73.再会
「先生……?」
覚えている姿とは随分変わっていたので、驚きすぎて、確かめるようにじっと見つめてしまう。
まさか、こんな場所で逢えるとは思わなかったから、混乱してしまって、どうしたらいいのかわからなくなる。
近づいて確かめたいのに、足が震えてしまって動けない。
確かめて、幻だったら、もし先生じゃなかったら、そう思うと怖くて動けない。
最後に見たときよりも長くなった、何故か金色の髪。
体格も知っている先生よりもずっと逞しくて、別人みたいだ。
灰青の優しい瞳だけは変わらなくて、見つめられているのを感じた瞬間、感極まって涙が溢れてしまった。
ずっと、逢いたかった。
他の人のものになったとわかっても、それでも逢いたかった。
謁見の間で、一国の王の前だというのに、先生は優しく私を見つめたまま、臆した様子もなく堂々と歩いてくる。
その姿が見惚れるほどに素敵で、目を奪われる。
先生から目が離せない。
「遅くなって悪かった。言いたい事は山ほどあるんだが、先に一つだけ言わせてくれ。ずっと逢いたかった。待っていてくれてありがとう、神楽」
私をまっすぐに見つめたまま、一言一言、大切な言葉を伝えるように、優しく告げられた。
久しぶりに聞く先生の声。
幻じゃないって確信できて、歓喜で体が震えた。
胸が一杯過ぎて、言葉にならない。
ただひたすら見つめる事しかできないまま、言葉に頷いた。
逢いたかった気持ちは先生も同じだと思ったら嬉しくて、まだ疑問に思うことはたくさんあるのに、どうでもよくなってしまう。
嬉し過ぎて胸が苦しくて、また溢れてしまった涙を、先生が優しく指先で拭ってくれた。
触れる指先が、向けられる優しいのに熱っぽい眼差しが、先生が確かにここにいることを教えてくれる。
目が眩みそうに幸せで、でも、先生の眼差しが甘過ぎるのが気恥ずかしくて、頬が熱くなる。
目が離せないって思っていたのに、照れてしまって見つめていられない。
「詳しい事は後で全部話す。今は黙って俺に任せてくれ」
耳元で囁くように言われて、先生には何か考えがあるのだろうと思い、頷きを返した。
先生は玉座の前に歩いて行き、興味深げにこちらを見ていた王の前で、こちらの作法通りに一礼した。
けれど、あれは、臣下の礼ではなかったはずだ。
対等な身分の人に対する作法だったように思う。
どういうことなんだろう?
「初めてお目にかかります。トモミ=イチジョウ=イングベルグと申します。先日、縁がありまして、草原の国、イングベルグ家の一員となりました。しばらくティアランス国に滞在予定ですので、お見知りおきください」
先生は堂々とした姿で、知らない名前を名乗る。
その姿はとてもかっこよくて素敵なのだけど、色々気になって、見惚れてる気持ちの余裕がなくなっていく。
草原の国?
先生は草原の国から、旅をしてきたのだろうか?
王は、先生の挨拶を聞いて、驚きで目を瞠った。
かなり驚いている感じだ。
「ようこそ、ティアランス国へ。歓迎しよう、草原の国の王子。イングベルグ家に養子に入った第5王子の活躍は伝え聞いている。未踏破の大迷宮をいくつも攻略したり、冒険者としても優秀だそうだな。機会があったら、是非、冒険譚など聞かせていただきたいものだ」
王が笑顔で応える。
笑顔だと更に若々しい。
それにしても、先生が王子ってどういうこと?
聞き間違いかと思ってみんなの方を見るけれど、結花さん以外、誰も驚いていない。
聞きたいことが山ほどあるのに、すぐに聞けないのがもどかしい。
「この度は、私の婚約者がお世話になりました。そこの外道は、厳罰に処していただきたいのですが、王は今回の件をいかがお考えですか? 他国の王族の婚約者を誘拐した場合、この国ではどういった罪に問われるのでしょう?」
返答次第では許さない。そんな雰囲気で先生が王に迫る。
侯爵の罪を重くする為に、私を婚約者ということにしたのか。
平民の誘拐と、王族の婚約者の誘拐では、意味が大きく違ってくる。
どちらも同じ私なのに、皮肉な話だ。
「他国の王族の婚約者を誘拐など、過去に例がない。逆にトモミ殿はどのような罰を望まれる? 罪人として公開処刑となると、数十年ぶりということになるのだが」
王はまるで先生を試すように、質問を投げかける。
公開処刑ということは、侯爵が殺されるということだろうか。
確かに嫌な思いはしたけれど、そこまでの罰は嫌だ。
想像するだけで気分が悪くなってしまう。
「命を増やす為に転生させられた転生者が、罪人とはいえ、命を軽々しく奪う事はできません。私としては、身分剥奪か、カステグレン家の断絶くらいはお願いしたい。あれだけ見下している平民になって、平民として生きて行くのは、何よりの罰だと思うのです」
最初から求める処罰を決めてあったのか、先生の言葉はよどみない。
それを聞いて、ホッとした。
人の死を望む先生なんて、絶対に見たくないから。
「協議の上、できるだけお心に沿うようにしよう。厳罰は、今後、安易に転生者に手を出せないようにするための、いい見せしめにもなるだろう」
さすがにこの場で処罰を決めることはできないようだ。
王の指示で、すっかり元気をなくした侯爵は、引き摺られるように牢へ連れて行かれた。
誘拐の主犯だった侯爵が捕まって、誘拐事件が片付いたのだと思うと、ホッとした。
これでやっと、ランスに帰れる。
「ダニエル殿とおっしゃいましたか? 第1王子はこの度の後宮入りの件をご存知だったのでしょうか?」
片付いたと思ったのは私だけだったみたいで、先生が更に追求する。
ここで追求しても、王子は知らなかったと言われたら、それ以上は追求しようもないし、それは先生にもわかっているような気がするんだけど、わざわざ確かめる事に何か意味があるのだろうか?
