75.王都の屋敷にて
エルヴァスティ家との養子縁組はあっさりと終わり、私は、ミサキ=カグラ=エルヴァスティとなった。
将来、知巳さんと結婚したら、ミサキ=イチジョウ=イングベルグとなるらしい。
ラルスさん改め、お義父様に教えてもらったときは、凄く照れてしまった。
でも、せっかく娘になったのだから、もうしばらくエルヴァスティを名乗ってくれとも言われてしまった。
学園のお休みに顔を合わせたマティアスさんに、「姉様」と呼ばれて、ちょっと嬉しかったので、まだしばらくお嫁にいかなくていいかなと思っている。
養子縁組したのだからと、これからはラルスさんのことはお義父様と呼ぶことにした。
今までとまったく同じではないと、自分を戒めるためにも呼び方を変えるのは大事だと思った。
結花さんも疲れからか、やっぱり体調を崩してしまったので、最初は養子縁組が終わってすぐにランスに帰る予定だったけれど、10日ほど王都に滞在することになった。
お店の事が気になったけれど、予約客にはエルヴァスティ家からお詫びの品と手紙を届けてあると聞いて、既に対処ができているのならと、思い切ることにした。
なので、空いた時間に、エルヴァスティ家の料理人に新しい料理を教えながら、知巳さんのために料理やお菓子を作った。
決して、早くチョコレートを使いたかったからではない。
と言いたいけど、そのままでは食べられないほど苦いチョコレートを、どう使えばいいのか、早く色々試したくて仕方がなかったのは否定できない。
チョコレートと一緒に知巳さんが届けてくれた魔道具も、使い心地を試してみたりした。
同封されていた手紙には、知巳さんが佐々木君達とパーティを組んだ理由も書いてあった。
不登校だった佐々木君を修学旅行に誘った事で、結果的に死なせてしまったと、知巳さんが悔いていて、それで放っておけなかったのだと、あの時、私を一人にしてしまったことも申し訳なかったと、説明と謝罪の手紙だった。
いつか、先生と森の国に遊びに来て欲しいとも書いてあって、森の国は遠いけれど、そんな日が来るといいのになと思った。
それまでに、あの苦いチョコレートを、自由自在にお菓子に使えるようにしておかなければ。
まだお義父様には食べさせたことがなかったカレーを作ったら、予想通り凄く気に入られてしまった。
知巳さんも、まさかカレーがこの世界で食べられるとは思ってなかったのか、とっても喜んでくれて、美味しそうに食べていた。
米がどうしても足りないので、ナンを焼いたりしたけれど、私はカレーはご飯と食べたい派だから、米をもっと手に入れられるといいのにと思っている。
後は、キーマカレーを作って、そっちはカレーパンにアレンジしたりもした。
パンを揚げるという発想がこちらにはなく、エルヴァスティ家の料理人には、とても驚かれた。
一流の料理人達なので、驚きはしたけれど、ここから自分なりにアレンジを加えて、料理を発展させてくれるんじゃないかと思う。
異世界の料理を、この世界に広げるための第一歩だと思うから、レシピを公開する事は何の問題もないので、次々に教えていった。
一応、買い取ってもらったレシピは、エルヴァスティ家の料理人には教えていないのだけど、取り扱いをどうするか、王都にいるうちにカロンさんと話す機会があればと思っている。
この世界に、異世界の料理を根付かせたいという夢を語ったら、知巳さんは協力すると言ってくれた。
実際は、何をどう手伝ってもらえばいいのか分からないけれど、その気持ちだけで嬉しい。
お茶の時間の少し前に、知巳さんの部屋を訪ねた。
ノックして知巳さんが使っている客間に入ると、見知らぬ男の人が二人いる。
「美咲、ちょうどよかった。俺の従者を紹介する。こちらが鷹族のフレイ。こっちの耳としっぽがある方が、狼族のカイ。二人とも俺の教育係も兼ねて、ずっと一緒に旅をしてきたんだ。他にも数人いるんだが、今は国に報告に帰っているから、また機会があったら紹介する」
知巳さんが前に話していた従者の人達だとわかったので、こちらの作法で丁寧に挨拶をした。
