53.海底迷宮
翌朝、朝食の後、迷宮探索の支度を済ませた。
未発見の迷宮ということで、念のために、迷宮を見つけたこと、そこにみんなで入ってみることなどを紙に書き記して、コテージの中と外のわかりやすい部分に置いておく。
万が一、迷宮から出られないなんてことがあった時に対する備えのようだ。
あまり考えたくはないけれど、もし、ここで私達が行方不明になったとしたらと思って、桔梗にラルスさん、エリーゼさん、クラウスさんの登録を頼んでおいた。
その後、少し迷ってから、先生の名前も登録するように、お願いしておく。
いつ逢えるのか、それすらわからないけれど、許可リストに入れることで、その分、身近に感じられるような気がしたから。
「危険そうならすぐに出る。けれど、このメンバーで進めない迷宮となると、大迷宮よりも難易度が高い事になる。それはまずないだろうから、注意しつつも気楽に行こう」
亮ちゃんがそう言って、先に海に入る。
濡れた装備のまま戦うのは嫌なので、水着で迷宮に入って、中で着替えることになっていた。
みんな泳ぎは大丈夫みたいだけど、私は足の届かない深さで泳ぐのは不安だったので、亮ちゃんにくっついておく。
地図に魔物表示を出して、魔物が不自然に固まっている場所を目指して、みんなで泳いでいった。
今日も空は快晴で、まだ気温は上がりきっていないけれど、泳ぐには程よい水温だ。
「この下だな。アルフが先頭で潜るから、しっかり付いて行けよ。中では話せないから、ハンドサインを見落とさないようにしてくれ」
昨夜のうちに、危険や緊急事態を知らせるハンドサインは教えてもらっている。
海中で目を開けるのが痛いとか言ってられないなぁと思いながら、アルさんに続いて、海に潜っていく。
息が続くかどうか、それが不安だったけれど、とにかくひたすら泳ぐしかない。
水が綺麗な海だから、視界が確保されているのがありがたかった。
亮ちゃんに手を引かれ、アルさんの後をついて泳いでいく。
魔物表示は出ているけれど、魔物がいるのは迷宮の中みたいだ。
段々息が苦しくなっていって、最後まで持つのか不安になりながら泳いでいると、程なく迷宮の入り口に辿り着いた。
島からは少し離れているけれど、そこまで深い位置にあるわけじゃないみたいだ。
他の迷宮と同じで、転移するような感覚があって、洞窟のような場所に入り込んだ。
やっと息ができるようになって、深呼吸を繰り返してしまう。
「全員いるか?」
アルさんが、みんな揃っているかどうかを確かめる。
一番後ろを、鳴君が泳いでいたはずだから、入ってくるのは鳴君で最後のはずだ。
迷宮の入り口に、鳴君が転移してきて、それで全員揃った。
「ここは安全地帯みたいだから、とりあえず、装備に着替えよう」
覗かれる心配はしてないので、端っこの方で、バスタオルで体を拭いてから、神様にもらった装備に着替えていく。
こういう時、信頼できる男の人と一緒というのは、心強い。
着替えを済ませて、邪魔にならないように髪を纏めて、探索の準備を済ませた。
誰も入ったことのない迷宮を探検するのだと思うと、わくわくとしてしまう。
「着替えが済んだら行くぞ。並びはいつもと同じで。後ろは俺が警戒するから、前はアルフと和成に頼んだ」
亮ちゃんの指示で、いつも通り、私と結花さんと鳴君は、亮ちゃんの近くを進んでいく。
先頭は一番強いアルさんと、罠の発見や解除ができるみぃちゃんだ。
安全地帯を出ると、すぐに魔物が沸いてきた。
どんなのが出たのかと見てみると、大きな白い蛸みたいな魔物だ。
足がうねうねとしてて気持ち悪い。
「これ、食べられるのかな?」
素晴らしくきれいなフォームで蛸を殴りながら、リンちゃんが首を傾げる。
緊張感の欠片もないけれど、それくらい余裕があるレベルの魔物らしい。
「食える物を落とすかもなっ」
答えながらアルさんは蛸を切り付ける。
3体いた魔物はあっさりと倒されてしまう。
「墨とか出たよ。インクになるのかなぁ?」
さっさと解体したリンちゃんは、食べられそうにない墨が出て残念そうだ。
解体が終わるかどうかで、次の魔物が現れる。
いつも行く迷宮と比べると、次の魔物が出るまでの時間が、短すぎる。
「これは、次々倒さないとダメだな。この迷宮は、随分前からあって放置されていたようだ。場所が場所だけに、見つけてもらえなくて、魔物が飽和状態になったんだろう」
解体すら終わらないタイミングで、更に次が沸いて、たいして進んだわけでもないのに、同じことを数度繰り返した段階で、アルさんがそう分析する。
