61.告白
夜、亮ちゃんと一緒に部屋で阿久井君を待っていた。
もう、話が終わったら寝るだけだというのに、亮ちゃんがうるさいから、外に出るときと同じ服を着ている。
髪も、暑いから纏めてあげておきたいのに、却下されてしまった。
最近、亮ちゃんが前よりもずっと過保護だ。
そんなに見苦しい格好はしていないはずなのに、お祖母ちゃんより口煩い。
たいして待つこともなく、ノックの音がしたので、亮ちゃんが出迎えてくれた。
「二人とも遅くにごめん」
阿久井君は心なしか申し訳なさそうだ。
どんな話かわからなかったけれど、ゆっくり話を聞けるように、アイスティーを3人分用意して、ソファに腰掛けた。
私の隣には、当たり前のように亮ちゃんが座る。
「いいの。早い方がいいかと思って、明日まで待たなかっただけだから」
向かいのソファを勧めて、阿久井君が話しやすい雰囲気を作ろうと心がける。
亮ちゃんの表情が硬いので、軽く肘で突いて窘めた。
「ありがとう。俺もどうしたらいいのか、わからなかったからさ、第三者の助言がほしかったんだ。まず、俺がランスに来た理由だけど、楠木さんに逢いにきたんだ」
阿久井君の口から、思いがけない名前が出てきて、驚いてしまう。
クラスメイトだったこともあるみたいだけど、結花さんと阿久井君の間に、特別なものがあるようには見えなかった。
阿久井君は、結花さんが相手だと言葉に詰まる事も多くて、あまり話をしてないようだったけど、違うんだろうか?
「まずは、転生前の事も含めて、話を聞いて欲しい。楠木さんと付き合っていた坂木翔太は、俺とは親戚なんだ。俺の母親と翔太の母親が従姉妹同士で、歳が同じという事もあって、二人とも小さい頃から比較され続けて育ったらしい。俺の母は、それが凄く嫌だったから、同じことを俺にしなかった。けど、翔太の母親は、比べられたのが凄く嫌だったのに、俺の母親に対するライバル心みたいなのが消えなくて、翔太にずっと、俺にだけは負けるなって、言い聞かせて育てたらしい」
ため息混じり、少し辛そうに目を伏せて、阿久井君が語り出す。
吟遊詩人という職業のせいか、阿久井君の声は落ち着いていて聞きやすい。
同じ歳の親戚を比較するというのは、割とよくある話だと思う。
兄弟でも、兄と弟が比べられるとか、よくあることだ。
鳴君と尊君だって、小さい頃から良く比べられていて、尊君はそれで傷ついていた時期もあった。
でも、まさか、結花さんの元彼の名前が出てくるとは思わなかったし、二人が親戚というのにも、とても驚いてしまった。
「俺は、ティアランスの王都で、偶然、翔太に会ったんだ。その時に、楠木さんと何があったのか聞かされた。というか、俺の方から問い詰めた。楠木さんが翔太のパーティにいないのがおかしいと思ったから。それで、あいつらが楠木さんにしたことを知って、とにかく、楠木さんに謝りたいと思って、ランスにきたんだ。翔太が楠木さんに告白したのは、俺への対抗心せいだから。俺が楠木さんのことを好きなのを知って、翔太は楠木さんに近づいたんだ。俺は、翔太の事を親戚としか思ってなかったけど、小さい頃から俺と比べ続けられてた翔太は俺を嫌ってた。だから、楠木さんが酷い目にあったのは、元はと言えば俺のせいだ」
話しているうちに、段々辛くなったのか、阿久井君が頭を抱える。
まさか、そんな理由で結花さんと坂木君と付き合うことになったのだとは思わなかった。
自分の好きな子が、そんな理由で他の人と付き合うだけでも辛いだろうに、その上、好きな子が傷つけられたと知って、どれだけ辛かっただろう。
阿久井君の姿を見るだけでも、その辛さや苦悩が伝わってくる。
けれど、謝るとなると、事情をすべて結花さんに話すことになる。
坂木君と付き合い始めた経緯も含めて、過去を蒸し返す事になるのは、気が進まない。
やっと傷が癒えてきたのに、また結花さんに辛い思いをさせることになる。
それに、知らないほうが幸せっていう事もあるはずだ。
「でも、楠木さんに再会して、様子を見てて、謝りたいっていうのは、俺の自己満足だと思った。翔太のことなんか忘れて、幸せになってくれるならその方がいい。翔太もあれから反省したみたいで、王都で真面目に冒険者として頑張ってた。楠木さんにひどい事をしたって反省してたけど、合わせる顔がないからって、謝罪の手紙を預かったんだ。けれど、それを渡していいのかどうかもわからなくて、悩んでた」