先生の後姿を見ながら、首を傾げてしまう。
侯爵は捕まったのだから、早くお話が終わるといいのに。
「転生者の女性としか聞かされていなかったそうだ。クリスティアンが求婚した女性だという事も、既に他国の王族と婚約している女性だということも、もちろん知らなかった。ダニエルには既に妻がいるが、成婚から5年経っても懐妊の兆しがない。愛する妻の心労を減らす為に、転生者の女性ならばと受け入れる事にしたようだが、自身で調査させなかったのは、ダニエルの不手際だ。そのことは、大変申し訳なく思う」
王は本当に申し訳ないと思っているようだ。
先生に対して、正式な礼に則り、謝罪する。
第1王子にしても、奥さんに長い間子供が出来なくて、仕方なく勧められた転生者の女性を受け入れるつもりだったといった印象を受けるし、そう思うと気の毒になってしまう。
王子に嫁いで、なかなか子供が出来ないのは、きっと物凄く心理的負担があるんじゃないだろうか。
そう思うと、第1王子のお妃も可愛そうだ。
「謝罪を受け入れます。確かに調査不足ではありましたが、そのような事情があったのでしたら、仕方のないこととも言えましょう。調査をなさらなかったのは、新たに後宮に入る女性に、興味がないことの表れでもあるでしょうし。――私はエルフの秘薬を持ち合わせております。もし、必要でしたら、エルヴァスティ殿を通してお知らせください」
第1王子が私に興味はなかったようなので、先生は引くことにしたみたいだ。
エルフの秘薬って何かわからないけれど、秘薬というくらいだから、特別な物なんだろうか?
貴重品を譲ってもいいというくらいだから、ティアランスの王家に対して思うところはなくなったということでいいのかな?
円満に解決しそうなのでホッとした。
誘拐の原因になった王子とはいえ、クリスさんのお兄さんだ。
事情を考えると、恨む気にもなれないし、穏便に済むならそれが一番だと思う。
「王、私とミサキの養子縁組の件、承認をお忘れにならないよう。今日は早くミサキを休ませてやりたいので、屋敷に帰ります。しばらく王都に滞在しますので、何かありましたら使いをお出しください」
王と先生の話が終わったのを見計らって、ラルスさんが退出の挨拶をする。
私と結花さんが疲れきっていることを、気遣ってくれたみたいだ。
みんなの話を聞きたいし、とても気疲れしてしまったので、城から出られるのは本当に嬉しい。
こんな堅苦しい場所からは早く出て、先生と話をしたい。
謁見の間を出たとき、気力が尽きてしまったのか、ふらっと体が傾いでしまった。
「美咲っ!」
いつものように亮ちゃんが私を支えてくれようとしたけれど、それより一瞬早く、先生の逞しい腕が私の腰に回される。
こんなの亮ちゃんで慣れているはずなのに、相手が先生だと思うとそれだけで恥ずかしくて、頬が熱くなる。
鼓動が速まって、呼吸さえ上手くできない感じだ。
「神楽、そんなに恥らわれると、俺も照れる」
近い距離で私を見つめていた先生が、小さく呟く。
ちらっと視線を向けると、先生も照れているのが表情で伝わってきて、胸が甘く疼く。
見ていたいのに、恥ずかしすぎて見ていられない。
でも目をそらすと、やっぱり先生を見たくなって、恐る恐る視線を向けては、また恥ずかしくなって目を伏せてしまう。
先生も私を直視できないといった様子だけど、腰に回された腕だけはそのままだった。
そのことが恥ずかしいのに嬉しくて、落ち着かない気持ちにさせられる。
「そこのバカップル、帰るぞ。美咲は歩けないなら、一条に運んでもらえ」
あきれたように言い残して、亮ちゃんは先に歩き出した。
みんなも笑いながらその後をついていく。
「保護者の許可も出たようだし、大人しく抱かれててもらおうか」
耳元で囁かれて、え?と思った瞬間には、先生に抱き上げられていた。
結花さんみたいに小さくないのに、軽々と抱き上げられて、恥ずかしさのあまり硬直する。
お城でお姫様抱っこって、先生の場合、嵌り過ぎてるけど、自分がされると、とにかく恥ずかしい。
「先生っ、歩けますからっ! 馬車までこれは恥ずかしいです」
降ろすようにお願いするのに、先生がわざとバランスを崩したように揺らすから、咄嗟に首にしがみ付いてしまった。
やられた!と思ったけど、もう遅い。
「そのまま離すなよ?」
笑いながらそう言って、先生は私を抱き上げたまま、軽い足取りでみんなを追いかけていく。
さっきまで先生だって照れてたのに、豹変し過ぎ。
私だけうろたえて恥ずかしくて、こんなのずるい。
先生がいてくれて嬉しいのに、まだ現実感がない。
抱き上げられて、温もりを感じるだけでなく、吐息さえ触れそうな距離なのに、素直に甘えていいのか、どこまで甘えていいのか、心の距離感がつかめない。
だけど、今は、少しだけ甘えていていいのかな?
大変な事があった後だから、少しくらいは甘えていてもいいよね?
ぎゅっと縋るように掴まると、くすっと小さく笑われた気配がする。
恥ずかしくて顔を上げられないまま、心の中で自分に言い訳をして、先生に体を預けた。
漸くここまで辿り着いた感じです。




