9話【わたしと師匠】
「ぎゃひぃぃぃっ! や、やめ、金なら倍額払う! だから待っ――」
泣き叫びながら懇願する声を無視して、わたしは躊躇うことなく手に持った太刀を振り抜いた。肉と骨を断ち切る感覚には、ずいぶんと慣れてしまった。ごろりと無様に首が転がり、切断箇所から噴き出る血を被らないように死体から距離を取る。
「……いつもこれだけ胸糞悪いやつが相手だと、こっちも気が楽なのに」
依頼を完遂したら、その場所に長居しないのが鉄則だ。
すぐさま姿を消そうとしたが、胴体だけになった男の死体の傍に、まだ年端もいかない少女がぐったりと横たわっているのが目に入った。わたしよりも幼い、まだ十二、三歳の少女だ。細い身体にはいくつもの痣が見受けられる。青や赤といった痛々しい痣が、この少女がどのような扱いを受けていたかを物語っていた。
今しがた斬り殺した男は、それなりに権力を持った貴族の男性と聞いているが、その評判はすこぶる悪かったらしい。このような歪んだ性癖を持っているだけならばまだいいが、それを発散することに躊躇いがなかったのだ。大金で少女を買い漁ったり、ときには権力的に自分に逆らえない相手から強引に娘を奪ったりもした。
そんなことをしていれば、誰かから恨みを買うのも当たり前だろう。
「うっ……助け、て」
ほんの数ミリだけ、少女の手が持ち上がったが、それを支えるわけにはいかない。
誰かを呼べば顔を見られてしまうし、この少女とて、このような意識がほとんどない状態でなければ一緒に息の根を止めておくべき相手なのだから。
仕方ないけど……それがお前の運命だ。
――翌日、わたしはいつもの部屋で目を覚ました。
ベッドの他にはほとんど何もない、簡素という言葉を通り越した無味乾燥な室内は、中身が空っぽな自分にはちょうどいいと思っている。
そんな部屋に、当然ながらノックもなしに入ってきた男が短く言葉を吐き出した。
「――おい、ボスが呼んでるぞ。さっさと行け」
「……わかった」
こんな肌寒い早朝に呼び出される理由は、おそらく一つだろう。
薄暗く、じめっとした石造りの廊下を抜けると、厳しい顔つきの男がどかりと椅子に座って待っていた。その周囲には取り巻きの男たちが数人おり、感情が抜け落ちたような顔でこちらを見ている。
生気のないやつれた顔……気持ち悪いという感想しか出てこないが、きっと自分も同じような顔をしているのだろうと思うと、あまり笑えなかった。
「どうかしたか? 昨日の依頼は問題なくこなしただろう」
しれっと何も知らぬふりをしてみたが、相手はそれほど甘くはない。
「たしかに暗殺対象の男が死んだのは確認したが、その現場にいた人物が医療所に運ばれた
そうだ。まだ年端もいかない少女らしいが……何か俺に言うことはないか?」
「特にない」
感情が表に出ないように努めて、短くそれだけ答えた。
男はわたしの答えが気に入らなかったのか、顔をにやりと歪めて笑った。
「なら、その少女を殺してこい」
「……必要か?」
「意識が戻れば、よからぬことを喋る可能性がある。何も言うことがないのなら、自分の不始末は自分でつけろ」
男との会話は、それだけだった。
自分がどういう組織に所属しているかは理解している。
身寄りがない子どもたちを集めて教育を施す組織……といえば聞こえはいいが、その小さな手にナイフを持たせることから教育が始まる。
どこを刺せば人を殺せるのか、楽に殺すには、苦しめて殺すには、そうして様々なことを学んだら、次は実践だ。肉を突き刺す感触に、血生臭い鉄の匂いに慣れたらようやく一人前……ここはそういう場所だ。
俗にいう暗殺組織。
身寄りのないわたしの受け皿となってくれたのは、そんな場所だった。
眼前の男は組織を取り仕切っている人物であり、その言葉は絶対だ。逆らえば居場所がなくなるだけではなく、命まで失うことになるだろう。
「面倒くさいことになったな……」
地下にある掃き溜めのような住処から這い出て、雑踏に紛れながら歩く。
――なぜ、あのときわたしは少女を助けたのか。
その場で殺すのが一番だと理解していたし、あのまま放っておいても、おそらく痣だらけの少女は静かに息を引き取っただろう。
それをわざわざ、医療所の近くまで運んでやったのは、本当に自分でもどうかしていたとしか思えない。
ただ――あの少女は助けを求めるために息も絶え絶えに伸ばした手を、引っ込めようとしなかったのだ。しばらくすれば力尽きて諦めるだろうと思っていたのに、小刻みに震えながらも必死に助けを求め続けた。
その姿を見て、わたしは一つだけ質問をした。
――生きたいか? と。
そして少女は、ほんのわずかだったが、こくりと頷いたのだ。
昨日のような血生臭いことを生業にしていると、時折自分の内側にある何かが壊れてしまいそうになる。すぐに慣れる……と誰かが言っていたが、それは慣れているのではなく、麻痺しているだけだ。
