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密やかに想う  作者: 水城雪見
本編
45/109

幕間 森の国にて 6

一条視点。



 毎日迷宮に通い、ユリアに逢うたびに鈴木の様子を確認するが、何も進展しない。

 時間だけは過ぎて、雪解けが近くなってきた。

 旅立つ準備をしながらも、本当にこのまま旅立っていいものか、悩みが尽きない。

 スポンジケーキのレシピは完成させて、念のために佐々木と一緒に作り、大体の作り方を覚えてもらった。

 レシピと一緒に、喫茶店の構想をノートに書き記し、いつか、鈴木が菓子作りを仕事にしたいと思うようになったときには、少しでも役に立つように、できる限りの準備をしておく。

 できる限りのことはしたつもりだ。

 けれど、本当にこれでいいのだろうか?

 このまま、鈴木をユリアに任せたまま旅に出て、俺は後悔しないだろうか?



「浮かない顔ね。もうすぐ春になるのに、辛気臭いわ。人の気持ちなんて、なるようにしかならないわ。きっかけ次第ですぐに変わるときもあるし、何年経っても変わらないときもあるのよ。ユイは私が引き受けるから、安心して旅立っていいわよ」



 ユリアに俺の鬱々とした気持ちはすっかりお見通しのようで、呆れたような言葉を投げられる。

 口は悪いが、思いやりに溢れた女性だと思う。

 今日も、俺達の様子を見に、家まで来てくれた。



「そういえば、トモミにお願いがあるの。もし、隣の大陸のランスという街まで行く事があったら、これを商業ギルドのマスターに渡してくれる? 私の兄のアーネストがギルドマスターをしているのだけど、旅に出てから一度も帰ってこないの。行商人が手紙を運んでくる事もあるのだけど、もう20年以上逢ってないから、一度くらい両親に顔を見せるように伝えておいて」



 家紋の入った封筒を渡され、他の荷物と紛れないように、アイテムボックスからクリアファイルを取り出して、それに封筒を挟んでおいた。

 20年というと、俺の感覚ではかなり長く感じるけれど、ハーフエルフだとそうでもないんだろうか?



