11話【壁の中から】
「――そんなに急ぐな。周囲への注意が疎かになっていると、いつも問題なく倒せている魔物相手にも苦戦することになるぞ」
そわそわと焦るように歩を進めるリオンを呼び止めたのは、いつも通りの様子で歩いているハクビだ。
「ですけど……」
アメリたちを心配するあまり、早足になっているリオンの気持ちはわからなくもない。
「とりこし苦労の可能性だってある。気にかけておく程度ならいいが、わたしたちはいつも通りにダンジョンを探索して魔物を狩ればいい。まさか、一階ごとに隅から隅まで人捜しをしながら下りていくつもりか?」
ダンジョンは広い。地下深くの階層へ行くほど、その構造は複雑さと広さを増していくとされているが、地下一階とて隈なく探検しようと思えば相当に時間がかかる。
「エイベルたちが受けたのは、ラフロウスの花の採集依頼だったな。それなら地下三階からの森林フロアのどこかにいるかもしれない。弟子のアメリが一緒なら、それほど地下深くに潜ってはいないだろうから、行動範囲はそれなりに絞れるわけだ。どうせなら当てずっぽうに捜すのではなくて、もっと頭を使え」
そう言われて、額を指先でパチンッと弾かれたリオンは「うぐぅっ」と呻いた。
ハクビとて、二人の安否を気にかけていないわけではない。
どこかで助けを求めるような事態に陥っていたら、すぐに手を貸すつもりだ。
「わ、わかりました。普段通りに行動することで、まずは自分たちが危険な目に遭わないようにするってわけですよね」
気を引き締め直したリオンは、やや注意力が散漫になっていた自分の意識を周囲へ向けた。
「ん……?」
そうして、背中に妙な気配を感じた。
気のせいかもしれないが、誰かに見られているような感覚。
(――たしか、前もこんな感じの視線を感じたような……)
リオンが振り返ってみても、やはりそこにはダンジョンの壁があるだけだ。誰かがこちらを見ているわけではない。
「どうした? 壁なんかジッと見つめて――!?」
ハクビが表情を警戒するものへと変えた。
突然壁がボコリッと膨らんだかと思えば、内部で何かが動いているように見える。
「……魔物か?」
壁から這い出てくるのは魔物ぐらいだが、どうもいつもと様子が違った。
たとえるなら、今にも孵化しそうな卵が微かに震えているような……。
二人がしばし静観していると、ついに壁がビキビキッと音を立てて割れたではないか。
そうして中から飛び出してきた物体が、どさりと床へと放り出される。
しかし、二人はあんぐりと口を開けたまま、即座に反応できずにいた。
リオンはともかく、ハクビのこのような顔は非常に珍しいといえるだろう。
「そんな……馬鹿な」
ダンジョンは命を落としたディガーを呑み込むことはあっても、吐き出すことはしない。
碧がかった美しい黒髪に、透けるような白い肌の少女。
その幼い身体つきから、リオンよりもさらに年下だろうことが窺える。
面識のない美少女が、一糸まとわぬ姿で横になっている光景を目に焼き付け、彼は完全に固まってしまっていた。
数秒経った頃だろうか。少女の目がぱちりと開き、真紅の瞳がゆっくりと動いて傍にいた二人を視界に収める。
(――生きている、のか?)
ようやく思考回路が動き始めたハクビは、その少女を裸のままにしておけないと思ったようで、自分がまとっていた革のマントを被せてあげた。氷や炎に強い耐性を持つ、氷炎鼠の皮をなめして作られた高価な物だが、そんなことを言っている場合ではない。
「……あの、ぼくの服でよければ貸しましょうか? 下着一枚には慣れてますから、いくらでも脱ぎますよ」
やや混乱ぎみのリオンが、そんなことを口走る。
「脱がなくていい。このマントだけでも下手な鎧より防御力があるから、ひとまずは問題ないだろう」
それよりも、だ。
「お前はいったい何者だ? なぜダンジョンの壁から出てきた? ダンジョンに呑み込まれたディガーなのか?」
矢継ぎ早な質問攻めに、少女は何も答えずにむくりと立ち上がった。
トテトテと歩いていき、リオンの後ろへ隠れるようにしてハクビのほうを窺う。
「質問ばっかり、きらい」
「言葉はわかるようだな。記憶がないのか? それとも、まさか……」
――新種の魔物か?
