【プロローグ】
新作投稿いたします。
楽しんでもらえれば幸いです。
本小説は、異世界短編集で書かせていただいた【ダンジョンは憩いの場】をベースにした長編となります。とはいえ、内容は全然違うものになる予定なので、気にせずお読みください。
――この世には、ダンジョンというものがある。
地下深くに広がる巨大な迷宮の底にたどりついた者は誰もおらず、なぜそんなものが存在するのかさえ、誰も知らない。太古の昔からその地にあったのか、はたまた誰かが造ったのか、そういった記録は一切発見されていないのだ。
生命の鼓動のように度々構造を変化させるダンジョン内部には、魑魅魍魎ともいえる無数の魔物がはびこり、侵入してきた者へと容赦なく襲いかかる。
そのような恐ろしいダンジョンには、大半の人々は近づきたくもないと考えるだろう。
だが、ダンジョンに潜ろうとする者は後を絶たない。
なぜか?
それは、迷宮に生息している魔物の体内に《魔石》と呼ばれる結晶体が存在しているからだ。
エネルギーの塊である魔石は、魔導機関の動力源として使用され、古くからその発展に大きく貢献してきたのである。
風車小屋にあった大きな歯車は、風が吹かずとも石臼を動かして麦を挽けるようになり、麦袋をいっぱいに積んだ輸送船は凪の日にも出港することが可能となった。今では麦粉を練って作ったパンを焼く竃にすら、魔導機関が組み込まれているのだ。
その恩恵は、人々が暮らす上で欠かせないものとなっていた。
ダンジョンに潜り、魔石をたくさん持ち帰ればそれが金銀財宝へと化ける。
それゆえに迷宮へと足を運ぶ命知らずはとどまることを知らず、今日も今日とて一攫千金を夢みてダンジョンに挑む者たちを、人々はいつしか《ディガー》と呼ぶようになっていた。
これは、そんなディガーに憧れを抱いた一人の少年の物語である。
――迷宮都市アブグラルド。
ダンジョンを囲むように広がった巨大な都市の一画で、一人の少年が空を見上げていた。澄みきった空はどこまでも青く、少年の未来を明るく照らすかのように輝いている。
少年の名前は、リオン・ヴェルニー。
陽の光を浴びて、赤みがかった茶褐色の髪が、頬をなでる爽やかな風になびく。田舎の村で育ったためか、肌は健康的に小麦色だ。簡素な革製の胸当てや肘当てを身に着け、腰には一本の剣をさげている。典型的な新米ディガーの出で立ちといえた。
「始まるんだ……ここから、ぼくの冒険が」
リオンはそう言って、ダンジョンが存在する街の中心部へと颯爽と足を向けた。
◆◇◆
――ダンジョンの地下一階。
ダンジョン内部において、最も地上に近く、危険が少ないであろう階層にて、倒れ伏している一人の少年がいた。
ついさっき、意気揚々と迷宮へ足を踏み入れたリオンである。
しかし、どうやら魔物にやられてしまったわけではなさそうだ。
「ねえ、これ死んじゃったってやつ?」
「気絶してるだけだ。今のうちに身ぐるみ剥いじまおう……ってかお前も手伝えよ。あんまり金にはなんねえだろうけどな」
横たわっているリオンの頭を足先でゴツゴツと蹴り、息があるかを確認している女。
その隣にいる男は、倒れているリオンから容赦なく装備を剥ごうとしている。
「う、う~ん……ぇ、あれ? ……ちょ! やめ、やめててください!」
ボーッとしていた頭がだんだんと鮮明になり、どうやら自分が気絶していたことを悟ったリオンは、強奪行為を止めるように声を上げた。
「ちっ、目を覚ましやがったか。もういい面倒くせえ。ほら……服も全部脱ぐんだよ!」
男の冷たい一声に、少年は身体をぶるりと震わせる。
「え、いや、冗談でしょう……? うそ、やだそんな、いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
雑巾を引き裂いたような悲鳴が響き、リオンは身ぐるみを剥がれて下着一枚というあられもない姿になってしまった。
「あ、あんまりだ。ぼくが何をしたっていうんですか……」
「あはは、ウケる~」
「ふん、防具は革製の安物……剣も鋳造の量産品か。さっさと売って――」
男が剥ぎとった装備を袋に詰め込み、振り返った瞬間――その身体が吹っ飛んだ。
リオンよりも二回りは体格の大きい男が、それはもう見事に空中浮遊を楽しんだうえで壁に叩きつけられたのだ。
「が、へ……」
気を失った男は、前のめりに倒れこむ。
「ちょっ、誰よいきなり!?」
