脱出ゲーム~この世界からの試み~ ー第三話ー
でも、結局いつも通りは簡単に崩れない。
そう、上辺上はいつも通りなんだ。
いつも通りの帰り道。いつもの香り。いつもの景色。いつもの足音。でも何だか物足りない気がして。そっと、左側に目を向けた。
『あ、詩穂がやっとこっち向いた!』
そしたら僕はわざと目を逸らして『気持ち悪い』と返してやるんだ。するとあいつは泣きそうな顔で『酷いよっ…俺は詩穂のことを思って!』と長々と討論を始めるんだろう。でも……
そこには誰もいないし、何も無い。
この世界から誰か一人が小さな日本という国で消えたってなんの支障もないのだろう。例えば、アフリカに住んでる人は萩李が消えたことで生活が余計に困難になったわけではない。アメリカに住んでる人だって経済に驚くべき出来事があり、再び世界恐慌を巻き起こしかねない状態にいるわけではない。そう、それはそうだ。萩李はこの地球という大きな世界の中心になんかいない。だから、なんてことないんだ。
でも、僕という小さな世界の中で彼は確かに中心にいたのだ。その中心が消えてしまった。そしてそれは僕の世界の崩壊を齎した。
どんなに目を凝らしても萩李は現れないのだと実感し、溜息を零した。
「萩李…何処に、行っちゃったのかな…」
「大丈夫だよっ!!萩李くんは絶対に戻ってくるから!!ねっ?」
右側から白い手が伸びてきてひんやりとした指先が首元に触れた。優しい声が僕を励まそうと耳を包み込む。
萩李がいなくなったらここまで落ち込むだなんて思ってもいなかった。むしろ、居なくなってしまえばいい…だなんて思っていたんだから…
「僕…ずっと、邪魔だと思ってたんだ…」
「え…?」
罪の意識が無意識に口からこぼれ落ちる。
「萩李のこと、邪魔だと思ってた…アイツのせいで神琉ちゃんとは恋人らしい事とか…出来ないし…だから、居なくなっちゃえばいいって…ハッキリ言えば思ってた…」
神流ちゃんは黙って僕より先を歩く。飽きれられたのかと不安に駆られ、思わず下を俯いた。
「僕…やっぱり最低な奴だよね…」
「そんなことないっっ!!詩穂くんは、最低なんかじゃないっ!!」
下から神流ちゃんの瞳が僕を捉えた。強い意志のある強気な瞳。肩を強く掴んで僕に何かを訴えようとする。
「最低なら、萩李のこと心配して不安になって落ち込んだりしないもん!!そんな風に暗い顔で自分の事を責めたり…しないよ……」
「でもっ!!んっ……むっ……はっ…」
瞳の距離が0になり、それが離れ、もう一度0になり、再び離れる。何度かそれを繰り返しやっと一定の距離が保たれた。思えばこれは初めてのキスというやつで。照れ臭くてまた下を向きそうになるのを神流ちゃんが止める。夕暮れのこの道は人通りが少ないわけだけど道の真ん中で女の子に顎を持ち上げられるというのはどうしようもなくはずかしい。
神流ちゃんは悪戯っぽく微笑んでオデコをくっつける。
「私がもし…詩穂くんを最低な奴だと思ってるならこんなことしないでしょ?」
「神流…ちゃん…その…えっと…」
「照れてるの?詩穂くん、かっわいい~」
クスリと笑みを零しながら顔を離すのをぼーっと見つめていたら再び頬に手を伸ばされ、またキスされちゃうんじゃないかと目を閉じる。しかし、やってきたのは頬の痛みで目を開けると神流ちゃんが僕の頬を抓っていた。
「いひゃい、いひゃいっ!!神流ひゃん、いひゃいっ!!」
「ふふふふふ~…詩穂くんには飴と鞭が必要だって、萩李くんから言われてたから~?」
僕の横に移動してきた神流ちゃんだけど、相変わらず頬を抓っていた。「離してよ~…」と横目で神流ちゃんを見ると頬が薄ら赤に染まっていて…
(神流ちゃんも…恥ずかしいんだ…)
そんな顔を見たら余計に恥ずかしくなって何も言えずに抓られ続けた。
やっと開放された時には神流ちゃんの家の前についていた。頬がじんじんと痛い。僕の頬は色んな意味で赤くなっていることだろう。彼女はくるりと一回転して柔らかい笑みを見せる。
「じゃあね?詩穂くんっ」
「うん…じゃあね、神流ちゃん」