ありえなくはない。ここ地下一階においても、亜人型の魔物として《コボルト》がダンジョンによって生み出されているのだ。もっと深階層まで行くと、様々な亜人系魔物と遭遇することになるため、突拍子もない考えとはいえない。
「えっと……師匠? どうかしましたか?」
そんなのんびりした声で呼びかけられて、彼女は考え過ぎかと警戒心をやや薄めた。
もしこの少女が危険な存在だというのなら、今も油断しまくっているリオンは剣を奪われて背中から刺されているだろう。
「とにかく、こんな場所で独りにさせておくわけにはいかないな。ひとまず地上へ連れて帰ってやるか。衛兵に引き渡せば後は面倒を見てくれるだろう」
そんなハクビの言葉を聞いて、少女はふるふると首を横に振った。
「あたしも……行く、一緒に」
リオンの服をぎゅっと引っ張るように掴んでいる少女は、どうやら離れるつもりはないようだ。
「い、いやぁ、でも、ダンジョンには魔物だってたくさんいるし、武器も持ってない状態で襲われたら危険じゃないかな?」
素性がわからないとはいえ、美少女に言い寄られて悪くない気分のリオンは、なんとか格好をつけようとしている。本人はキリッとした表情をしているつもりのようだが、微妙にニヤけているのが、傍から見ているとよくわかる。
「きっと、大丈夫」
と言われても、はいそうですかと納得するわけにもいかない。
そんな会話をしている間にも、さっそく新たに出現した魔物が威嚇するような声を上げながら走り寄ってきたではないか。
タッタッタっと軽快な足音を響かせるのは、亜人系の魔物である《コボルト》だ。初めてリオンが遭遇したときには少々苦戦したが、今では危なげなく倒せる相手となっている。
新調したミスリルの剣(※コーティングのみ)が煌めき、コボルトは「グギャッ」という悲鳴とともに灰となって消え失せた。
地面に転がった魔石を拾おうとすると、少女がすっと前に出てそれを拾い上げる。
リオンに渡すのかと思いきや、少女は魔石をぐっと手に握り込んだまま目を閉じ、意識を集中させているようだった。
しばらくすると、コボルトの魔石が突然光りだした。
光る魔石を地面へぽとりと落とすと、光の粒子が魔石から漏れ出し、だんだん人型へ――もとの亜人系魔物であるコボルトの姿を形どっていくではないか。
数秒後には、さっきリオンが斬り捨てたコボルトが元気な姿で鳴き声を上げた。
その光景に息を呑んだハクビとリオンは、すぐさま武器を引き抜いて戦闘態勢をとったが、少女が制止の声をかける。
「こいつはあたしに従うから、大丈夫」
いつも問答無用で襲ってくるダンジョンの魔物を相手にしている二人にとって、にわかには信じられない話であるが、たしかに魔石から再生されたコボルトが襲ってくる様子はない。
それどころか、新たに出現した《グリーンワーム》や《キラーバット》といった魔物を相手に唸り声を上げた。
「あいつらをやっつけて」
少女の命令に従うようにして、コボルトは魔物相手に突進していく。
鋭い爪や牙を武器とするコボルトは、瞬く間に二匹の魔物を仕留めてしまった。
低階層に出現する魔物の中では、コボルトはやや強い部類に入るが、それにしてもずいぶん圧倒的な結果だ。
「なんか……あのコボルト、強くありません?」
「……強化されているようだな。わたしはあまり物事に動じない性格だと思っていたが、今はかなり驚いている」
「ほっぺたでもつねりましょうか?」
「やってみるか? ここが現実だと思い知るのはお前のほうだと思うが」
「すみません調子に乗りました」
冗談はさておき、ハクビは少女を見やり、従順に命令を聞いているコボルトを観察する。
