けいちゃんのおもちゃ箱
けいちゃんは、大好きなお婆ちゃんに綺麗な玩具箱を貰いました。今日はけいちゃんのお誕生日なのです。
「やったあ、帰ったらパパとママに自慢して、たえちゃんと遊ぶんだあ。」
お礼を言ってお婆ちゃんの家を飛び出すと、目の前を黒猫が駆け抜けていきました。玩具箱に夢中になっていたけいちゃんは、驚いて尻餅をついてしまいました。どしん、ごろんがしゃん。
「あゝ、けいの玩具箱!」
転んだ拍子に蓋が開いて、中に入っていたお人形達が逃げ出した!
「駄目よ、待ってよ、けいのお人形さん!」
慌てて追い掛けましたが、散り散りに逃げて行ったお人形達を捕まえる事は出来ません。けいちゃんは悲しくて悲しくて、とうとう泣き出してしまいました。
「うわん、うわん。」
けいちゃんの声を聞きつけたお婆ちゃんは、家の中から出てきて言いました。
「泣くのはお辞め。そして早く探し出して玩具箱に戻しておやり。そうしないと、あの子達は人間になって、御伽の住人である事を忘れて元に戻れなくなってしまう。」
「そんなの駄目よ。分かったわ、お婆ちゃん。けい、みんなを探して来るわ。」
けいちゃんの玩具箱は御伽の国に通じる不思議な不思議な玩具箱。逃げ出した御伽の住人達を捕まえて、玩具箱に戻さなきゃ。御伽の国の運命は、けいちゃんにかかっているのです!
▼
さっそくお人形さん達を探し始めたけいちゃん。一体何処を探せばいいのでしょう。辺りをきょろきょろと見渡し乍ら歩いていると、ピーッ!と警笛が聞こえてきました。
「そこの奇妙な出で立ちの男!止まりなさい!」
「はあ?何だお前は。そうか、漸く俺の倒すべき敵が現れたのか!」
お巡りさんが、剣士の男の人を捕まえようとしています。剣士さんは、受けて立つとばかりに剣を構えました。
「やめて!剣士さま。この人は貴方の敵じゃないわ。本当の敵はこの玩具箱の中よ!」
「それは本当か!」
我が剣の力にて、悪を打ち滅さん!と叫ぶなり、剣士さんは玩具箱へ帰って行きました。
▼
剣士さんの入った玩具箱を抱えて歩いていると、空を見上げ続けているお兄さんに出会いました。
「やあお嬢ちゃん。一つ質問してもいいかな。あれは一体何という鳥か知っているかい。僕には皆目見当もつかないんだ。」
「あれは鳥じゃあないよ。飛行機よ。人を乗せてお空をびゅーんって飛ぶの」
「…これは夢なのだろうか。人が空を飛ぶなんて!」
「夢じゃないわ。こないだ、ろけっとに乗ってお月さまにだって行ったのよ」
「おゝ、なんと素晴らしい!…しかし、御伽は御伽のままの方が、価値があると思えるのだがね。」
哀愁漂う笑顔を浮かべて、吟遊詩人さんは玩具箱へ帰って行きました。
▼
剣士さんと吟遊詩人さんの入った玩具箱を抱えて歩いていると、動物園の近くを通りかかりました。なんだか中が騒がしい。
「ここの動物達は芸の一つも知らないのかい、軟弱め。このアタシが調教してやろう!」
威勢の良いお姉さんが細くて長い鞭を地面にピシッと打ち付けると、象もカバも麒麟さんも、みんな震え上がってしまいました。
「穏やかに暮らしているこの子達には芸なんていらないわ。」
「何を甘っちょろい。そんな事じゃあ弱肉強食の世界は生き抜けないぞ!」
「貴方の帰りを待つ動物達はいないのかしら。こんな所でゆっくりのんびりちょーきょーしていていいのかしら。」
けいちゃんの言葉にハッとしたような顔をするお姉さん。あの子は、アタシの虎はどうしてるかしら!?と慌てだし、猛獣使いさんは玩具箱へ帰って行きました。どうやら大切なお友達を残して来たようです。
▼
剣士さんと吟遊詩人さん、猛獣使いさんの入った玩具箱を抱えて歩いていると、猫さんとお話している女の子に会いました。肩には小鳥さんが乗っています。
「貴女は動物とお話が出来るの?」
「そうなの。それでね、この子迷子になっちゃったみたいで。一緒に飼い主さんを探してくれる?」
女の子とけいちゃんは、飼い主さんを探し歩きました。犬や、鼠、ちょうちょさん達に情報を貰って、なんとか見つける事が出来ました。
「有難う。とても助かったわ。」
嬉しそうに微笑むと、小鳥さんが歌を歌い乍ら飛び立ちました。動物の言葉を解する乙女は、玩具箱へ帰って行きました。
▼
剣士さん、吟遊詩人さん、猛獣使いさん、動物の言葉を解する乙女の入った玩具箱を抱えて歩いていると、とても美しい王子様を見つけました。けいちゃんが思わず見惚れていると、王子様は重い荷物を持ったお婆さんに手を貸していました。なんて素敵な方なのでしょう!
