第17話 奇跡との遭遇
小さな街だ。二人が偶然どこかで、出会っていてもおかしくない。
でも、俺には、そうは思えなかった。目の前に桃子が立っていると分かった時、勝手に運命ってやつを感じてしまったのだ。
文化祭で会えるはずだった桃子の姿はなく、居場所を見失い、向かうべき場所も分からず、駅前で途方にくれていた。
この世界で、一度、関係が切れてしまったら、相手との接触を図るのは至難の技に違いない。
ましてや、今や桃子の顔見知りでも何でもない村人Aに格下げされた俺が「桃子さん、いますか」と、馴れ馴れしく自宅に電話するわけがないのだ。可能だとしても、桃子の家電の番号を、悲しいことに俺は覚えていない。
となれば、直接会いに行くしかないだろう。
例えば、通学途中を狙う、とか。
校門付近で張り込み、こっそり桃子を待ち伏せする方法が確実に思える。半分くらいストーカーが入っているとしても、そのくらい根気よく探す気力と行動力が不可欠だ、ということ。
そんな状況の中で、桃子に遭遇するという奇跡的チャンスが巡ってきた。
海斗も「そんなこと、あるんだね」と感心していたほどだ。
「あの男、わざわざ振り返ってさ、俺を睨らんできたんだぞ? 俺は行儀よく、列に並んでいただけじゃん? 控えめに言って、頭おかしいよ」
言葉にすると、忘れかけていた怒りが沸々と湧いてくる。
「じーっと見ていたのがバレて、怪しまれたんじゃないの?」
「それも一理ある」
「認めるんだ」
「っていうか、睨まれた上に舌打ちされた俺の気持ち、分かる? もうね、すっげええカチンときた」
「それはそれは」
「まあ、桃子を探す手間が省けて、結果的には良かったんだけどさ」
溜め込んでいた悪い気を、気持ちよく吐き出した。
おかげで気分がスッキリし始めていたところへ、海斗がタイミングを見計らうように、口を挟んできた。
「それでね、青葉くん」
「なに? 俺の話、ちゃんと聞いてた?」
「聞いてたよ。長電話しちゃってるけど、これ、大丈夫?」
そう言われて、ハッとする。外では桃子が待っていることを、すっかり失念していたようだ。
「あ、大丈夫じゃない」
視線を落としてみると、積み上げていたはずの小銭は、なんとも心細い枚数に減っている。
「とりあえず、こっちに帰ってくれば? 雅次郎くんも、ああ見えて、青葉くんのこと、まあまあ心配してるんだから」
海斗の真摯な言葉も上空に、俺は別のことに気を取られていた。
「まあまあかよ。ま、そりゃいいんだけど。今すぐっていうのは、ちょっとなあ」
気の抜けた返事をしたのは、外の様子が気になってきたからだ。
受話器から顔を離し、首を伸ばして様子を伺っていた。気にし始めると、外から聞こえてくる談笑が、やけに癇に障るというか。
遠くから「おーい」と叫ぶ声がした。
受話器を耳に当て直し、海斗の呼び声に応える。
「悪い悪い」
「切ろうか?」
そう簡単に、あっさり電話を切られても困る。
「いや、待て。この話には続きがある」
「じゃあ、続きをどうぞ」
海斗の冷めた言い方は、もう慣れている。
「よしきた。あれ? どこまで話したっけ?」
受話器から、深い溜息が聞こえた。
「……砂上さんのお兄さんが、やらかした衝撃の事実があるんでしょ? それは何?」
「あー、はいはい、そこからね」
ドーナツ屋で目にしたシーンを思い出して、言葉に力がこもってしまう。
「あのクソ兄貴、桃子に何をしたと思う?」
「わかんないよ。時間ないから、質問を質問で返すの禁止」
「はい……ですよね」
話を戻そう。
あの時、何をどう解釈するべきか、理解がおぼつかなかった。だから、久しぶりに飲もうとしたメロンソーダのことも忘れ、正しい選択をするために、自問自答を繰り返したのだ。
どうすればいい?
声を掛けるべき?
勘違いだったら?
