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日々、崩壊、そして構築  作者: 香をる
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病気までの経緯

先にも話した通り、わたしは闘病中。


ですが、お涙ちょうだいの医療ドラマや、闘病日誌が大の苦手。同情が欲しいわけじゃないです。だから、憐れみの目で見ないでくださいね。

これはわたしが生きていくための、病気と向き合うための、ただのはけ口。手段でしかありません。


今日はちょっとこれまでのわたしの人生を振り返りたいと思います。

わたしに起こったこの不幸の数々は一体何なんだろう?

そんなこと、いくら考えたってわからない。人間は、人生は、平等じゃない。幸せばかりを呼び込める人もいれば、その逆の人もいる。

そう思いたくはないが、たぶん、それが真実だろう。

でも、だからといって、悪いことをしていい訳ではない。人に危害を加えるような生き方なんて、もっての他だ。

因果応報、ある程度の行為は自分に返ってくるものだ。

嫌な態度を取れば、自分も嫌な思いをする羽目になる。暴飲暴食をすれば、後々、ツラい思いをするのは自分だ。三十代には身にしみて堪えてくる。

わたしの回りのアラフォーちゃんたちも、わたしほどの大病は患ってないにしても、何かしら健康面で問題を抱えはじめている。そう、三十代は無理がたたるのだ。


そんな中、わたしはどちらかといえば、健康的だったはず。飲酒、喫煙、夜遊びの類はしないし、食事もヘルシー思考で野菜も

たんぱく質もたっぷり取るようにしていた。

薬やサプリメントなんかはほとんど使わないし、多少の運動不足はあってもストレッチなんかはして、身体もそこそこ引き締まっていたと思う。

自分で言うのもなんだが、年齢より若く見えていたはず。実際、他人からそう言われることも多かった。

それが何故かこんな病気を抱えこむことになってしまって、もう、運が悪いとしか言い様がない。

例えるなら、いきなり後頭部をガンっと殴られたような衝撃だ。病気になる人ってみんなそんな感じなのかな?

事故なんかもそうなのかもしれない。ついこの間、わたしの従弟は不慮の事故で逝ってしまった。何の前触れもなしに。まだ30を少し過ぎたばかり。

人生ってそんなもんなのだろうか?人の生き死には一体どこに委ねられているのか?

その一年前にはばあちゃんが、まぁそこそこ長生きして亡くなった。死はそこら中に散らばっているのだろうか?

そんなことを考えながら、わたしはこの病気と闘っていく。

意味なんてわからないけど、そうするしかないからだ。

今のわたしの状態は、もう科学や医療、技術でどうにかなる段階は過ぎてしまっている。完全にギャンブルなのだ。

ただ、こういうことが誰の身にも起こるのだとすれば、この賭けはわたしだけが賭けている訳ではないだろう。みんな気付いてないだけで、勝手にベットさせられている。それはそれで恐ろしい。



さて、病院や薬の嫌いなわたしが薬漬けになってその肉体にどんな変化が起こったか?

血液検査をしても、アレルギーなんて縁のなかったわたしが、ある時、原因不明のじんましんに襲われ、皮膚科に一、二年通って薬を飲んだ。

そうやってちょっとした体調の変化が表れ出したのは、なんとか自力でうつ病を克服し、普通に働いたり、人とのコミュニケーションが取れるようになって、買い物などにも積極的にオシャレして出かけられるようになっていた頃だった。


原因不明のじんましんはなくならなかったが、薬を飲んでいれば別に何の支障もなかった。

するとある日、右の肩甲骨に寝違えたような軽い痛みが生じた。その日は仕事が休みだったので、無理することもなく、

昼過ぎまで過ごしちょっとだけ痛みが増していることに不審を抱きながらも、大したことないだろうと思っていた。


翌朝、またちょっとひどくなった痛みに近くの整形外科を調べて行ってみた。朝、起きてから子どもを保育所に預ける間にも悪化していたからだ。電気治療を受けて帰ってください。と言われ、それを受けると、痛みは増して更に悪化したようだった。