飽和状態だから、これだけ次々に沸いてしまうのか。
「あまり強くないみたいだから、二手に分かれるか? このまま進むと時間を食うだろう?」
魔物との遭遇が多すぎて、うんざりしたように亮ちゃんが提案した。
みぃちゃんの見立てでは、罠のような物はこの層にはないみたいなので、道が二つに分かれたところで、二手に分かれて、それぞれ別の方向に進むことにした。
左には、アルさんとリンちゃんとみぃちゃんと結花さんと尊君。右には亮ちゃんと私と優美さんと鳴君だ。
途中までしか探索できなくても、3時間後には必ず別れた地点まで戻って、合流することを約束して分かれた。
分かれてすぐ、白い蛸の魔物と、青いイカの魔物が出てきて、戦う事になった。
少し離れた背後で、アルさん達も戦っている気配を感じながら、できるだけ手早く倒していく。
幸いにして、敵はあまり強くないので、私一人でも数体同時に倒せそうな感じだ。
流れ作業のように、倒して解体して倒して解体してと繰り返していく。
そんな状態だったので、道が更に二手に分かれたところで、私と亮ちゃん、鳴君と優美さんと、更に別れて進むことにした。
1層目からボスのような魔物が出ることはないし、同じ層の魔物が桁違いに強くなることはないので、取れた作戦だ。
「美咲、疲れたら早めに言えよ? この状態じゃ、次々に敵が来て、なかなか休めなさそうだ」
飽和状態とはよく言ったもので、亮ちゃんと二人になってからも、次々に魔物と遭遇するから、歩く時間より戦っている時間の方が遥かに長かった。
この分だと、1層を攻略するだけでも、かなり時間がかかるかもしれない。
「疲れるほどの敵じゃないけれど、でも、探索に時間がかかりそうね。地図を埋めて、約束の時間までに戻れるといいのだけど」
途中で引き返すと、二度手間になる可能性があるから、できれば、行き止まりまで辿り着いて、地図を埋めてしまいたい。
足を早めようとした時、小さな部屋が見つかった。
こういった場所には、宝箱があることが多い。
未発見の迷宮となれば、宝箱が空ということもなさそうだ。
「俺が先に入るから、美咲は後ろにいて。入った瞬間、魔物が大量発生する時もあるから、注意しててくれ」
亮ちゃんに頷いて、薙刀を構えたまま、後ろをついていった。
幸い、小部屋に入っても敵が沸くことはなく、奥には宝箱が一つあるだけだ。
どう見ても金属製で、重たそうな感じの宝箱は、ずっと放置されていたはずなのにピカピカしている。。
「罠とか大丈夫そう?」
一応、鑑定を掛けてみるけれど、『金属製の宝箱』としか出ない。
「和成が大丈夫だと言ってたから、問題ないだろう」
そう言いながらも、亮ちゃんは慎重に宝箱に手を掛けた。
そっと開けると、中から勢い良く小さな物がいくつも同時に飛び出してきて、亮ちゃんは咄嗟に蓋を閉める。
飛び出してきた物は、壁に激突して転がった。
思わず上げかけた悲鳴を飲み込んで、床を見ると、エビのような物がたくさん転がっていた。
鑑定してみると、『ホワイトタイガー:甘みの強い白エビ』と出る。
こちらでは、ブラックタイガーじゃないらしい。
確かに見た目は、黒くなくて白い。
エビがたくさん出たのは嬉しいけれど、出方がややっこしい。
こんな小さな物をいちいち倒さないで済むのは助かるのだけど、残りをどうしたものか悩んでしまった。
「盾に激突させるか。俺の後ろにくっついてろ」
亮ちゃんに言われて素直に後ろにくっつくと、亮ちゃんはアイテムボックスから大きな盾を取り出した。
そして、箱を開けて、勢い良く飛び出してきたエビを、わざと盾で受け止める。
白エビは、ほとんどが盾にぶつかって、その後、床に転がった。
解体できるかと思ったけれど、できないようなので、そのまま全部アイテムボックスに回収していく。
「箱から出たのは、エビだけ?」
回収しながら尋ねると、亮ちゃんもエビを拾い集めながら、首を振った。
「いや、腕輪のような物が入っていた。後で纏めて鑑定しよう」
エビ以外にも収穫があったのなら、よかった。
個人的にエビは嬉しいけれど、宝箱からエビだけって、ちょっと微妙な感じがする。
二人でエビを拾い集めた後、小部屋を出て、探索を再開した。
この層は、魔物は蛸とイカみたいだ。
あまり強くないけれど、とにかく数が多い。
墨以外にも、蛸の足とか、イカとか、食べられる部分も出たので、今夜もシーフード尽くしになりそうだ。
「どうせなら、マグロとか出るといいんだけどな。美咲なら、鮨を握れるだろ?」
魔物に遭遇する前にと、亮ちゃんが足早に歩きながらぼやく。
