42.携帯電話
ユリウスさんが、結婚披露のパーティーに、全員揃って招待してくれたので、みんなで相談してから、出席する事にした。
当日は、領主の館でのパーティーだから、どうせデザートを作る為に赴かなければならない。
普段よりも貴族の多い場所で私一人になるより、みんなで一緒にいたほうがいいということになったのだ。
ランスで唯一のSランク冒険者であるアルさんも、招待を受けているそうなので、みんな一緒というのは心強かった。
それに、多分、招待してくださったのは、私達が領主夫妻の庇護下にあることを、示したいという考えもあるんじゃないかと思っている。
貴族の目に留まるのは、私だけじゃない。
他のみんなだって同じ事だ。
私に手が出せないならと、他のみんなに被害がいったりしないように、ラルスさんはまとめて面倒を見てくれるつもりのようだ。
店に食事に来た時に、『優秀な転生者が自分の領地に居付いてくれるのなら、たいした手間ではない』と、笑って言っていた。
私達がランスに住み着いてくれれば、次代のユリウスさんや、孫が領主を引き継いだ時代にも、私達や私達の子供達が街をよりよくしてくれる可能性が高い。
ラルスさんが言うには、私欲も絡んだ未来への投資だそうだ。
多分、ラルスさんは亮ちゃん達が、たくさんいる転生者の中でも特に優れていることに、気づいているんじゃないかと思う。
ランスは辺境にあるけれど、大きくて活気もあっていい街だから、定住する事には何の問題もない。
ラルスさんはちょこちょこと、お忍びで食事にきたりしてくれる。
ホールで一般の人に混じって食事をするのも平気な人なので、結構な頻度で来てくれていた。
ただ、一人で行ったのがばれると、後でエリーゼさんに拗ねられるので、いつもお土産を買って帰る。
本当にありがたいお得意様だ。
そんな感じなので、領主の館に通っていなかった他のみんなも、気がつくとラルスさんと仲良くなっていて、尊君達とは迷宮の話で盛り上がっていたりするし、リンちゃんは面白いおじさんだと懐いていたりする。
パーティーなのでダンスもあるからと、ホールのテーブルと椅子を片付けて、みんなで練習しておくことにした。
みんなそれなりに運動神経もいいので、割とすぐに覚えてしまう。
鳴君の演奏で、私と亮ちゃんが先生になって、みんなで練習するのは楽しかった。
結花さんは、男の人と踊るのが最初は恥ずかしかったみたいだけど、少しずつ慣れたみたいだ。
けれど、知らない男の人は、やっぱりまだ怖いみたいなので、当日はみんなにしっかりガードしてもらうことになった。
当日のドレスは、館にあるものを貸してくださるそうなので、新しく作るにも時間が足りないし、エリーゼさんの言葉に甘えることにした。
前日に領主の館に行って、ドレスやアクセサリーを合わせて、一晩泊めてもらう予定だ。
当日は、お昼頃に教会で式があって、パーティーは夕方からなので、パーティーだけ参加する私達は、午後まではのんびり過ごせそうだ。
何度も通った館だけど、泊めてもらうのは初めてなので、どきどきしてしまう。
ドレスに着替える時に、ゲストルームをいつも使っていたけれど、とても素敵なお部屋なので、泊まるのが楽しみだった。
「美咲ちゃん、シュー焼けたよ」
店の厨房のオーブンから、みぃちゃんが天板を取り出してくれる。
確認して見れば、綺麗な色で焼けて、程よく膨らんでいた。
パーティー当日は、最後の仕上げだけすればいいように、事前に頼まれたデザートは一通り作っておく予定だった。
アイテムボックスで運んで、当日になってから、仕上げと盛り付けをするつもりだ。
5の月の頭の連休の内に、作ってしまおうと厨房に篭っているけれど、いつものように結花さんとみぃちゃんが手伝ってくれていた。
みぃちゃんは迷宮に行くのをやめてまで手伝ってくれている。
ちなみに、他のみんなは迷宮に行ってしまった。
私もコテージの様子を見に行きたい気持ちもあるのだけど、作らないといけないデザートの数が多すぎるので、こちらが優先だ。
ウェディングケーキは大きなクロカンブッシュで、他に数種類のケーキと焼き菓子を作ることになったので、下準備だけでもかなりの手間がかかる。
お菓子には卵を大量に使うので、70層で手に入るキングコケッコの卵はとても役に立っていた。
3日に一度くらいは、誰かしら回収してきてくれるので、最近は卵と鶏肉を買わずに済んでいる。
「ふたりとも、せっかくの休みなのにごめんね」
休日だというのに、ずっとこき使っているようで申し訳なくて、謝ってしまった。
朝から厨房に篭って、ずっとお菓子を作り続けているので、厨房には甘い匂いが充満している。
お昼休憩もそこそこに、働きっぱなしなので、そろそろお茶にしたほうがいいかもしれない。
今夜は、みんな迷宮のコテージに泊まるらしいので、店には私達3人だけだ。
『ごはんー』と、騒ぐリンちゃんがいないので、気をつけないと、ご飯を食べ損ねてしまう。
みぃちゃんも食べるのは好きだけど、何かに熱中すると食べるのを忘れてしまうので、危険なのだ。
「私はお菓子を作るのが楽しいからいいの。美咲さんのおかげで、料理もお菓子作りも結構覚えられたから、得した気分」