相方をやられた女が、へらへらと笑っていた表情を醜く歪ませた。
男を殴り飛ばしたのは、長身のすらりとした女性だった。
銀砂のように輝く美しい髪が特徴的なその人物は、ギロリと女を睨みつける。
「あ……や、やだなぁ、ハクビじゃないの。冗談、これはほんの冗談だって」
「……お前たち、まだこんな下らない真似をしていたのか。さっさと街を出て行けと言ったはずだ。それが嫌なら、今すぐにでもダンジョンの奥深くまで連れてってやる。深階層の魔物でも倒せば、せこい稼ぎとは比べ物にならないぐらいの金を手にできるだろうさ」
「いや、それは……あはは。あたいらには無理だってわかるだろ? ねえ、お願いだから見逃してくれない? 奪ったものは返すし、お詫びもするからさ」
女は薄く笑いを浮かべながら、どうにか相手を丸め込もうとしている。
「……無駄口を利くな」
突然、ボゴッ! と鈍い音が鳴り、女が鼻血を吹いて床に顔から突っ込んだ。
ハクビと呼ばれた女性の拳が、動揺していた女の顔面を貫いたのだ。
「は……ピュ……」
扇情的な衣服に身を包んでいた女は、大股を開いて地面に突っ伏した。こうなってはもう女の魅力など欠片もありはしない。
「さっきの叫び声は……お前か? ダンジョンに生息するマンドラゴラを引っこ抜いたような大声だったが。まったく……ほら、さっさと服を着ろ」
気絶している男女からリオンの装備を奪い返したハクビは、それらを投げ渡す。
ドサリと床に転がった装備品は、駆け出しのディガーが身に着ける安価なものばかりだ。
しかし、リオンの目の前にいる女性が装備している品々は、どれも見事な逸品である。
遥か東方の地でしか作られていない太刀と呼ばれる武器――それも魔導機関が内蔵された特注品で、柄に刻まれた細かな装飾がまた美しい。
パッとみた感じは軽装であるが、ミスリル銀糸を裏地に編み込んだ防御性の高い衣服に、迷宮に生息しているとされる氷炎鼠の皮をなめしたマントなど、どの装備一つとっても数百万ゼニはくだらないだろう。
もっとも、リオンにそれらを正しく評価する目利きなどないが、なんとなくすごいものだということは嗅ぎとったようだ。ダンジョン内部でこのような装備品を身に着けている者の職業など、一つしか存在しない。
「あ、あの! ハクビさん……は凄腕のディガーの方だとお見受けしました。どうか、どうかぼくをあなたの弟子にしてください!」
下着一枚――もっと単純に表現するならば、パンツ一丁で直立した姿勢から頭を下げるリオン。
「なんだ、と?」
「ぼくはリオン。リオン・ヴェルニーといいます。ずっと田舎の村に住んでいたんですが、ディガーに憧れて、今日アブグラルドまで来たんです」
「帰れ」
「え?」
あまりにも端的すぎる返答を受け、リオンは人懐っこそうな顔をわずかに強張らせる。
「帰れと言ったんだ。わかるか? どこの世界に、下着一枚で弟子にしてくださいと言ってくるやつがいる。そんなやつが、快く受け入れられると思うのか?」
「あ、ですよね。じゃあすぐに服を着ます」
いそいそと服に袖を通していくリオンは、小声で「やった!」とつぶやいている。
「? 違う……ちょっと待て。服を着れば弟子にするという意味じゃない」
「え?」
「さも意外そうな顔でこっちを見るな。こちらこそ心外だ」
ハクビは、呆れたように溜め息を吐いた。
「だから、もう帰れ。地下一階で身ぐるみを剥がされているようなやつが、長生きできるわけないだろう。ましてそんなやつを弟子になんかしたら、こちらの命がいくつあっても足りやしない。さっさと田舎に戻って畑を耕すといい。お前の死体をダンジョンの肥やしにするよりは、ずっと世の中の役に立つ」
辛辣な言葉であるが、リオンはそれでも諦めない。
「そこをなんとかお願いします! なんでもしますから――あっ」
ハクビに詰め寄ろうとした瞬間、躓いて転びそうになったリオンは慌てて手を伸ばした。
ちなみにハクビは言葉遣いこそやや中性的だが、肩ほどまである銀髪を後ろで結わえている容姿端麗な女性である。肌は雪のように白く、意思の強そうな茶褐色の瞳に、身体の線は革製の厚手なマントによって隠されているが、とても女性らしいものであることをリオンは知った。
彼が掌に、とても柔らかな膨らみを感じたからである。
厳密にいえば、ミスリル銀糸を編みこんだ衣服越しに、ふくよかな双丘の感触が伝わってきたというべきだろうか。