坂木君があれから真面目になったのだとしたら、それはいいことだと思う。
手紙を預かっていると聞いて、私も、どうする事が一番結花さんにとっていいことなのか、判断がつかなかった。
今の結花さんは、坂木君のことは忘れているような気がする。
けれど、それが表面上だけだったら、やり方次第で酷く傷つけてしまう事になるかもしれない。
結花さんと再会したばかりの時の、やつれた様子や、泣き顔が思い浮かんで、辛くなる。
一緒に暮らしだしてからも、しばらくの間は、寝てるときに魘されていたり、突然悲鳴を上げて飛び起きたりしていた。
みんなのおかげで、比較的早く元気になったけれど、傷は深かったはずだ。
「阿久井は、まだ結花のことが好きなのか?」
ずっと黙って話を聞いていた亮ちゃんが、ストレートに問いかける。
私もそこは気になるけれど、さすがに聞き辛くて躊躇していたのに。
「今も好きだよ。翔太と付き合い出してからも、諦められなかった。小さい体で一生懸命に花壇の手入れをしてる姿とか、好きな花の話とか始めると止まらなくなるところとか、控えめで可愛いところとか、ずっと好きだったんだ。勇気が出せなくて、クラスが別になったら、挨拶すらろくにできなくて、見てるのが精一杯だったけど、それでも好きだった。楠木さんと一緒にいる姿を見て、俺は初めて翔太を羨ましいと思ったよ。俺ならもっと大事にするのに、俺ならもっと笑顔にするのにって、ずっと思ってた。旅に出たのも、楠木さんがどうしているか気がかりだったからだ。恋人なのに、翔太が楠木さんをあまり大事にしていないのは知っていたから、心配だった。翔太の話を聞いて、もっと早く旅に出ればよかったと、死ぬほど後悔した。間に合うのなら、俺が自分の手で、彼女を癒したいって思った。だから、翔太から話を聞いて、すぐに王都を出て、ランスに向かったんだ」
本当に前からずっと結花さんの事が好きだったんだと、伝わってくる。
切ないほどの気持ちを口にする阿久井君を見ていたら、胸が痛くなった。
きっと、坂木君と付き合いだした後、何も言わずに見守るだけだったのも、結花さんが坂木君を好きなのがわかっていたからだ。
坂木君が結花さんに対して本気なのかどうかわからなくても、結花さんが坂木君を好きで幸せならと、告白を諦めたんじゃないだろうか。
何て言葉を掛ければいいのかわからない。
何も言えなくて、ただ阿久井君を見つめて、話を聞いた。
「でも、俺は、また今度も遅かったみたいだ……。楠木さんの心の傷が癒えているのは嬉しい、いいことだと思う。俺が傍にいて癒したかったという気持ちもあるけれど、それはエゴだってわかってる。楠木さんは前より可愛くなった。前向きになって、大人っぽくなった。好きだからこそ、見てるだけでわかることもある。楠木さんが誰を見ているのか、誰を想っているのか、すぐにわかってしまった」
辛そうな阿久井君に、思い違いだとは言えない。
私も、結花さんが誰を見ているのかには、薄々気づいていたから。
こんなにいい人なのにと思うと、とても切ない。
人の想いは、侭ならなすぎて、阿久井君の想いを知れば知るほどに、胸が痛んで涙が溢れそうになる。
こんなに辛くて切ない思いをしているのに、阿久井君は、ここにきてからの生活を幸せだと言っていた。
優しいだけでなく、強い人でもある阿久井君が、この先、幸せになってくれるように祈る事しかできないのがもどかしい。
あの優しい笑顔の下に、こんな想いを隠していたとは気づかなかった。
「神楽さん、泣いてくれてるの? 優しいんだね、ありがとう」
胸の中の想いは、声にならなくて、ありがとうという阿久井君の言葉に頭を振ることしかできない。
亮ちゃんが優しく肩を抱き寄せて、腕に抱きこんでくれた。
大きな手で頭を撫でられると、我慢していた涙が次から次に零れてしまう。
「俺は楠木さんが幸せになってくれたら、それでいいよ。見てるだけっていうのも切ないけどさ、あの二人がくっつくのを見届けてから、また旅に出ようかと思ってる。それに、翔太の時と違って、御池なら安心して楠木さんを任せられるし。今、二人とも恋人未満って感じで微妙な状態みたいだからさ、翔太の手紙は、渡していいかどうか判断がつかないから、二人の意見を聞きたかったんだ」
阿久井君は本当に強い。
男の人って、みんなそうなんだろうか?
