66.転換期
結婚式の後、阿久井君は南のキルタスへと旅立っていった。
いつでも戻ってこられるように、阿久井君が使っていた部屋は、そのまま阿久井君専用で残しておくと約束した。
気持ちが落ち着いたら、またいつでも戻ってきて欲しいと伝えたら、嬉しそうに頷いてくれた。
キルタスを思う存分回ったら、ランスを拠点にするつもりだと話してくれたので、ゆっくりと待つつもりだ。
鳴君は、阿久井君が旅立った後は、さすがにちょっと寂しそうだった。
去る人がいれば、来る人もいて。
結婚式が終わったら王都に戻るかと思っていたクラウスさんとクリスさんは、来年までランスに滞在するらしい。
また、アルさんに指名依頼が入って、大迷宮の攻略も前回の続きから始めたようだった。
以前のように頻繁に、クリスさんが桜庵に食事に来てくれる。
前に滞在した時とは違って、エリーゼさんの主催のお茶会で一緒になったり、お店がお休みの日にも逢いにきたり、ほぼ毎日顔を合わせている。
前の時と違って、亮ちゃんは何も言わず、取り立ててクリスさんを遠ざけようとはしないので、クリスさんと話をすることも増えた。
親しい友人に対するような態度なので、特に避ける理由もなく、気がつくと一緒にいるといった感じだった。
時には大迷宮にみんなで行くこともあるけれど、そのたびに、私は狩りをせずに桔梗を構い倒して過ごした。
離れていても、寝る前は毎日のように桔梗と話をしているけれど、やっぱり姿が見えると嬉しい。
桔梗も逢いに行くと、無邪気に甘えてくれるので、誰かが迷宮に行くときに一緒に行くことが増えた。
私が一緒にいると、デザートまで作ってもらえるので、迷宮の中とは思えない食事ができて嬉しいらしく、戦力にならない私をみんな頻繁に誘ってくれる。
クラウスさんもクリスさんも、妖精を見たのは初めてだそうで、桔梗と初めて対面した時はとても驚いていたけれど、すぐに馴染んだようだった。
コテージが育つと知って、二人とも自分専用のコテージを手に入れて育て始めた。
滞在中にどこまで育つかわからないけれど、いつか自分で妖精を召喚したいらしい。
金髪碧眼のまさに王子様といった雰囲気のクリスさんに似た妖精なら、きっと可愛いと思う。
慌しく月日は過ぎ、転生して二度目の冬がやってきた。
先生が雪で閉じ込められない事を祈りつつ、ただ待ち続けている。
持ち帰り用のお菓子の製造と販売の仕事は、完全になくなったので、前よりも自分の時間ができたけれど、その分、みんなに連れ出されるようになったので、寂しさは紛れていた。
エリーゼさん主催のお茶会を皮切りに、貴族のお茶会に招かれるようにもなったけれど、領主夫妻の後見があることもあって、特に大きなトラブルもなく過ごせている。
エリーゼさんが厳選したお茶会なので、平民だからとあからさまに見下すような貴族はいないし、亮ちゃんか鳴君が一緒に行ってくれるので、心強かった。
女性だけのお茶会のときは、優美さんが一緒に行ってくれる。
年末年始は、また半月ほどの休みを取ったけれど、今回はどこにも行かずのんびりと過ごした。
みぃちゃんと結花さんは、新婚旅行ということで、二人で旅に出てしまったけれど、他のみんなはランスに残ったので、ラルスさん主催の年越しのパーティーに参加したり、迷宮に行ったり、みんなで賑やかに休みを満喫した。
エリーゼさんにおねだりされて、館にも数日滞在することになり、その間は毎日のようにエリーゼさんの選んだドレスを着て、実の親子のように過ごした。
みんなは迷宮の方がいいというので、私一人だけだったせいもあって、最初は少し心細かったのだけど、そんな気持ちはすぐに吹き飛んでしまった。
一般的な貴族女性の日常生活と同じように過ごしてみたけれど、体力と気力をごっそりと持っていかれた。
家を取り仕切るというのは、やはり大変な事だ。
大量に届く招待状に目を通し返事をして、来客があればその対応もする。
届いた贈り物のお礼状を書いたり、ラルスさんの予定を見て必要な衣装を整える指示を出したり、一見優雅な貴族の生活も、意外に忙しく大変なことがわかった。
こんな忙しい生活をしつつ、5人も子供を産み育てたエリーゼさんはとても凄いと思う。
次期領主夫人ということで、レイラさんもエリーゼさんと一緒に過ごして、色々と学んでいる最中だそうだ。
領主の館に滞在している間に、レイラさんともたくさんお話ができて、親しくなった。
さすがに、私のお店にお忍びでくるのは難しいらしいので、私の方から逢いに行く約束をした。
ユリウスさんと仲睦まじい様子を見ていると、羨ましいと感じる。
大好きな人と一緒に過ごせる毎日というのは、どんな感じなんだろう?