神流ちゃんが家の中に入ったのを確認して再び歩き出す。夏の空気が肌にまとわりつく。頬が痛い。心臓が高鳴りすぎて苦しい。なんだか急に暑くなった。
ーーーガチャッ…
「ただいま~…」
いつもながら真っ暗な家の中から返事が返ってくることはない。この時間帯は母さんは仕事で中学二年生である百合亜は部活なのだ。ちなみに、父さんは単身赴任で沖縄にいる為長年会っていない。
「はぁ…」
溜息を吐きながら口元に指を運んだ。ああ、どうして僕の口角は上がっているのだろう?いろいろあって疲れた筈なのに…。いいや、ホントは分かってるんだ。だって僕は…。
「ふふふふふふ…」
このスリルを待ち焦がれていたのだから。
平凡が崩れてしまうことを。危機感に曝されることを。
萩李がいなくなった悲しみでさえ人生のスパイスでしかない。非道徳的?そんなのどうだっていい。最低でもいい。
ーーー『詩穂兄って、少し変態的だよね…』
いつの日かの百合亜の声が耳元で再生される。
自覚はないがもしかしたらそうなのかもしれない。
「ま…いいや」
独りでにそう呟いて制服から着替え自分の部屋に篭ろうと足を進めた。階段をリズミカルに駆け上がりすぐ手前にある自室のドアを開く。中に足を踏み入れると肩の重荷となるスクールバッグをベッドへと投げた。勢い良く投げたせいかバッグから中身が溢れ、携帯電話が姿を現した。
その時、何かが頭の中で閃く。僕は携帯を握り締めもしもを思い浮かべた。萩李が携帯を持っていたら?もしかしたら居場所を特定できるかもしれない!やっぱり心配なんじゃないかって?人間は誰だって天邪鬼なんだよ。人の言うことをなんでも間に受ける人間がおかしいんだ。
淡い期待と嘲笑うような背反する気持ちを胸に萩李の番号に電話をかけた。
ーーーぷるるるるるる…
呼び出し音が妙にうざったい。
ーーーぷるるるるるる……
いつもなら、こんなに長い呼び出し音を聞かなくたって萩李の声が聞こえる筈なのに…
(やっぱり繋がらないか…)
溜息を零しながら通信を断とうとした時…
ーーープツンッ…
何処かへ繋がる音が微かに聞こえた。僕は興奮を抑えきれなくて荒ぶった声で彼の名を呼ぶ。
「しゅっ…萩李っ!ど、どこに…どこにいるのっ!?だ、だい…大丈夫!?」
『…………』
「ねっ…ねぇ!!何とか言ってよ!萩李っ…」
僕の問いかけに答える声はない。聞こえてくるのは不快なノイズだけで諦めようかと思った。
「萩李っ…萩李っ…」
『……っ……』
一瞬だけ、人の声が聞こえた気がした。思わず身を乗り出して息を殺し携帯電話を耳に押しあてる。
『た………て…………し………』
ーーーブチっ…
ーーープープー…
通話は勝手に途切れてしまう。聞こえてきたのはアイツの声だ。間違いない。ずっと一緒にいたんだ。ノイズ混じりだってわかる。でも、どうしたことか背筋が凍った気がしたのだ。嫌な予感がして部屋のテレビを付けてみた。
いつも見るニュース番組のキャスターが画面に映る。
【えぇ~…今朝お伝えしたニュースお同じ地区にある小学校、中学校、さらに×××高校で再び児童が行方不明になりました。小学校で行方不明になったのは水澤このみくん。中学校で行方不明になった児童の名前は岸本百合亜さんです】
ーーーガタッ…
携帯を地面に落とす音が室内に響いた。テレビに大きく映るセーラー服を身にまとった強気そうな少女は紛れもなく僕の妹だ。テレビによく知っている人の名前がながれるのってホントにいい気がしない。
ニュースはまだ終わらないようで、今朝と同じように×××高校の上空写真が映される。
【そして、×××高校で行方不明になった生徒は…】
「えっ…嘘だ…」
現れたのは再び見知った顔で。思わず声を漏らした。
【×××高校1年の栗山庵那さんです。どの児童も同じ地区に住んでいるということで警察は同一の犯人による犯行だと目星を立て捜査を進めるとのことです】
もしもの考えが頭に過る。
全てが僕のせいだとしたら?僕がこの事件を引き起こしたとしたら?
「…そんなの、嫌だ…」
あまりの出来事に頭がついて行かず次第に意識を手放した。