「御親切に、どうも有難う御座います。」
「いえいえ、人として当然の事ですから、マダム。」
お婆さんを見送った王子様に、けいちゃんは思わず叫びました。
「けいと結婚してください!!」
「おやおや小さなお姫様。手に持っているのは僕の国に通じる箱だね。」
あまり遊び歩いていると爺やに怒られてしまう。と言い、けいちゃんの手の甲に口付けて、王子様は玩具箱へ帰って行きました。後でけいちゃんが王子様のお人形を取り出して見てみると、胸にちょっぴり膨らみがありました。王子様はお姫様だったのです。
▼
剣士さん、吟遊詩人さん、猛獣使いさん、動物の言葉を解する乙女、王子様の入った玩具箱を抱えて歩いていると、いつの間にか暗くて狭い路地に入ってしまいました。何だか気味が悪くなってきました。
「そこのお嬢ちゃん。私の話を聞いていかないかい。科学とは即ち魔術、魔術は即ち神話さ。」
けいちゃんには難しくて、何を言っているのか分かりません。
「この世の事なんて結局の所、何一つだあれも分かっていやしないのさ。」
「君が皆を探し出せるよう、ひとつ魔法をかけてやろう。」
魔導師さんはけいちゃんの頭をポンポンポン、と叩いて、玩具箱へ帰って行きました。
▼
剣士さん、吟遊詩人さん、猛獣使いさん、動物の言葉を解する乙女、王子様、魔導師さんの入った玩具箱を抱えて歩いていると、暗い路地の向こうにぴかぴか光る建物を見つけました。中に入ってみると、沢山の人が踊っています。中でも白いチュチュの踊り子さんが輝いて見えました。
「こうして踊っていれば、いつか王子様が私を迎えに来てくれる筈よ。」
「こんな所で踊っていても、王子様は来ないわ。王子様は、この箱の中よ。」
「あら、そうだったの!」
教えてくれたお礼に、と踊り子さんはけいちゃんの手を取って一緒にダンスをしてくれました。踊り子さんは満足そうに玩具箱へ帰って行きました。
▼
剣士さん、吟遊詩人さん、猛獣使いさん、動物の言葉を解する乙女、王子様、魔導師さん、踊り子さんの入った玩具箱を抱えて歩いていると、橙色の空に十字架が見えました。教会です。
「あゝ、私のセイント・マリヤ!」
黒い法衣を纏い拝む法師さんは熱っぽく叫びました。法師さんの視線の先には、可憐な修道女が居ました。彼女に一目惚れをした様です。
「大人の、禁断の恋ってやつかしら?」
何かを期待する視線を向けると、法師さんはけいちゃんにはにかんでこう言いました。
「禁断も何も、私は彼女をどうこうする積もりは無い。彼女が幸せなら私も幸せだ。さあ、国へ帰ろうか。」
汝が未来に、更なる幸あらん。法師さんは玩具箱へ帰って行きました。
▼
剣士さん、吟遊詩人さん、猛獣使いさん、動物の言葉を解する乙女、王子様、魔導師さん、踊り子、法師さんの入った玩具箱を抱えて歩いていましたが、最後の一人が見つかりません。もう太陽が沈みかけています。
「どうしよう…」
けいちゃんは泣きそうになりました。すると、けいちゃんの影が図書館に向かって走り出しました。
「待って、けいの影!」
建物の中に入ると影は消えてしまいました。しかし、中華服を纏った男の人を見つける事が出来ました。きっとこの人が最後のお人形さんです。
「君が新しい御伽の国のマスタアか。困るよ、ちゃんと管理してくれなきゃ。」
大事に扱わないとまた逃げてしまうからね、と言いました。玩具箱へ帰る気があるようです。
「しかし、この世界の物語はどうしてめでたしめでたしではないんだい?ハッピーエンドにならないなんて、可笑しいじゃないか。」
けいちゃんはお婆ちゃんの戦争のお話を思い出しました。お祖父ちゃんは必ず帰るからと言い残して、遂に帰らなかったのだといいます。
「この世界は、悲しいお話で溢れてる。だから、御伽の国が生まれたのよ、きっと。」
「こんな小さな子からものを教わるとは。ひとつ、勉強になったよ。」
読んでいた本を本棚に戻して、御伽の国の宰相さんは玩具箱へ帰って行きました。
****
これでお人形さんはみんな玩具箱の中に戻りました。空はもう真っ暗で、直ぐ近くでチャルメラが鳴っています。
「いっけない!もう御夕飯の時間だわ!」
けいちゃんは慌てて家路に付きました。家に帰ると、パパとママが怖い顔をして言いました。
「一体いつまで遊んでいるの!」
叱られて、涙を堪えてご飯を食べて、自分の部屋に戻ります。堪えていた涙が決壊して、ぽろぽろと頬を流れました。
「けいは一つも悪く無いのに…」
現実はいつもハッピーエンドではありません。宰相さんの言葉が蘇りました。
だからこそ。
「僕の可愛いお姫様。泣いてないで、ほら。僕達と遊びましょう。」
玩具箱の上で、王子様が優雅に手を差し出していました。
「…ええ、そうしましょう!」
嫌な事を一旦忘れて。
御伽の国の住人達と、仲良く楽しく遊びましょう。
けいちゃんの玩具箱は不思議な不思議な玩具箱。御伽の国は救われて、けいちゃんの心も救われました。
みんな笑顔で、めでたしめでたし。