リハビリの予約を入れたが、翌日は病院を変えた。もうガマンできないくらい痛かった。運転もまともにできないくらいだった。

回りに聞いて、評判の整形外科を受診した。診察を待つ間、痛みに耐えきれず、30過ぎのいい大人が待合室でぼろぼろ泣いていた。

これは大袈裟じゃなしに、肩に休み無しの陣痛がきているようなひどい痛みだった。出産経験のある女性は分かると思うが、あれは周期があるから我慢できるのだ。でも、これは…もう気が遠くなりそう。

でも、検査をしても、レントゲンを撮っても、詳しい原因は解らず、痛み止めをむなしく処方されるだけで一月程が過ぎた。もちろん、仕事なんかできない。家のことも子どものこともまともにできないし、疲れが限界に達した時にしか眠れない。地獄だ。

そのうち、高熱が続くようになり、痛み止めも効かなくなってきた。熱は40度を軽く超えていたが、もう動く気力がない。


すると、わたしのこの状態を仮病だと思っていたらしい父が、母に言われ、試しに友人である内科医に相談したところ、とりあえず血液検査をしようということになった。すると、その結果に異常値が出て、大騒ぎになった。白血球の数値が正常値を大きく超えていた。その結果はその日のうちに精密検査に回され、翌日にはわたしは鹿児島の病院に入院させられた。そこで「急性混合性白血病」だと告げられた。

白血病、あの白血病だ。まさか自分がそんなドラマや映画に出てくるような病気になるなんて…。何から考えていいかわからなかった。

医師から専門的な説明を受けながら、徐々に自分の状態を理解していく。

病気に向き合うための本やサイトも調べて読んだ。別の患者さんには恐くて会えなかった。なんだか自分の行く末に会うような気がした。


ここは普通の病室とは違う。すべて個室で、二重扉で仕切られたクリーンルームだ。

でも、何年か前にテレビで見ていたようなビニールに囲まれた厳重な部屋ではなかった。聞くと、数年前まではまだそういう体制で、大変だったらしい。

それを考えると、この数年で今はだいぶ医療が進んで楽に治療できているらしい。

テレビではあれほど痛そうだった骨髄検査も、それほどダメージはなく、ムダにびびりまくっていた。終わってみて拍子抜けしたくらいだ。


治療が始まって、飲んだことのない大量の薬に、抗がん剤の点滴、

薬にはいくつもアレルギー反応を起こした。

毒をもって毒を制す。というけれど、本当にそうだ。薬は強すぎると身体に良くない。しかし、厄介な病気を叩くため、そうするしか他にない。

すると、身体は悪いものを早く出そうと色んな反応をし始める。肌荒れ、脱毛、発熱。爪や肌の色も変化した。時間はかかるけど、必ずまた再生してキレイになる。それまでに出来る限りの負担をかけないよう注意する。化粧品や洗浄料は肌に優しいものを探した。単純に肌荒れは痛いし、かゆいし、心にも負担だからね。髪の毛だってまた生えてくるんだし、気にしない。だけど、せめてお肌の潤いくらいは保ちたい。多少のシワは取り戻せる。そう、肉体は再構築される。心は…どうかな?


この頃は、最初の入院の頃ね。せめてお肌だけはひどいことにならないように…、そう思っていた。だって、薬の副作用で髪の毛が抜けることは分かっていたし、鏡に映る自分を見るのが嫌になりたくなかったから。まずは長かった髪をショートカットにしてもらった。いきなり尼僧みたいにはできないし(笑)どうせ抜けるんだけどね。


でも、点滴が始まると髪の毛以前に大量の薬と水分で顔も身体もパンパンに浮腫んだ。お腹なんかふよんふよんいってた。こうやって余分に水分を流して濃すぎる薬を薄めるそうだからしょうがないらしい。

こうやって最初の入院、治療、移植を乗りきったわたしは、この時はまだ、再発するなんて思ってもみなかった。


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