幕間 森の国にて 3
翌日、ユリアと待ち合わせて商業ギルドへ行ったが、工房つきの家を購入するには、まだまだ資金が足りない事がわかった。
少なくとも5人住むことを考えると、部屋数をある程度確保しなければならないというのも、高くなってしまった理由の一つだ。
工房と別に5部屋、更にリビングとキッチンとなると、金貨170枚は必要だった。
家具つきの物件だったから、家を買いさえすれば、すぐに住めるようだったが、それでも、足りないものがたくさんある。
そう考えると、今はまだ、全然手が届かない。
それと、5人を一緒に住ませる事は、いい結果にならないんじゃないかと思った。
女子3人が仲の悪い今のままでは、比良坂と佐々木が苦労するだけだ。
かと言って、比良坂と佐々木、日永だけとなると、男女で同居ということに対して、日永が嫌がるかもしれない。
「トモミは、何をそんなに悩んでいるの?」
商業ギルドを出てから、ずっと悩みこんでいたのに気づいたのか、ユリアに声を掛けられた。
ギルドまで付き合ってもらったのに、放り出して一人で考え事というのも、随分失礼な話だ。
申し訳ないと思いながら、俺は大体の事情を説明した。
恋人がいた事はあるが、俺はどうも女心というのが理解できない。
脈がないのに延々としつこく付きまとってくる気持ちは、まったく理解できないし、好きだと言いながら、その男の前で嫉妬心も露わに言い争う行動も理解できない。
100年の恋も醒めるという言葉があるが、まさにその通りだ。
嫉妬で狂った顔を見て、引かない男は少数だと思う。
だから、女性であるユリアなら、俺のわからない行動原理や気持ちも、わかるのではないかと思って話をした。
「彼女達の行動を、一概に依存と決め付けてしまうのもかわいそうよ? 好きだからこそ、争ってしまうときもあるだろうし、冷静になれない時もあるわ。その行動が正しいのか間違っているのかは、別にしてね。トモミを好きなその気持ちは、彼女達のものだもの、受け止められないにしても、それは否定したらだめだわ」
諭すように言われて、ユリアの言葉の意味をよく考えてみる。
確かに、依存だと決め付けてしまうのは、よくないかもしれない。
俺には応える気はないし、そういう意味であの二人を好きになる事はないが、好きだと思ってくれる気持ちまで、否定したらダメなんだろう。
俺が女性不信気味で、あの二人のように積極的なタイプには、特に否定的になっている自覚はある。
けれど、受け入れる気はない以上、諦めてくれるように、きっぱり拒否する以外の対応が思いつかない。
「男女で一緒に住むことが気になるのなら、女の子達は、家で預かってもいいわよ? 部屋ならいくらでも余っているから。男の子二人の部屋と工房だけの家なら、もっと手に入れやすいと思うし、何とかなるんじゃない?」
ありがたい申し出ではあるが、知り合ったばかりのユリアに、そこまで甘えていいものかどうか迷う。
それに、俺個人の印象ではユリアはいい人のように思うが、本当に信用していいのか、自分のことでなく、生徒達のことだからこそ、悩んでしまう。
俺がいなくなった後のことはわからないのだから、慎重に行くべきだ。
俺が悩んでいると、それを見透かしたように笑われてしまった。
「うちでは父の影響で、クリスマスのお祝いを、12の月の24日の夜にすることにしているの。良かったら、そのときにみんなで家にきて。どういった場所に住んでいるか、確かめるだけでも気持ちが違うでしょう? ちなみに、私の身元は冒険者ギルドで確認してくれていいわ。ユリア=マクダネルといえば、誰でも知っているから」
俺の不安や心配は、確実に見透かされていたようだ。
とりあえず、何か楽しい事があるのは、生徒達にとっていいことだと思ったので、クリスマスにはユリアの家にお邪魔する事にした。
迎えの馬車を出してくれるというのを聞いて、やっぱり、ユリアは貴族だったのかと思う。
平民にしては品がよく、髪や爪の手入れも行き届いていた。
あれは家事労働を知らない手だ。
貴族であってもなくても、ユリア自身には問題がないように思う。
昨日知り合ったばかりだが、人柄は好もしい。
一緒にいて、ほんの一瞬も違和感のようなものや、嫌悪感を感じなかった。
用件だけ終わったら別れるというのも、あんまりかと思ったのだが、この世界には気楽に立ち寄れる喫茶店のようなものがない。
お礼は今度改めてすることにして、一度宿に帰る事にした。
その夜、宿の部屋に戻ってから、比良坂と佐々木に、家とユリアの話をしてみた。
帰りに冒険者ギルドで確認してみたんだが、ユリアの母は元は森の国の王女らしい。
