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交換日記は下駄箱の中に  作者: くにたりん
第2部
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第8話 日記と手帳

 三人並んで、仲良く歩くこと十五分。目的地に到着した。びついた門の前に立つと、実家に帰省したような安堵を覚える。


「雰囲気あるじゃん。こういう家で暮らしてみたいもんだね。冬は寒そうだけどさ」


 調子に乗った雅次郎が、目を輝かせて家を眺めて言った。


「雅次郎くん、さっきからずっとご機嫌だね」


「まあね。実際、楽しいよ」


 海斗にそう言った雅次郎の瞳は、混じりっけなく澄んでいたから、「嘘つけ」という言葉は控えることにした。


 この二人が通う高校は、横浜でも偏差値が高いだけでなく、坊ちゃん率も高いことで有名な私学だ。俺の高校も悪くはないが、この二人の高校は目が潰れそうに眩しい。


 そんな高校に通う雅次郎が、この古民家に住んでみたい、と言う。


 いつもは高級フレンチだけど、庶民派の定食屋も悪くない、と同義だろう。


 ちなみに、海斗たちの半袖シャツは、昨今では珍しい開襟で、伝統校らしく数十年はデザインが変わっていないのだそうだ。


 クラシカルだが、胸に青糸で刺繍されたアルファベットも相まって、返ってハイソで洒落た雰囲気がある。俺の高校は、彼らからすれば新設校なので、制服のデザインも現代的だ。


