74.告白
ラルスさんの王都の館は、ランスの館と規模はあまり変わらなかったけれど、歴史を感じさせる建物だった。
さすがに、敷地は辺境のランスほど広くないけれど、豪華という意味では、圧倒的にこちらの方が上だ。
これだけ広いのに、社交シーズンくらいしか使ってないそうだ。
後は、クラウスさんやマティアスさんがお休みの日にたまに利用するくらいと聞いた。
社交シーズンには、この館でパーティーを催したりもするらしいけれど、今はひっそりとして静かだ。
館に近い敷地の一角にコテージが出されていて、そこに、尊君にそっくりな妖精がいるそうだけど、後で逢えるから、とりあえずは館で少し休むようにと言われた。
馬車まで私を抱いて運んでいった先生は、馬車から降りた後も手を伸ばしてきたけれど、さすがに恥ずかしいので一人で歩いた。
どこか怪我をしているというわけでもないし、甘やかされ過ぎるのは、あまりにも照れくさい。
そろそろお昼時ではあるけれど、胸が一杯で食欲はまったくなかった。
それよりも、聞きたいことが多すぎて落ち着かなくて、部屋の前まで案内されたけれど先生と離れがたくて、足が止まってしまった。
「着替えてくるから待っていてくれ。神楽も着替えておくといい。ドレスに罪はないし、その姿は見惚れるほどに綺麗なんだが、あの誘拐犯が用意した物だと思うと、着せておきたくない」
案内された部屋の前で、躊躇う素振りを見せただけで、先生は私の気持ちを察してくれたみたいで、優しく着替えるように勧めてくる。
ドレスアップした姿を、さり気なく褒められて照れてしまう。
先生の言いたいことはわかるし、攫われてから、落ち着いてお風呂にも入れなかったから、身綺麗にして着替えた方がいいかもしれない。
「わかりました。部屋で待ってますね」
私が素直に頷くと、聞き分けの良さを褒めるみたいに、頭を撫でてくる。
ただそれだけの事なのに、甘酸っぱい気持ちが沸き起こって、ドキドキさせられた。
いつも亮ちゃんにされている事と変わらないのに、相手が先生というだけで、些細な事も特別になる。
私のために用意された部屋にはいると、侍女が二人控えていて、着替えも用意してくれていた。
お風呂の準備も出来ているそうなので、手伝いは断って、一人で入る事にした。
貴族の女性ならば当たり前のことでも、受け入れるのが無理なこともある。
お風呂に入るときにお世話をされるのは、落ち着かないし無理だ。
大好きなお風呂は、自分のペースでのんびり入りたい。
先生を待たせるといけないと思ったのだけど、気兼ねなく入浴できるのが嬉しくて、長風呂になってしまった。
用意されていた下着を身につけて、Aラインのワンピースのような簡素なドレスも自分で着た。
室内は暖かいけれど、湯冷めするといけないので、一緒に用意されていたボレロも着て、まだ濡れた髪をタオルで包む。
「ミサキ様、こちらへお掛けくださいませ。すぐに御髪の手入れをいたしますわ」
待ちかねていたようにドレッサーの前に連れて行かれ、香りのいいオイルを使って髪に艶を出すように梳られる。
何度か使ったことがあるけれど、このオイルはべたつかず、髪が乾いた時に艶々になるのでお気に入りだった。
ランスの館ではないのに、情報はきちんと伝えられているようで、私の一番好きな香りのオイルが使われている。
「ランスの館に勤める侍女から聞いていましたけれど、ミサキ様の御髪はとても綺麗な黒なのですね。絹糸のようでさらさらとしていて、手入れのし甲斐があります」
私と同じ位の歳の、赤毛の侍女が、人懐っこく話しかけてくる。
親しみの持てる笑顔だ。
「ありがとう。癖がないから、結う時はすぐに崩れてしまって大変なのよ」
鏡越しに微笑み返しながら、お礼を言った。
人に髪の手入れをされるのは、とても心地いい。
うっとりと目を閉じたくなってしまう。
「そこは、私達の腕の見せ所ですわ。今日はもうお部屋でゆっくりなさるだけですもの。いつでも休めるように、お手入れだけにしておきますわね」
下手に髪を結うと、眠くなっても寝辛いから、気をつかってくれたらしい。
手入れが終わった後、お礼を言い、先生が待っているそうなので、隣の部屋へ向かった。
ちなみにドレッサーがあるのは寝室で、天蓋つきの大きなベッドも置かれている。
置かれた家具なんかも、女性の部屋らしく、花や植物をモチーフにした彫刻が入っていたりして、とても素敵だ。
ここは客間ではなく、私専用に用意してくださった部屋らしい。
去年の社交シーズンに王都に来ていたときに、ラルスさんとエリーゼさんが、いつか私達が王都に来たときのことを考えて、整えさせたそうだ。
私以外のみんなの部屋もそれぞれ用意してあると、帰りの馬車の中で、ラルスさんが教えてくれた。
「お待たせしてすみません、先生」
暖炉のある居間に入ると、先生はソファに腰掛けて待っていた。
癖がなくてきらきらとした、色の淡い金髪は、随分長く伸びていて、後ろで一つに括られているけれど、頬に長さの足りない髪がかかっている。
それが何ともいえない大人の色気のようなものを醸し出していて、とてもよく似合っている。
先生もお風呂に入ってきたみたいで、さっぱりとした様子だった。
「いや、たいして待っていない。軽く食事をしながら、話をしようか。何から話せばいいか分からないが、話したいことも聞きたいことも、たくさんあるんだ」
立ち上がり私の手を取って、軽食が用意されたテーブルまで、自然にエスコートしてくれる。
さり気ない嫌味のない仕草は、今の先生の容姿には驚くほどに似合っていて、ときめいてしまう。
先生って、こういう卒のないタイプだったんだろうか?
