60.滞在
阿久井君の楽器は、アコースティックギターだ。
これは神様からもらった物で、戦う時は音楽を奏でることで、支援系の魔法が使えるらしい。
大迷宮にコテージを出しにいく時に、魔法を使っていたけれど、戦う人の間にギターを弾く人が混じっているのは、不思議な感じだった。
阿久井君の支援魔法で、パーティメンバーの攻撃力や防御力が上がるらしくて、リンちゃんは喜んで大暴れしていた。
阿久井君は、最初の内は、パーティを組んでいた人達と一緒にレベル上げをしていたらしいけれど、吟遊詩人ということで戦闘手段がなく、他のメンバーが強くなるに連れ、パーティに居辛くなって、旅に出ることにしたらしい。
馬で移動しているのは、少しでも魔物と遭遇する回数を減らすためだそうだ。
大迷宮にほんの少し入っただけで、レベルがいくつも上がったので、随分驚いていた。
阿久井君はレベル40で一人旅をしていたらしい。
「ランスには迷宮が二つあるから、しばらくここにいて、レベル上げしてから旅に出るといいよ。ギターの魔法で、眠らせて逃げるのも限界があるだろ?」
店に戻ってからの夕食時に、阿久井君のレベルの低さと、戦闘手段のなさが心配になってしまったらしい尊君が、熱心に滞在を勧める。
阿久井君は、久しぶりの和食が嬉しかったらしく、涙ぐんで喜んでいた。
ここまで喜ばれると作り甲斐もある。
魚が山ほどあるのだし、いろいろと作って食べさせよう。
「ついでに冒険者ギルドのクエストも受ければ、そっちでも稼げるし、僕もそれがいいと思う」
みぃちゃんも同意するように言葉を重ねる。
友達が一人で苦労しているのがわかったら、少しでも手助けしたいという気持ちはとてもよくわかる。
「鳴君と一緒にお店で演奏してもらえれば、とても助かるし、阿久井君さえよければ、ゆっくりしていって。ついでに食べたい物があるなら、リクエストを受け付けるわ」
店主である私が滞在を勧めるのが一番かと、口を挟んでおく。
亮ちゃんがまったく警戒していなかったので、阿久井君は大丈夫な人だと思うから、安心して誘えた。
「みんな、ありがとう。甘えさせてもらうけど、俺にできることがあったら、できるだけ手伝うよ。こっちで和食が食べられるとは思わなかったし、それに、こんなに話ができるのも久しぶりで嬉しいんだ。元のパーティと離れてからは、ずっと一人だったからさ」
吟遊詩人というだけあって、一つの街に留まらずに、放浪していたらしい。
魔物にあったら魔法で眠らせて逃げて、そんな状態で一人で旅を続けるなんて、心が休まる暇もなかったんじゃないだろうか。
想像するだけでも、随分辛い旅のように思えて、気の毒になる。
同時に、先生がもしも戦闘手段を持っていなかったら、阿久井君と同じように苦労しているんじゃないかと、とても心配になった。
先生のことを、私はほとんど知らないから、先生が戦えるのかどうかさえわからない。
「阿久井君がいると、戦うのが楽しいから、また一緒に迷宮に行こうね」
リンちゃんは支援魔法が嬉しかったらしく、ご機嫌な様子で迷宮に誘っている。
しばらく、リンちゃんが迷宮に行くたびに、阿久井君は付き合わされそうな気がする。
暴走気味なリンちゃんと阿久井君だけでは危険だから、誰かリンちゃんの監視役も同行することになるだろう。
「阿久井は、どこを旅してきたの?」
優美さんは厳しい事を言っていたけれど、特に阿久井君が苦手だとか嫌いだとかそういうことはなかったみたいで、普通に話しかけている。
阿久井君がみんなに受け入れられている様子なのを見て、ホッとした。
「俺は最初に飛ばされたのが、ゼファードの北だったんだ。旅している間に雪が降り出して、しばらく雪でゼファードの北の街に閉じ込められて、春になってから一人旅を始めた」
食事をしながら阿久井君が語った話によると、ゼファードも北の方は雪が凄いらしく、街から出られなくなってしまうらしい。
冬の間に資金を貯めて、馬を手に入れて、雪がやんでから一人旅を始めて、ミシディアを経由して、ティアランスにやってきたそうだ。
ミシディア滞在中に米や和食の調味料を発見したけれど、どの店の料理も、微妙に違っていて和食という感じがしなくて、なまじ食材があるだけに欲求不満になったらしい。
けれど、料理は一切できないそうなので、まともな和食を食べるのは諦めていたようだ。
雪の降らない夏の間に北を回ることも考えたそうだけど、雪で苦労したので、暖かい場所に行きたくなって、南を目指したらしい。
途中で出会った人たちの話もしてくれたけど、先生はその中にはいなかった。
こちらでは吟遊詩人はいないわけではないけれど、旅が大変なので、旅芸人に混じって集団で移動する事がほとんどらしい。
一人で旅をしているのも、阿久井君の楽器も、とても珍しいらしく、どこに行っても仕事には困らなかったけれど、一人ということで苦労も多かったようだ。
それを、明るく話しているのを見て、前向きな人なんだなと思った。
先生の情報がなかったのは残念だったけれど、人のよさそうな阿久井君の手助けができるのはとても嬉しい。
お互いの近況を話したりしながら、のんびりと食事をした。
明日からはお店の営業も始まるので、食後には鳴君と阿久井君で、夜の営業で演奏する曲の打ち合わせをするらしい。
明日の営業時間がとても楽しみだ。