人の形をした、感情を持っている相手を殺す――その行為を厭う感覚を麻痺させてしまったら、わたしは一線を越えて機械のように正確に動けるようになるだろう。
だけど……そうはなりたくない。
痣だらけの身体で、かすれるような声で、生きたいという意思をぶつけてきた相手に、わたしは血塗れの太刀を振り下ろすことができなかった。
だからその少女に、わたしは小さく囁いたのだ。
――わたしも……殺したくない、と。
そうして双方の希望を叶えるために、わたしは少女を医療所へと運んだ。
だが、その行為を黙認してくれるほど組織は甘くなかったようだ。
もちろん顔は見られていないし、医療所の人間とも直接は接触していないが、危険な芽は小さくとも確実に潰しておくというのが組織の考え方なのだろう。
目的の場所に到着したわたしは、しばらくボーッと馬鹿みたいに突っ立っていた。
不始末の整理を完遂できるかの監視役として、あの男から言われて下手糞な尾行をしているやつらも、何事かと不思議に思っているに違いない。
だけど考えてみれば……これはわたしの初めての意思表示だ。
これまで必死に考えないようにしていたが、昨日はっきりとその答えが出てしまった。
――……わたしは、殺したくないのだ。
あの少女だけではなく、他の誰も。
「ふ……ふふ、そうか……なるほど」
その考えに行き着いてしまったら、もう後戻りはできなかった。
ほんの少し脱力した状態から、自分でも驚くほどに身体が軽くなった気がした。
そうしてわたしは――全力で逃げた。
雑踏をかき分け、尾行を引き剥がして街を出た。当てもなくひたすらに走った。
見知らぬ街や村に逃げ込んでも、追手は当然のように襲ってくる。
黙って殺されてやるつもりはなかったので、襲ってきたやつらは全員皆殺しにしてやった。
殺したくないと言っておきながら、組織の仲間だったやつらを躊躇いなく殺してしまえる自分に、少しだけ笑ってしまった。
わたしも……死にたくはないようだ。
人里にいると迷惑をかけてしまうため、野宿をすることが多くなった。
そもそも路銀も何もなく、人殺し以外で金を稼ぐ手段を持たない自分が真っ当に暮らせるはずもなかったのだ。野生動物や魔物だけではなく、いつ追手に襲撃されるかもしれないと警戒しながら野宿をしていると、どうしても神経が擦り減ってくる。
ある日、意識を失うようにして眠ってしまったことがあったが、目を覚ますと周りにいくつも死体が転がっていた。どうやらわたしが無意識的に反撃したらしく、腰にある太刀には血がべっとりと付着していた。
そんな厳しい毎日に疲れ果てていったが、ふと立ち寄った村である街の噂を聞いた。
――迷宮都市アブグラルド。
それはダンジョンとともに発展してきた巨大な都市らしい。
「……行ってみようかな」
そんな遙か遠くの地にある街に行こうと思ったのは、さすがにやつらも追ってこないだろうと考えたからだ。それに、人がたくさんいる巨大都市なら、自分が暮らせる場所だってどこかにあるかもしれない。
それからわたしは、何日も休まずに移動し続けた。
飲み水ぐらいはなんとかなったが、食い物は何もなく、木の根をかじりながら歩き続けた日もある。当然、腹を壊した。
狩りでもしようかと思ったが、わたしは人間を効率的に殺す方法しか知らなかった。
強引に野生動物を追いかけて捕らえてみたが、解体方法もわからず、適当に切り分けて焼いてから口にしたが、血の味がしておいしくなかった。そして腹を壊した。
そんな毎日を送りながら、やっとのことで迷宮都市アブグラルドに到着した。
その頃には、わたしの身体はボロ雑巾のようになっていたと思う。
希望を抱いてやって来たものの、大通りを歩く人たちはこちらの様相をちらりと眺めては、すぐに目を逸らせてしまう。
……そりゃあ、そうか。
服には赤黒い染みだって付いているし、好んで関わりたくもないだろう。
身体から力が抜けていき、わたしは人通りのほとんどない路地裏で倒れた。
時折こちらに視線を向けてくる者もいるが、誰も足を止めはしない。
いや、どうやら物好きな男が一人だけいたようだ。
「大丈夫か?」とわたしに声をかけてきた。強がる体力も残っていなかったので、わたしは「大丈夫じゃない」と答えた。
そこからは、よく覚えていない。
気がつけば、わたしはどこかの部屋の一室で横になっていた。
身体を起こすと、あちこちにあった傷が手当されており、わたしをここに運んできたであろう男が嬉しそうに微笑んでいた。男はそのまま何も言わずに部屋を出ていき、すぐに温かい食事を持って戻ってくる。
野菜をたっぷり煮込んだ滋養のあるスープ、すっからかんの胃を驚かせないように小さく切られた肉の脂身から溶け出た香りが、抗うことを許してくれなかった。
食事を終え、いくらか冷静に物事を考えられるようになってから、なぜこの男が自分を助けてくれたのかを考えてみる。今の自分には、助けてくれた対価として支払えるようなものは何もない。愛用していた太刀も刃が欠けてボロボロになっており、売り払っても二束三文だ。
