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密やかに想う  作者: 水城雪見
本編
53/109

36.母性愛




 幸いな事に、リンちゃんが携帯に文化祭の時の写真を残していたので、それをディアナさんに見てもらい、私も、大体の作りを絵に描いて説明した。

 私が縫った浴衣を見せて、どんな風に着るのかも、着て見せたのでイメージがしやすかったみたいだ。

 元々、私が作る浴衣にも興味を持っていたディアナさんなので、衣装作りも喜んで引き受けてくれた。

 和装用の下着や襦袢、足袋などの小物も全部一通り作ってもらうことになったので、衣装代だけでかなりの金額になりそうだったけれど、持ち帰り用のサンドイッチの売り上げが思ったよりも貯まっていたので、何とか支払えそうだった。

 ディアナさんが、面倒な仕事だというのに、安く引き受けてくれたことも大きい。

 でも、自転車操業のようになるのは嫌なので、開店前の時間があるうちに、冒険者ギルドのクエストもこなそうかと思っていた。

 リンちゃん達も合流したので、一緒に迷宮に行ってみたい。


 全員同じ着物で同じ帯にしても良かったけれど、どうせ着物というだけで、他と違うのだからと、それぞれに似合う色で作ることにした。

 店の名前が桜庵だからと、私の着物は桜色になってしまったけれど、実のところ、もう少し濃い色の方が、汚れが目立たなくていいのになと思っていた。

 汚れてもすぐに浄化の魔法を使えば、汚れは問題なく落ちてしまうようだけど。

 着物の手入れは大変だから、魔法で綺麗にできるのはとてもありがたい。

 割烹着も用意しようかと思ったけれど、それだと、せっかくの着物がほぼ隠れてしまうので、カフェエプロンをつけることにした。

 端に店の名前と桜模様が刺繍されたカフェエプロンは、なかなか可愛らしくできていて、着物姿でも違和感はない。

 ディアナさんの能力の高さに、随分助けられた。

 

 履物をどうするか、それも悩みどころだったけれど、前に靴を作ってもらったお店で、草履も下駄も再現できたので、それぞれ履きやすい方を使うことにした。

 衣装も決まり、店内の準備も整い、商業ギルドを通して、お酒や飲み物の仕入れルートも確保して、着々と開店の準備は整いつつある。

 その合間も、3日に一度はエリーゼさんのもとに通い、すべての作法に合格点をもらえた。

 そして、領主の館に通う最後の日、エリーゼさんから思いがけない申し出があった。



「貴族向けの試食会ですか?」



 今日は最後だからと、お礼も兼ねて、オレンジのドームケーキを作ってきた。

 我ながらいい出来だと自画自賛したケーキを、美味しそうに食べてくださってたエリーゼさんから、試食会の提案があった。



「だって、私だってカグラのお店の試食会に行きたいけれど、そうすると他の方が緊張して楽しめないでしょう? だから、貴族向けの試食会を開いてくれたら、私も参加できるし、私のお友達も連れて行けるかと思ったの。立食形式で構わないのだけど、無理かしら?」



 多分、エリーゼさんは、上質な顧客を紹介してくれようとしているんだろう。

 貴族がお忍びで来ることが避けられないのなら、いっそ、最初から予約を取って、きてもらう方がいい。

 領主夫妻やその友人が予約をして訪れるとなれば、他の貴族もそれに倣うしかなくなる。

 店の個室を予約制にしたことなどは、前に話をしたから、開店してから貴族関係のトラブルがなくなるように考えて、試食会と言ってくださってるのだと思う。



「喜んでお受けします。エリーゼさんに来ていただけたら嬉しいですし。……ありがとうございます。お気遣いいただけて、本当に幸せです」



 これまで礼儀作法を教えてくださって、その上、後見していただけるだけでも、十分すぎるほどに助けられているのに、それ以上の気遣いをしてくださっている。

 どうしてここまで気遣ってくださるのだろう?と、不思議に思う気持ちと同時に、熱いものがこみ上げてくる。

 エリーゼさんの優しさは、昔、お母さんやお祖母ちゃんから与えられたものと、とても似ていて、懐かしさで胸が苦しくなってしまった。

 見返りを求めない無償の愛、それに似たものを受けている気がする。



「これからは、逢いたくなったら、カグラのお店に行くわ。カグラも何かあったら、遠慮なく相談してちょうだい。帰りに家紋入りのレターセットを預けるから、それで手紙を書いて門番に預けてくれれば、いつだって連絡を取れるようにしておくわ。――私、あなた達が来てくれて、本当に楽しかったのよ。あなた達はみんな、とてもいい子だわ。17やそこらで、家族と離れ離れになって、まったく知らない世界なのに頑張って生きてる。あなた達の事が、とても好きだから、今日で終わりにはしたくないの。これからは、この世界の母だと思って甘えて欲しいわ」