 思いたくはないが、引け目を感じないわけでもない。


 そんな瑣末な問題は置いておいて、目下の課題は別のところにある。俺を覚えていない相手に「しばらく泊めて欲しい」という荒唐無稽な願いが通るかどうか。


 門を片手で軽く押してやると、甲高い音を響かせ、俺たちを迎え入れた。


 雑草が育ち放題の小さな庭を横目に、ガラガラ戸の前にゆっくりと足を進める。泊めてくれるなら、一宿一飯の恩義に、庭の草むしりを対価として支払おう。


 などと、ぼんやり考えていると、築きつつあった心の静寂を、雅次郎が憎たらしく破った。さっきの純真な顔は、どこにも見当たらない。


「ねえ、何してんの? 早く押しなよ」


 不覚にも雅次郎の煽りに反応してしまい、眉を吊り上げる。


 俺は後手に回った人間の常套句「今、やろうしてたのに」を小声で言ってから、勢いよく呼び鈴を押した。


 そこで、「待てよ」と気づく。そもそも、じいさんは今もここに住んでいるのか、という基本的な答えを、持ち合わせていないことに気づいた。


 湿気のせいではなく、嫌な汗がこめかみから流れてきて、心臓が脈打つのが自分でも分かる。


 しばらくして、引き戸の向こうから、聞き覚えのある呑気な声が聞こえてきた。


「はい、はーい」


 じいさんは、まだここに住んでいた。久しぶりに耳にする声に、自然と眉が開いてくる。


 引き戸の磨りガラスに人影が映り、滑りの良い戸がスライドすると、健康サンダルをつっかけて、じいさんがよろよろと現れた。


 口をすぼめ、すっとぼけた顔のじいさんと目が合う。


「えっと……どちらさま? 私に何か御用?」


 制服を着ている俺たちは、パッと見には好青年に見えるはずだから、威圧感も何もないだろう。


 加えて、この老人は、あの扉が何であるかを知っている。じいさんが俺のことを忘れていても、俺が覚えている事実は強みになるはずだ。


「久しぶり、じいさん」


「こんにちは」


「…………」


 各々が挨拶をすると、じいさんも困り顔で「はい、こんにちは」と言いながら、ペコリと頭を下げた。


「俺のこと、覚えてない?」


「うーん……そうだね。どちらさま?」


「俺は星青葉。半年くらい前に、居間にある扉から、こっちに来て、しばらくの間、じいさんと一緒に暮らしてたんだ」


「ほう、あの扉からね」


 じいさんは聞き漏らすまいとするように、俺に片方の耳を向けた。


「それで、御用はなあに?」


「しばらく滞在させて欲しい」


「まあ、いいけど」


 じいさんの即答に、海斗が眉をひそめて言う。


「ええ……いいんだ」


 同じく顔をしかめた雅次郎も、「すげえな」と漏らした。


 断られると、海斗は踏んでいたのかもしれない。じいさんの宇宙のような懐を知っていれば、この状況は想定の範囲内なのだよ。


「とりあえず、お入り。なんだか、よく分からないけど」


「僕は湯島海斗と言います。こっちは、橘雅次郎くん。僕たちも、お邪魔していいですか?」


「いいよ。さ、おあがり」


「すみません、あの、お名前を聞いても?」と海斗が尋ねると。


「私の名前? ふふふ、内緒」


 さすがの雅次郎もびっくりだ。


「え、なんで内緒?」


「面倒くさいな。そこは、つっこむなよ。自分は空っぽだから、名無しでいいんだってさ」


「名無しがデフォルトって、どうなのよ」


 雅次郎と顔を合わせて、海斗が控えめに笑って言った。


「どっかの巨大掲示板みたいだね」


 こんな戯言がツラツラと口から出てくるのは、拠点を確保したことで、気持ちに余裕が生まれた証拠だ。いや、それは俺だけかもしれない。


 じいさんに言われるまま、ともかく俺たちは敷居をまたいだ。入ってすぐ視界に入った、廊下の電話台も健在なようで、思わず苦笑する。


 今度は居間に足を踏み入れると、海斗は目を見開き、入り口に並ぶように鎮座する扉に注目した。


「青葉くんが通った扉って、これ? 唐突だね」


「ああ、妙な場所にあるから、違和感が半端ないだろ。これじゃあ、じいさんも意識せざるおえないってもんよ」


 箱のように奥行きのあるテレビから、ガハハと笑う芸人たちの番組が流れている。改めて、おかしな世界だと思いながら、じいさんの後に続いた。


 俺たちは居間を通り過ぎ、そのまま裏庭に面した廊下に出た。


「あのさ」


 じいさんは俺の声に足を止め、ゆっくりと振り返った。


「俺が戻った後、他には誰か来てないの?」


「ないよ。あの扉は長いこと閉じたままだね」


「あとさ、あの日記……まだ持ってる? 手元に……その、あるだろ?」


 目をパチクリさせて、じいさんが俺を不思議そうに見る。


「あれまあ、なんで知ってるの?」


「前に来た時に、じいさんが話したんだよ。今じゃ、他人の日記みたいだって」


「ふうん。君は本当に、以前ここで私と暮らしていたんだね。不思議だねえ」


 そう言うと、口にこぶしを当て、クックックとじいさんは笑った。