王家や上位貴族は血統主義で、エルフ以外の種族と結婚すると、生家とは縁が切れるそうだ。
別に結婚に反対されてというわけではないので、ユリアの母は王家とは縁が切れ、王位継承権もなくなったものの、公爵となり、転生者である夫の姓であるマクダネルを名乗っているらしい。
公爵と転生者の娘で、自身も子爵という爵位を持つのが、ユリアだと冒険者ギルドでは教えられた。
「先生、いつのまに、そんな大物と知り合ったんですか」
比良坂に呆れるように言われてしまい、苦笑する。
別に俺も知り合おうと思って知り合ったわけではないし、冒険者ギルドで素性を聞かされたときは、狐か狸に化かされてるような気持ちになった。
ユリアの身元に間違いがないのはわかったけれど、大物過ぎて現実感がない。
「まぁ、ユリアに関しては、二人も見て判断してくれ」
俺から見て、問題ないように思うけど、あえて、俺の印象は語らないでおく。
何の先入観もなく、会ってもらったほうがいいだろう。
家に関しては、やはり、鈴木と雪城も一緒に住むとなると気が重いようだ。
かといって、日永一人だけを一緒にというのも、悩むところらしい。
「ところで、二人とも家事はできるのか? 宿を出ると全部やらないといけないぞ?」
もし、二人で住むことになったとして、家事がまったくできないのなら、少しは教えておかなければならない。
喫茶店はなくても食事をする店には困らないから、食事は問題ないだろうが、掃除と洗濯は必須だ。
浄化の魔法もあるが、すべてを魔法で片付けるのは大変じゃないかと思う。
「掃除は何とか。洗濯は洗濯機回すくらいはやった事がありますけど、こっちに洗濯機はないですよね? 勇、作れる?」
佐々木が不安げに比良坂を見る。
「しばらくは浄化の魔法頼みになるかも。魔道具はいろいろあるけれど、洗濯機みたいなのは見たことがないんだ。掃除は僕も何とかなると思う。問題はご飯? カップラーメンしか作ったことないんだけど……」
二人が不安げにやり取りしているのが、微笑ましいと言えば微笑ましい。
やはり、家の購入が何とかなりそうなら、俺が少しは家事を教えたほうがよさそうだ。
「食事は最悪は、外で食べればいいだろう。一応、家が決まったら俺が少しは教える。予定よりも家が高くてもなんとかできるように、しばらくは通えるだけ迷宮に通おう。まだ、春までは時間がある。焦る事はないから、一つ一つ問題を解決していこう」
俺が言うと、力強く二人とも頷いてくれた。
何から手をつければいいのかさえわからなかった状態と比べると、今の方がずっとマシだ。
それから、時折休みも入れながら、迷宮に通ううちに、俺の職業レベルが2に上がった。
俺の職業は聖戦士だ。
回復と戦闘と両方できる職といった風に受け止めている。
時々、宿に尋ねてくるユリアと話をしたり、迷宮や街でケーキの試作のための材料を集めたりしながら過ごしている内に、ユリアに招かれたクリスマスがやってきた。
クリスマスの前にケーキの試作ができないかと思っていたが、後の事を考えると、人目につく場所での製作は憚られ、安心して使えるキッチンがないので、断念していた。
仕方がないので、手土産には花束を用意した。
こちらの世界でも花屋はあり、これだけ寒さの厳しい国だというのに、色とりどりの花が手に入る。
クリスマスということで、女子はそれぞれお洒落をしたようだ。
俺はスーツを持っていたので、それを、佐々木と比良坂は、制服を着ていた。
「ようこそお越しくださいました。主が待っておりますので、こちらへどうぞ」
馬車で辿り着いた屋敷は、かなり立派なものだった。
冬なのに花の咲く庭があり、白壁にツタの這う優美な館だ。
いかにも女性貴族の家といった雰囲気だった。
「お招きありがとう、ユリア。お言葉に甘えて教え子達を連れてきた。知ってる顔もあるだろうが、改めて紹介するよ」
シンプルだけれど品のいいドレス姿のユリアに花束を渡し、生徒を一人一人紹介していく。
比良坂と佐々木は、冒険者ギルドや宿でユリアに会ったことがあったけれど、他の3人は初対面だった。
鈴木と雪城は、貴族としか説明していなかったので、招待主が美しい女性だった事に驚き、強ばっている。
「さすがに父の故郷の料理を、全部再現するのは無理だったみたいだけど、少しは馴染みのある料理もあるかもしれないわ。楽しんでいってね」
食堂に案内され、テーブルについた。
他に招待客はおらず、パーティーというよりは晩餐会といった様子だ。
食事のマナーも、元の世界と変わらず、最初は緊張していた生徒達も、少しずつユリアと打ち解けていった。
使用人がそばに控えていて、給仕されながらの食事というのは慣れないが、まったく経験がないわけじゃない。
