10話【変事】
ディガーの朝は早く、機械仕掛けの時計塔の針が六時を指そうという頃、リオンはディガーギルドへと赴いていた。当然この時計塔にも魔導機関が内蔵されており、正確に時を刻むように調整されているらしい。
「おはようございます、師匠」
ほんの少し遅れてやってきたハクビと挨拶を交わし、互いに相手の顔を窺う。
「なんだ? 今日はいつにも増して元気そうだな。何かいいことでもあったのか?」
そんな問いに、リオンは照れるようにして薬屋での素敵な出会いを語った。
「――なるほどな……お前が将来一流のディガーになれているかはわからないが、材料さえ持っていけば上級回復薬だろうと調合してくれるわけか」
下級回復薬:切り傷や擦り傷に。
中級回復薬:骨折や深めの傷に。
上級回復薬:四肢切断や内臓損傷のおともに。
これが一般的な回復薬の分類である。
ただし、これはあくまで基準であり、同じグレードの回復薬でもその効能はかなり変わってくる。薬効を示す主成分、それを補助する添加剤、長期保存を可能とする安定剤など、それぞれ薬屋によってこだわりがあるからだ。
とはいえ、上級回復薬ともなると安く見積もっても十万ゼニは下らない高級品である。
材料をそろえる必要があるとはいえ、それを無料で調合してやるというのは破格の申し出といえる。
「いえ、それはもちろん嬉しいんですけど、ぼくはもっとこう……誰かが心配してくれているという心のつながりがですね――」
「わかった、わかったから、朝から暑苦しい視線をこっちに向けるんじゃない」
「――あれ? ところで、今日は師匠もどことなく上機嫌じゃありませんか? なんだか少し嬉しそうっていうか、何かいいことありました?」
まさか気づかれるとは思っていなかったハクビは、ぎくりと顔を強張らせた。
「別に……普段となんら変わらないだろう。ちょっと懐かしい夢を見たぐらいだ」
「夢……ですか? 懐かしいということは、昔のことでも思い出しました? そういえば師匠って昔はどんな感じだったんですか?」
リオンから立て続けに質問が飛んでくる。強引に黙らせることもできるだろうが、無理やり口に蓋をすれば、次にどこから興味本位の言葉が噴き出してくるかわかったものではない。
ハクビはやれやれと肩をすくませて、ほんの少しだけ口を開く。
「わたしは……こう見えて意外とやんちゃだったな。そんな自分と一緒にいてくれた相手のことを夢に見た――と、まあそういうわけだ」
ハクビが珍しく、やや気恥ずかしそうにして早口で言った。
リオンも「なるほど、そうだったんですね!」と元気よく相槌を打っているが、“こう見えて意外とやんちゃ”という部分には、「意外と……?」という言葉が口から漏れ出てしまいそうになるのを、必死で押し込んでいた。
「……何か言いたそうだな?」
「い、いえ! ところで今日はギルド内の雰囲気……ちょっと変じゃないですか?」
ぶんぶんと首を振りながら、リオンは周囲を見回す。
話を逸らそうと咄嗟に言ってみたものの、心なしか普段よりギルド職員が慌ただしく動いているように見えた。
「たしかに……少し妙だな」
ハクビはしばし考えるようにしてから、受付嬢に何かあったのかと尋ねた。
「まだ調査中で、確定した情報ではないのですが……」
と前置きを言ってから、受付嬢はやや小声で話を続ける。
不確かな情報を皆に伝えてしまうと、よろしくない事態を引き起こす可能性もある。それでも教えてくれるのは、ハクビがアビリティを三つも所持する《トゥリア》の熟練ディガーだからだろう。
受付嬢が述べた内容はこうだ。
最近、ダンジョンで命を落とすディガーの数が多い。魔物にやられてしまったと考えることもできるが、それ以外の可能性も踏まえて調査中である――と。
迷宮都市アブグラルドで身分証明となる便利なディガータグ――これは二枚一対になっており、持ち主が命を失うと、片割れを保管しているギルドにはすぐわかるようになっている。
たしかに、ダンジョンで命を落とすディガーは一定数いる。
