71.王城
貴族が易々と養子縁組などを行えないように、それらの手続きは国で管理されている。
だから、貴族が養子縁組を行う時は、王城にある手続き専用の部屋に行かなければならないし、事前に申請も必要だ。
特に高位貴族の養子縁組となると、後継者問題にも関わってくる事があるので、王の承認が必要らしい。
といっても、貴族と平民の縁組なら、よほどのことがない限りは承認されるので、侯爵は面倒な手続きの一環としか思っていないようだ。
結花さんさえそばにいれば、私は大人しくしているので、誘拐犯の侯爵は安心したようだった。
見張りはつけているけれど、干渉してくることはない。
料理人の女にできることなど、高が知れていると思われているのかも知れない。
みんなが到着すれば、すぐに助けてくれるものと思っていたのに、侯爵を確実に失脚させたいからと、救出は王城でということになった。
十分に打ち合わせをした後、クリスさんとクラウスさんは、いざという時に騎士団を動かせるように、王都に戻ったそうだ。
ラルスさんも下準備のために先に王都に入って、色々と根回しをすると聞かされたけれど、詳しい話は聞けなかった。
ただ、ラルスさんとエリーゼさんの養女にという話が改めて出て、今まで通りの生活を続けてもいいということだったので、話を受ける事にした。
貴族という身分を得る事が、自分自身を守るだけでなく、周囲の人を守ることにも繋がると思ったのだ。
今回の誘拐も、私が平民だったからできたことで、これを貴族相手にしたならば、厳罰に処されるらしい。
大々的に騎士団も動き、犯人はその場で粛清されても仕方がないという扱いになるそうだ。
特にラルスさんは、王家に近い身分の貴族だから、その娘となると、扱いが全然違うらしい。
一応それでも抜け道はあって、以前、ラルスさんが結婚前にエリーゼさんを侯爵に攫われた時は、罪を問えなかったそうだ。
そういうこともあって、ラルスさんは侯爵を毛嫌いしていると聞いた。
今まで通りの生活を続けていいということでも、実際に養子縁組を行えば、責任や義務も発生する。
ラルスさん達の好意に甘えるだけになるのは嫌だ。
だから、養女になるのなら、きちんと貴族としての責任も果たそうと思っていた。
養子縁組など、何の覚悟もなく安易に了承していいことではない。
幸いなことに、私はラルスさんもエリーゼさんも大好きだ。
他の家族も、ラルスさんの館で働く人達も、好意をもてる人ばかりだ。
そういう人達の為なら、エルヴァスティ家の娘として頑張れると思う。
私の採寸をしていった仕立て屋のドレスが出来るのにあわせて、王都に移動する事になった。
相当急がされたようで、採寸をしてから3日目の朝には、ドレスが出来るからと、王都へ向かう馬車に乗せられた。
私が離れるのを嫌がるので、結花さんももちろん一緒で、窓に目隠しをした馬車で、王都の貴族街に連れて行かれる。
同じ貴族街にラルスさんの屋敷もあって、そこにみんなもいると聞かされているので、不安はなかった。
それよりも、もう少し我慢すれば、助け出してもらえるという気持ちの方が強い。
早く結花さんをみぃちゃんのところへ戻してあげたいし、私も早く家に帰りたい。
みんなで暮らすあの店が、私にとっては大切な家だ。
私が帰るべき場所だ。
侯爵家の王都の屋敷は、領地にあるものよりも小さいようだった。
王都ともなると、すべての貴族の屋敷があるから、敷地も限られてしまうのだろう。
屋敷に到着したときはもう夜だったので、王城へ行くのは明日になる。
明日は、朝から身支度を整えて、まず、養子縁組の手続きを行って、そのまま第1王子の後宮に入れられるようだ。
みんなの計画の詳細はあまり聞かされていなくて、ただ、明日は素直に王城に行くように言われている。
結花さんは、屋敷に残されても、城に連れて行かれても、どちらにしても先に救出するから、絶対に大丈夫だと言われているので、みんなを信じて任せる事にした。
明日にはすべての決着がつくと思うと、どきどきする。
みんなが怪我なく、無事にすべてが終わればいいと思う。
「結花さん、また、後でね」
翌日、結花さんは屋敷に残される事になったので、余計な事は言わずに、再会の約束だけをする。
桔梗にはすぐに、結花さんだけが屋敷に残る事を伝えておいた。
これで、きっとみんながすぐに動いてくれるだろう。
