠と呼ぶことに決めたようだ。
「……わたしはもともと親切だ。あまり舐めた口を利いていると、マッドウルフの群れの中へ放り込むぞ」
どこまで本気かわからないが、ハクビは気を取り直して話を続けようとする。
「とにかく、階段を見つけて下りる。ダンジョン探索は簡単にいえばそれだけだ。厄介なのは、ダンジョン内部の構造がころころ変わることだな」
「そ、そうなんですか!?」
「ああ、部屋の大きさや位置、通路の本数なんかも全部変わる。変化するタイミングはばらばらで、数日で変わることもあれば、数週間ぐらいそのままの時もある。せっかくマッピングして階段の場所なんかを覚えていても、すぐ役に立たなくなるんだ」
実際、これがダンジョンを探索するディガーにとって、襲いくる魔物と同じぐらいに厄介なのだ。
「ダンジョン内部にいるときに変化したときなんかは最悪だ。地震が起こったように揺れて、床や壁の境界が一瞬あやふやになる。ひょっとしたら自分が化け物の腹の中にいるんじゃないかと不安になり、ディガーを廃業したやつもいるぐらいだ。どうだ、怖いか? 村に帰るのなら止めないぞ」
「……なんだかワクワクしますね、師匠!」
目を輝かせながら拳を握りしめている少年を前にして、ハクビは溜息をついた。
「しない。次は魔物についてだが……これは地下へ進むほどに厄介で強くなっていく。地下一階に出現しやすいのは《コボルト》に《グリーンワーム》だな。魔物は、床や壁なんかから突然湧いて出てくるから、油断しないように……と、さっそく来たか」
ダンジョンの壁の一部がボコリと膨らんだかと思うと、その膨らみが弾けて中からコボルトが一匹姿を現した。壁自体は瞬時に修復され、何事もなかったかのように元通りとなる。
「コボルト一匹か――いや」
さらに床の一部が盛り上がり、冬眠していた虫が這いでるようにして出現したグリーンワームが、甲高い鳴き声を上げた。
イヌの頭部に、鋭い爪と人型の身体を併せ持った亜人のコボルト、角が生えている巨大なイモムシであるグリーンワームは、ここ地下一階に頻出する魔物たちだ。
「ちょうどいい。あいつらを倒してみろ」
「え……ぼく一人で、ですか?」
「弟子の実力を見ておく良い機会だろう? なに、もしボロ負けしたら、死ぬ一歩手前で故郷の村に送り返してやるさ」
「じょ、冗談じゃ……」
「ない。ここで負けるようなら、ダンジョンの奥深くに潜るのなんて一生無理だ」
「は、はい!」
腹をくくったリオンは、腰にあった剣を引き抜いて構えた。
ハクビと会話している際はどことなく頼りなさそうな印象だったが、左足を一歩前に出し、両手持ちで剣を右頬の位置で水平に構え、切っ先を真っすぐ敵に向けて静止している姿は、素人のものではない。
「ガァァァァァッ!!」
土気色をしたコボルトが吠えて、地面を駆けた。亜人系の魔物であるために二足歩行だが、その速度は猛犬のごとく速い。鋭い爪や牙は、皮膚など容易に切り裂くだろう。もう一匹のグリーンワームは身体を伸縮させて前進してくるが、コボルトに比べれば遅すぎる。
リオンはまず接近するコボルトの動きを止めるため、剣を振るった。
爪と剣がぶつかり合い、互いに衝撃が腕を伝う。
「――ふっ!!」
リオンは肺に残っている空気を小さく吐き出し、二撃目でコボルトの首を切り落とそうとした。コボルトはすぐさま爪で防御しようとしたが、首を狙った剣撃はフェイントであり、次の瞬間――
「ガル……ゥァ!?」
コボルトの片腕が宙に舞った。
「よし! これで……うひゃっ!?」
次撃でコボルトの命を断とうとしていたリオンに向けて、グリーンワームが白く細い糸のようなものを吐き出したのだ。視界の端にグリーンワームを捉えていたリオンは、間一髪でそれを回避し、三歩ほど後退した。
しかし、片腕を失って怒り狂ったコボルトの攻撃は単調であり、ふたたび突進してきた相手を切り倒したリオンは、残ったグリーンワームめがけて疾駆する。
「はぁぁぁっ!」
剣を振り下ろしたものの、巨大幼虫の背中の皮膚は弾力性に富んでおり、容易には切り裂けなかった。即座に反撃で角を突き出してきたが、リオンは剣の腹で滑らせるようにして攻撃をいなす。
「これなら……どうだ!」
今度は、濃淡の縞模様となっている体節部分へと、横から剣を突き刺した。
「ピギィッ」
小さく悲鳴を上げて、動かなくなるグリーンワーム。
さきほど切り倒したコボルトの身体が灰のような粒子へと変化して消滅し、続いて動きが止まったグリーンワームも同じように消滅した。後に残ったのは、黄色と緑色に輝く魔石だけである。
「はあ……はあ……ど、どうでしたか!? 師匠」
戦闘を終えて、リオンはやや興奮ぎみにハクビを振り返った。
「ふむ……思っていたよりも、ずっといい動きだった。剣の扱いもそこいらのディガーに負けていないだろう」
「えへへ。実はぼく、村の畑が不作続きだったときに開かれた、豊作祈願の剣武祭で準優勝したこともあるんですよ」
調子に乗ったのか、リオンは剣を持ったままピシっと構えてみせた。
「準優勝とはまた微妙だな……しかし、さっき衛兵に引き渡した追い剥ぎのやつらぐらいなら、自分で何とかできたんじゃないのか?」
「あれは、その……」
「後ろから殴られでもしたか? 情けない」
ショックでよく覚えていないが、二人組に不意を突かれたのだろう。