海斗も疑問を持っていた。
そもそも、桃子を救う必要があるのか、と。
視線だけは開け放した扉の向こうに置いたまま、残った十円玉を一枚ずつ投入口に差し込みながら、受話器に口を寄せた。
「桃子の肩にさ……」
「うん」
「あの男……桃子の肩に、手を回しやがった。公共の場でだぞ?」
「あ……うん。うん?」
海斗は話を噛み砕こうとしたが、腑に落ちないといった風だ。
「やばいだろ?」
「それだけ?」
「そうだよ。伝わんないかなあ。俺はね、形容しがたい、いやらしさを感じたんだよ」
強まっていく俺の語気にも、海斗は全く心が動かないらしい。
「うーん、どんなふうに?」
「どんなふうって、言われても……そうだな」
あの状況を言語化できないジレンマに、唸りながら頭を悩ませた。そして、一つのイメージが閃いた。
「分かりやすく例えるとだな」
「うん」
「電車の中で、痴漢されて震えている女子高生」
「ああ、その例えはイメージしやすいかも」
「だろ?」
しかし、海斗はまだ納得していない。
「判断が難しいな」
「なんで? どこが?」
「青葉くん、前から、そのお兄さんのこと嫌いだったでしょ」
平坦で情のない海斗の言い様に、俺は眉をひそめた。
「嫌いだったよ。でもね、それとこれとは全然関係ないから」
「青葉くんに、そのつもりがなくても、嫌いな人間が起こした行動として見た時、無自覚なまま、不要なフィルターを掛けているかもしれない。事が事なだけに、レッテル貼りは危険だと思うよ」
その可能性はゼロではないだろうが、俺としては、釈然としないものがある。
「お前は、その場にいなかったからな」
受話器を当てた耳と反対の耳には、外で桃子たちが談笑しているのが聞こえてくる。
「海斗、いいか? ここが設定の上に作り上げられた世界だとしても、あの二人の記憶上では兄妹だ。普通、兄が妹の肩に手を回したりするか? 桃子はちっとも嬉しそうでも、楽しそうでもなかった」
彼女の無表情を、俺はSOSだと受け取った。だから、桃子の手を引ったくり、雑踏の中を走って逃げたのだ。
二人の間に沈黙が流れた後、海斗は言葉を選びながら口を開いた。
「今も青葉くんと一緒にいる、という現状を考えると、あながち間違った行動ではなかった、のかもしれないね」
少し間を置いて、海斗の言葉が続く。
「それでも、砂上さんに話を聞くまでは、決めつけないほうが良いよ」
「いや、でもさ。あいつは」
俺に被せるように、海斗が静かに言った。
「連れて、帰りたいんでしょ?」
「うん……まあ」
「だったら、まずは、二人で一緒に戻って来なよ」
雅次郎はイケすかないやつだが、桃子に世界のことを、上手く説明してくれるだろう、という期待は持っている。海斗という優秀なサポート役もいるのだから、計画どおり、桃子は帰る決意を固めてくれるだろう、とも思っている。
しかし、その件については、今しばし時間の猶予が欲しい。
「沈黙の理由は、今は聞かないでおく。でも、晩ご飯までには帰ってきて欲しいね」
海斗は眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げながら、眉間にシワを作っているだろう。
「晩飯って、お前は俺のおかんか」
電話を切った後、もし、俺と桃子が小旅行に出かけたとして、何の問題がある? 金はあるのだから、野宿して風雨に晒されることも、飢えを感じて苦しむこともない。
「お前、心配性だよな。ちょっと大袈裟に考えすぎじゃない?」
茶化したつもりはないが、海斗は黙り込んだままだ。
「しゃべんないなら、俺はもう行くぞ」
そう言って、海斗はやっと口を開いた。俺は俺で、やはり外が気になる。
「ここは、僕らの世界じゃない」
「分かってる」
「分からないことの方が、ずっと多い世界なんだ。もっと注意深く行動するべきだよ」
俺は海斗の正論を聞きながら、最後の十円玉を指先でもて遊んでいた。
「分かってるって」
「大事に想っている人と一緒にいるのなら、尚更、気をつけなきゃいけないんじゃないの?」
海斗の話を断ち切るように、外から「アオタくーん。まだですかー」と桃子の笑いまじりの声がした。
「海斗、もう切るぞ。また電話するから」
電話を切る前くらい、気まずい雰囲気はとっぱらいたくて、努めて明るく朗らかに言った。いつもの呆れ声で皮肉の一つでも、聞くことが出来れば嬉しかったのだが、海斗は押し黙ったままだ。
そろそろ、時間切れだ。
残った十円玉を握ったまま、電話を切ろうとした時だった。
海斗が言った。
「雪葉くん、一人にしていいの?」
不意打ちを喰らった。いいわけないことくらい、俺は承知している。忘れたつもりもない。ただ、今は、どうしても桃子を放っておくことが出来ない。
うだうだ考えている間に、終了のブザーが甲高く鳴った。