 今日が最後ではないのだと、これからも、続いていく縁があるのだと、優しい言葉で教えられて、とうとう我慢できずに泣いてしまった。

 声もなく泣く私の背中を、エリーゼさんが優しく撫で擦ってくれる。

 後見してくださるという話だったから、たまにお店で逢う事くらいはあるかもしれないと思っていた。

 その時は、心を尽くして持て成そうと思っていた。

 だけど、それ以上の繋がりを、エリーゼさんは作ろうとしてくださってる。


 この世界に転生して、親切な人はたくさんいた。

 優しい人もたくさんいた。

 けれど、ここまで私を気にかけて、関わってくれる人はいなかった。

 アルさんはそれに近いけれど、でも、アルさんの関わり方ともまた違う。


 自由だけど、何もかもすべてが自己責任の世界。

 友達や家族のような亮ちゃんがいても、それでも時折感じる心許なさ。

 私達が失ってしまった保護者の役割を、エリーゼさんが受け持とうとしてくださってる。

 まったくの他人に、そこまでの情を向けるのは簡単なことではない。

 得がたい愛情を向けられているのを感じて、素直に嬉しいと思った。



「ありがとうございます、エリーゼさん。美咲は、元の世界で早くに母を亡くしました。その美咲に、あなたがくださる愛情は得難いものです。本当にありがとうございます。ご温情、感謝します」



 亮ちゃんが、言葉にならない私の代わりに、お礼を言い、深く頭を下げる。

 