しょんぼりとしたリオンは、構えるのを止めて剣を鞘に収める。
「さっきの戦闘、感覚の鋭いコボルトにはフェイントでわざと反応させて一太刀を浴びせたな。グリーンワームにしても、二撃目は防御の薄いつなぎ目の体節を狙った……ああいうことを自分で判断できるのが大事なんだ。もちろん、魔物の特徴なんかを事前に調べておくことは大切だ。弱点を把握しておけば、戦いを有利に進められるからな。だが、ダンジョンの深層部には情報がまったくない魔物だって多く生息している。そんなやつらと遭遇したときは、焦らずに相手の弱点を見極めることが必要になってくる。そういった意味でも、まあ及第点だな」
コボルトとグリーンワームの弱点を事前にリオンへ教えることは簡単だが、ハクビは敢えて黙っていたのだ。
「黄魔石と緑魔石だな……やはり地下一階だと色が薄いか」
床に転がっている魔石を拾い上げたハクビは、それらを小さな革袋に入れてリオンに投げ渡した。
「その魔石はお前が持っておくといい。換金のことや諸々のことはダンジョンを出てから教えてやる。ちなみに、ダンジョンの魔物は死ねば灰みたいに消えるが、魔石以外のものも落とすことがある。獣系の魔物なら肉とか、植物系の魔物だったら薬の原料となる薬草や毒草、鉱石系の魔物ならレアメタルとか、まあ……色々だ。売れば金になるものが多いから、忘れずに拾っておくように」
「し、師匠……!」
「……なんだ」
「いきなり弟子にしてくださいって頼んだぼくに、こんなに色々と教えてくださって、やっぱり師匠ってすごく優しいですよね! ぼく……なんだか感動しちゃいました」
リオンが涙声になり、ダンジョンの外に出るための上り階段があるほうへ歩いていこうとすると、首根っこを乱暴に引っ掴まれた。
「誰が帰っていいと言った?」
「え、でも魔石の換金とかはダンジョンを出てから教えてくれるんじゃ……」
「言っておくが、あんな小さくて色の薄い魔石は換金してもせいぜい一つ五〇〇ゼニ程度だ。一回の食事代で消えてしまう。お前……手持ちのお金はどれぐらいある?」
「あ、うう……一文無しです」
「? ……ふざけるな。宿代なんかはどうするつもりだったんだ」
リオンが村を出る際に持っていたわずかな蓄えは、迷宮都市アブグラルドまでの路銀や、装備品をそろえるのに全部使ってしまった。
「えっと、故郷の村で狩りをしたときなんかは野宿だったので、しばらく宿無しでもいけるかな、と」
「お前……さっき魔物よりも人間のほうが怖いこともあると理解しただろう。アブグラルドの路地裏なんかで寝てみろ。下着一枚でも残してもらえたら幸運だ」
「で、ですよね」
「もういい……わかった。二十個だ」
「え? 何がですか?」
「わたしは今からもう少し深くに潜る。わたしが戻ってくるまでに魔石を合計二十個集めておくように。この地下一階でな」
「ええ!? まだ二個しかないですよ」
「なら、あと十八匹魔物を狩ればいいわけだ。今日のところは魔石の色はどうでもいい。気にするな。それと餞別に回復薬を一つやるから、怪我をしたら使え」
リオンに過酷なノルマが言い渡される。
「あの、もし集められなかったら……?」
少しだけ弱気になってしまうのも、仕方のないことだ。
「破門だ。弟子をやめろ。あと、死んだ場合も泣く泣く破門する」
「そうなったら、わざわざ破門しなくてもよくないですか!?」
「無駄口を利くな。じゃあ、わたしはもう行く」
風のように走り去っていくハクビの後ろ姿を、リオンは哀愁に満ちた目で見つめながら剣を握りしめた。
「……やるしかない、よね」
――ダンジョン内では時間の感覚が麻痺してしまいそうになるが、なんとかリオンが魔石を二十個集めたあたりで、ハクビが戻ってきた。
「ちゃんと集めたみたいだな。さすがに初日から少しハードだったか?」
「はぁ……ふぅ……い、いえ! ちょっと疲れましたが、なんとか大丈夫です。だけど、師匠からもらった回復薬を使ってしまいました。魔物に囲まれたときに一撃喰らってしまって……でも、この回復薬を使ったらすぐに治ったんです。ぼくが住んでいた村には売ってなかったですが、回復薬ってすごいものなんですね」
「まあ、備えあればなんとやらというやつだ。魔石が二十個でだいたい一万ゼニか。これだけあれば宿代や諸々の費用には足りるだろう。帰るぞ……リオン」
「あ……はい! 師匠!」
初めて自分の名前を呼ばれたリオンは、嬉しくなってハクビを追いかけた。
だが、彼は知らないのだ。
彼女が餞別としてくれた回復薬は、地下一階で戦うディガーが使用するような品ではなく、骨折などの重傷さえ治す中級回復薬であり……その値段が実に一万ゼニであったことを。
【魔物図鑑】※一部抜粋
●コボルト
亜人系の魔物。地下1階から出現する魔物であるが、感覚が鋭いため、デタラメに武器を振るっても当たらない。ダンジョンを舐めている初心者への洗礼ともいえる魔物。なにげにディガーの命を奪った魔物としては上位に入る。
フェイントなどを駆使すると惑わせやすいので、気合で倒そう。
●グリーンワーム
芋虫の魔物。動きは鈍いが、口から吐き出す糸にからめとられると危険。
身体はぶよぶよしているため、意外にも斬撃耐性が高い。鈍器で押し潰すか、体節の隙間を狙おう。
気持ち悪いと感じて逃げると喜んで追ってくるので、女性は注意。