69.誘拐犯
目が覚めると、建物の中にいた。
そう広くない部屋だけど、天井は高く、木造の頑丈そうな扉から出入りするようだ。
石造りの部屋で、部屋の中には何もなく、床に寝かされていたせいで体が痛い。
それに寒い。
冬だというのに、毛布一つ用意されていないなんて、待遇はあまりよくないようだ。
これだけ寒いのに、途中、一度も目が覚めなかった事を思うと、また薬を使われたのではないだろうか。
寒さと、見知らぬ場所に閉じ込められている不安で、沸き起こる震えを、ゆっくりと深呼吸する事で何とか堪える。
大丈夫、そう何度も、心の中で自分に言い聞かせる。
辺りは静まり返っていて、とりあえず危険はない。
きっと、みんなが助けに来てくれるから、絶対に大丈夫。
『桔梗、あれからどれくらいたったか、わかるかしら?』
自分に何度も言い聞かせるように、大丈夫だと繰り返しながら、思念で桔梗に呼びかける。
意識のない体を勝手に運ばれた事を思うと気持ち悪いけど、手足をそれぞれ縛られている以外は変わりがなさそうなので、ホッと息をつく。
称号があることを、心から感謝してしまう。
『主様、無事? やっと気がついたのね。ずっと、呼んでいたけど、お返事なかったの。今は、主様と結花様が攫われて、3日目のお昼なの』
やっぱり、薬を使われて無理に眠らされていたらしい。
抵抗を封じるためか、情報を与えないためなのか、意識を奪って、その間に目的地に運び込まれたようだ。
3日経っていると聞いて、とてもびっくりした。
でも、私を気遣うような桔梗の心が伝わってきて、不安が和らいでいく。
3日の間、何の情報も得られなくて、みんな、とても心配しているんじゃないだろうか。
助けてもらうためにも、少しでも落ち着いて、情報を伝えなければ。
『また眠らされていたみたい。今は、建物の中にいるの。石造りの部屋で扉が一つだけあるわ。多分地下だと思うの。手の届かない上のほうに、格子の嵌った小さい窓がいくつかあるのが見えるけど、薄暗いの。結花さんも私も無事だけど、手足は縛られていて動けないわ』
思念で返事をしながら、アイテムボックスからナイフが取り出せないか、試してみるけれど、無理なようだ。
周辺には誰もいないようなので、床に寝かされている結花さんに近づき、様子をみた。
特に衣服に乱れはないし、呼吸も穏やかだから、結花さんも眠らされているだけみたいだとわかって、ホッとした。
3日も食べていないのだから、お腹もすきそうなのに、空腹を感じるだけの気持ちの余裕がないのか、お腹はすいていない。
浄化の魔法が使えないか試してみたら、幸いなことに使えるようだったので、結花さんと自分に浄化の魔法を掛けておく。
少し埃っぽい感じだった体が、すっきりした。
『生活魔法は使えるけれど、アイテムボックスの中身は取り出せないわ。……試してみたけれど、魔法は使えないみたい』
水魔法で癒しを掛けてみようとしたけれど、まったく発動しなかった。
何が原因かわからないけれど、厄介な事だ。
アイテムボックスの中身が取り出せるのなら、食料もあるし、武器だってあるのに。
でも、武器が取り出せても、戦えるかどうかはわからない。
多分、その辺の人よりもレベル自体は高いと思うけど、私も結花さんも、人を攻撃することに慣れていない。
人型の魔物と戦う事さえ辛かった事を思い出して、下手に攻撃を仕掛けると墓穴を掘ってしまいそうだと思う。
『ユリウス様が、多分、高位貴族の屋敷の地下だって言ってる。貴族の屋敷の地下は、大きな魔力を使う魔法やスキルは使えないようにする魔道具があるそうなの。でも、高い魔道具だから、使っている貴族は限られるんだって』
ユリウスさんまで、私たちのために動いてくださっているのか。
申し訳ないと思うと同時に、とても心強い。
貴族であるユリウスさんでなければ、ここが高位貴族の屋敷だとはわからなかっただろう。
今の情報だけでも、場所の特定はしやすくなるんじゃないだろうか?