学校での姿しか知らなかったから、不思議な感じだ。
でも、女性扱いされているのは、くすぐったい感じがして嬉しい。
椅子に腰掛けると、向かいの椅子に先生も腰掛けた。
みんな、気をつかってくれているのか、さっきまでいた侍女すら部屋にはいなくて、先生と二人きりだ。
「冷めないうちに食べよう。せっかく用意してくれたんだから」
いただきますと、手を合わせるのを見て、完全に日本人離れした外見になってしまったけれど、先生はやっぱり日本人なんだなと感じた。
それがおかしくて、くすっと笑みを漏らしてしまう。
「先生って、髪を染めていたんですか?」
どうしても綺麗な色の髪が目に付いてしまって、スープを口にしながら、問いかけてしまった。
「あぁ、この色は派手だろう? 教師らしくないかと思って、できるだけ地味な色に染めていた。それより、神楽。その、先生って呼ぶの、やめないか? 俺の名前は知っているだろう?」
名前で呼ぶように言われて、どう呼べばいいのかわからずに戸惑う。
先生は、私が呼ぶのを待っているみたいで、じっと見つめてくるから、余計に呼び辛い。
「……できるだけ、努力します。でも、恥ずかしいです。あのっ、そうだ、せんせ…じゃなくて、知巳さんは、結婚されたんですか? 先日、カロンさんから手紙をいただいて、そこに奥様からの伝言が書かれてました」
名前呼びが恥ずかしくて、慌てて話題を変えようとしたら、いきなり、一番気になってたことを聞いてしまった。
食事時だから、もっと話題を選べばよかったと後悔したけど、もう遅い。
「結婚? どういうことだ? 俺が結婚を考えた女は神楽だけだ。カロンというのは、神楽の居場所を教えてくれた料理人でいいのか?」
先生は、わけがわからないといった様子で首を傾げている。
思いがけない、ストレート過ぎる返事が胸を直撃して、顔を見ていられなくて俯いてしまう。
先生の言葉とか態度とか、無意識だから余計に心臓に悪い。
頭が沸騰しそうだ。
恋愛初心者の私では、うろたえてばかりになってしまう。
説明は難しいと思ったので、現物を見てもらったほうが早いと、食事中だけどカロンさんの手紙を取り出して、先生に差し出した。
手紙を読んだ先生は、難しい顔つきになって睨むように手紙を見ている。
「あぁ、すっかり忘れていたが、そういえばあの時、月野が一緒にいたな。同じクラスだった月野を覚えているか? 俺がここの王都に着いたとき、どう見ても妊婦だったんだが、行き倒れ寸前になっててな。王都で神楽を探す間だけ、仕方がないから面倒を見ていた。だから、カロンの店に行ったときも一緒だったな。でもまさか、こんな伝言をしていたとは思わなかった。いくら生徒とはいえ、自分の子供でもないのに面倒は見られないから、神楽の居場所がわかってすぐに教会に預けたんだ。どの国でも教会では、行き場のない妊婦や子供を預かってくれるから」
少し苦い表情で先生が説明する。
教会に孤児院のようなものがあるのは知っていたけど、妊婦まで保護してくれるのは知らなかった。
赤ちゃんのお父さんはどうしたんだろう?と思ったけれど、もしかしたら先生も知らないのかもしれない。
こうして、説明を聞いてみれば何でもないことで、手紙を読んで、あんなに泣いた事が恥ずかしくなる。
先生の言葉を疑う気持ちは、不思議なほどにわかなかった。
けれど、先生が月野さんと二人で食事にいったのだと思うと、ちょっと胸がもやもやっとする。
「ちなみに、二人きりではなかったから。後で紹介するが、フレイとカイという獣人族の従者がいて、二人も一緒だった」
弁解するというよりは、からかうように言われてしまう。
ちょっとやきもちを焼いたのを、あっさり見透かされたみたいで、落ち着かない。
そんなに顔に出やすいのかな?と、思わず自分の頬を手で抑えてしまった。
「手紙を読んだ時、先生が結婚したんだと思って、哀しくて泣いてしまいました。『身も世もなく』という言葉を、教えてくださったのは先生でしたけど、まさか体験までさせられるとは思わなかったです」
