40.桜庵開店
すべての準備が滞りなく終わり、ラルスさんの誕生日でもある4の月の8日に、『桜庵』は開店した。
桜色の着物風の衣装で、半幅帯を大きなリボンのような、小春片長しという形に結び、髪は邪魔にならないように編みこんで、アルさんがプレゼントしてくれた髪飾りをつけた。
赤い宝石で花を模った髪飾りは、とても素敵で、開店祝いにと用意してくれたアルさんの気持ちが、何よりも嬉しかった。
最初は髪を結い上げようと思っていたのだけど、こちらで髪を結うのは既婚者だけらしい。
庭は、開店に合わせて花が咲くように、結花さんが調整してくれて、色とりどりの薔薇の花が咲き誇っている。
ご近所の人が、次々に開店祝いの花やお酒を届けてくださって、玄関ホールも花で溢れていた。
どれくらいお客様がきて下さるのかわからなかったけれど、個室はラルスさん御一家や商業ギルド、冒険者ギルドなどの知人で予約が埋まっていた。
ジンさん達も待ちかねていたように、個室の予約を入れてくれたので、少なくともお客様がほとんどいないという状態は避けられそうだ。
開店時間は12時の3の鐘の少し前にした。
食事だけでなく、ゆっくりお茶を楽しんだりもしてほしいので、夜の仕込みのために店を閉めることはせず、12時から夜の10時までの営業になる。
一日10時間、ずっと働くのは大変なので、お休みは多めに設定してあった。
「ようこそお越しくださいました。お誕生日おめでとうございます、ラルス様」
夜、予約をしていたラルスさんが、家族揃って来店してくれた。
今日は店主モードなので、ちゃんとラルスさんの敬称も変えて、できるだけ淑やかな仕草を心がけて挨拶する。
一番広い個室には、ラルスさん、エリーゼさん、そして3人の息子さんが揃っていた。
ラルスさんの誕生日ということもあって、王都の学園から帰ってきたらしい。
「ミサキ、人のいないところでは、いつも通りで構わないよ。私は君達の父親のつもりでいるからね」
「そうよ、ミサキ。遠慮は要らないわ。ここにいるのは家族だと思ってほしいの」
ラルスさんの言葉に、エリーゼさんが優しく言葉を重ねる。
室内には、ラルスさん御一家と、執事のベイルさん、侍女長のデラさんしかいない。
エリーゼさんにとっては、ベイルさんやデラさんも家族同様なんじゃないかと思った。
事前に聞かされていたのか、ラルスさんの息子さん達は、その言葉に驚いた様子はなかった。
優しい心遣いに感謝しながら、笑顔で頷く。
「やっと息子達を紹介できる。左から、長男のユリウス、その隣が次男のクラウス、一番右が三男のマティアスだ。クラウスは先日学園を卒業したんだが、騎士団に入ってしまったから、王都の騎士団の寮に住んでいるんだ。マティアスはまだ学園に通っている。ミサキよりも一つ年下の16歳だ」
ラルスさんが紹介すると、それぞれ、座ったまま軽く会釈してくれる。
長男で結婚間近というユリウスさんは、ラルスさんにそっくりだけど、ラルスさんよりもちょっと真面目そうな雰囲気だった。
騎士団に入ったというクラウスさんは、どちらかというとエリーゼさんに似ていて、華やかな雰囲気の人だ。
一見細身に見えるけれど、騎士というからにはきっと鍛えられているんだと思う。
マティアスさんは、いかにも末っ子という雰囲気で、ちょっと可愛らしい感じがする。
ラルスさんの何にでも興味を持つ好奇心旺盛さを、一番受け継いでいるようにも見える。
「ミサキ=カグラと申します。改めてよろしくお願いします。ユリウスさんは、近々ご結婚なさると伺いました。おめでとうございます。本日は誕生日のお祝いですけれど、私共からも、ささやかですがご結婚のお祝いを用意させていただきました。デザートの時にお出ししますので、楽しみにしていてくださいね」
着物姿なので、あえて元の世界と同じ作法で一礼すると、ユリウスさんに親しみの篭った笑顔を向けられる。
ラルスさんのところは、夫婦仲だけでなく、親子仲も良好なようだ。
突然、両親が平民の私を娘扱いしても、まったく気にした様子もなく受け入れてくれている。
先王の王弟という、ラルスさんの血統などを考えると、ありえないほどに好意的だと思う。
それは、両親への尊敬や信頼があるからこそなのではないだろうか。