この二人だけでなく、他にも従者がいるなんて、知巳さんは王子になってしまったんだなと、実感させられる。
隣の大陸と行ったり来たりするなんて、大変に違いないのに、草原の国の王は知巳さんの事をとても大切にしてくれてるみたいだ。
「初めまして。ミサキ=カグラ=エルヴァスティと申します。知巳さんをいつも助けてくださって、ありがとうございます。これからもよろしくお願いします」
養子縁組をして、正式に名乗るのは初めてなので、少し照れてしまった。
知巳さんの大切な人なら、私も大切にしたいから、自然に微笑みかけていた。
そんなに変な挨拶ではなかったと思うけれど、二人とも少し驚いたように固まってる。
フレイさんは茶髪の見た目は人族みたいな若い男の人で、カイさんは、黒にこげ茶の混じった髪色に黒耳としっぽのある、フレイさんより少し上に見える人だ。
多分、カイさんは知巳さんと同世代なんじゃないかと思う。
「初めまして、ミサキ様。鷹族のフレイと申します。こちらこそ、よろしくお願いします」
物静かな雰囲気のフレイさんは、穏やかに微笑みながら挨拶を返してくれた。
「俺は狼族のカイといいます。トモミ様はずっとミサキ様を探していました。はにーとらっぷもすべてかわし、あまりに女性を寄せないので、男色家だと誤解されたこともあるくらいです」
ハニートラップって単語、知巳さんが教えたんじゃないだろうか。
微妙に棒読みで可愛いと思ってしまった。
カイさんの言葉で、先生が他の女の人を寄せ付けずに、私を探してくれたのだとわかって嬉しくなる。
知巳さんに、余計な事を言うなと、カイさんが突かれているけれど、私はご機嫌だった。
「あ、そうだ。お茶の誘いにきたんです。フレイさんとカイさんもご一緒にいかがですか? 知巳さんがたくさんチョコレートをくださったので、色々と試作してみたの」
お菓子に使う材料は、常に持ち合わせている。
だから、館の厨房を借りて、大量にお菓子を作った。
これもレシピを教えながらだったけれど、その分手伝いもしてもらえたので、一人で作るよりもずっと楽だった。
お義父様の好きなカスタードクリームの作り方や、こちらで食べられているのとは違うパンの焼き方、ケーキの基本も教えたので、ちょっとした講習会のようになってしまった。
その時に作りすぎたお菓子をみんなに食べてもらおうと、サンルームを使ってお茶会をするから、知巳さんにも声を掛けに来たのだった。
「それは、楽しみだな。フレイとカイもくるといい。美咲の作るものはどれも美味いぞ」
主従だと同席しないこともあるけれど、知巳さんは気にしないらしい。
私も、もちろん気にしないので、一緒だと嬉しい。
「トモミ様、何度も言いますが、私達は従者なんですよ?」
フレイさんが呆れたように言うけれど、知巳さんはまったく気にした様子はない。
「従者であり友人だと思ってるからいいだろ? 美味しい物はみんなで食べるともっと美味しくなる。だから、来い」
知巳さんが、重ねて強く誘うと、二人とも根負けしたようだった。
いつもこういうやり取りをしているのかもしれない。
「一階のサンルームまできてくださいね? 私は、他のみんなも呼びに行って来ます」
まだ他にも誘いたい人がいるので、知巳さんの部屋を出て、みんなの部屋を回っていった。
チョコレートと聞いて、みぃちゃんが大喜びしてたので、作ってよかったなと思う。
ちなみに、みぃちゃんは結花さんを助け出してから、ずっと結花さんにべったりだ。
目を離すと、またいなくなりそうで怖くて、離れるのが嫌らしい。
でも、それを理由にいちゃつきたいだけのような気もする。
私も時間が空けば、知巳さんといる事が多いので、みぃちゃんのことをとやかく言えないのだけど。
みんなに声を掛けてから、厨房を経由してサンルームに行くと、既に全員揃っていた。
アイテムボックスに入れたお菓子を、テーブルに並べていく。
厨房からは、お茶だけ運んでもらう事になっていた。
「ミサキ、これはチョコレートかい?」