あの時、本当に辛かったので、ちょっとした怨み言を口にすると、先生は何故か、蕩けそうに甘い表情で私を見てる。
私の知る先生とは全然違う表情が、凄く特別なものに感じて、とても幸せな気持ちになってしまう。
「神楽を泣かせるのは嫌なんだが、嘆き哀しむほどに俺の結婚を嫌がってくれたのかと思うと、嬉しいな」
私を見つめたまま、先生が眩しいほどの笑みを零す。
私は嬉しいって言ってくれる、先生の言葉が嬉しいです。
照れくさくて言葉に出来ず、何とか用意されている食事に手をつけるけれど、胸が一杯過ぎて食べられない。
「お話は後にしませんか? 話していると胸が一杯になって、何も入りません」
先生の言葉や態度は心臓に悪すぎて、食べられなくなってしまうので、そう提案した。
出された食事を残すのは好きじゃない。
料理人である私は、完食してもらえたときの嬉しさを、よく知っているから、よほどのことがない限りは残さない事にしている。
「そうだな。話していると、神楽が可愛すぎて、食事どころじゃなくなる」
最後に先生がまたさらりと爆弾を落とす。
可愛いとか言ってくれる人もいないわけじゃないけど、先生が言うと、どうしてこんなに特別に感じるんだろう?
何とか平常心を保ちながら、無理矢理に食事を続けた。
時折、正面の先生と目が合って、そのたびに悶えてしまいそうな気恥ずかしさを感じてしまって、ご飯を食べるのが何故か苦行だった。
沈黙が気恥ずかしい食事の後、茶器が用意してあったので、自分でお茶をいれた。
テーブルの食器がそのままになっているけれど、これを片付けるのは私の仕事じゃないから、手を出すわけにはいかない。
お茶をいれて、ソファに落ち着いた頃、見計らったように入ってきた侍女が、テーブルの上を片付けてくれて、ほっとした。
片付けないでそのままにしておくのは、落ち着かなくて苦手だ。
「改めて話すとなると、何から話したらいいのかわからなくなるな」
隣に座った先生が、体を私のほうに向けて、じっと見つめてくる。
恥ずかしかったけれど、私も先生がいることを感じたくて、視線を合わせた。
「少し、触れてもいいか?」
問われて、頷きを返すと、大きな手が私の頬を包み込むように触れてくる。
それが心地よくて、頬の手に手を重ねてしまった。
「逢えない間に、大人になったな。神楽が成長する様子を、傍で見られなかったのが悔しいよ。すべて、神楽を一人にしたことの報いなんだろうな。……あの時、神楽を一人きりにしてしまって、すまなかった。知らない世界に一人で、大変だっただろう? 転生してから、あの時、神楽を一人で転生させたことを、何度も、酷く後悔した」
仕方のないことだったのに、先生はとても深く悔やんでいるみたいで、本当に申し訳なさそうだ。
手を重ね合わせたまま、緩く頭を振った。
「ちゃんと、約束、守ってくれたからいいんです。私、絶対に先生は探してくれるって、信じてました。寂しくなかったと言ったら嘘になりますけど、でも、みんなが一緒だったから、大丈夫でした」
みんながいて、私は一人じゃなかったから、待っているのは辛い事だけじゃなかった。
それに、こうして先生と再会できた今になってみれば、待っていた間の事なんてどうでもいいと思える。
寂しさは全部、どこかに吹き飛んでしまった。
「神楽を訪ねたのに、大槻が玄関に出てきた時は、一瞬、目の前が真っ暗になった。待たせすぎて手遅れだったのかと思って、想像していた以上に胸が痛んだ。離れている間ずっと、神楽に逢う事ばかり考えていて、神楽ならきっと待っていてくれると信じる一方で、神楽ほどの女を周りの男が放っておくはずはないと、不安にもなっていた。大槻を見た時、その不安が的中してしまったのかと思ったんだ。逢いたくて、想いが募りすぎて、淵どころか海になっていたようだ」
私を見つめたまま、先生が逢えなかった間の想いを口にしてくれる。
お城で亮ちゃんを保護者って言っていたから、もう、亮ちゃんと私の関係は正しく伝わっていると思うけれど、先生の中で、私って美化されてないかな?