『主様、こちらでわかっている事を教えるね。多分、そこは王都か王都の近くの街なの。亮二様達は、主様が誘拐された日の夜に、馬で急いで王都に向かったって。それでね……』
桔梗が可愛い口調で、一生懸命に今ある情報を教えてくれる。
犯人は、第1王子の陣営の貴族である可能性が高い事。
亮ちゃんやアルフさん達が、救出のために王都に向かっている事。
尊君が妖精を召喚して、そのコテージをみぃちゃんが持って移動しているので、みぃちゃんがコテージを出しさえすれば、妖精を使ってすぐに連絡が取れる事。
その他にも、ユリウスさんのような貴族でなければわからない、王家の事情なども詳しく教えてもらった。
多分、誘拐犯は、私がクリスさんのプロポーズを断った事をまだ知らないんだ。
断ったその日の誘拐だったから、当然といえば当然なのだけど。
私は王家に嫁ぐつもりはないし、もし、予想通りの犯人だとしたら、完全に勇み足なんだけど、それならそれで、第1王子が有利になるように利用される可能性もあるみたいで、腹が立ってくる。
平民の人権など無視した貴族も多いと聞かされていたけれど、ランスでは、いい貴族とばかり接していたから、危機感が足りなかったのかもしれない。
結花さんを巻き込んでしまった事を考えると、結花さんにもみぃちゃんにも申し訳ない気持ちが沸き起こる。
私のせいで、これ以上結花さんに辛い思いはさせられないから、絶対に、何と引き換えにしても結花さんを守る事を考えなければ。
私も結花さんも、良妻賢母の称号があるから、もし、意に沿わない行為を強いられそうになっても、称号に守られる。
けれど、そうなった時、まったく何もされないというわけではない。
だから、結花さんだけは、何が何でも守りたい。
情報が増え、真相が明らかになるに連れて、不安は怒りに変わった。
私たちの扱いを考えると、犯人は平民を見下している貴族だと思う。
第1王子の陣営の貴族だと決め付けるのは早計だと思うけど、犯人が貴族である事だけは間違いなさそうだ。
少なくとも、私たちのことを気遣い、大事にする意思はまったくない。
殺す気はないみたいだけど、食事も与えずにいることで、弱らせようとする意志があるような気がする。
「……ん……寒い……」
結花さんが漸く目を覚ましたようだ。
目を擦ろうとして、両手首が纏めて縛られているのに気づいて、真っ青になっている。
「結花さん、落ち着いて。事情を説明するから、静かにね」
犯人に気づかれる前に、結花さんに身を寄せて、できるだけ温もりを伝えながら、小声で状況を説明した。
眠らされて誘拐された事を知って、結花さんは驚いたようだったけれど、話を聞いているうちに少しずつ落ち着いていく。
「ごめんなさい。私のせいで巻き込んでしまって」
これだけは言わなければと、頭を下げて謝る。
あの時、私といなければ、結花さんがこんな目にあうこともなかったのに。
「私は、大丈夫。絶対、和成君が助けてくれるもの。それに、美咲さんがいてくれるから、心強いわ。美咲さんを、こんなところに一人にしないですんでよかった」
結花さんの言葉には、みぃちゃんに対する強い信頼と、私に対する深い情がある。
強がるでもなく、無理をしているわけでもなく、心から、私を気遣ってくれているのがわかって、こんな状況だというのに幸せだと感じてしまった。
「ありがとう。絶対、無事にみぃちゃんのところへ帰すから。二人で頑張りましょう。みんなも私たちのために動いてくれてるから、きっと大丈夫」
結花さんを力づけるのと同時に、自分にも言い聞かせる。
私は誰とも結婚しないし、絶対に先生と再会するんだ。
横暴な貴族の思い通りにはさせない。
一人ならば、桔梗と話せると言っても不安で仕方なかったかもしれない。
けれど、結花さんがいる事で、守らなければという気持ちが先にたって、不安がっている暇がないのは、幸いなのかもしれない。
「足音がする。結花さんは寝た振りをしてて。私が対応するわ」