「あ、ちがっ! これはわざとじゃな――」
「いま、なんでもすると言ったな? いいだろう……今から面接をしてやる」
追い剥ぎの女にかけていた冷たい声音よりも、いっそう冷ややかになった声が、リオンの鼓膜を蹂躙する。
次の瞬間、首を引っ掴まれて壁に叩きつけられた。
リオンは自分の背中が押しつけられているダンジョンの壁が、ビキビキと音を立てているのを感じ取り、地につかない足をバタつかせながら一つの結論に至る。
(あ……ぼく、死んだかもしれない)
「なぜ、お前はディガーになりたいと思った?」
「ぐ……だってディガーって、カッコいいじゃないですか。ダンジョンに潜って、たくさんの魔物と戦って、魔石や財宝を持ち帰るってすごく夢がありますし、自分が強くなれば、困っている人を助けることだってできるでしょう? だからぼくは……ディガーを志望しました」
「……他には?」
メキメキと、さらに壁が悲鳴を上げる。
「う、ごほ……すみません。凄腕のディガーになれば女の子にもモテるかなっていう気持ちもちょっとだけあります」
「……」
「ちょっとじゃないです。すみません」
「さっき、ディガーをカッコいいと言ったな。わたしはこれでも色んなやつを見てきたが、調子に乗って無茶な冒険をするようなやつは真っ先に死ぬか……周りに多大な迷惑をかけることになる。ディガーは臆病すぎるぐらいに慎重で、どんなに恰好悪くても、生き延びて地上へ戻らなきゃいけない。子供の夢みたいなことを語るんじゃない」
そこでようやく、彼女はリオンの身体を床に下ろした。
だが、喉元を掴んだ腕はそのままだ。
「命乞いをしろ。わたしが呆れるぐらいに恰好悪い姿をさらしてみろ。そうすれば一緒にダンジョンに潜って最低限のことぐらいは教えてやる。できないと言うのなら……お前はここで死ね」
脅しとも取れる、心臓を圧迫するような言葉。
「……や、だ」
「聞こえないぞ」
「嫌だ! ぼくが憧れるディガーは、そんなんじゃない!」
「あんな小悪党に身ぐるみを剥がれていたやつが、言うじゃないか」
「それでも……嫌なんです。ぼくにディガーの魅力を教えてくれた人なら、絶対に命乞いなんて恰好悪い真似はしません!」
「ふん、なるほどな。引退して田舎村に引っ込んだディガーの自慢話にでも憧れたクチか。それなら、わたしが今ここで現実というものを教えてやる」
ハクビは鞘から引き抜いたナイフを少年の喉に突きつけた。腰に差している太刀とは違い、湾曲した小さなナイフであるが、人間の皮膚を裂くには十分すぎる代物だ。
「最後だ。命乞いするか、大人しく田舎に帰れ」
「嫌です。村にはもう、戻らないって決めたんです」
「……意外と強情なやつだな」
「ぼくは、誰も到達したことのないダンジョンの奥に何があるのか――それを見てみたい」
そんなリオンの言葉に、今まで表情を動かすことのなかったハクビが、わずかに眉根を動かす。
「お前――」
「だから、ぼくを弟子にしてください。お願いします」
ナイフの先端が喉の肉をプツリと裂き、血が滲んでも、リオンは頑として譲るつもりはないようだ。
しばしの静寂の後、先に音を上げたのは銀髪の女性のほうだった。
「……好きにしろ。言っておくが、お前のせいで危険な目に遭った場合は、速やかに盾代わりにしてやる」
掴んでいた手を離し、突きつけていたナイフも鞘に戻す。
「あ、ありがとうございます! ぼく、荷持持ちでもなんでもしますよ」
「そんなものはいいから、自分の身は自分で守れるようになれ」
ハクビはポリポリと面白くなさそうに頭をかきながら、床に転がっている男女二人組に縄を巻きつけていく。
当然ながら追い剥ぎは犯罪なので、然るべき場所に連れていくのだ。
「あの、でもいいんですか? ぼく、命乞いしてませんけど」
「……ああ、あれはわたしに無作法を働いた子供へ躾をしただけだ。まあ、軽い圧迫面接というやつだな。もちろん、どんなに恰好悪くても生き延びるのは大事だが……本当に命乞いなんてしていたら、その場で放り捨てていたかもしれない」
「あ、ははは……軽くは、なかったですけど」
――こうして、ディガーに憧れる少年リオンの物語は始まった。
迷宮都市アブグラルド。
それは数多のディガーが命を落とし、夢をひろい続ける。
ダンジョンとともに発展してきた、巨大な都市である。
しばらくは1日~2日の更新速度を予定しております^^