それでも、まだ、子供ができない事を気にしてもいるようだったので、一日も早く授かればいいのにと思った。
みぃちゃんと結花さんも無事に旅から帰ってきて、1の月の半ばからまたお店の営業が始まった。
お客様を飽きさせないように、期間限定のメニューを入れ替えたり、工夫を凝らす。
昼営業の限定メニューでお好み焼きを出したら、冒険者の間で人気になってしまって、冒険者のお客様が増えた。
最初は敷居が高いと敬遠していて、個室の利用が多かったけれど、最近ではホールに普通に通ってくれるようになっている。
個室とはいえ、通う内に、店に馴染んでいったというのもあるみたいだ。
その間も、クリスさんは毎日のようにお店に通ってくださっていた。
大迷宮の攻略も進み、現在攻略されている94層までもう少しで到達するらしい。
2の月の半ばには王都に帰らなければならないらしいので、根をつめて迷宮に通っているようだ。
そんなに無理をしなくてもと思うのだけど、何か理由があるらしく、クラウスさんもクリスさんもずっと頑張っていた。
「ミサキ、少し外を歩かないか?」
桜庵の休みの日になると、時々こうしてクリスさんが誘いに来る。
断る時も多いけれど、いつも断ってばかりでも申し訳ないので、予定が何もないときは一緒に出かける事もあった。
もうすぐ、王都に帰ってしまうのだと思うと、あまり無碍にもできない。
亮ちゃんにクリスさんと出かける事を告げてから玄関を出ると、クリスさんは一人で待っていていた。
貴族なのに、仰々しく護衛や従者をつけるのが好きではないことは知っていたけれど、今日は完全に一人のようだ。
もしかしたら、見えない場所で警護している人もいるのかもしれないけれど、誰一人傍にいないというのは珍しくて、少し驚いてしまった。
「お待たせしてすみません」
寒いのに外で待たせた事を詫びながら近づくと、手紙のような物を差し出される。
「届け物のようだ。勝手にとは思ったんだが、代わりに受け取っておいたよ」
お礼を言いながら確認すると、カロンさんからの手紙のようだった。
さすがに待たせた上に、ここで手紙を読み出すのも申し訳なくて、一度手紙はアイテムボックスに片付ける。
そして、クリスさんに促されるまま歩き出した。
どうやらクリスさんは、西に向かっているようだ。
通用門を通れば、牧場に出られるから、散歩にはちょうどいい。
2の月に入ったばかりにしては、天気がよくて暖かかった。
天気の話から始まり、大迷宮の話や、育てているコテージの話などをしながら、のんびりと歩く。
時折、私の姿を確かめるように見るのは、クリスさんの癖なのかもしれない。
二人で歩いていると、傍にいるのを確認するように見つめられる事がよくあった。
「そういえば、漸く大迷宮の90層に到達したんだ。久しぶりにキキョウに逢えて、愛らしい歓迎を受けたよ」
私のコテージは、みんなが90層に到達した段階で、80層から移してあった。
クリスさんもクラウスさんも、桔梗がお気に入りみたいなので、久しぶりに逢えた事を喜んでくれたらしい。
二人と逢った事は、寝る前に桔梗と話をしているので聞いていた。
桔梗はクリスさんを王子様と呼ぶ。
絵本から抜け出てきた王子様みたいと私が思っているのが、桔梗にも伝わっているのかと思うと、ちょっと恥ずかしい。
「容姿は私に似ているようですが、性格は似なかったみたいです。桔梗は、甘えるのが好きな可愛い子ですから」
甘えてくる様子を思い出すだけで、幸せな気持ちになる。
桔梗は嬉しいとか幸せとか、優しい感情をそのまま心に伝えてくる。
牧場に出てしばらく歩くと、一面に野の花が咲き乱れる場所へ辿り着いた。
まさか、寒いこの時期に、これだけの花が咲いているとは思わなくて、驚いてしまう。
ジャスミンに似た小さな白い花はとても可愛くて、それが一面に咲いているのはとても綺麗だった。
「これは、冬場の牛のえさになるそうだ。可憐な花だが、とても強くて育てやすいから、牧場ではよく植えられている」
クリスさんが説明しながら花畑に入っていく。
元の世界のシロツメクサのような感じなんだろうか?