確かにクリスさんにはプロポーズされたし、アーネストさんにも似たような事は言われたけど、そこまでもてるわけじゃないんだけど。
私は、先生に奥さんがいるのだと思ったとき、想像以上の苦しさで、先生に対する想いの深さを知った。
あの時の私と、先生も同じように感じたのだろうか。
「『恋ぞつもりて』ですか? 私も、同じでした。先生に奥さんがいると誤解した時、あまりにも辛くて、こんなに辛くなるほどに想いが深かったのだと、自覚させられました」
同じ和歌を先生も自分に準えていたらしい。
私が問うと、よく知っている、出来のいい生徒を見る教師の顔で微笑まれた。
「どの歌かすぐわかるとは、さすが神楽だ。そういえば、神楽はこの歌を『想いが積もりすぎて、溺れてしまいそうです』と訳したんだったな」
懐かしそうにしみじみと言われて、まさか覚えていたとは思わなかったので、恥ずかしくなってしまう。
頬の手が、髪を梳くように動いて、心地よさに目を閉じる。
先生が触れたところから、幸せで充たされていくみたいだ。
経験した事のないような充足感に浸りきった。
「神楽、城では婚約者と言ったが、急ぐつもりはない。今の俺を見て、見定めて、それでも好きでいてくれるのなら、その時は、俺との将来も考えてくれ。まだ、若いんだから焦らなくていい。傍にいるから、教師じゃない俺を見てくれないか?」
私の心を最優先で思いやる優しい告白が、あまりにも先生らしくて、胸が温かくなる。
多分、教師でない先生のことは、もっと好きになってしまう予感がする。
一条知巳という一人の男性を見るのだから、これからは、先生って呼ぶのはやめようと思った。
「知巳さんも、生徒でない私を見てください。貴方の伴侶として相応しいかどうか、見定めてください。多分、先生じゃない知巳さんのことは、もっと好きになってしまうと思うから、私ももっと好きになってもらえるように頑張ります。まずは、知巳さんの胃袋を掴みます。私、料理人ですから」
笑顔で宣言するように言うと、私に触れている知巳さんの手がぴくっと動く。
どうしたのかな?と、伺うように見つめると、優しく微笑みかけられた。
私の作ったご飯じゃないと、満足できない体になってもらおう。
大好きな人に一生飽きられない料理を作るという目標があれば、料理人として、腕の磨き甲斐がある。
「神楽がいないと生きていけない体に改造されるのか? 望むところだ」
何度も優しく髪を指で梳くように触れてくる手が、くすぐったくて心地よくて、小さな笑みが零れる。
今までは、考える余裕さえなかった未来のことを、こうして一緒に語れることが、とても幸せだと思う。
当然のように、一緒にいる未来を想像できるのが嬉しくて、夢見心地だ。
離れていた時間が長すぎたせいか、まだ現実感がなくて、気持ちがふわふわする。
「知巳さんも、美咲って呼んでください。私だけじゃ、ずるいです」
名前を呼ばれたくて、わざと拗ねると、知巳さんは悪戯を思いついたような表情で微笑んだ。
こんな表情、生徒だったときには見た事がなくて、胸を高鳴らせながら見惚れてしまう。
どうしよう、先生じゃない知巳さんは魅力的過ぎて、魂まで奪われる。
「美咲」と、初めて私の名前を呼ぶと同時に、優しく唇を啄ばまれた。
驚きで硬直してしまうと、頬にも軽く口づけられて、顔に血が上る。
初めての名前呼びが、初めてのキスと同時なんて、絶対忘れられない。
しばらく名前を呼ばれるたびに、思い出してしまいそうで、どうしようかと思う。
思いがけないファーストキスに驚かされ、嬉しくて緩んでしまう頬を隠すように両手で押さえた。
ふわふわと心が浮き立つように幸せだった。
次は、尊視点の話を、朝に更新します。