「まぁ、そうだったの。だからカグラ……いいえ、これからは私もミサキと呼びましょうか。カグラは家名なのでしょう? だから、ミサキは歳の割りにしっかりしているのね」



 ほっそりとした、いかにも高貴な育ちといった風なエリーゼさんが、私を抱きしめ、ハンカチで涙を拭いてくれる。

 優しくあやすように撫でられて、次第に涙は止まっていった。

 泣いてすっきりとしたけれど、恥ずかしくもなってしまう。

 鼻をすするような音が聞こえて、見れば、デラさんも涙をハンカチで拭っていた。



「今日はスペシャルなケーキがあると聞いて、飛んできたよ」



 ノックすらなく扉が開き、ラルスさんが入ってくる。

 エリーゼさんに抱きしめられたままの私を見て、一瞬驚いたようだったけれど、すぐに暖かな笑みが浮かんだ。



「あなた、私に3人目の娘ができましたの。リョウジとナルは、4番目と5番目の息子ですわ。羨ましいでしょう?」



 笑顔で自慢げに言い放つエリーゼさんを、ラルスさんは愛しげに見つめている。

 妻が可愛くて仕方ないといった様子だ。



「君の娘と息子なら、私の娘と息子でもあるな」



 当然といったように言い切った後、ラルスさんは亮ちゃんと鳴君の肩を叩いた。



「君達さえよければ、本当に養子縁組しても構わないんだが……」



 とんでもない事をラルスさんが言い出すので、思わずふるふると頭を振ってしまった。

 好意はありがたいけれど、貴族として生きていくつもりはない。



「そのお気持ちだけで十分です。貴族の生活に馴染めないということはないですが、他に仲間もいますし、何より、自由でいたいですから」



 亮ちゃんが、私の言いたい事を代弁してくれる。

 それに、養子縁組なんて、そんな簡単にしていいものではないと思う。

 子供同然と言ってくださる、その気持ちだけで十分すぎるほどだ。



「確かに自由は何にも変えがたいな。私ももっと迷宮に行ったりしたいんだが……」



 納得するようにラルスさんが頷く。

 迷宮にお忍びで行ってるって噂、本当だったんだ。

 驚く私の横で、デラさんが切り分けたケーキに、ラルスさんは早速手をつけてる。

 よほど、食べたかったらしい。



「今日のケーキは格別に美味いな。王宮のデザートでも、こんなに美味いものは出てこないぞ。オレンジの酸味とカスタードの甘さが程よくて、絶品だ」



 盛大に褒められて、自然に笑みが浮かぶ。

 お店で出す、見栄えのいいケーキの研究を最近はしているので、美味しいものを食べ慣れているラルスさんに褒めてもらえると、ホッとする。

 今日のドームケーキは、一番上にオレンジのソースがかかったゼリー、その下にカスタードクリームとスポンジケーキとオレンジムースを重ねた、手の込んだものだ。

 ゼリーからは、オレンジの輪切りが透けて見えていて、切ったときの断面も美しいように意識して作った。

 ラルスさんはカスタードクリームが好きだから、きっと気に入ってくれると思っていたけれど、思っていた以上の反応だ。

 本当はチョコレート生地のスポンジを焼いて、使いたかった。

 オレンジとチョコレートの組み合わせが、私はとても好きだけど、チョコレートが手に入らない。

 ドームケーキは型がなくても、ボウルを利用して作れるので、結構便利だ。



「ミサキに、貴族向けの試食会もお願いしましたの。私のお友達を紹介する予定なのですけど、あなたもご一緒にいかがです?」



 ケーキを味わうラルスさんに、優しい眼差しを向けながら、エリーゼさんが小首を傾げる。

 少女めいた可愛らしい仕草が、不思議なほどに自然に似合う人だ。



「もちろん、同行しよう。君のお友達も、夫婦で参加するといいんじゃないか? それにしても、エリーゼだけ名前で呼ぶのはずるいな。私もこれからはミサキと呼ぶことにしよう」



 愛する妻が呼び方を変えたことにすぐに気づいて、ラルスさんが便乗してくる。

 神楽と名乗っていたのは、名前を見知らぬ人に呼ばれるのが嫌だったからだけど、親しい人に呼ばれるのなら、何の問題もない。

 だから、二人に名前で呼ばれるのは嬉しかった。



「お店に、グランドピアノを置いたので、ホールでもお客様がそんなに入らないんです。だから、事前にどれくらいの参加者がいるのか、わかると助かるのですけど。立食形式なので、少しは余裕もあると思いますが、大体の人数が決まりましたら教えてください」



 立食形式なら、多分、20人~30人くらいは大丈夫だと思うけど、あまり混みあっていても料理を楽しむどころではなくなってしまいそうだ。

 個室を開放する事もできるけれど、少しは余裕が欲しい。



「ナルがピアノを弾くのかい?」



 ラルスさんに問われて、鳴君が笑顔で返事をする。

 ピアノが好きなだけ弾けるようになってから、鳴君には笑顔が増えた。

 


「貴族街にもないような店になりそうだな。個室を完全予約制にするんだったね?」



 前に話したことを覚えていたのか、確認するように問われて頷く。

 1日3回、4部屋を使って、12組限定で予約を取る予定だ。



「アルフレッドさんが、貴族だけでなく、マナーに不安のある冒険者も個室に隔離したほうがいいって言うものですから」



 私が説明すると、ラルスさんが堪え切れないといった感じで、声を上げて可笑しそうに笑い出した。



「アルフレッドは面白いな。そういう個室の使い方があるとは思わなかった」



 笑いの発作がおさまらない様子で、肩を揺らして笑いながら感心してる。

 確かに、私もアルさんの意見は凄いと思った。



「先に、貴族向けに食事会ができれば、そのときに予約制だとお伝えできるので、本当に助かります」



 お店のシステムを説明しようにも、一度来店してもらわなければどうしようもない。

 試食会で説明できれば、予約というシステムも理解してもらえるだろうし、そう考えると、事前に試食会に参加していただけるというのは、ありがたい。

 最初から貴族の来店の予定がわかっていれば、それにあわせて対処もできるし、来店してもらったのに断るということをしなくて済む。

 先に試食会があるだけで、貴族関連のトラブルは、かなり減ると思う。



「私達も、開店を楽しみにしているのだから、役に立てるのなら嬉しいよ。困った事があるときは、必ず相談して欲しい。できるだけ助けになりたいと、私も妻も思っているんだ」



 エリーゼさんと同じ事を、ラルスさんも言う。

 なんて幸運で幸せな事だろうと思いながら、頷きを返した。

 恩に報いるためにも、精一杯頑張って、お店を経営しようと思った。



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