「それは、トモミの世界のもの?」



 興味深そうに尋ねられたので、余分に持っていたクリアファイルを、一つユリアに差し出す。

 郵便局で手に入れたそれは、俺が幼い頃に祖母に読んでもらった絵本に出てくる、兎のキャラクターのもので、はっきりいって成人男性が持つようなものではない。

 が、多分、ユリアの父には懐かしいキャラクターだろう。

 4枚セットだったので、一番可愛らしい柄のものを、ユリアに譲ることにした。



「この兎は、ユリアのお父さんも知ってるはずだ。絵本に出てくる兎なんだ。他にもあって、これは使っていないからユリアにやるよ」



 俺が持つには可愛らしいものだったからか、俺とクリアファイルを何度か見比べて、ユリアが笑いを堪えている。



「笑いたいなら笑え。似合ってない自覚はある。それは、書類が汚れたり曲がったりしないように、挟んで使うものなんだ。良かったら使ってくれ」



 言いつつ、もっと他にユリアにあげるのに良さそうなものはないかと、旅行バッグの中身を、テーブルの上に出してみる。

 衣類は普段も使うので、バッグから出してあったけれど、他はずっと手付かずだった。

 他の先生方にと買ったお土産の菓子があったので、一つ開けて、テーブルに置く。

 京都といえばという感じで、安易に選んだ生八橋だが、アイテムボックスのおかげで傷む心配はない。

 紅茶にあうのかどうかは微妙だが、そこは我慢してもらおう。



「これは俺達の世界の土産品だ。よかったら食べてくれ」



 自分でも一つ生八橋をつまみながら、他に誰もいないのをいい事に、更に荷物を広げていく。

 ユリアは恐る恐るといった様子で、八橋を眺め、口にしていた。

 柔らかい食感に驚いたのか、食べた瞬間、ビクッと身を震わせていたけれど、気に入ったようで、次に手が伸びている。



「あ、これなら、使えるかもしれないな」



 銀の透かし彫りの栞を見つけて、ユリアに差し出した。

 本ならば、この世界にもあるから、栞は使えるだろう。



「これは、栞? でも、こんなに精密な作りの栞、見たことがないわ」



 透明の袋に入った栞を、ユリアは珍しげに見る。

 透かし彫りがないのなら、比良坂ができるようになれば、商品を作る時に役に立つかもしれない。

 後で、忘れずに教えておこう。



「良かったら使ってくれ。ろくなものを持ち合わせてなくて、それくらいしか、ユリアにやれそうなものがなかった」



 ユリアに世話になってばかりなのに、俺には返せるものが何もない。

 祖母の得意だった、スコーンのレシピを覚えていなかった事が悔やまれる。

 あれが再現できれば、きっと、ユリアの父は喜んでくれたに違いないのに。



「十分だわ、ありがとう、トモミ。大事にするわね」



 栞を持った手を胸に抱くようにして、ユリアが微笑む。

 気に入ってくれたようでよかったと、ホッと息をついた。



「これは何? 何に使うものなの?」



 バッグに散らかした荷物を片付けていると、ユリアがノートパソコンに目をとめる。



「俺は仕事で使っていたが、使用用途は色々あるな」



 言いながら電源を入れて、一番わかりやすい写真を見せることにする。

 引越しをしてから、修学旅行のときに写真を撮っていた日永に、写真のデータを譲ってもらっていた。

 そのときに充電の残りを調べてみたが、まったく減っていなかったので、不思議に思いつつ、使えるのならそれでいいかと納得した。


 動画も少しあるが、見せたら驚かせてしまうかもしれない。

 旅行の時の写真を開き、対面に座るユリアにも見やすいように、画面の向きを変えた。



「これは、修学旅行のときの写真で、写っているのは俺の生徒達だ。場所は俺達の世界の観光名所で、伝統のある古い都なんだ」



 初めて見る写真に、ユリアは見入っている。



「絵とはまた違うのよね? シャシンというのは、父に聞いたことがあるけれど、現実を切り取ったみたいなものなのね。……ね、カグラという子のシャシンはないの?」



 いきなり、ユリアの口から神楽の名前が出て、飲みかけていたお茶に咽た。

 どうして、ユリアが神楽の名前を知っているんだ?

 俺は話したことがあっただろうか?



「何を慌ててるのよ。この前、トモミが泥酔した時に、呼んでたわよ? しかも、彼女がいかに淑やかで可愛らしくて、素晴らしい女性なのか延々と語られたんだから。それにずっと付き合った私に、シャシンの一つや二つ、もちろん、見せてくれるわよね?」



 あの大晦日の夜は、記憶をなくすほど飲んだせいで、何を話したのか覚えていない。

 よく宿まで帰りつけたものだと、自分でも飽きれてしまうくらいに、酷い状態だった。

 迫力のある綺麗な笑顔でねだられ、拒否権はないとわかった。

 パソコンを操作して、神楽の写真を選ぶ。

 日永が渾身の一枚と自画自賛していただけあって、清水寺で撮ったらしいその写真は、よく撮れていた。

 柔らかな笑みを浮かべた神楽の姿が、背景の紅葉と共に映し出されている。

 黙ったまま、写真が見えるように画面を向けると、ユリアが興味津々といった様子でじーっと写真を見つめている。



「トモミって馬鹿ね。よくもまぁ、こんな子を一人で放り出せたわね。よーく、考えてごらんなさい? こんなに綺麗な子が一人でいたら、声を掛けられずにいられる男がいると思うの? しかも、彼女は転生者なのよ? 再会する頃には、片手で足りないほどの求婚者か、最悪は婚約者がいても、不思議じゃないわよ?」



 神楽が一人だということまで、話してしまったらしい。

 馬鹿という言葉が、胸に圧し掛かるようだ。

 確かに、本気になれば指輪一つで引いたりしないだろう。

 しかも、こちらの世界は重婚が認められている。

 一夫多妻だけでなく、その反対もありえるのだ。

 神楽はそういうタイプではないとわかっているけれど、かなりの心構えをして逢いに行かなければならないかもしれない。



「神楽はそれでも待っていてくれると思う。馬鹿な自惚れかもしれないけどな。俺と彼女の間に、確かなものは何もない。あるのは、約束が一つだけだ。でも、それでも、俺との約束を信じて、彼女は待っていてくれると思うんだ。そういう女性だから、俺は強く心惹かれる」