蛸とイカには飽きたらしい。
わさびは市場で見つけたのがあるから、確かに、握れなくはないけど、マグロの解体がされてない状態だったら、さすがにマグロはさばけない。
私が捌けるのは、はまちくらいまでだ。
マグロの解体ショーは見たことがあるけれど、普通の包丁では役に立たない気がする。
解体ナイフを刺すだけでいいのなら、助かるのだけど。
「海苔がないから、軍艦巻きとかはできないわよ? お鮨を握るなら、サーモンとか穴子もほしいわ」
次の層では何が出るのか、ちょっと楽しみになってきた。
ここは、どうやらお魚が出やすい迷宮みたいだし、よりよい食生活のためにも、探索を頑張らなくては。
その後も、宝箱から飛び出してくるエビを回収しつつ、何とか地図を埋めて、合流場所へ戻っていった。
幸いな事に、みんな、担当区域の地図は埋められたようで、2層に降りる階段を見つけたみぃちゃん達の後をついて、2層に向かった。
2層に降りたところにある安全地帯で食事を済ませて、また探索を開始する。
2層ではまち、3層で穴子、4層でサーモン、5層のボスがマグロと、どう考えても鮨三昧させたいに違いないとしか、言いようのないような敵を倒しつつ、迷宮攻略は進んでいった。
進むに連れ、魔物の発生率も少しマシになっていったので、何とか5層に辿り着けたけれど、その段階で夕方になってしまった。
「ここで外に出ると、明日はまた1層から攻略?」
5層のボスを倒した後、その場で休憩している時に、みんなに尋ねてみた。
あまり迷宮の経験がないので、仕組みがよくわからない。
「10層までいかないうちにボスが出たから、ここはやっぱり小迷宮みたいだな。ボスを倒すと、次の層から進められるんだ。正確には、ボス討伐後に現れる小部屋に転移できるようになって、そこから、すぐに次の層に進める。だから、明日は6層から攻略可能なんだが、どうする? この小部屋は安全だから、この後も6層の攻略を始めて、夜はここで休んで、朝からまた探索って手もある」
アルさんが説明をして、ついでに、提案もしてくる。
ここに泊まれば攻略が進むのはわかるけれど、お風呂とかトイレの問題がある。
迷宮にいると、不思議なくらいそういった欲求がわかないけれど、でも、一晩いるとなると、ちょっと不安だ。
「ちなみに、コテージも回収してきたのがあるぞ」
何を悩んでいたのか見透かすように付け加えられて、何だか恥ずかしくなってしまった。
コテージがないと迷宮に泊まる事すらできないなんて、私は冒険者には向いてないのかもしれない。
「コテージがあるのなら、ここで休んで、探索を続けようか。アルフのなら、育ってるから部屋も広いだろ?」
亮ちゃんの決断に、みんな了承の返事をする。
最悪、床に寝ることになっても、お風呂とトイレがあれば十分だ。
「じゃあ、アルフ、コテージを出してくれるか? 美咲は、鮨を頼む! 材料は揃ってるだろ?」
亮ちゃんが、珍しい事に期待で表情を輝かせている。
よほどお鮨が食べたいみたいだ。
「わかったわ。じゃあ、私は残って夕飯を作るから、みんなは探索をお願いね」
みぃちゃんと結花さんは手伝ってくれるといったのだけど、魔物が沸きやすい状態だから、今は、探索を進める人手があったほうがいいかと思って、今日は一人で料理することにした。
みんなを見送ってからコテージに残り、早速料理を開始する。
幸いな事に、魔物を解体すると、柵状で魚が手に入ったので、捌く手間がかなり省けた。
アルさんが、生のお魚を食べられるかわからなかったので、ご飯を大量に鍋で炊きながら、横で煮穴子を作って、甘い卵焼きも作る。
エビもたくさん手に入ったので、リンちゃんのリクエストはドリアだったけれど、今日はエビグラタンにした。
魚を大量に使いたいので、お刺身や照り焼きも作って、サーモンは塩焼きにもして解しておく。
明日のお昼は、鮭おにぎりだ。
魚のあらで出汁をとってお吸い物も作って、ついでに天ぷらも作ることにした。
エビと穴子とイカだけでなく、アイテムボックスに入れておいた野菜も使って天ぷらを作り、揚げて油を切ったら、すぐにアイテムボックスにしまっていく。
天ぷらは揚げたてがおいしいから、アイテムボックスは本当にありがたい。
海苔があったら、海苔巻きとか軍艦巻きも作れたのになぁと思いながら、料理を作ってはアイテムボックスに片付けるという作業を繰り返す。
豆腐もないので、もちろん油揚げもなく、おかげで稲荷寿司も作れない。
豆腐を作るためのにがりって、海水から手に入るんだったかな?