おそらくは、なにかのアビリティだろう。非常に珍しい能力であるが、目の前で実際に起こっているのだから認めるしかない。
魔物を手懐けることに成功したディガーの噂なんかは聞いたことがあるため、そういった能力が発現する可能性だってゼロではないだろう。
そもそも、基本的には自分のアビリティを隠す傾向にあるため、珍しい能力ほど知られていないのは道理だ。
「これで、いい?」
力を証明した少女は、自分も連れていってほしいと再度訴える。
ダンジョンの壁から出てきた少女に対して、まだ不信感は拭えないが、敵意は持っていないように思える。そういった感情に敏感なハクビは、上辺だけ取り繕っている相手はすぐにわかるのだ。
「ど、どうしますか? 師匠」
「そうだな……リオンはどうしたい?」
「えっと、ここに独り残していくわけにもいきませんし、かといって衛兵に引き渡しちゃうのもなんだか……」
衛兵に引き渡す――のあたりで、少女がリオンの服をぐいぐいと引っ張っている。
「いいだろう。さっきの能力はかなり便利そうだし、一緒に来たいと言うのなら来ればいい。ずいぶんとお前に懐いているようだから、面倒を見るのは任せるぞ」
「え、ええ!? 任せるって言われても……」
困ったような顔をしつつも、彼はまんざらでもなさそうだ。
あの能力があれば、少なくとも自分の食い扶持を稼ぐことぐらいはできるだろう。
ひょっとすると、まだアビリティを一つも所持していないリオンよりも、この少女のほうが強いのかもしれないが、そのことには触れないでおく。
(――ダンジョンから吐き出された人間、か。もしかすると……いや、まさかな)
ハクビは頭に浮かんだ考えを振り払い、少女に向き直った。
「そういえば、お前のことはどう呼べばいい。記憶がないのなら、自分の名前も覚えていないか?」
そんな問いに、少女はこくりと頷く。
「名前……あったほうが、いい?」
ハクビは、どことなく懐かしいものを見るような目をして答えた。
「ああ。名前はあったほうがいい。そうでないと、呼びかけるときに困るだろう」
「……なら、好きに呼んで」
「よし、それじゃあリオン。この子に似合う名前を付けてやれ。わたしはこういうのは苦手だからな」
「うぇあ!? ぼくがですか!?」
突然の無茶振りに、リオンが奇妙な声を上げてから考え込むことしばし。
「――決まりました!」
「言っておくが、この前クリスタルゴーレムに付けていたような、難しくて呼びにくい名前は却下するからな」
「もうちょっと待ってください!」
「許す」
……さらに待つことしばし。
「――イヴ、というのはどうですか?」
「ふむ。なにか意味があったりするのか?」
「ぼくが住んでいた村は田舎だったので、日が落ちると真っ暗になるんです」
迷宮都市アブグラルドでは、魔導街灯が闇を照らしてくれているため、夜でもそれなりに明るい。
「月や星が隠れちゃうと本当に何も見えないんですけど、とても静かで、不思議と落ち着く感じのする……そういう夜のことを、イヴって呼んでました」
リオンは、少女の綺麗な黒髪をそっと撫でる。
「この子を見てたら……なんだか思い出しちゃったので」
黒髪の少女は、名前の由来を聞いて満足したようにコクコクと頷いている。
「なるほど。本人も気に入っているようだから、これからはイヴと呼ぶことにしようか」
「イヴ……、あたしの名前……イヴ」
喜んでいるのか、イヴは自分の名前を繰り返しつぶやいている。
過去にも、これと似たようなやり取りがあったな――と思い出し、ハクビは自分でも知らずに頬を緩めていたようだ。
「あれ? 師匠……なんだか嬉しそうですね。なにか良いことありました?」
「……ああ、ちょっとな」