 ただの自惚れで、俺の一方的な思いなのかもしれない。

 俺が知る神楽は、学校での1年半の間の生徒としての姿がほとんどで、個人的な踏み込んだ話は、数回しかしたことがない。

 特別扱いしないように、あえて距離を置いていた。

 神楽のほんの一部しか知らないと思う。けれど、大事な本質は知っているとも思う。

 あの空間で、約束を交わしたときに、心が繋がったような気がするんだ。

 少なくとも俺は、逢えなくてもずっと想いを募らせるだろう。

 彼女を探しながら、旅をする間もずっと、気持ちは増すばかりで変わらない自信がある。

 


「何だか、盛大に惚気られた気がするわ……。他のシャシンも見せてくれる? トモミの家族のシャシンはないの?」



 げんなりとした様子で、ユリアがパソコンをこちらへ押しやる。

 惚気たつもりはなかったんだが、惚気てただろうか?

 首を傾げつつ、パソコン内のデータを探った。



「家族に最後に会ったのは、夏だったけど、写真は撮らなかったからなぁ。……あぁ、俺の兄の写真でいいならあるぞ」



 子供の頃は写真もいっぱい撮られていたが、大人になると撮らなくなった。

 兄のはたまたま持っている。

 持っているというよりも、メールで送りつけてこられたが正しい。

 生徒には隠していたが、俺の兄は元モデルで俳優だ。

 3つ年上で、高校時代から雑誌のモデルをしていた。

 大学に入ってから本格的に芸能活動を始め、今では俳優としても名が知れていると思う。

 俺とは正反対の派手な性格で、一緒に住んでいる頃は、よくからかって遊ばれた。

 たくさんある兄の写真の内の一つを開いて、ユリアに見せると、画面と俺を何度も見比べている。



「似てるようで似てないわね。トモミよりずっと、陽気そうに見えるわ。それに、女性が放っておかない雰囲気ね」



 似てないほうがいい。

 俺はあんなにいい加減に要領よくは生きられない。

 兄の事は嫌いではないが、苦手意識が染み付いてる。 



「実際、俺とは比べ物にならないほどに、もてたからな。色々と比べられて苦労した」



 高校までは同じところに進んだおかげで、常に兄と比べられ、派手に遊んでいた兄と同じように見られ、苦手なタイプの女にやたらと纏わりつかれた。

 俺が女性不信気味なのは、兄の影響も大きい。

 兄が実家に住んでいた頃は、自分の部屋にいる時も鍵を掛けていた。

 まだ中学に上がる前に、兄の遊び相手に寝込みを襲われて以来、ずっと用心していた。

 あの時は、キスが気持ち悪くて吐いたので、すぐに退散してくれたが、あれは俺の人格形成に、かなりの悪影響を与えた事件だったと思う。 

 一応、少しは悪いと思ってくれたのか、家に連れ込む相手は選ぶようになったようだったけど、部屋の鍵を掛けないと眠れない程度には、トラウマになっていた。



「お兄様は一人だけ? 他に兄弟はいないの?」



 転生者は子供ができやすいせいか、兄弟が多いという認識があるようで、不思議そうに問われた。



「うちは、兄一人だった。兄の出産の時、帝王切開だったから二人しか産めなかったらしい。俺達の世界では、少子高齢化が社会問題になっていたんだ。結婚しない男女が増えて、結婚しても子供を持たない夫婦も増えた」



 簡単にユリアに向こうの世界の事を説明する。

 こちらでは、外科手術はないようで、出産の時に腹を切って胎児を取り出す話をしたら、酷く驚いて、真っ青になっていた。

 母に聞くまで知らなかったが、帝王切開で出産した女性は、次も自然分娩はできない。

 帝王切開も2回が限度のようで、3度目の妊娠出産は難しいらしい。

 だから、子供がたくさん欲しかった母も、二人しか産めなかったと言っていた。

 本当は女の子が欲しかったそうで、俺達が結婚するのを待ち望んでいた。

 嫁の顔も孫の顔も見せることができず、申し訳ないと思う。

 ありえない事だが、もし神楽を紹介することができていたら、日本文化を愛する母は、とても喜んだだろう。



「トモミ達の世界って、子供がたくさんいるんだと思っていたわ。転生者は多産の人が多いのに不思議ね。私の聞いた話だと、リョウサイケンボという称号があって、それを持つ女性はお産で苦労しないんですって。だから、その称号もちの転生者の女性は、隣の大陸では特に、引く手数多だそうよ」



 良妻賢母?