「そうか、そうか。じゃあ、あの手帳は、君の物かもしれないね」


「手帳? 俺が忘れていったやつ? 残ってるの?」


「誰のだろうなあ、と思いながら、捨てられなくてね。部屋に置いてあるから、確かめるといいよ」


 海斗がクスっと笑って、俺の肩越しに顔を覗かせ、じいさんに言った。


「僕らのことも、手帳のことも。それに、あの扉のことも。おじいさんは、すんなり受け入れるんですね」


「ふふふ。不思議な話だけど、実際に君たちは私を知っているし。まあ、そういうことなんだろうよ」


「ありがとな。俺たち、用が済んだら帰るから」


「別に長居してもらっても構わんよ。さあ、この部屋を使うといい」


 襖を開ければ、そこは見知った空間だった。


「冷たい麦茶を持ってこようかね」


「今はいいや。俺たち、すぐ出かけるからさ」


 立ち去ろうとしたじいさんが足を止めて、俺たちの方へ寂しそうに振り返る。


「あら、そう?」


「それより、晩飯、ご馳走になってもいい?」


「あい分かった」


 嬉しそうに微笑んで立ち去るじいさんに、海斗と雅次郎はペコっと頭を下げた。


「入れよ」


 と言っても、俺専用というわけでもなく、畳の部屋には、勉強机がポツンをあるだけ。とは言え、素泊まりの部屋、としては上々だろう。


「殺風景な部屋だなあ」


 雅次郎はズカズカと入り、照明からぶら下がる紐に腕を伸ばした。「なにこれ?」と言って、子供のように、引っ張ったり、戻したりして遊び始めるという。


「壊すなよ」


 釘は刺しておいた。もう、こいつは放っておこう。


 最初に、俺は雅次郎を避けながら机に近づいた。初めて交換日記を書いた机だ。椅子を引いて、あの日の朝のように座ってみる。


 横に海斗がやってきて、「手帳は何か書いてあるの?」と聞いた。


「どうかな。大したことは書いてないと思うけど」


 俺はそう言いながら、机の引き出しの一番上を開けてみた。


 以前からそこにしまっていたように、俺は驚くこともなく、黒い学生手帳を取り出し、海斗に向けて突き出した。


「ほら、これだよ、これ」


「あの中は何かある?」


 部屋の隅にある小さなクローゼットを、海斗が指差した。


 机の引き出しには、この手帳しかなかった。恐らく、クローゼットの中も空っぽだと思われる。俺は手帳を机の上に置くと、椅子から立ち上がった。


 クローゼットに近づき、観音開きの扉を両手で開けてみる。ぶらさがっていた数本のハンガーが揺れて、カチャカチャと音を立てた。


「やっぱ、なんもないや」


 扉を閉めて、机にもたれかかった海斗の方へ近づくと、海斗が手帳を机の上から拾い上げ、俺に差し出した。


「はい。また忘れるよ」


「どうも」


 手帳を海斗の手から受け取り、パンツの後ろポケットにしまった。


 海斗は頭の中を整理するように、ゆっくりと言葉を口にした。


「僕らの存在は、なかったことになっている。制服や鞄も、ない。でも、おじいさんの日記や青葉くんの手帳。これらは残っている――とすると」


 海斗はゼスチャーで、縦長の四角を宙で描いてみせた。


「当然、アレも残っているんじゃないかな?」


「だと思う」


 桃子との交換日記だ。彼女が捨てずに日記を持っているならば、俺という存在はその中に残っていることになる。


「はああ、気持ちいい」


 窓辺に腰掛けた雅次郎が、窓から入ってくる風を額に受けながら、心地よさそうに唐突に入ってきた。


「ねえ、話、終わった? 暇ならさ、船木屋でピンクゼリー食べない?」


「ピンクゼリーってなんだよ。女子会かよ」


 と俺が言うと、海斗が朗らかに笑い「あれ、美味しいよね。雅次郎くんは常連さんなの?」と聞いた。


 海斗が言うには、レンタルCD屋の向かいにある、俺がカフェと呼んでいた場所こそが『船木屋』らしい。


 ピンクゼリーは店の看板メニューで、炭酸の味がする謎のピンク色のゼリーの上にソフトクリームが乗っかり、ポッキーが2本刺さったパフェのことだという。


 雅次郎は開襟シャツの胸元をつまんでパタパタさせながら、さもだるそうに言った。


「そうねえ、常連ってこともないけど」


 こちらに来るたびに、雅次郎が一人でパフェを食べている姿を想像して、ちょっと吹いた。


 睨まれるかと思ったが、雅次郎は全く気にする様子もなく、腕時計に目を落としてボソっと言う。


「今なら、あいつが居そうだなあ」


「お前の常連仲間?」


「いや、話したことはないけど、いつも一番奥の席に座ってさ、ひたすらノートに何か描いてるヤツがいるんだ。知らない?」


 雅次郎の言う情景は、すぐに目に浮かんだ。神経質そう、かつ不機嫌な顔つきから名前まで、記憶に甦ってきた。


 渋谷のカフェで、海斗との昔話に登場した男に違いない。


「知ってる」


 示し合わしたように、海斗と俺の声が揃った。

読んでいただきありがとうございます。

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