結花さんを寝かせて、その近くに座り込んだまま、扉を睨みつけるように見た。
程なく扉が開き、二人の従者をつれた貴族らしき中年の男が入ってくる。
少し肥満気味で、背は私より少し高いくらいだろうか、これといって特徴のない男だ。
髪も目もこの世界ではありふれた茶で、鼻の横に大きなほくろがある。
「漸く起きたか。よくもまぁ、こんな場所で眠れるものだ。転生者とはいえ平民風情には、まともな部屋は必要ないようだな。お前達など、本来は私と目通りする事も叶わぬ身なのだから、感謝するといい」
尊大な口調で言い放つ男を見ながら、桔梗に思念で男の特徴を伝えた。
見たままの姿を伝えられたら早いのだけど、それは無理だから、できるだけわかりやすい特徴を見つけようと、さり気なく視線を巡らす。
それにしても勝手な事をいうものだ。
こんな場所でと言うけれど、無理矢理眠らせてこんな場所に閉じ込めたのは誰だと、文句を言ってやりたい。
「平民にしては、少しは弁えているようだな。直答を許す、私の問いに答えるがいい。どちらがカグラという転生者なのだ?」
私が黙って観察していたのには気づかなかったようで、一人で機嫌よく話し始めた。
心の中で文句を言うのが忙しくて、何も言わなかったのが、いい方に働いたらしい。
単純で傲慢な人のようなので、下手に反抗するよりは、従順にして都合のいい方に話を持って行った方がよさそうだ。
「神楽は私です」
様子を見るために、問われた事に答えるだけにした。
できるだけ大人しそうに見えるように、伏目がちに怯えているように装う。
力のない女とわかれば、侮ってくれるかもしれない。
「おまえには第1王子の後宮に入ってもらう。平民風情が次期王となる第1王子の後宮に入れるのだ、身に余る光栄であろう?」
私が断る事など考えもしないのだろう。
勝手に攫っておいて、身勝手な事を言っているのに、感謝しろといった様子だ。
やはり、第1王子の陣営の貴族だったのか。
後宮ということは、第1王子には既に複数の妻がいるのかもしれない。
主犯の人間性がわかるに連れ、よくないことかもしれないけど、不安は消えていった。
だって、みんながこんな頭の悪そうな人に、してやられるとは思えない。
「私など、王子様の後宮に入れるような身分ではありません。畏れ多いことです。私が後宮に入るのでしたら、この子はどうなってしまうのですか? 私の友達なんです。この子にはAランクの冒険者の夫もいます。ランスへ帰してあげたいんです」
言外に正式な結婚相手がいる事を伝えて、結花さんの身に何かあれば面倒な事になるというのを知らせておく。
すんなり、ランスへ帰してくれるとは思えない。
どうするのが一番いいのか、思考を巡らせながら、相手の反応を伺う。
私が、後宮に入るのを嫌がったりしなかったので、満足げな様子だ。
思い通りに事が進んでいるので、機嫌がいいようだった。
「無事に第1王子の後宮に入ったならば、その時にはランスに帰してやってもいい。……そうだな、いっそ、このカステグレン家の娘として、王子に差し出すか。我が家の養女であれば、王妃にもなれるだろう」
クリスさんの結婚の妨害をするための後宮入りだったはずなのに、私が大人しく操りやすそうに見えたことで欲が出たようだ。
相手の素性を知るために重要な家名が出たので、桔梗に早速思念で伝える。
『桔梗、犯人はカステグレンという名の貴族よ。これは多分、当主だわ。我が家の養女と言っていたから、多分間違いないと思うの』
安易に誘拐したり、そのくせ、誘拐対象の調査を怠っていたり、やり方が杜撰な気がする。
私と結花さんの外見の特徴は、まったく似たところがないのだから、神楽がどちらかなんて、きちんと調査していれば聞かなくてもわかるはずだ。
私が誘拐を企てるのなら、誘拐した人に安易に顔を晒したりしないし、話をするにしても代理を立てたりして用心すると思う。
自分の屋敷に連れ込むというのも論外だし、例え連絡手段が何もないにしても、自分の正体がばれる家名など口にしたりしない。