他にも予約客はいるので、あまりここにかかりきりにもなれず、話はまた今度にして、料理を運ぶ事にした。
夜は、昼よりもメニューの品数を増やしてある。
今日はあえて、大皿からシェアする形で料理を出すことにした。
2種類のパスタとピザ、男性が多いので肉料理はローストビーフとカツレツにして、グラタンだけは、小さい器で個別に作った。
彩りがよくなるようにサラダも作り、数種類の小さく作ったパンも籠に盛り合わせて、大きなテーブルに並べていく。
給仕は亮ちゃんも手伝ってくれた。
着物姿は珍しいようで、ラルスさんは好奇心で輝く瞳のまま、亮ちゃんを見てる。
「キモノだったか。リョウジもよく似合っているね。そうしていると、年齢よりも随分落ち着いて見える」
確かに、亮ちゃんの着物姿は10代に見えない。
変に貫禄があって、下手すると20代半ばに見える。
「ありがとうございます。本日はようこそお越しくださいました。誕生日おめでとうございます、ラルスさん」
ちょっと人見知りする亮ちゃんだから、ラルスさんの息子さん達がいるので、少し心配だったけれど、自然な笑顔だ。
緊張した様子も、初対面の相手を気にした様子もない。
転生して、色々な経験をして、亮ちゃんも前とは違ってきてるんだとわかった。
「デザートは食後に運びますので、ごゆっくりお過ごしください」
料理の説明を一通りしてから、亮ちゃんと一緒に個室を出た。
まだ、他の予約客もいるから、挨拶と料理の説明にいかないといけない。
個室の料金は、個室使用料として、少し高めに料金を設定しているので、特別感を出すためにも、個室のお客様だけは、店主である私が挨拶することにしている。
料理はあらかた作ってあって、盛り付けをみぃちゃんと結花さんが手伝ってくれるからこそ、できることだ。
「さすが、ラルスさんの子供だな。あの3人は大丈夫。美咲が普通に付き合っても問題ないタイプだ」
人見知りを発揮してなかったと思ったのに、そういうことを考えていたのか。
でも、亮ちゃんのこの手の判断は、間違いがない。
今後、ラルスさんの息子さん達とは、上手く付き合っていけるだろう。
紹介の時にはいなかったけれど、亮ちゃんは3人のことを気に入ったようだ。
その後、厨房と個室を行ったりきたりして、料理の仕上げをしたり、ご挨拶や給仕に務めた。
ホールでケーキを出すのは、誕生日であるラルスさんのところだけだけど、お皿に綺麗にデコレーションされたデザートは、どのお客様にも、とても喜んでもらえた。
結花さんがデコレーションしてくれたけれど、本当に綺麗でセンスがいい。
私が作ったものが、とても美味しそうに見える。
ラルスさんの誕生祝いには、苺で飾った生クリームのケーキを作り、ユリウスさんの結婚祝いとしては、クロカンブッシュを作った。
二つをワゴンに乗せて運んでいくと、ラルスさんから歓声が上がる。
本当にこういう時は、領主様とは思えないような姿を見せてくれる。
そんな姿には親しみを感じるし、本当に喜んでくれているのが伝わるので、見てるだけでこちらまで嬉しくなってしまう。
エリーゼさんも、そんなラルスさんを愛しげに見ていた。
多分、ラルスさんのこういうところが、とても好きなんだと思う。
「こちらが、誕生日を祝うバースデーケーキで、こちらは、ユリウスさんの結婚のお祝いに、作りました。食べやすいように少しアレンジしてあるのですけど、子孫繁栄を願うという意味のある、ウェディングケーキなんです」
飴細工は難しいので、たくさん作った小さなシュークリームが崩れないように、飴でくっつけて、上から飴掛けのようなものをしてある。
取り分けがしやすいように、あえて飴でがちがちにはしていない。
「ありがとう、ミサキ。父のお祝いの席で、こんなに素敵なものをいただけるとは思わなかった。レイラがこの場にいないのが残念だ」
本当に心から残念そうに言うので、ユリウスさんが婚約者のレイラさんと、とても仲睦まじいのが伝わってきた。
ユリウスさんも、貴族には珍しい恋愛結婚らしい。
前に、二人は学園で知り合ったのだと、エリーゼさんが教えてくれた。
レイラさんは、ユリウスさんよりも3つ年下らしい。
「また、いつでも作ります。次は二人でお越しください」
私がそういうと、ユリウスさんは気を取り直したように、笑顔で頷いてくれた。
結婚したら、きっと二人できてくださるだろう。
