第12話 都市伝説
安井の個展を見に来ただけ、という結末は避けたい。可愛い子だから、呼び込み要員で教室を離れているだけ、かもしれない。
作業台の方へ目をやるも、今だに、女子のおしゃべりに阻まれている。安井が両手を忙しく動かしながら、ゼスチャーで「早く出せ」と必死になって、女生徒たちに訴えている。
「安井、何やってんだよ」
「相変わらず、青葉くんはせっかちだなあ、そのうち戻ってくるよ」
海斗が笑ってそう言うのは、今、桃子が教室にいない、という事態が、大事であると認識していないからだ。
安井が戻ってきたら、速攻で居場所を聞き出してやろう、と鼻息は安井以上の荒さになっている。
ところが、雅次郎は大あくびをかました挙句、「女の名前、なんだっけ?」と俺に聞いてくる。
「……桃子、砂上桃子」
繰り返し聞かれる身にもなって欲しい。
「ああ、そうだっけ?」
「そうだよ……何度目だよ、覚えろよ」
腰を椅子から少し浮かし、無意識にパンツの後ろポケットに手を突っ込んだ。じいさん家に置いてきたことを忘れていた。
暇を持て余し、ついスマホを取り出そうとしたらしい。これは、ただの習慣である。見るべきものなど、本当を言うと何もないのだ。
俺はいつも不機嫌そうに見えて、社交性はゼロではない。
よって、クラスに存在するグループSNSには、登録だけはしてある。積極的なコミュニケーションは面倒だが、完全無視も面倒が起きやすい。適度な距離を保ちつつ、時折、謎の投稿でもして笑わせておけば、それで十分。
「いやね、名前から察するに、その女は昭和から来たんじゃないか? と思ったわけよ」
勝手な憶測を、そんなドヤ顔で雅次郎に言われても、返事に困る。ターゲットに会いに来て、いないとなれば、俺たちにやれることは少ない。
俺たちは、手持ち無沙汰なものだから、無駄話が投下されている。
「はあ? いいよ、そういうのは。どうでもいいし」
「何を言ってるんだ。どの時代から来たか、どうして来たのか、知っておいた方がいいだろ?」
「そうかあ?」
「当たり前だろ。知ってくべき重要案件だ」
力説してくる意味が、分からない。
正直、名前の由来など興味が持てず、俺の方があくびが出そうだ。
「名前は、その人が生まれた時代を反映したものが多いだろ? ま、俺は違うけどな」
雅次郎は海外ドラマの外人みたいに、肩をすくめてみせた。
橘、雅次郎。
俺からすれば「歴史上の人物かよ」と突っ込みたくなる、雅なお名前である。
お宅らとは違うのだよ。
家柄、というものがあるのだよ。
暗に、そう言われている気がする。相槌を打つのを止めよう。そうしないと、いつまでも雅次郎が、この話を引っ張りそうだから。
「あくまで、傾向の話だけどな。例えば、その人が誕生した時代に活躍したスポーツ選手、とかさ。人気だった芸能人に、漫画やアニメ。そこから、お名前拝借、っていうのは結構ある話だろ」
終わりにしたいのに、海斗が難しい顔で参加してきた。
「あとは……親が若い頃に影響を受けたり、好きだった有名人から名付ける、というパターンもあるよね」
顎を引き、眼鏡のブリッジを人差し指でスッと押し上げる。
「だからさ」
雅次郎は左手の人差し指で、何かを確かめるように、机の上をトントントンと叩きながら、
「こういう時こそ、ネットなんだよね」
ぼやく雅次郎に、海斗は「まあね」と相槌を打ち、小さく笑った。
「保険屋が毎年発表してんじゃん。名前ランキング」
「あるね」
「桃子という名前がランキング入りした年を調べれば、限りなく正解に近い生まれ年が分かりそうなんだけどな」
「そこはね、諦めるしかないよ。ないものはないんだから」
「分かっていても、やっぱ求めてしまうところが、平成生まれなわけよ」
今、そんな下世話な話題よりも、すっと重要な課題があるだろうに。
「っていうかさ、大事なのは、どうやって桃子を帰る気にさせるか。だろ? そのために、俺はここに来たんだから」
海斗は困った顔をして、チラッと雅次郎に視線を送る。
雅次郎は、海斗に見向きもしない。ただ真っ直ぐ俺に目を据えたまま、珍しく真剣な眼差しを向けてくる。
「お前さ、自分がやろうとしていることの意味、ちゃんと理解してる? してないだろ」
「意味?……俺はただ、桃子に幸せになって欲しい……っていうか。俺が望むのはそれだけ。だから、連れて帰るのが、一番……だと思っている」
こんなくさいセリフを、ペラペラと口にしてしまった気恥ずかしさに、頭が沸騰してきた。
「恥ずかしいやつだな。何回も言うなよ。分かってるよ」
あの雅次郎が、茶化してこない。
「だったら……名前の由来なんか、どうでもいいだろ」
半ば投げやりに答える。
俺に向けられていた雅次郎の目線は、ストン、と紙コップの中で揺れるコーヒーに落ちていた。少し怒っているように見える。
「雅次郎くん」
海斗の問いかけにも、うんともすんとも答えない。そこへ、空気を読まずに、シルバーのトレーを抱えた安井が、満面の笑みをぶらさげ颯爽と現れた。
「お待たせー、先に飲み物だけ持ってきたよ」
わざとなのか、素でやっているのか。安井は、芸人のお約束のように「あっつ!」と楽しそうに言いながら、テーブルに紙コップを置いていった。