前もって対策を講じていても、ほんの些細な油断が命取りになることもあるからだ。
ギルド側もそれはわかっているが、それを踏まえた上で死亡者の数が多いと判断したのだろう。
「えっと、どこかの階層ですごく強い希少種が発生して大暴れしてる……とか?」
実際、つい先日に希少種と遭遇したリオンからすれば、そう考えるのが自然である。
「もし希少種が発生していたとしても、倒せないほど強大な相手だったら、逃げ帰った誰かがギルドに一報を入れるだろう。それがないということはつまり、それ以外の可能性も考えておいたほうがいいわけだ。だから調査中か……なるほど」
一人で納得したふうのハクビを見て、弟子が疑問の声を上げる。
「それ以外って……なんですか?」
「前に言ったことがあるだろう。自分のアビリティは気軽に他人へ教えるものじゃないと」
「あ、はい。戦うのは魔物だけじゃないかもしれないぞって言ってましたもんね。でも、誰と戦うことを想定してるんです?」
こちら方面の話をするときは、リオンはかなり鈍い。
もっとも、田舎村で平和に暮らしていた少年に、あまり求めすぎるのも酷というものだ。
ハクビは、自分の胸をトントンと指差してこう言った。
「――わたしたち人間だ」
と。
「ええ!?」
「……いや、そんなに驚くところじゃない。むしろなんで言われないと気づかないのか不思議でしょうがない。迷宮都市アブグラルドに夢を見てやって来たのに、地下一階で身ぐるみ剥がされて下着一枚だけになっていたのは、いったい誰だ? そんな経験をすれば、魔物より人間のほうが怖いと思っても無理はないと思うんだが?」
「……に、人間って怖い」
「もっと怖がれ。言っておくが、あのときの馬鹿二人組はまだ優しいほうだからな。死体はダンジョンが呑み込んでくれるから、殺してしまったほうが何かと都合がいいんだ。とにかく、いつ誰が敵になってもいいように、普段からあまり手の内は見せるべきじゃない」
「え……でも、ぼくは師匠に色々と見せてもらいましたよ?」
途端、ハクビの眼がすぅっと細く鋭くなった。
「……お前、わたしの敵になるつもりか? もしそうなら――」
「――なりません!」
即答である。むしろ被せて否定した。
「なら、いい。まあ……ダンジョン内で襲ってくるのは魔物だけじゃないというわけだ。それが今回の件にも言えるかもしれない。どこかの悪党がダンジョンへ潜り込んだり、落ちぶれたディガーが悪事に手を染めるのは珍しいことじゃないからな」
リオンの身ぐるみを剥いだ二人組なんかは、ろくにアニマの昇華もできていない、浅い階層をうろつくだけの小悪党である。
「たちが悪いのは、アビリティを所持しているやつらだ。それなりに強いし、発現している能力次第では脅威にもなり得る」
「うぅ、ぼくなんてまだ一つも発現してないのに……って、それだけ強いのなら他に稼ぐ方法はいくらでもあると思うんですけど?」
「わたしに聞くな。ただ……自分の限界が見えてしまった者は、精神的にかなり圧迫されると言われている。アニマの器に限界が訪れ、自分をそれ以上強化することができなくなった人間のことだな。前途有望な若者を妬んだり、自暴自棄になって悪事を働くやつが出てくるのもわからなくはないが」
中階層あたりで魔物を狩っていれば生活に困ることはないだろうし、それなりに腕が立つのなら、ダンジョンの外でだって傭兵として生きていける。
むしろ、成長限界に達したディガーのほとんどは、そうやって暮らしているのだ。
「まあ、ギルド側が調査中だと言うのなら放っておくべきだろう。あまり他のディガーに対して疑心暗鬼になるのもよくない」
いつ誰が敵になってもいいように――と物騒なことを口にしていた割には、真っ当な言葉で話を締め括ろうとしたハクビだが、リオンがぽそりとつぶやく。
「アメリ……大丈夫かな」
「ん? ……そういえば、エイベルの弟子とは仲が良かったな。気になるのなら、今度会ったときにでも忠告してやればいい」
