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密やかに想う  作者: 水城雪見
本編
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68.緊急事態



 強がりでも無理矢理でも、笑顔を作っていたら、泣かずに済んだ。

 私の様子がおかしい事にみんな気づいているようだけど、何も言わずにいてくれる。

 カロンさんの手紙の内容は、内緒にしてもらった。

 プロポーズを断るのなら、他に好きな人がいるというのが、理由としては一番だ。

 それなら、先生に奥さんがいることは知られないほうがいい。

 そんな理由もあって、手紙の内容を知っているのは亮ちゃんだけだ。


 次のお店の休みの日に、亮ちゃんを伴ってラルスさんの館に行き、クリスさんには正式に断りを入れた。

 ラルスさんもエリーゼさんも、少し残念そうにしていたけれど、好きな人がいるので結婚はできないと言うと、理解してくれた。


 先生の事は諦めた方がいいとわかっていても、そう簡単に諦めはつかない。

 それにまだ、信じ切れない気持ちもある。

 私の知る先生ならば、約束を果たす前に結婚したり子供をつくったりすることはないと思う。

 転生して、色々なことがあって、先生が変わってしまったり、何か深い事情があったりするのかもしれないけれど、でも、考えれば考えるほどに、先生に奥さんがいるということに違和感が生じる。

 ただ単に、先生に奥さんがいる事を認めたくないだけなのかもしれない。

 先生と再会して、話してみればわかる事だと自分に言い聞かせて、すぐにでも王都に向かいたい気持ちを押さえ込んでる。

 絶対に私を探し出すという約束を先生が守ってくれるのだから、私も約束通りに待ちたい。

 どんな場所でどんな風に私が過ごしていたのか、先生に知って欲しい。

 例え、再会した後に離れ離れになってしまうとしても、私が先生を待っていた月日を過ごした場所を、先生に見て欲しいのだ。

 離れ離れになることを覚悟しているからこそ、余計にそう思うのかもしれない。


 