後をついて歩きながら、辺りを見渡す。
クリスさんとたまにこちらにも散歩にきていたけれど、この花が咲いているのを見るのは初めてだった。
「去年、ミサキと再会した後に、リョウジと約束していた事があるんだ。大迷宮の90層まで私が到達できたらという条件で、許しをもらった」
亮ちゃんと約束?
不意に真顔になったクリスさんが、私と向かい合う。
そのまま、私の手を取り跪いた。
まっすぐに見つめられ、目を逸らせなくなる。
「私、クリスティアン=ブランデル=ティアランスは、ミサキを愛している。どうか、私の妻になってほしい。私と結婚してください」
思いがけない言葉に、固まってしまって返事どころではない。
まともな告白さえされたことがないのに、いきなりプロポーズというのも驚いてしまったし、何より、クリスさんの名前だ。
ティアランスという国の名前を名乗るということは、王子なんじゃないだろうか。
驚きすぎて、何と言えばいいのか分からない。
困惑した私の様子を、クリスさんは緊張した面持ちでただ見つめている。
亮ちゃんはすべて知っていたんだろうか?
その上で、クリスさんと約束を交わしたんだろうか?
私が先生を待っているのを知っているのに、どうして、クリスさんを近づけるようなことをするんだろう?
「今まで王子であることを黙っていて悪かった。ミサキには身分でなく、私自身を見て欲しかった。ユリウスの結婚披露パーティーで初めて見たときから、私が想うのはミサキだけだ。私はもうすぐ王都に帰らなければならない。できるならば婚約者としてミサキについてきてほしい。店の事が気になるだろうが、大叔父上には求婚の許しをいただいている。私は他の妻は持たない。あなた一人を大切にすると約束する。だからどうか、私と結婚して欲しい」
取られた手をきつく握り締め、口説かれる。
貴族でさえ複数の妻がいるのが当然という社会で、王子であるクリスさんが他に妻を持たないと約束してくれるのは、あり得ない事なんじゃないかと思う。
真剣だということは、痛いほど伝わってくる。
ラルスさんにも許しをもらっているようだし、多分、私が頷けば、王族と平民とはいえ、問題なく結婚することができるのだろう。
でも、例え先生を待っているのでなかったにしても、私に結婚はまだ早い。
私の心は、まだそこまで成熟していない。
「私……」
断りの言葉を口にしようとした途端、私の言葉を止めるように、唇にクリスさんの指先が触れる。
「返事は、すぐでなくていいから、少し考えて欲しい」
切ない声で請うように言われて、頷くしかなかった。
考えても返事は変わらないと思ったけれど、今、この場で断るのは酷かと思った。
帰って、亮ちゃんと話をしたい。
亮ちゃんは、私が先生を待つよりも、クリスさんと結婚した方がいいと思っているんだろうか?
亮ちゃんの真意が知りたい。
行きと違って、何の会話もないまま、二人で店に戻った。
亮ちゃんと話をしたかったけれど、一人で考えたいような気もして、部屋に篭ったところで、そういえば、カロンさんから手紙が来ていたのだと思い出した。
年末に新年の挨拶の手紙を送っていたので、その返事だろうかと、現実逃避をするかのように、手紙に目を通す。
その手紙は、歓喜と絶望を同時に私にもたらした。
クリスさんのプロポーズも吹き飛ぶほどに衝撃が大き過ぎて、抜け殻のように床に座り込み、ただ涙を流す事しか、私にはできなかった。
『カグラ様
新しい年のお祝いを申し上げます。今年も素晴らしい一年になりますよう、心からお祈りします。
去年はお客様を紹介いただいたり、お世話になりました。リュウジもそちらで元気にしているようでしたので、安心いたしました。
本日、イチジョウと名乗られる男性のお客様に、カグラさんのことを尋ねられましたので、ランスでお店を経営していることをお伝えしました。カグラさんもご存知の通り、譲っていただいたレシピのメニューは、カグラ風と表記してありますので、イチジョウ様もそちらをご覧になって、尋ねてくださったようです。
イチジョウ様は臨月の奥様を伴われていまして、その奥様からカグラさんに伝言を預かったので、こうして手紙を認めております。
奥様から、王都で出産するので、イチジョウ様がランスに行くまでにしばらく時間が掛かりますと、お伝えくださいとのことでした。出産予定は2の月に入ってからということでしたので、3の月の頃には、イチジョウ様がそちらを訪ねて行かれるのではないかと思います。
ランスでのご活躍は、王都まで噂で伝わっております。
お忙しい事と思いますが、お体には気をつけてください。
カロン 』