 そんな称号があるのか。

 話を聞けば聞くほど、効率よく子孫を残すためのシステムが、構築されている世界だと思う。

 それだけ、人が死にやすい世界ということなのだろう。



「ユリアは何人兄弟なんだ?」


「私? 母の違う兄弟も合わせたら、16人いるわ。エルフとしてはありえないほどの数よ」



 興味が沸いて聞いてみたけれど、さらりと返って来た答えを聞いて、後悔した。

 森の国の元王女であっても、転生者を独占する事はできなかったわけだ。

 何とか神楽のもとに辿り着いても、ライバルだらけかもしれない。

 嫉妬しても心を制御できるように、覚悟して鍛えておかなければ。



「トモミの世界とは倫理観が違うのよ。こちらでは子供は宝で、社会全体で育てるのが当然のことなの。特にこちらの大陸では環境が厳しいのと、同族が集まって国を形成しているから、身内意識が強いのよ。迷宮も、こちらの大陸の方が安全なの。隣の大陸の迷宮は、治安の悪いところもあるから、ここの迷宮と同じ感覚でいると危険だわ。トモミも気をつけてね」



 心配そうに忠告され、頷きを返す。

 確かに、この国の迷宮での危険は、魔物だけだった。

 冒険者と行き会うこともあるが、乱暴な相手はいなかったし、みんな親切だった。

 転生者だから親切にされているのかと思っていたが、そればかりではないらしい。

 ユリアの忠告は、しっかり心に留めておこう。



「子供に関しては、割り切るのは無理そうだ。大切な宝というのには、同意できるけどな。――ユリア、俺がいなくなった後、生徒達の事を頼むな。意に反した行為を強要されないように、気をつけてやって欲しい。俺達の世界では成人は20歳で、20歳でもまだ学生が多かったんだ。あいつらは、俺から見れば、まだ子供なんだ。ずっとそばにいてやれないから、ユリアだけが頼りだ。よろしく頼む」



 旅立つ俺が、他に頼れる相手はいない。

 姿勢を正して、深々と頭を下げた。

 俺がいなくなった後は、ユリアだけが頼りだ。

 いつか、神楽と再会できたら、またこの国を訪れる事もあるだろうが、それは何年先になるかわからない。



「引き受けるから、安心して。トモミが子供の代わりに託してくれた子達だもの、大切にするわ。みんな、いい子だもの。きっと、トモミの願い通り、幸せになるわ。だから、トモミは安心して旅に出て、もっと自分を優先していいと思うの。幸せになってほしいのは、あなたもよ」



 ユリアの気持ちを利用しているような罪悪感を、言葉と柔らかな微笑みで拭ってくれる。

 友人として、俺の幸せを願ってくれるユリアの気持ちが、とても嬉しかった。

 


「ありがとう、ユリア。次に俺がこの国を訪れる時は、幸せになって、盛大に惚気てやるよ」



 胸が熱くなるほどに嬉しかったけれど、湿っぽくなるのは嫌なので、あえて茶化しておく。

 


「惚気るのがトモミだけとは限らないわよ? 私の惚気も心して聞いてもらうから、覚悟しなさい!」



 笑いながら返されて、いつか、本当にそんな日が来ればいいと願う。

 その時、神楽が一緒にいてくれたなら、どれだけ幸せだろうと思った。



感想で帝王切開に関する複数の指摘がありましたが、30年くらい前の話なので、当時は3人目は難しいと言われていたと、捉えていただけると助かります。

高校生の子供がいる知人が、3人目は厳しいと言われて産めなかったという話を聞いたことがあったので、エピソードの一つとして安易に使いましたが、ご不快に思われた方がいらっしゃいましたら、すみません。

一条の母が嫁と孫を待ち望んでいた理由の一つとして入れただけなので、深い意味はありません。

今後、異世界で帝王切開とか、子供が二人しかできませんとか、そういう展開があるわけではないので、読み流していただければと思います。


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