きっと、ラルスさんは阿久井君の演奏も聴きたがると思うので、少なくともラルスさんが戻ってくるまでは、いてくれるといいなと思った。
ホールから、懐かしい歌が聴こえる。
阿久井君が夜の営業で演奏するようになってから、夜は常に満席状態だ。
珍しい異世界の歌ということで、何度も聴きに来る人も多い。
鳴君もとても人気があったけれど、阿久井君も優しそうな雰囲気のかっこいい人なので、女性ファンが増えた。
中にはプレゼントを持って逢いに来る人もいる。
演奏をしてない昼間や休みの日に外を歩いていると、声を掛けられたりもするようだ。
桜庵がお休みの日は、他のお店にも出張で歌いに行ったりすることもあるけれど、ピアノがあって、鳴君と演奏できる方が、阿久井君は楽しいらしい。
「神楽さん、悪いけれど何か飲み物をくれる?」
しばらく歌い続けで喉が乾いたのか、厨房に阿久井君がやってくる。
椅子を勧めて、冷たく冷やしたレモネードを出した。
喉が渇いていそうなので、一杯では足りないだろうと、ピッチャーも一緒に出しておく。
今日は結花さんとみぃちゃんはお休みなので、厨房には私一人だった。
ホールが忙しいので、他のみんなは、そちらに掛かりきりだ。
「阿久井君のおかげで、新しい層のお客様も増えたわ。本当にありがとう。お腹は空いていない? 軽食も何か出しましょうか?」
阿久井君は夜だけ歌っているので、その出番前に軽く食事をしているけれど、念のために聞いてみる。
阿久井君のおかげで、このお店は敷居が高いと敬遠していた若い女性客も増えて、とても助かっているので、できる限りのことをしたかった。
「閉店後にみんなと食べるから大丈夫。気遣い、ありがとう、神楽さん」
にこっと優しい笑顔でお礼を言われると、自然に笑顔になってしまう。
阿久井君は、素直に感謝を口にできるし、笑顔で人に接する事が多いから、優しげに見えるのだと思う。
まだ知り合ってそんなに経っていないのに、阿久井君の人柄をとても好きになっていることに気づかされる。
一緒にいて、居心地のいい人だ。
「どういたしまして。明日はお休みだから、リンちゃんとまた迷宮に行くんでしょう? お休みが少なくて、疲れたりしない? 大丈夫?」
最近、阿久井君は他のお店からのお誘いも多くて、桜庵の休業日を全部休めているわけではない。
たまの休みも全部、リンちゃんに拉致られているようなので、少し心配になって尋ねてみる。
男の人の方が体力はあるものだけど、まったく休みなしでは疲れてしまうだろう。
みんながいるときにこんな事を聞けば、『お前が言うな』と、笑ってからかわれそうなので、絶対に聞けない。
「しばらく一人だったからさ、疲れるよりも、賑やかで楽しいよ。みんなが俺のためにって色々考えてくれるのも、凄く嬉しいしありがたいし。神楽さんの料理も懐かしくて美味しいし、安心して寝ていられる部屋もあるし、今がこの世界にきてから、一番幸せだ」
一人の苦労や不安というのは、私も知ってる。
私の場合、すぐにランスに定住して、たくさんの人に助けられて、割とすぐに亮ちゃん達と合流できたから、苦労らしい苦労もなかったけれど、一人で旅をしている阿久井君は、きっと大変だっただろう。
しかも、その旅はまだまだ続くかもしれないのだ。
「街に定住することは考えないの?」
みんなに相談も必要だけど、阿久井君さえよければ、ずっとお店に住んでもらってもと思う。
ずっと同じ街に留まると、段々、吟遊詩人としての需要がなくなっていくのかもしれないけれど、それならそれで、ランスを拠点に近くを回るという手もあるはずだ。
「そうだね、今の生活がずっと続いたら、楽しくて幸せだと思う気持ちもあるんだ。けど、俺は……」
何か理由があるのか、阿久井君の表情が曇る。
明るく見えるけれど、何か悩み事を抱えているみたいだ。
「亮二も一緒でいいからさ、今度、神楽さんに話したいことがあるんだ。話したいことっていうか、懺悔っていうか、そんな感じなんだけどさ。俺がランスに来たのには、理由があるんだ。まだ、営業中だからさ、お店が休みの日にでも話を聞いてよ」
亮ちゃんが、私を他の男の人とあまり二人きりにしないことに気づいていたのか、深刻な話のようなのに、亮ちゃんも一緒でいいと言われて、恥ずかしくなる。
阿久井君がランスに来て、まだ10日くらいなのに、すっかり亮ちゃんの過保護振りを知られているみたいだ。
「早い方がいいなら、今夜にでも私の部屋にきて。亮ちゃんも呼んでおくから」
みんなの部屋は一部屋だけど、私の部屋だけは、寝室と別に居間があるから、他に聞かれたくない話なら、そこでするのが一番だ。
悩みなら早く解決したほうがいいし、人に話すことで落ち着くこともあるから、何か憂いがあるのなら取り除く手伝いをしたい。
「ありがとう。じゃあ、お店で疲れてるのに悪いけど、今夜、部屋に行くよ。閉店まで、もう少し歌ってくるね」
言い残して席を立ち、阿久井君がホールに戻っていく。
話が何か気になったけれど、気持ちを切り替えて仕事をすることにした。
個室のお客様が帰るのを見送ったり、注文の入った料理を仕上げたり、みぃちゃんも結花さんもいない今日は、普段よりも忙しい。
お店の営業日に二人が一緒に休むことは、とても珍しいので、それがちょっと気にかかったけれど、働いている間に忘れてしまった。