俺とユリアには酒も出され、久しぶりにアルコールを口にした。
白ワインのような酒は、聞けば迷宮産らしく、辛口でかなり強かった。
それを水のように口にするユリアは、かなりの酒豪らしい。
俺もザルを通り越して枠と言われるくらいには、アルコールには強いので、遠慮なくいただいた。
ただ、俺は飲み過ぎると顔が赤くなっていくので、ある程度の節度を持って飲むようにしている。
いくらでも飲めるけれど、まったく酔わないわけではないので、ほろ酔いという一番心地いい状態で酒を楽しめる、ありがたい体質だと親に感謝してる。
食事をしながら眺めていると、鈴木はユリアに随分懐いたようだ。
仲のいい姉がいるようだったから、多分、ユリアに姉の姿を重ねているんだろう。
久しぶりに、素直な子供らしい表情になっている。
雪城は、ユリアが相手では対抗意識の燃やしようもなかったのか、興味を失った様子で、豪華な食事を楽しんでいるようだ。
佐々木と比良坂は、まだ緊張しているようだけど、時折、二人で楽しそうに話しているので、楽しんではいるようだ。
日永はそんな佐々木と比良坂の様子を、頬を赤らめてみていた。
日永が俺には一番謎だ。
比良坂が作った箱に絵を描き、それを、比良坂が彫刻して宝石箱などに仕上げるといった仕事ができるようになったので、仕事の心配はしなくてよくなったのだが、相変わらず話しかけても、まともな返事が来ない。
照れているだけだと、佐々木と比良坂が慰めてくれるけれど、何故だかあまりそんな感じがしないのだ。
食事の最後にデザートで生チョコレートが出てきた。
これがあるということは、生クリームが手に入るんだろうか。
「ユリア、生クリームって手に入るのか?」
聞いても厨房の事情はわからないかもしれないと思ったが、知っているのと変わらない味の生チョコを味わった後、問いかけてみる。
「トモミはこのデザートのレシピを知っているのね? これはマクダネル家では食べられているけれど、レシピは外に出していないのよ。だから、内緒にしててくれると助かるわ。生クリームは、街の西に酪農農家があるから、そこで手に入るわ。数が限られてしまうから、値段は高めだし、誰でも購入できるわけではないけれど」
まさか、街の中に酪農農家があるとは思わなかった。
迷宮があるのと、冬篭りが長いので広い街なのは知っていたけれど、知らないことも多いようだ。
ツテを頼って手に入れても、ケーキにして販売するとなると、費用がかかりすぎるかもしれない。
そうなると、生クリームでデコレーションというのは、現実的ではない。
「なかなか思うように行かないものだな」
試作をする場所さえままならないのだから、困ったものだ。
残された時間を考えると、早めに何とかしたいんだが。
「何を悩んでいるのか知らないけれど、私でできることなら相談に乗るわ」
ありがたいユリアの申し出に、「ありがとう」と、お礼を言い、笑みかけた。
少し酔いが回っているのか、普段よりも感情が顔に出やすくなっている気がする。
その後、暖炉のある居間に場所を移して、生徒達がデザートとお茶を楽しむ横で、勧められるままに、この世界の酒を飲んだ。
ワインが多いようだが、蒸留酒などもあるようだ。
迷宮で手に入るものであったり、昔から作られているものだったり、過去の転生者にもたらされたものだったり、色々のようだ。
今夜は泊まっていくようにと勧められ、夜中に馬車を出してもらうのも悪いので、受ける事にした。
それに、菓子の試作をするための厨房を探している話をすると、ユリアの家の厨房を貸してもらえることになったので、泊まった方が、明日、もう一度迎えにきてもらうという手間が省けるのだ。
明日は早速、鈴木と一緒にケーキを作ってみることになった。
試食してもらって、同じようなものがないかどうか確かめないと、売るに売れない。
それに、作ったものを販売するとしても、どういう形態で販売するのか、それも考えなくてはいけない。
菓子は嗜好品だから、平民よりは貴族の方が需要はあるだろう。
そうなった時に、ユリアの存在はとても大きい。
だから、まずはユリアが納得できるだけの物を作り上げないといけない。
材料は迷宮で手に入るものは揃っている。
街中で買える物も、できるだけ揃えてあった。
ハンドミキサーのような魔道具はなかったけれど、菓子職人のスキルで撹拌があるので、必要ないらしい。
後は、何が必要だろうかと考えていて、そこで漸く、型がないことに気づいた。
ケーキの生地を入れて焼くための型ともなると、すぐ用意してもらうのは無理だ。
何か、代用できるものはあるだろうか?
