46.食道楽?
「今夜も、君の料理が食べたくて来てしまったよ。これは良かったら君に」
小さな花束を持って、クリスさんが来店する。
食事会以来、ほぼ毎日のように顔を出してくれていた。
貴族なのに気取ったところがまったくなくて、ホールで一般の人と混じって食事をしてくれるので、お店にとってはいいお客様だ。
「いつもありがとうございます、クリスさん」
小さなブーケを受け取って、席への案内はカンナさんに任せた。
今日は珍しく一人みたいだ。
いつも、クラウスさんが一緒のことが多くて、たまに、ラルスさんと二人で来る事もある。
みぃちゃん達を通して聞いた話だと、迷宮に通うためにランスに滞在しているみたいで、アルさんは指名依頼で、クリスさんとクラウスさんを連れて、迷宮に通っているらしい。
アルさんの話では、二人ともとても強いようで、小迷宮の方は、すぐに最下層の50層まで踏破してしまったそうだ。
この国の騎士団は、魔物と戦う為に存在していると言ってもいい。
戦争がないから、王族の警護にあたるのは極一部で、残りは王都近辺や王家の直轄地の魔物退治をして、治安を維持をしているらしい。
だから、騎士団に所属しているという、クラウスさんもクリスさんも、迷宮攻略で自分を鍛えるのも、仕事の内だそうだ。
アルさん、クラウスさん、クリスさんだと、パーティに3枠の空きがあるので、そこにみんなが交代で入って、6人パーティで迷宮に通っている。
それでも、基本的に日帰りにしているようなので、クリスさんは毎日のように店に通えるようだ。
「あの人、美咲さん狙いじゃないの? 随分熱心ね」
厨房で注文の入った料理を仕上げていると、注文を伝えに来たカンナさんが、ブーケに目をやりながら言う。
クリスさんの注文は、和風ハンバーグセットらしい。
手早く注文を捌きながら、クリスさんのことを考えてみる。
「異世界の料理が珍しいだけじゃない? 随分気に入ってくれたみたいだから。しばらくしたら王都に帰ってしまう人なんだし、今の内にメニュー制覇したいだけなんじゃないかと思うわ」
実際、クリスさんは、毎回違うものを注文する。
私の料理が気に入っているというのは、確実だと思う。
手土産を持ってきてくれるけれど、クリスさんの眼差しや態度に、特別な意味は感じられない。
「そうかしら? まぁ、変な人ではないから、いいのかもしれないけど。大槻が排除しようとしないんだから、合格ってことなんでしょうし」
亮ちゃんが排除しないとなんで合格なのかわからないけれど、まぁ、いいかと思った。
私の中でクリスさんは、その内にいなくなってしまうお客様でしかない。
「和風ハンバーグセットができたから、運んでね。それを運んだら、カンナさんはもうあがっていいわ。個室のほうのお客様も、あとはお帰りになるだけだから」
今日は、個室の料理もデザートも全部出してある。
後はお客様を見送って、片づけをするだけなので、人手は足りている。
「わかったわ、今日は、早く片付きそうね」
連日、目が回るように忙しいので、たまに早目に片付きそうな時は、ホッとする。
今日はゆっくりお風呂に入れそうだ。
コテージが迷宮の中にあるので、お店でお風呂に入るようになって、あまり長風呂ができなくなった。
人数が多いので、一人で長時間占領したい時は、お休みの日とか、早朝とか、ゆっくり時間を取れるときを選ばないといけない。
誰かが入っているときはすぐにわかるように、脱衣所の扉には鍵をつけた。
男女一緒だから、その辺りはきちんとしないと、と言って、みぃちゃんが鍵を掛けられるようにしてくれて、本当に助かった。
まだ、ホールの方のお客様は来店する時間なので、注文の入った料理を作りながら、その合間にちょこちょこと片づけを済ませていく。
個室のお客様がお帰りになるときは、集団で部屋から出てくるので、すぐにわかる。
厨房からは、個室の様子が、大体わかるようになっていた。
個室の扉が開くと、厨房で鈴の音が響くようになっているのは、多分、何かの魔道具なんだと思う。
今更ながらに思うのは、魔道具がこれだけ使われた店を、手に入れられたのは奇跡のようだということだ。
もしかしたら、カロンさんの好意で残してくださった魔道具も多いのかもしれない。