「美咲さんも、気をつけてね」
少し不安そうに結花さんが私を見つめる。
侍女に急かされたので、安心させる為に結花さんに微笑みかけてから、部屋を出た。
侍女達の手で綺麗にドレスアップされたけれど、気持ちは全然浮き立たない。
『主様、結花様が救出されたらすぐに教えるからね。桔梗は早く主様に逢いたいから、頑張って』
私の不安な気持ちを和らげるように、桔梗が思念を送ってくる。
私も、早く桔梗に逢いたい。
あのコテージでのんびりとみんなで過ごしたい。
『今日中に片をつけて、絶対に帰るわ。待っててね』
桔梗に返事をして、鳴君に指示されていた準備をしてから、用意された馬車に乗った。
これから養子縁組ということで、今日は侯爵も一緒だ。
「わかっているだろうが、友の命が惜しければ、逃げたり余計な事を言ったりするな。エルヴァスティの後見など、何の役にも立たない事を思い知らせてやる。私の意に沿わぬ事をしたときには、ユウカとかいうあの女をあらゆる方法で辱め、お前の目の前で嬲り殺すからよく覚えておけ」
憎々しげにラルスさんの名を口にする様子を見て、心の底から憎んでいるのだと伝わってくる。
犬猿の仲どころではないのかもしれない。
存在自体が相容れないといった感じだ。
俯き、大人しげな様子を装い、素直に頷いた。
言われた言葉は腹の立つものだったけれど、こちらから煽らなくても勝手に喋ってくれるのは都合がよかった。
初めての王都だというのに、ろくに外を見る事もないまま、王城へ入る。
一度止められたけれど、馬車のまま大きな外門を通り、城の入り口まで移動した。
先に侯爵が降り、その後、従者の手を借りて、私も馬車から降りる。
従者が建物の入り口を警護していた兵士に声を掛けると、建物の扉が開いた。
そちらへ歩いていくと、城の侍従が先に立ち、案内をしてくれる。
侯爵は尊大な様子を隠しもせず、歩いていく。
その後ろを付き従うように歩きながら、桔梗へ城に入ったことを知らせた。
一国の城だけあって、立派でかなり広い。
敵に進入された時のためか、作りも複雑になっているから、案内がなければとても歩けそうにない。
方向音痴ではないはずだけど、この城で一人だったら、確実に迷子になれる自信がある。
目印にならないようにか、ずっと似たような廊下が続き、どこにいるのかわかり辛くなっていた。
戦争はないはずだから、大軍の侵入は想定していないはずだ。
王族の暗殺防止のためにこういった作りなんだろうか?
それとも、古い城みたいだから、この城が作られた当時は、戦争があったりしたのだろうか?
この世界の歴史はあまり知らないので、いつか、本を読む機会を作ろうと思った。
城の歴史なら、今一緒にいる侍従も知っていそうだけど、とても話しかけられる雰囲気ではないので諦めた。
それに、余計な事をすれば、侯爵を警戒させてしまうから、黙っているしかない。
「カステグレン侯爵様、こちらになります」
かなりの距離を歩いた後、開けられた扉から中に入ると、品のいい調度の置かれた応接室のような場所だった。
ここで養子縁組をするのだろうかと、内心首を傾げつつ、室内をさり気なく観察する。
「私は養子縁組の手続きに来たのだ。案内する場所が違うだろう」
目的の場所と違うところへ連れてこられたようで、侯爵が腹を立てている。
案内してきた中年の侍従は、うろたえた様子もなく涼しい顔だ。
「王のご指示でございます。カステグレン侯爵様がお見えになったら、こちらに案内するようにと仰せでした。ただいま、お茶を運ばせますので、お待ちください」
王の名を出されれば、それ以上反論もできないのか、不機嫌を隠さないまま侯爵がソファにどかっと腰掛ける。
苛立たしげな乱暴な所作は、貴族としては恥ずかしいものなのではないだろうか。
侍従はお茶の支度を申し付けて、部屋に戻ってきた。
「お嬢様、こちらに掛けてお待ちください」
丁寧に侯爵が座ったのとは違うソファを勧められ、素直に腰を落ち着けた。
侯爵家の従者もいるけれど、城の侍従も一緒に部屋に控えていてくれるようなので、ホッとする。
機嫌の悪い侯爵と二人で室内に残されたりしたら、居たたまれない。
然程待つ事もなく、お茶が運ばれてきた。
さすが王宮の侍女だけあって、お茶をいれる所作はとても綺麗で、作法も完璧だった。
ラルスさんの屋敷で、デラさんが丁寧に教えてくれたから、凄さがとてもよくわかる。