ちゃっかり、自分の分も用意してきていた。友達、つまり俺たちが来たら10分休憩を取る、とクラス全員に事前通達済みだったらしい。
俺の隣の席に、安井はトレーを胸に抱えたまま、そそくさと腰を下ろした。
雅次郎は口をとんがらせ、安井が運んできたコーヒーの中に、フレッシュ二個を親の仇のようにぶちこんだ。
「お、おい……火傷するぞ?」
折角の俺からの親切心も無視して、雅次郎は、やけ酒をあおるように、紙コップの中のコーヒーを一気飲み。空になった紙コップをぐしゃっと握りつぶし、テーブルの上に転がした。
奇妙な悲壮感を漂わすものだから、こっちが心配になってくる。安井もギョッとした顔で、向かいに座る雅次郎を黙って見ている。
「ねえ、あの女の子、いないの?」
ここで、さらっと安井に質問する海斗に、俺は心の中で拍手を送った。
「女の子? 誰のこと?」
「ほら、船木屋で見せてくれた似顔絵の子。僕が可愛いね、って言った子だよ」
「ああ、砂上か」
「実物と似ているのか、是非チェックしたいね」
まるで、安井の画力を試すような質問に、安井は気恥ずかしそうに笑った。
「まあ、雰囲気は出せていると思うよ。でもね、今日、彼女は休んでるからね。残念だけど、比べられないよ」
「そうなんだ。残念」
海斗はそう言いながら、俺と雅次郎に視線を走らせた。
「詳しくは知らないけど、家の都合らしい。今朝、お兄さんから学校に電話があった、って担任が言ってた。あいつ、昨日も作業中に、教室を飛び出しちゃってさ。困るんだよねえ」
直感とか胸騒ぎという奴は、存外、無視できない事実だったりする。
海斗よりも先に、雅次郎がにやけた口を開いた。
「ねえねえ、安井くん」
「うん……」
雅次郎に話しかけられ、安井が視線を泳がせ、明らかに困惑している。
「俺も聞きたいことがあるんだけど」
苦い顔でコーヒーを一気飲みし、今度は、朗らかに、しかも唐突に話し始めた人物に、安井も驚いているのだろう。
「最近、この学院で流行っている都市伝説、あるでしょ?」
安井は眉を寄せ、首を傾げた。
俺も一緒に首を傾げる。
どう反応すべきか困惑を浮かべ、安井がボソッと呟いた。
「都市伝説……?」
また妙な切り口で、話を始めたものだ。安井でなくとも、今、振る話題ではないだろうに。
安井は少し考えた後、相互を崩しケタケタと笑い声を上げた。
「はいはい、アレね」
「そうそう、アレですよ」
雅次郎も安井に同調するように、一緒に笑っている。
全くもって、俺は笑えない。
テーブルから、桃子の話題が完全に消えた。
雅次郎の介入により、彼女の不在をより自然な流れで確認できた、とも言える。
病欠ならば仕方ない。が、しかしだ。昨日の様子を考慮すれば、何か良くないことが起きているとしか思えない。ケーキセットを待っている場合ではないのだ。
この状況下の中で、海斗は黙って雅次郎たちの会話に耳を傾け、時折、ブラック・コーヒーを優雅に口に運んでいる。紙コップだが。
今ここで、都市伝説に話を持っていく雅次郎の会話センスには疑問が残る。
それに、俺はオカルトを信じない。
見えないものより、目に見える現実の方が、よっぽど残酷で恐ろしいからだ。ましてや、都市伝説にときめいたり、探究心をくすぐられるほど、柔らかい頭を持ち合わせていない。
やはり、何か行動を起こすべきだ。ネットもスマホもないこの世界では、自分で見聞きしたこと以外で、確かな情報を得ることは難しい。
放り投げた紙コップを弄びながら、雅次郎が嬉々として安井と話している。
「俺、ちょっと用事が」
と言いかけると、雅次郎が言葉をかぶせてきた。俺のことは、完全に無視を決めているということか。
「安井くんは行こうと思ったこと、ないの?」
嘲笑するように、安井が鼻で笑う。
「ええ、僕? 思うわけないよ」
「へえ、俺なら是非とも行ってみたいけどねえ。だって、なんでも願いを叶えてくれる神様なんでしょ? めちゃくちゃ夢があるじゃん」
「まあ、それが真実ならね。でも、そんな夢のような神様が、この世に存在するわけないでしょ。噂ですよ、う・わ・さ」
こんな無駄話に、延々と付き合わされるのは御免だ。
時間がもったいない。
紅茶は一口も飲んでいないが、セットのケーキを待たずに、まずはここから出ることにしよう、と俺は心の中で決めた。この二人を当てにするのは止める。
ガタっと音を鳴らし、俺は椅子から立ち上がった。
「青葉くん、どこに行くの?」
いつも穏やかな海斗の声音なのに、どこか強制力を感じさせるから怖い。
何かを企んでいる訳でも、隠すべき秘密があるわけでもない。だから、余計に返答に困る。
「ちょっと、用事、思い出した」
緊張が焦りを生み、ポンコツのロボットのような言い様に、頬が熱くなった。
「なんの?」
俺を見上げる海斗の顔には、何も書いていない。ただ、全部を見透かすような両目は、妙な圧を感じる。
「……俺、先に行くわ。夕方、じいさん家で合流でいいかな?」
海斗から目をそらし、片手をひょいっと上げ、「じゃあ」と言って、その場を立ち去ろうとした。
「電話、待ってるね」
あまりに静かな声だったから、俺は思わず立ち止まり、肩越しに海斗を見た。
とりあえず、「ああ」とだけ返事しておいた。
読んでいただきありがとうございます。