私がレシピのアレンジを教えたことを、随分恩に着てくださっていたから。
クリスさんが王都に帰るときは、カロンさんのお店を紹介しておこう。
カロンさんは素晴らしい料理人だから、私が譲ったレシピをアレンジしているだろうし、きっとクリスさんも満足してくださるはずだ。
それに、貴族でありながら驕ったところのないクリスさんは、カロンさんにとっても、いいお客様だと思う。
個室のお客様が帰るのを見送って、片付けてしまおうとしたところで、ホールからクリスさんが出てきた。
食事を終えて、お帰りになるところのようだ。
「今日の料理も、とても美味しかったよ、ミサキ。明日は休みで君の料理が食べられないのが、残念で仕方がない」
大げさに嘆く様子がおかしくて、つい笑ってしまった。
いつもクリスさんは、食べるとすぐに帰ってしまうから、忙しい人なんじゃないかと思う。
忙しくて時間がなくても、食べにきてくれるのは、とてもありがたいことだ。
そこまで作ったものを気に入ってもらえたら、料理人冥利に尽きる。
「ありがとうございます。そこまで言っていただけて光栄です。当店ではこういった物も販売しているのですけれど、サンドイッチなんて、貴族の方は召し上がらないでしょうか?」
迷宮に行く人だから、携帯食にも慣れているんじゃないかと思って、アイテムボックスにいつも入れてあるバケットサンドを1セット取り出した。
クリスさんはバケットサンドを見て、驚いたようだ。
「冒険者の間で人気のサンドイッチは、ここで売りに出していたのか。とても美味しそうだったから、いつも指を咥えて見ていたんだ」
本当に心底、食べられなかったのが悔しかったように言われて、笑いの発作が起きそうになる。
堪えきれず、くすくすと笑ってしまうと、クリスさんが恥ずかしそうに頬を赤らめた。
食いしん坊の自覚はあるみたいだ。
「クリスさんは、食べる事が好きなんですね。私達の世界に、食道楽という言葉がありましたけれど、そんな感じがします」
私が作るからじゃなくて、珍しい異世界の料理が気に入ったから、時間を作って通ってくれているのだと思う。
やっぱり、カンナさんが言っていた事は、気のせいだ。
「ミサキの作る料理は、どれも見たことがなくて美味しいから。ユリウスのパーティーの時のデザートなんて、最後は奪い合いだったんだ。毎日、当たり前のように君の作った料理やお菓子を食べられるみんなが、とても羨ましいよ」
しみじみと言われ、嬉しくなってしまった。
王都に帰ってしまったら、なかなか逢う事もない人なのだろうけど、ランスにいる間は、できる限り色々な料理を出したいと思った。
「それでしたら、今度はメニューにない料理をお出しします。他のお客様には内緒でお願いしますね」
内緒話をするようにこっそり言うと、嬉しそうに目を輝かせる。
和食は、食材が足りないから、メニューに入れられないけれど、裏メニューとして親しいお客様に出すくらいなら大丈夫だろう。
「そういえば、ミサキは迷宮には行かないの? アルフと一緒に来てくれるのは、他の子達ばかりだから、ミサキはいつくるのだろうと、ずっと思っていたんだ」
3人ずつ交代で、クリスさんの迷宮行きに同行しているけれど、私は参加していなかった。
店が忙しくて、休日はゆっくりしたいというのもあるけれど、亮ちゃんが行くなというので、やめていたのだ。
私はお店の営業日は、開店から閉店までずっと店にいないといけないし、お休みの日でも何かとお店に関連した仕事をしていたりするから、無理に時間を作ってまで迷宮に行く事もない。
それに、亮ちゃんが行くなと言うからには、何か理由があるのだろうから、行く必要はないと思っている。
「私はお店で手一杯ですので。お休みの日も、持ち帰り用のお菓子を焼いたり、市場に仕入れに行ったり、何かとやることがあるので、迷宮に行く時間が取れないんです」
無理に時間を作れなくもないけれど、そうする理由もない。
まだ、お店は開店してそんなに経っていないし、今はできるだけお店に手を掛ける時期だと思っている。
私の返事を聞いて、クリスさんは何故か残念そうだった。
けれど、しつこく誘うようなことはなく、クラウスさんの分もと、バケットサンドを買って、帰っていった。