私と同世代に見える侍女だというのに、やはり、王宮に雇われるほどの人となると、能力も高いのだと思った。
お茶と一緒に出されたお菓子は、ランスで作られている焼き菓子だった。
見慣れたものが出てきて、ただそれだけの事なのに、気持ちが少し落ち着く。
侯爵は不機嫌さを隠さないまま、ふんぞり返るように座っている。
罵られるのも嫌だけど、これだけ人がいて、誰も話す人がいないというのも気詰まりだ。
『桔梗、私は今、城の応接室のようなところで待たされているわ。結花さんの救出はどうなっているのかしら?』
まだ、城についてからそんなに時間が経っていないような気もするけれど、結花さんが心配になって、桔梗に問いかけてみた。
『んと、今、尊様のコテージには誰もいないみたいだって。だから、救出が終わって帰ってきたら、すぐに教えるね。主様達が待たされているのは、予定通りだって。救出の時間稼ぎと、捕まえた悪い人を城に連れて行くので、待たせてるみたい。あのね、鳴様が「お姫様は王子の救出を待つものですよ」って言ってるの。大人しく待つのは、お姫様の作法なんだってー』
尊君の説明を、桔梗が一生懸命伝えてくるので、それが可愛くて和まされる。
鳴君は、私の緊張を解そうとしてくれているのか、冗談を桔梗経由で言われて、平静な顔を作るのが大変だ。
あの王子顔で、さらっと嫌みなく言ったのだろうと思うと、可笑しくなる。
待たされた理由がわかったのもあって、緊張で固まっていた体が軽くなった。
侯爵の屋敷から城までは、多分、馬車で15分程だったけれど、言い逃れできない証拠を一つでも多く手に入れてから、糾弾した方がいいということだろう。
尊君と一緒に、鳴君もいるなら、緊急事態の対応も大丈夫そうだし心強い。
鳴君に色々と工作させられたから、私としては、救助待ちのお姫様というよりも、スパイの気分なのだけど。
「まだなのか! 事前に申請してあるのに、どうしてこんなに待たせるのだ!」
桔梗との癒し系脳内会話を楽しんでいると、待たされる事になれていないのか、侯爵が癇癪を起こし、苛々とした様子で室内を歩き始めた。
あんなにうろうろとしていれば、余計に苛々しそうだけどと、冷めた目で見てしまう。
ラルスさんもある意味落ち着きのない人だけど、この人とは全然違う。
元王族のラルスさんと比べるのが間違いなのかもしれないけれど、どう考えてもこの侯爵は小物だ。
風格という点では、まだ10代の亮ちゃんにすら劣る。
「もう一度使いを出しますので、お待ちください」
侍従は焦った様子もなく、ベルを鳴らして人を呼び、使いを出した。
その様子を見て、一度は落ち着いたものの、またしばらくしたらうろうろと歩き出す。
あまり深く考えていなかったけれど、この後、この国の王に会うことになるんだった。
クリスさんのお父さんで、ラルスさんの甥と思えば親しみを感じない事もないけれど、ちょっと気が重い。
侍女が冷めたお茶を入れ替えてくれたので、今度は遠慮なく手をつけることにした。
さっきは、侯爵がお茶に手を出さないので、様子を見ていたのだけど、せっかくのお茶を飲まないままというのも申し訳ない。
予想通り、完璧な作法でいれられたお茶は、とても美味しかった。
茶葉もいいものを使っているのだと思うけれど、あまりの美味しさに口元が綻ぶ。
「カステグレン侯爵様、お待たせいたしました。支度が整いましたので、お嬢様と一緒に、こちらへどうぞ」
使いの人が戻ってきて、最初に案内してくれた侍従の先導で、部屋を出た。
どこで会うのだろう?と、どきどきとしながら、桔梗にこれから王に会うことを思念で伝える。
多分だけど、城の奥のほうへ向かっているようだ。
さっきまでよりも、廊下が広くなって、ところどころ、絵画や置物が飾られたりしている。
やっぱり、謁見の間みたいなところがあるのだろうか?
緊張するから、あまりたくさんの人がいないといいなと思う。
案内されるままにしばらく歩いていくと、鎧姿で武器を持った兵士が守る扉に辿り着いた。
両開きで、いかにもといった雰囲気の大きな扉だ。
扉が開けられ、先導していた侍従の後をついて中に入ると、正面に玉座が見えた。
想像していたよりは狭いけれど、謁見の間といった感じの広間だ。
微妙に切りが悪いのですが、長くなりすぎるので一度分けました。