そこまで思考を巡らせ、わたしは一つの考えに至る。
見返りも求めずに、誰かが誰かを助けるなんてことは、ない。
……ああ、なるほど。そういうことか。
わたしも一応は女性だ。かなり痩せ細ってしまったが、殺す標的に近づくために化粧をしたことだってある。そのときには、相手が油断してくれて殺りやすかった。自分ではよくわからないが、おそらく見栄えはそれほど悪くないのかもしれない。
それが対価だと言うのなら、受け入れよう。
おもむろに着ている服を脱ごうとしたら、傍にいた男が驚いた顔をして止めてきた。
なぜそんな行動に至ったのかを細かく説明すると、男は衝撃を受けた表情から一転して、子供を叱りつけるような顔になった。
というか、頭にビシッと手刀を一発お見舞いされた。
なぜだ。解せない。
――とまあ、これがわたしと師匠――ロイとの出会いだった。
彼は、自分のことをダンジョンへと潜るディガーだと説明してくれた。
何も知らないわたしに、丁寧に色々と教えてくれるのには裏がある……と最初は疑っていたが、どうやらそうでもなさそうだ。
「困ってる人や、助けを求めている人がいたら手を差し伸べるのは当たり前だろう」
そんなことを真顔で言える人物には、初めて会ったかもしれない。
「お前だって、目の前で助けてくれ~って呻いている相手がいたら助けるだろ?」
そんなわけない……とは言えないか。助けを求めている少女を見殺しにできなかったから、わたしは今ここにいるのだ。
こちらが黙っているのを肯定と受け取ったのか、ロイは満足げに頷く。
その勝ち誇ったような顔に、なにやら腹が立ってきた。
「勝手に一人で納得するな。誰でも助けるわけじゃない。その……死んで当然みたいなやつらのほうが圧倒的に多い」
「んん? まあそういう相手だった場合はそのときってことで。だいたいそいつの目を見ればどんなやつかわかるんだよ。お前みたいに澄んだ瞳をしてるやつは悪者じゃない」
目を見ればわかる……だと。そんなもので相手の人となりが判断できるのなら、誰も苦労はしない。
「嘘をつくな」
「うん、まあ嘘だけど」
「はあ!?」
「お前……よく見たら、ちょっと濁ったような目をしてんな」
「はあぁぁぁ!?」
――ロイは歯に衣を着せない性格で、思ったことをぽんぽん言葉にするタイプの人間だったが、わたしにはそういった相手のほうが気楽でやりやすかった。
彼は何も知らないわたしに、ディガーとしての様々な知識を惜しげもなく教えてくれた。
この迷宮都市でわたしが生活していくためにできそうなことは限られていたし、彼が向いているかもしれないと誘ってくれたから、ありがたくその教えを受けたのだ。
ダンジョンに潜り、魔物に不意を突かれても瞬時に斬り捨てるわたしの様子を見て、ロイはかなり驚いていた。
どうやら、わたしは最初からアビリティなるものが発現していたようだ。
これはかなり珍しいことらしい。
あまり褒められる経験をしてきたわけではないので、手放しで喜ぶことはできなかったが、ロイはまるで自分のことのように喜んでいた。
いつかダンジョンの奥に何があるのかを見てみたいなど、誰も達成したことのない夢みたいな話を子供のように目をキラキラさせて語っていたが、わたしはそれが嫌いではなかったかもしれない。
「そういえば、お前の名前はなんて言うんだ?」
ロイにそう尋ねられて、わたしは正直戸惑った。
なぜって、わたしに名前などなかったからだ。仕事で適当な偽名を名乗ることはあっても、決まった名前で呼ばれることはなかった。《おい》《お前》《そこのやつ》――名前などなくとも、呼びかけるにはそれで十分だったのだろう。
わたしが困っているのを見ると、ロイはにやりと笑って提案をしてきた。
「名前がないと呼びにくいだろう。なら、俺が今ここで命名してやる。そうだな――ハクビっていうのはどうだ? カッコいいだろ?」
「ハクビ……どういう意味だ?」
「お前が使っている武器――太刀は東方の武器だ。たしかその辺りでは、ハクビは優れた人物を意味する……とかだったはずだ。最初からアビリティを所持していたお前にはぴったりだと思うんだけどな」
優れた人物と聞いて、すぐには頷けなかったが、どうやらロイの中ではすでに決定事項らしい。
「もし自分に合わない名前だと思ったんなら、これから合わせていけばいい。少なくとも俺はそう思うね。まあ、語感が気に入らないとか、ダサいとか言われたら俺のセンスがないだけだから諦めろ」
わたしが何を言おうとも、これからロイと行動を共にするのなら、そう呼ばれることになるようだ。
「……わかった。そうする」
「そうか。それじゃあよろしく、ハクビ」
「ああ、その――」
「ん? なんだ?」
「いや……なんでもない」
魂の昇華で感覚が鋭くなっているロイも、さすがに気づかなかっただろう。
そのとき……わたしが本当に小さな声で、「ありがとう」とつぶやいたことを。