「美咲さん、寒くない?」



 一人になりたくて、人気のないほうへ歩き、辿り着いた街外れの川原で、結花さんに声を掛けられた。

 川原に座り込んで、随分時間が経っていたらしい。

 ここに着たときは、お昼過ぎだったのに、いつの間にか日が傾いている。

 もしかしたら、ずっと見守ってくれていて、日が暮れそうなので声を掛けてくれたのかもしれない。



「そうね。少し冷えたかも。帰って温かい紅茶でも飲む?」



 立ち上がり、結花さんに微笑みかけると、飛びつくようにぎゅっと抱きしめられた。

 痛い程に抱きしめられて驚いてしまうけれど、背中に回された手がとても冷たくなっている事に気づいて、心配を掛けていたことがわかってしまった。

 こんなに手が冷たくなるまで、ずっと見守っていてくれたんだ。



「無理に笑わなくていいよ。辛い時は辛いって言って。友達でしょ?」



 抱きついたまま見上げてくる結花さんは、涙目になっていて、思いつめた顔をしている。

 多分、声を掛けるかどうか悩んで、思いやってくれたのだと思う。

 何て幸せなんだろうと思ったら、瞳が潤んだ。

 結花さんは、私がランスにいたからこそできた友達だ。

 先生をランスで待つという選択をしていなかったら、すれ違っていたかもしれない。

 例え先生とまた離れ離れになったとしても、私は一人じゃない。

 心から心配してくれる友達がいる。



「哀しい事があったけれど、私の中に、それを疑う気持ちもまだあるの。だから、もやもやっとしてちょっと落ち着かないんだけど、そのうち、話せるようになったら話すわ」



 みんなに話すのは、先生と再会してからでいい。

 一度は打ちのめされて、心はずたずたになってしまったけれど、時間が経つごとに先生を信じたい気持ちが育っていく。

 今はただ、早く先生に逢いたい。



「待ってる。そのときは、リンさんや優美さんにも話してあげてね? みんな心配してるんだから」



 結花さんの言葉に頷きながら、店に向かって歩き出した。

 2月の風は冷たいから、帰って温かいお風呂に入りたい。

 さすがにちょっと冷え過ぎてしまった。

 その時、不意に結花さんがよろめいて、地面に倒れこんだ。



「結花さんっ!」



 何が起きたのかわからないまま、膝をつき、結花さんを抱き起こす。

 何か嗅いだことのない変な臭いがした。

 思わず息を止めようとした時、背後から羽交い絞めにされ、鼻と口を覆うように濡れた何かを押し当てられる。

 急激に眠気が襲ってくる。

 ありえない睡魔に抗えないまま、意識は途絶えてしまった。








 遠くで呼びかける声がする。

 瞼は重く、目は開けられそうにない。



『……さまっ……主様! 起きてっ。お返事してっ!』



 桔梗に呼びかけられているのだと理解した瞬間、酷い頭痛がした。

 小さな呻きが漏れそうになるのを、何とか堪えて、そっと周囲の気配を探る。

 不自然に眠らされた事を、すぐに思い出した。



『桔梗、ごめんなさい、今起きたわ』



 声にせず思念で返事をしながら、薄っすらと目を明ける。

 どうやら、馬車に揺られているらしい。

 随分急かしている様で、何度も馬を鞭打つ音がする。

 今まで目を覚まさなかったのが不思議なくらいに、馬車は酷く揺れていた。



『主様、無事? どこにいるの? ここに尊様とリン様がいて、お返事を待ってるの』



 今日、尊君達は迷宮に入っていたから、ちょうどコテージにいたらしい。

 どうやら攫われてしまったようだけど、それを知らせる手段があるのはありがたい。

 桔梗のおかげか、取り乱す事もなくいられた。



『馬車の中なの。凄いスピードでどこかに向かってるみたい。結花さんも一緒にいるわ。街外れの川原で、眠らされて攫われたみたいなの』



 できるだけ落ち着こうとしながら、状況を少しでも知らせようとする。

 傍らにある温もりは、結花さんで間違いないと思うけど、暗くてしっかり確認できない。

 まだ眠っているようで、身動ぎ一つしない。

 薄暗くてはっきりしないけれど、ここは馬車の中のようで、御者席に二人いるような気配がする。

 


『主様に異変があったのはわかったから、優美様とアルフレッド様と鳴様が街に知らせに行ったの。尊様が、必ず助けるから頑張れって言ってる』



 励ますような桔梗の心が伝わってきて、心強かった。

 ランスからどんどん離れているにしても、きっとみんなが助けてくれると信じられる。

 暗がりに目が慣れてくると、周りの様子が少しだけわかるようになった。

 街を出るときのカモフラージュだったのか、じゅうたんのような物がある。

 もしかしたら、これに包まれて、姿を隠されていたりしたんだろうか?

 手足は、それぞれ拘束されているけれど、衣服に乱れはない。

 とにかく、目的地に急ぐ事を最優先にしている感じがする。



『桔梗、私達が捕まったのは日暮れ前だったの。それからずっと馬車で走っているのだとしたら、南のキルタスに向かっているということは絶対にないわ。東の王都か、西の山脈の方へ向かっていると思うの。これは多分、計画的な誘拐だと思うわ。もう、夜になるのに途中の街に立ち寄る様子もないし、野営する様子もないの。馬車を囲むように馬がいるか、別の馬車もいるのかもしれないけれど、とりあえず、御者席にいる二人しか、敵の数はわからないわ。全部、尊君とリンちゃんに伝えて』



 わかることをできるだけ伝える。

 南にいくなら船に乗らなければならないから、この速度で馬車を走らせる意味はない。

 だから、東か西に向かっているというのは間違いないと思う。

 馬車を引いているのに、これだけ馬に無理をさせているのがおかしい。

 どこかに仲間がいて、替えの馬を用意して待っているのかもしれない。



『主様、尊様から伝言よ。一人で抵抗するのは危ないから、今はできるだけ寝た振りをしておけって』



 敵の数がわからないし、まだ結花さんは目を覚ます様子がないので、今は動けない。

 それなら、体を休めて情報を探る方がいい。

 桔梗に了解と返事をしてから、目を閉じて、できるだけ周囲の音を聞き取ろうとした。

 結花さんは何が何でも守らなければ。

 多分だけど、結花さんは巻き込まれただけのような気がする。

 正式な結婚をしている結花さんを狙って、誘拐する理由が思い当たらない。

 転生者の女性が欲しいだけなら、未婚の私達の方が面倒はないはずなのだ。

 この世界は、神の恩恵が身近にある。

 教会で正式な結婚をした夫婦は、その関係を神に守られる。

 だから、誰にも引き裂く事はできない。

 反対に言えば、離婚も出来ない。

 この世界での結婚というのは、神との約束事で、違えてはならないものなのだ。


 しばらく耳を済ませていたけれど、こういったことになれた集団なのか、それとも、事前の打ち合わせがしっかりしてあるのか、会話らしきものは聞こえない。

 まだ薬が残っているのか、目を閉じて気配を探っているうちに、眠り込んでしまった。





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