お義父様はさすがにチョコレートを知っていたみたいだ。
でも、ランスでは珍しい物の上、私が今までと違うお菓子を作ったりしているから、興味深げに見ている。
「知巳さんが森の国の迷宮で手に入れたものを、お土産として持ってきてくれたんです。知巳さんとパーティを組んでいた子も、手に入ったものをお土産として持たせてくれたみたいで、たくさんあったから、お菓子にしてみました。その、プリンみたいなのがチョコレートムースで、こっちは生チョコレート。それと、チョコとナッツを混ぜたクッキーと、マーブルシフォン。甘いものだけだと飽きてしまうかと思ったから、カレー風味のミートパイとサンドイッチも作ってみました。どれも、料理人にレシピを教えたので、いつでも作ってもらえますよ」
説明しながら、お義父様と知巳さんの間の席に座った。
後は、侍女に任せないと、仕事を奪うことになってしまう。
パイはアレンジがしやすいし、クッキーやシフォンケーキも、色々と手を加えられるから、今後は、この館で出されるデザートの種類が増えるだろう。
食パンも、この世界では見当たらないけれど、たくさんある型をいくつか譲ったので、今後は焼かれるようになるはずだ。
パンを切る波型のナイフも、予備を譲っておいた。
それをサンプルに鍛冶屋で新しい物を作ってもらうといいと思う。
「ミサキが娘になってくれて、私だけが得をしているようだ。あぁ、そうだ。ミサキの店は、使用人が使える屋根裏もあったね?」
不意に尋ねられて頷いた。
使っていないけれど、屋根裏部屋は、たまに掃除をしているからいつでも使える。
「レーナにリーサ、こちらにおいで」
お義父様が呼ぶと、よく似た二十歳くらいの侍女が揃ってやってきた。
二人ともふわふわの茶髪で、とても綺麗な顔立ちをしている。
見分けがつかないと言うほどじゃないけれど、よく似ていて、多分双子だと思う。
「ミサキ、アンナレーナとアンナリーサだ。護衛と侍女を兼ねて、ミサキの店で使ってほしい。もう、誘拐なんて馬鹿なことをする貴族はいないと思いたいけど、用心は必要だからね。出かけるときは、どちらか必ず連れて行くように」
私のために侍女を二人も用意してくれたらしい。
多分、私だけでなく、他の子の心配もして、二人にしてくれたんじゃないかと思った。
「姉のアンナレーナです。レーナとお呼びください、ミサキお嬢様」
「私は妹のアンナリーサです。リーサと呼んでいただけたら嬉しいです。よろしくお願いします、ミサキお嬢様」
二人がまったく同じ仕草で挨拶をする。
レーナのほうがちょっとクールな感じで、リーサの方がちょっと可愛い感じがする。
「レーナにリーサね。私のことは美咲でいいわ。お世話になります、よろしくね」
名前の呼び捨ては苦手だけど、主従関係の場合、そうも言ってられない。
そういったことも含めて、養女になるのを了承したのだからと、割り切る事にする。
「お義父様、私のためにありがとうございます。いい主人になれるように頑張ります」
王子になってしまった知巳さんに嫁ぐなら、人を使う事も覚えなければならない。
その練習をさせる意味合いもあるのではないかと思ったから、微笑みながらお礼を言うと、お義父様は満足そうに頷いてくれた。
「やっぱり、娘というのは何人いてもいいものだね。レイラも可愛いが、ミサキも本当に可愛い」
お義父さまは、満面の笑みを浮かべていて、ご機嫌な様子だ。
今更だけど、レイラさんは、お義姉様になるのだと気づいて、嬉しくなった。
「美咲が可愛いというのは、同感です、ラルス殿」
にこにことご機嫌なお義父様に、知巳さんが笑顔で同意する。
何だか、日を追うごとに溺愛されてる感じがして、嬉しいけど恥ずかしい。
「そんなことより、チョコムースは冷たいほうがおいしいですから、早く召し上がってください」
話をそらすように、チョコムースを勧めた。
こういったやり取りにみんな慣れて来たのか、段々、突っ込みすら入らなくなってきた。
このままでは、知巳さんとバカップル一直線だ。