多分、平民相手なら無理が通るし、気をつける必要もないと侮っているんだろう。
誘拐が発覚しても、平民相手なら何とでもできると思われていそうだ。
『カステグレンは侯爵家だって、ユリウス様が言ってる。エルヴァスティ家とは犬猿の仲だから、ラルス様のお話をするときはよく注意して名前を出すようにって。鼻の横にほくろがあるのは、当主で間違いないみたい』
ユリウスさんが桔梗のそばにいてくれて、本当によかった。
ラルスさんの名前を安易に出さない方がいいとわかっているだけで、かなり違う。
「ヤン、王都から仕立て屋を呼べ。王都の仕立て屋なら口は堅い。我が家に相応しい支度を整えて、まずは養子縁組を行う。王子には少し待っていただくことになるが、平民の身分のまま差し出すよりは、後々役に立つとわかっていただけるだろう」
当然の事ながら、私の意見はまったく聞かず、勝手に決めて進めていく。
平民の身分で王子の後宮に入れるのを、断るはずがないと思っているんだろう。
仕立て屋を王都から呼ぶということは、ここは王都ではないのかもしれない。
「お待ちください。一つお願いしたいことがあります」
機嫌を損ねないように、できるだけ控えめに申し出た。
呼び止めなければ、さっさと立ち去ってしまいそうだったのだ。
「申してみよ。本来ならば願いなど聞く必要もないが、一つくらいならば許してやろう」
どうやら機嫌は損ねなかったみたいなので、ホッと息をつきつつ、結花さんに視線を向ける。
「後宮に入るまで、彼女を私の傍に置いていただけますか? 離れ離れになるのは不安なのです。大人しくいうことを聞きますから、彼女と一緒にいさせてください」
一人になるのが怖いと、怯えているように見えるよう、小さく身を震わせながら懇願する。
ここで、結花さんと離れ離れになったら、結花さんがどんな扱いを受けていても、気づく事ができない。
そんな危険な状態に陥るわけには行かない。
ランスに帰してくれるという約束だって、守られるかどうか怪しいのだから、できる限り私が守らなければ。
「仕方がない。仕立て屋がきても、余計な事は話さず大人しくできるのなら、許してやる。こちらの言う通りに動き、我が家の養女として第1王子の後宮に入れ。抗った時は、その女は殺す」
私が自発的に後宮に入るように仕向けた方がいいと思ったのだろう。
結花さんを利用する事に決めたようだ。
私を王宮に連れて行けば、ラルスさんやクリスさんと遭遇する可能性もある。
その時に、私の口から第1王子の後宮に入ると言わせれば、ラルスさん達でも手を出せない。
結花さんを盾にすれば、私が素直に言う事を聞くのならば、結花さんを利用した方がいいと考えたようだ。
元より、後宮に入る気も、養子縁組をする気もない。
誘拐犯の素性がわかったのだから、その前に助けが来てくれるだろうと信じてる。
だから、今は、大人しく従っておいて油断させておこう。
「母屋に移すから、大人しくついて来い。逃げようとする素振りを少しでも見せたら、その女は捕らえて、目の前で嬲り殺す。友が大事なら素直に言う事を聞け」
私が大人しくしていたとはいっても、地下から出すとなると心配になるのか、結花さんを盾に脅された。
素直に頷き、ちょうど起きたという振りをした結花さんと、足の拘束だけを解いてもらい、地下の部屋を出た。
私の行動次第で、結花さんを危険な目にあわせてしまうかもしれない。
そうならないように細心の注意が必要だ。
移動しながら周りを観察し、いざという時に逃げやすそうな場所を探しながら、広い屋敷を案内されるままに歩いた。
幸いな事に、ラルスさんの館に馴染んでいたおかげで、一般的な貴族の屋敷の造りは頭に入っている。
ラルスさんの館と比べると、こちらの方が派手で、装飾も過多と言っていいほどに多いけれど、建築構造は変わらない。
どこも、飾り付けないのは罪悪とばかりに、品なく飾り立てられている。
思念で桔梗に逐一と報告しながら、今度は豪奢な部屋に閉じ込められることになった。