二人の会話を黙って聞いていた受付嬢が、そこでいきなり割って入った。
「あの……エイベルさんとアメリさんなら、昨日ギルドで依頼を受けてくださったのですが、まだダンジョンから戻ってきていないようです」
他のディガーの情報を教えることはあまりされないが、ハクビとエイベルが顔見知りであることを知っている受付嬢は、心配そうに述べた。
どうやら、昨日のうちにダンジョンで採集したアイテムを届ける依頼を受けたらしいが、まだ納品されておらず、ギルドに苦情が寄せられたらしい。魔物を狩るために何日もダンジョンへと籠もる場合もあるが、依頼を受けたのなら一旦は戻ってくるはずだ。
ハクビは渋い顔をしながら、受付嬢を問い詰める。
「……ディガータグでの生存確認は?」
「は、はい。まだ生きておられます。余計な心配だったなら申し訳ありません」
生きている――その言葉を聞いて、強張っていた二人の表情がやや緩んだ。
とはいえ……おかしい。
エイベルは飄々とした態度で周りに接しているが、彼とてアビリティを二つも所持している《デュオ》のディガーである。駆け出しディガーのアメリが一緒だったとしても、受けた依頼を達成できないとは思えない。
「……わたしは今からダンジョンへ潜る。リオンは宿でのんびり休んでいてもいいぞ」
「なんでですか!? ぼくも行きます!」
「皆まで言わせる気か?」
「し、師匠……」
もしやこれは、弟子が心配だから敢えて突き放すというアレだろうか? そんなふうに都合よくリオンが解釈しようとしていると、続けざまに言葉が飛んでくる。
「駆け出しディガーのお前が誰かを助けようなんて百年早い。悔しかったらアビリティの一つでも発現させてから大口を叩け」
「突き放し過ぎですよ! 全部その通りですけど、ぼくだって心配なんです」
リオンが素直に譲りそうにないのを見て、ハクビは「勝手にすればいい」と短く言い放った。
……杞憂であればいい。
もともと、今日もダンジョンに潜る予定だったのだ。あるかもわからない脅威から遠ざけようとするのは、過保護に過ぎる。
溜め息を一つ吐き出し、ハクビは誰にも聞こえない声で小さくつぶやいた。
「やはり、弟子を持つというのはなかなか大変だな……ロイ」
◆◇◆
――しばし時を遡り、ダンジョン地下五階にて。
「エイベル師匠、やりましたよ。これで依頼品の採集は無事に完了ですね」
回復薬の材料としても、鑑賞用としても人気の高い花――《ラフロウスの花》をいくつも採集して満足げな表情をしているのは、犬人族の少女であるアメリだ。
「すごいじゃないか。これだけあれば追加で報酬がもらえるだろう」
エイベルはそう言って、一輪だけ自分の手荷物へ入れようとする。
「なにしてるんです?」
「いや、馴染みの酒場で踊り子をしているアンリエッタという娘がいるんだが、これを花飾りにしてプレゼントすれば喜ぶかと思って――」
「ダメですよ! これは依頼された品なんですから」
「いや、これだけあるんだから、一つぐらい……」
エイベルから花を奪い返したアメリはにっこりと微笑み、依頼品を袋にしまってキュッと革紐で口を閉じた。
「ああ、アンリエッタちゃん……」
弟子としてエイベルのことは尊敬しているが、こういった部分は対象外らしい。
「そろそろ帰りませんか? 思ったよりも時間かかりましたよね」
そう言って、彼女は近くに湧き出ている泉へと歩み寄っていく。
空になった水筒に、飲み水を補充するのだろう。
魔物は――いない。
「綺麗な水……本当に、いったいどういう仕組みになってるんだろ?」
ダンジョンの謎を解明したいという研究肌な一面を持っているアメリは、しばし泉を眺めるようにしてたたずんでいた。
そうして水を汲もうとしゃがんだ瞬間、エイベルが大声で後ろから叫んだ。
さっきのような軽口を言う口調とは異なり、それは怒鳴るような声だった。
「――アメリ! 避けろ!」
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