「美咲ちゃん、ムース、おいしいよ。チョコレートはちょっとほろにがなんだね」
みぃちゃんがチョコムースを堪能しながら、感想をくれる。
元々甘党なので、とっても幸せそうだ。
「チョコレートがまた食べられるなんて思わなかった。美咲さん、本当に美味しいわ。これで、念願のチョコとオレンジのケーキも作れるわね」
前から私が作りたいと言っていたケーキを、結花さんは覚えていてくれたらしい。
結花さんに微笑みかけられて、笑顔で頷いた。
ここにはケーキの型がないから、ランスに帰ったら絶対に作ってみたい。
「レーナ、リーサ、早速だけどお使いを頼んでもいい? チョコクッキーとマーブルシフォンを一緒に包んでおいたから、それぞれ、学園のマティアスさんと、王都で料理店を営んでいるカロンさんに届けて欲しいの」
ティアランスではチョコレートは珍しいものだから、どうせならお裾分けしたいと思って、準備はしてあった。
カロンさんには譲ったレシピの事で相談もあるので、王都にいる間に一度逢いたいという手紙も書いてある。
二人は快くお使いを引き受けてくれたので、帰りが遅くならないように、早速出かけてもらった。
カロンさんのお店の場所は、お義父様が通っていたから、御者が知っているはずだ。
「カロンにも届けるのか?」
少し不思議そうに知巳さんに聞かれた。
私とカロンさんが知り合った切っ掛けなど、まったく話していないから、どういった関係なのか、不思議に思うのも仕方がない。
知巳さんは、手紙の件でカロンさんにあまりいい印象がないらしい。
でも、カロンさんのお店のメニューのおかげで、知巳さんは私の居場所がわかったわけだし、手紙だって月野さんに利用されただけだから、カロンさんは悪くない。
「カロンさんはいい料理人で、恩人ですから、珍しい物はお裾分けしたいです。ランスのお店は、売り急いでいたのもあるけれど、破格で譲ってくださったの。レシピをいくつか譲る事で、あれだけの大きさのお店をとても安くしてくださったんです。私が人を待っているというのを知っているから、王都のお店のメニュー表に、カグラ風って表記して、私を知っている人ならわかるようにしてくれているし、いい人なんですよ」
買い取ったレシピなんだから、メニューに関しては、完全にカロンさんの好意だ。
私がいかにカロンさんにお世話になったのか説明すると、知巳さんは納得したようだった。
「確かに、メニューにカグラ風と書いてあるのを見た時、やっと見つけたって思った。あれがなければ、まだしばらく王都を探し回って、王都からランスまでの街や村も探す事になっただろうから、そう考えると、俺にとっても恩人だな。それに月野のことは、俺も悪かった。最初から教会に預けておけばよかったんだ。美咲を探す時間が減るのが惜しくて、説得して教会に連れて行くのを、後回しにしてしまった。そのせいで、美咲を泣かせて傷つけることになるとは、夢にも思わなかった。これからは女子生徒に遭遇しても、安易に手を貸すのはやめることにする」
私を傷つけてしまったという後悔があるから、その分、カロンさんの印象が悪くなってしまっていたのか。
シュンとして落ち込んだ様子を見ると、かわいそうになってしまって、慰めるように知巳さんの手を取った。
両手で包み込むように握った手を引き寄せて、頬で擦り寄る。
最初は少し驚いていた知巳さんが、少し照れたように微笑んだ。
「そういう、可愛い事をされると、お茶どころじゃなくなる」
からかうように言われて、ぱっと手を離した。
みんながいるところで、何もしないと思いたいけど、最近の知巳さんはスキンシップ魔なので、用心が大事だ。
「トモミ殿、まだまだ嫁にはやらんぞ?」
お菓子に集中していたはずのお義父様が、人の悪い笑みを浮かべたまま、冗談を言う。
「ラルス殿、怖い保護者は大槻だけで十分です」
知巳さんがわざと渋い顔を作って、冗談で返すので、可笑しくて笑ってしまった。
私の楽しい日常に、自然に知巳さんが混ざっている事が、とても幸せだと思った。