結花さんが可愛らしく微笑んで、優しく言ってくれる。
屈託のない心からの笑顔が増えて、結花さんはとても魅力的になった。
童顔だけど、表情が大人びてきて、そこがアンバランスで目が離せない感じだ。
私の周りには可愛い女の子が多くて、とても癒される。
「結花ちゃんの言う通り。お菓子作りも嵌ると楽しいね。最近、ロールケーキを綺麗に巻けるようになってきたから、任せてくれていいよ」
元々、手先が器用なみぃちゃんは、色々な技術を習得しつつあって、好きなロールケーキを作るのは、特に上手くなってる。
苺の季節が終わってしまうかと思っていたら、苺は迷宮でも手に入るらしくて、この前迷宮に行ったときに、大量に手に入れてきてくれた。
コテージの庭にも植えてくれたらしいので、少し手に入れやすくなって助かった。
「じゃあ、みぃちゃんが巻いたロールケーキでお茶にしましょう? ずっと立ちっぱなしだから、少し休憩しないと」
私が提案すると、返事代わりのように結花さんがお茶をいれる支度をしてくれる。
私も切りのいいところまで、作ってしまおうと、天板にシュー生地を絞り始めた。
「苺、美味しいよねぇ。美咲ちゃんがいたのが、ランスでよかった。おかげで美味しいお菓子がたくさん食べられるからね」
ご機嫌でロールケーキの仕上げをしながら、みぃちゃんが言う。
確かに、乳製品が手に入りやすいランスでよかった。
他の街に辿り着いていたら、料理はできてもお菓子は厳しかったと思う。
多分、ミシディアに居付いていたら、丼屋さんとか定食屋さんとか、違う系統のお店を経営していたに違いない。
厨房にも、休憩用のテーブルと椅子はあるので、そこで休憩する事にする。
ロールケーキは大きめに切り分けて、お茶はいつでもお代わりできるようにしておいた。
「ロールケーキも、持ち帰りできたら買っていく人がいそうだけど、包装が難しいよね」
みぃちゃんが、幸せそうにロールケーキを食べながら、何かいい方法はないかと考えるように、首を傾げる。
普通の生ケーキよりは、持ち運びしやすいけれど、確かに包装が難しい。
「一本のままじゃ無理ね。カットして、竹の器に並べて、といった形なら何とかなるかもしれないけど。ただ、暑くなると生クリームは傷みやすいから、下手に持ち帰られるのも怖いのよ。みんながアイテムボックスを持っているわけでもないでしょ?」
例え持ち帰ったものでも、それでお腹を壊されたりしたら、お店の責任になってしまう。
そんなリスクを犯してまで、持ち帰りしてもらおうとは思わない。
だから、ロールケーキを持ち帰り用に出すとしたら、寒くなってからの冬季限定になりそうだ。
切れ端のクリームがほとんどないところは、格安の福袋的なものに入れているけど、これからの季節は、控えた方がいいかもしれない。
ちなみに、一人一つ限定、格安で出した持ち帰り用のお菓子は、毎日開店後1時間くらいで売切れてしまう。
食事に来たついでや、食事をしなくても、持ち帰り専用のお菓子だけ買っていく人もいる。
バケットサンドのついでに注文する人も増えた。
「魔法とかあって、不思議なものもあって、便利な世界だけど、でも、思い通りに行かない事も多いね」
みぃちゃんが、ため息混じりに言うと、結花さんもその言葉に頷いている。
確かに、その通りだ。
迷宮という不思議の固まりに、助けられる事も多いけれど、元の世界と同じように生きていくのは難しい。
「再現したいけれど、できないものも結構あってもどかしいのよ。ソースが作れないかと思っているのだけど、できないから、お好み焼きが作れないし、とんかつはトマトソースで食べないといけないし。一番は、カレーよね。スパイスが足りなくて、作れないわ」
再現したい料理が、いくつもあるのに、思うようにできないのは、時々辛い。
カレーもスパイスさえ揃えば作れるのに、私の知る限り、市場では見当たらない。
ハーブがあるんだから、スパイスもあると思うのだけど、まだ数種類しか手に入らなくて、カレーを作るのは難しそうだ。
そういう意味でも、旅をしてみたいと思う。
違う名前でどこかに、素材が存在してる可能性だってあるのだから。
料理人のレベルが4になった時、調味料再現というスキルがあるから、それでどれくらいの物が作れるようになるのか、今から楽しみだった。
「カレー、食べたい。スパイス探しの旅に出たくなるよねー。誰か転移魔法作ってくれないかなぁ」
他力本願な事を言いながら、みぃちゃんがテーブルに懐く。
いつのまにかロールケーキは食べきってしまったようだ。
「私も食べたいなぁ。それにしても、美咲さんはカレーのスパイスも調合できるのね」
感心したように言われて、種明かしをするように、携帯を取り出した。
カレーのレシピは、ここに入っていたから、再現できるに過ぎない。
さすがに細かい材料や分量までは覚えていなかった。
「良く使うレシピは、携帯に残してあったから、ちょっと前に発掘したの」
説明しながら、携帯の電源を入れてみれば、充電は満タンのままだ。
前回使ったときに、半分まで減ったのを見たのに、どうして、充電されているんだろう?