クロカンブッシュは、見た目はそんなに派手じゃないから、女性向けなら、もう少し華やかなケーキを作りたい気もする。
ケーキを切り分け、取り皿に見栄え良く盛り付けていく。
隣では、紅茶を亮ちゃんがそれぞれに出していた。
「ラルスさんは、カスタードクリームがお好きですから、どちらも楽しめるだろうと思って、クロカンブッシュにしたんです」
クロカンブッシュを選んだ理由の一つは、カスタードクリームがお気に入りのラルスさんのためだ。
直接確かめたことはないけれど、カスタードクリームを使ったケーキの時は、ラルスさんが特に嬉しそうだから、好きなのはすぐにわかった。
クロカンブッシュのシュークリームは、小さいとはいっても数が多いので、食べ飽きてしまうかと思って、クリームの中に、フルーツを隠したり、生クリームとカスタードクリームを半々で混ぜて作ったり、趣向を凝らしてある。
「ミサキは良く見ているね。料理も素晴らしかったけれど、デザートも美味しいよ。ミサキのおかげで素晴らしい誕生日になった」
早速、小さなシュークリームに手をつけながら、ラルスさんがご満悦な表情だ。
お祝いする気持ちが伝わったのは、とても嬉しい。
お世話になっているラルスさんに、少しでも恩返しができたようで、良かったと思った。
「ミサキ、さっき言っていたウェディングケーキというのは、何? こちらではないものだから、教えてくださる?」
エリーゼさんが、興味深げに尋ねてくる。
私たちの世界の結婚式や披露宴の話をして、披露宴で出されるウェディングケーキの説明もした。
実際のケーキは、ほとんどが作り物で、入刀するところだけ本物にしてあることが多いと聞いたけれど、私も女の端くれなので、結婚式に憧れはある。
自分で焼いたウェディングケーキを使えたらいいのにと、思ったことがあった。
実際は、崩れないように素人が作るのは、とても難しいだろうけど。
「こちらでの、披露パーティーと似た場所で、出されるケーキなのね」
私の説明で理解してくれたエリーゼさんが、何を思いついたか、瞳をきらきらと輝かせる。
その表情を見ただけで、ラルスさんは何を言いたいのかわかってしまったらしい。
「ミサキ、ユリウスの結婚披露パーティーで、ウェディングケーキを作ってもらえないか? 日程や参加人数は後で知らせるから、できれば他のデザートも担当してほしい」
前に作法を習っているときに、結婚披露のパーティーは男性の方の親が取り仕切るものと聞いた。
だから、ラルスさんが全権を握っているのだろうけれど、ユリウスさんはそれでいいのだろうか?と思って、ついユリウスさんを見てしまう。
「父上、私のためにありがとうございます。こんなに心の篭ったケーキで祝ってもらえる、私達は幸せです」
ユリウスさんは感動した様子で、ラルスさんにお礼を言う。
その後、すぐに私に向き直った。
「私からもお願いする。遠くから嫁いでくるレイラのためにも、是非、作って欲しい。子孫繁栄というのは、私達にとっては何よりの願いだ。神に遣わされた転生者であるミサキに、結婚祝いのケーキを作ってもらえるのなら、これに勝る祝いは他にはない」
熱心にお願いされて、断れるはずもない。
そして、もちろん、最初から断る気もない。
ラルスさんの大切な家族のためなら、できる限りのことをしたい。
それに、遠くから嫁いでくると聞いて、まだ逢った事のないユリウスさんの婚約者のために、何かしたくなった。
嫁いでしまえば、里帰りも滅多にできないと思う。
多分、少しは侍女を連れてきたりとかするだろうけど、遠くに嫁ぐことが、どれだけ寂しくて心細いことかは想像がつく。
大好きな人と結婚するためとはいえ、不安も大きいだろう。
その不安が少しでも消えるように、喜びに変わるように、お手伝いしたい。
「喜んでお引き受けいたします。精一杯、心をこめて作らせていただきますので、よろしくお願いします」
私が返事をすると、ユリウスさんはとても嬉しそうに微笑んだ。
その表情がとてもラルスさんに似ていて、親近感が沸く。
披露パーティーの相談は、後日することにして、その後はデザートを楽しんでもらった。
すべてのお客様を送り出した時には、予定した10時を過ぎていて、まだ初日だというのに、ぐったりと疲れきってしまった。