私は、もし、再会した先生に他に想う人がいるとなった時、こんな風に思えるだろうか?
先生が幸せなら、それでいいと、考えられるだろうか?
自分と重ね合わせて考えると、阿久井君がどれだけ強いのかよくわかる。
「手紙は、まだ様子見でいいだろ。もし、阿久井がここにいるうちに渡すタイミングがなかったら、俺が責任持って預かる。結花は強くなったから、手紙を渡しても大丈夫なような気もするけど、最近、ちょっと様子がおかしいからな」
私を宥めるように撫でながら、代わりに亮ちゃんが話してくれる。
みぃちゃんと結花さんの距離が少しずつ縮まっているというか、関係が変わりつつあるのは何となくわかっていた。
結花さんの様子が少しおかしいことに、亮ちゃんも気づいていたらしい。
「できるだけ慎重にいきたいから、頼んだ。もうこれ以上、翔太のことで楠木さんを傷つけたくないんだ」
結花さんを傷つけないという事が、阿久井君には何より大事なのだとわかった。
私が、阿久井君のためにできる事は他にないから、できるだけ注意して動くようにしよう。
「そろそろ、部屋に戻るよ。二人に話を聞いてもらえて、ちょっと気が楽になった。ありがとう、おやすみ」
アイスティーを飲み干してから、阿久井君は先に部屋を出て行く。
私が泣き顔を隠しているのに気づいて、早々に退散してくれたみたいだ。
本当に優しくて、気遣いのできるいい人だと思う。
「何故、美咲が泣く?」
二人きりになった途端、呆れるように言いながら、亮ちゃんがタオルで私の顔を拭いてくれた。
ごしごしと拭かれると、ちょっと痛い。
「……だって、阿久井君、あんなにいい人なのにっ……みぃちゃんと結花さんが両想いなの、嬉しいって思ってたけど、でもっ」
話し出したら、また涙が溢れてきた。
あんなに優しくていい人が傷ついているのに、何もできないなんて。
みんなが幸せになれる方法があればいいのにって思うけど、どうしようもないとわかるから、余計に苦しくなる。
「あぁ、もう、泣くな。目が腫れるぞ? 阿久井はちょっとへたれだけどいい奴だ。だから、絶対、幸せになる。いつか、阿久井の事を好きになって、幸せにしてくれる人が現れる。だから、美咲が泣く事はないんだ。いつか、阿久井にも幸せが訪れるって信じてやれよ。友達だろ?」
私に言い聞かせるように強く、亮ちゃんが断言してくれる。
「ぜったい?」
「あぁ、絶対だ。俺が保証する」
涙声で問いかけると、亮ちゃんが大きく頷いた。
本当に亮ちゃんの言う通りになればいいと思う。
まだ短い付き合いだけど、今夜、阿久井君の本音を聞いた事で、私の中で阿久井君は大切な友達になってしまったのだとわかったから。
「亮ちゃんが言うなら、間違いないね」
タオルで顔を拭きながら言うと、「当然」と、ぐしゃぐしゃと頭を撫でまわされる。
完全に子供扱いだ。
「寝る前に、顔を洗って目を冷やしておけよ? 美咲が泣いたのがわかると、みんな、心配する。ここは俺が片付けるから、さっさと寝ろ。寝室の鍵は忘れるなよ?」
無理矢理立たされ、寝室に押しやられた。
最近、寝室の鍵をきちんと掛けるようにと、亮ちゃんがうるさい。
言われるまま、寝室に入って鍵を掛けた。
目が腫れないように、顔を洗ってさっぱりとしてから、濡れタオルで目を冷やすことにする。
ベッドに入ってからも、阿久井君の事とか、これからのみんなのこととか、そして先生の事とか、色々と考え込んでしまって、なかなか寝付けなかった。