「ね、携帯の充電、減ってたのが増えてるんだけど、二人はどう?」
あの時に、充電が減っていたのは間違いがないから、驚いてしまいながら、二人にも確認をお願いする。
二人とも電源を切って、アイテムボックスにしまっていたみたいで、取り出して電源をいれてる。
「あれ? 僕のもほとんど充電なくなってたのに、フルだ」
みぃちゃんが、不思議そうに首を傾げる横で、結花さんも驚きで目を瞠ってる。
やっぱり、みんな充電されてるみたいだ。
「アイテムボックスに入れっぱなしだったからかな? 使えるのは嬉しいけれど、電話とかメールは無理だから、あまり意味ないね」
みぃちゃんが、携帯を操作して、色々と試している。
ネットに繋がらない段階で、あまり役には立たない。
せいぜい、カメラ機能で、写真や動画を撮ったり、もとからあるデータを呼び出すくらいだ。
「せめてメールができたら、便利だったのにね」
残念そうに言いながら、結花さんも携帯を操作している。
メールができたら、みんなとも連絡が取りやすくて、便利だったに違いない。
「メールできたら、僕が一条先生に連絡して、美咲ちゃんの居場所を教えてあげたんだけどな。一条先生は生徒会と関わる事もあったから、プライベートの携帯のメールアドレスだけは知ってるんだ」
みぃちゃんが、珍しくからかうような笑みを向けてくるので、恥ずかしくて頬が熱くなってしまった。
先生とメールができたら、そんな想像をしただけで、胸が高鳴って、落ち着かない気持ちになる。
「美咲さん、顔が真っ赤よ。一条先生が好きなのね」
結花さんに追い討ちを掛けられて、両手で火照る頬を抑えた。
そういえば、こういった話を、結花さん達とはしたことがなかった。
「美咲ちゃん、先生の指輪を大事にしてるもんね。早く、迎えに来てくれたらいいのに。僕らで精一杯守るけどさ、先生がいてくれるなら、それが一番だからね」
みぃちゃんの言葉で、私がネックレスに通している指輪を思い出したのか、結花さんが納得顔だ。
「どこかで見た指輪だと思えば、先生のだったんだ。噂でだけど、その指輪、先生の仲のよかった先輩が作ったもので、形見だから大事にしてるって聞いたわ。噂通りなら、とても大事な指輪だろうから、絶対迎えに来てくれるね」
一条先生は人気があったから、先生に纏わる噂は山のようにある。
指輪に関しては、先生がいつもつけていたから、尋ねた人も多いみたいだ。
結花さんの言う噂は知らなかったので、もしその通りなら、余計に大切にしなければと思う。
先生の心を預かったような、そんな気持ちがしていたけれど、もっと大きな意味がこめられていたのなら、嬉しい。
胸が疼くような切なさを感じて、物凄く、泣き出したいほどに強く、先生に逢いたいと思った。
普段はできるだけ忙しくして考えないようにしているけれど、思い出すと恋しい。
ただの先生と生徒で、絶対に探すって約束以外、先生と私の間には何もないのに、期待してしまう。
「メール、できたなら良かったのになぁ……。ランスにいるって伝えられるだけでいいから、返事はいらないから、できたらよかったのに」
それができたなら、先生は苦労して私を探さなくて済む。
まっすぐにランスを目指せるだけで、どれだけ先生の負担が減る事だろう。
「再会したら、いっぱい甘えるといいよ。僕は、あの先生好きだよ。美咲ちゃんとうまくいってくれたら嬉しいんだけどな」
にこにこと可愛い笑顔でみぃちゃんが言うから、照れてしまうけれど素直に頷けた。
先生と再会するだけでなく、そこから新しい関係を築けたらとても幸せだ。
「そういうみぃちゃんは? 好きな子、いないの?」
紅茶を飲んで、一息ついてから、話を振ってみる。
みぃちゃんは、ちょっと驚いたようだったけれど、その後、少し困ったように微笑んだ。
何となくいつもよりも大人っぽく見える表情が、みぃちゃんにも誰か想う人がいるんだと、教えてくれた。
「まぁ、僕は地道に頑張る。今の状況も悪くはないからね。みんなで一緒にいるのが楽しくて、居心地がいいよ」
やっぱりいるのか。
でも、今の状態が居心地いいのはわかる気がした。
忙しかったりするけれど、毎日がとても楽しい。
のんびりと休憩した後、またお菓子を作って夜まで過ごした。
眠りに落ちる前、いつものように指輪を握り締めたままで、せめて夢で先生に逢えたらいいのにと思った。