誰か、詳しい人がいるかもしれないから、後で聞いてみよう。
これは多分、理系の分野のような気がする。
苦手だった化学とか物理を思い出して、ちょっとため息が出てしまった。
「豆腐のお味噌汁、食べたいなぁ。あ、でも、わかめもない。どこかで手に入らないかな?」
考えれば考えるほどに、慣れ親しんだ食生活には、海が必要不可欠なんだと思い知らされる。
島国だから当然の事だけど、向こうで生きているときには、そんな事を考えた事はなかった。
お刺身は、大皿に盛り付けて、冷蔵庫の魔道具にしまった。
ラップがないから、最初は乾燥が心配だったけれど、程よく冷えるだけで乾燥はしないみたいなので、安心して冷蔵庫を使える。
お鮨に使う魚を切っているうちに、ご飯も炊けたので、大きな寿司桶で酢飯を作ることにした。
おこげの部分は鍋に残して、大きなしゃもじで寿司桶に炊き立てのご飯を移す。
木工屋さんで頼んで作ってもらった寿司桶は、大きくてしっかりした作りで、とても使いやすい。
こちらにも樽は存在していたので、作ってもらう時の説明もしやすかった。
うちわはなかったので、京都で買った扇子を左手に持って風を送りながら、切るようにご飯を混ぜていく。
うちわはお願いすれば、みぃちゃんが再現してくれそうな気もする。
足りない物はたくさんあるし、知識が足りない事もたくさんあるけれど、一人じゃないから、補い合えている。
私が知らないことでも、他の誰かが知っていたりするし、私ができないことでも、他の誰かができたりする。
みんなが一緒というのは心強いと、改めて思いながら、程よく酢飯が冷めてから、お鮨を握っていく。
女の子のは食べやすいように、手まり寿司にした。
私のコテージにならある食器が、ここにはなかったりするから、それがちょっと不便だけれど、アイテムボックスで持ち歩いている物も多いので、それも使って、盛り付けていく。
余った酢飯は、桶ごとアイテムボックスに入れておいた。
明日は海鮮丼にして、使いまわせばいい。
天ぷらも余ったら天丼にするつもりで、多めに揚げてあった。
みんな、結構食べるから、作る量を多めにしておかないと、足りなかったりするので、すっかり余る量の料理を作る癖がついてしまった。
一通り料理をして、片付けも済ませて、それでも、みんな帰ってこないようなので、先にシャワーを浴びておいた。
みんな一緒なので、露出の少ない部屋着に着替えて寛いでいると、頭の中に桔梗の声が届く。
『主様、今日は帰ってこない?』
夜になったのに誰も帰ってこないから、心配したのかもしれない。
離れていても、私がどういった状態なのかはわかるみたいだから、大きな不安を与えるほどではないはずだけど。
「今日は迷宮に泊まる事になったの。一人にしてごめんね」
頭で思うだけでも伝わるらしいけど、声にする。
知らない人が見たら、変な独り言を言ってるように見えるかもしれない。
『お留守番してるから、大丈夫なの。それに、主様とは離れていても、いつも一緒』
甘えるような声と、胸が温かくなるような感情まで一緒に伝わってきて、自然に笑みが零れた。
本当に、とても身近に感じる。
妖精って不思議な存在だ。
「明日、どうなるかわからないけれど、もし、コテージの魔力が危なくなりそうだったら、連絡してね」
できれば、魔石が赤くなる前に対処したい。
昨夜、寝る前にできるだけたくさん、みんなで魔力を注いだから、魔石の色は、80%を示す緑まで増えていたけれど、一日でどの程度消費するのかわからないから、心配だ。
一応、空気中に漂う魔力を集めたりもしているらしいけど、そちらは微々たるものらしい。
『ここは、敵があまり来ないから、魔力も消費しないの。だから、大丈夫なの。桔梗はゆっくり寝てるのよ。主様こそ、気をつけてね』
生まれたばかりだというのに、気遣う優しさを知っているなんて、妖精は凄いと思う。
桔梗の可愛さに癒されていたら、賑やかな声がして、みんなが帰ってきたのがわかった。
「おやすみ、桔梗」と声を掛けて、みんなを出迎えに行った。