最悪、陶器の器でも、何とかなりそうではあるが……。
「――トモミ! 酔ったの? さっきから黙り込んで、生返事ばかりよ?」
腕を揺さぶられて、物思いに耽っていた事に気づく。
隣にいるというのに、ユリアに失礼な事をしてしまった。
「あぁ、すまない。酔ったかもしれない」
たいして酔ってはいなかったが、考え事をしていたという理由よりはマシだろうと思って、酔いのせいにしておく。
「もう、遅いものね。部屋に案内させるわ」
ユリアが合図すると、よく教育された使用人が、まずは生徒達を客室に案内していく。
俺も後を追おうと立ち上がり掛けたところを、ユリアに腕を引かれ、ソファに沈んだ。
「トモミは待って。トモミの部屋はあの子達に、わからないほうがいいでしょう?」
先日の俺の話を覚えていて、用心してくれているらしい。
確かに酔っているときに、部屋にこられても困るので、ユリアの言葉に甘えることにした。
しばらくして、戻ってきた使用人に、客間へと案内される。
ゆったりとした広さの客間は、壁紙やカーテンを薄蒼で統一してあって、落ち着いた雰囲気だった。
暖炉には火が入って室内は暖めてあり、天蓋つきのベッドと、品のいい家具が置いてある。
部屋に一人になり、久しぶりに締めていたネクタイを緩めた。
少し、筋肉がついたので、スーツの肩の辺りがきつい。
上着を脱ぎ、アイテムボックスに片付けた。
何故か、少し体が熱いような気がするが、久しぶりにアルコールを口にしたせいだろうと、気にしないことにする。
眠ってしまえば忘れるだろう。
泊まるつもりはなかったが、荷物はすべてアイテムボックスに入っている。
旅行先で購入した濃いグレーの浴衣に着替え、帯代わりの紐を結ぶ。
帯もセットになっていたが、結び方がわからなくて使っていなかった。
以前の服はサイズがあわなくなりつつあるので、ほんの気まぐれで買った浴衣が、とても役に立っている。
比良坂には、『旅館に泊まっている外国人観光客みたいだ』と言われた。
実際、外国人観光客に人気のお土産品だと、店のポップに書いてあった。
寝支度を整えていると、ノックの音が聞こえる。
誰かと思いながら扉を開けると、ドレスからワンピースに着替えたユリアが立っていた。
「大事な話があるの、少しいいかしら?」
何だろうと思いつつも、明日にせずに、部屋に招きいれたのは、酔いで少し気が緩んでいたのかもしれない。
「珍しい衣装ね。トモミの国で着られているものなの?」
浴衣姿をまじまじと見られて、適当に紐を結んだだけの浴衣姿を見下ろす。
「今は、着る人もあまりいないようだけどな。俺もたまたま、旅行先で手に入れたものだ」
どうぞ。と、ソファを勧め、テーブルを挟んだ向かいに俺も座った。
「それで、大事な話って?」
もう夜も遅い。
アルコールのせいで程よく眠く、早めに話を終えて眠りたかった。
「トモミって、鈍感とか朴念仁とかよく言われない?」
勧めた場所には座らず、俺の隣に腰掛けたユリアが、詰め寄ってくる。
確かに言われた事はあるが、それがどうしたというのだろう?
首を傾げていると、ユリアの手が俺に触れてくる。
頬を撫でるように触れた手が、そのまま首に回された。
抱きつかれて、ようやくユリアの言葉の意味を理解する。
「トモミの子供が欲しいから、抱いて。父親になってくれなんて言わないわ。勝手に育てるから、旅立つのなら私に子供を残していってほしいの」
さすがに、ここまでストレートに誘われたのは初めてで、驚いた。
どう断ろうかと悩みつつ、やんわりとユリアを押しやろうとした。
ユリアから、濃い花の香りがする。
媚薬のようなものなのか、くらっと眩暈がして、片手で頭を抑えた。
「トモミに想う人がいるのは知っているわ。だから、心はいらない」
誘惑するような甘い声音で囁かれ、不自然なほどに体が熱くなる。
意思に反して、体だけが勝手に昂ぶっていく。
きつく唇を噛み締め、細いユリアの肩を掴んで、強引に引き離した。
ユリアに対して好意はあるが、だからといって抱けるかといえば無理だ。
まして、子供だけ産ませるとか、絶対にできない。
見た目が派手な割りに潔癖だと、昔、仲のいい先輩に笑われたことがあるが、心が伴わない行為は、どうしても苦手だ。
遊びでもいいからとか、一度だけでもいいからとか、迫られるたびに、そんなに軽い男に見えるのかと腹が立った。
俺は付き合っている相手以外に手を出したことはないし、遊びで誰かと付き合ったこともない。
何より、神楽に顔向けできないような事はしたくない。
俺達の間にあるのは、約束が一つだけで、特別な関係というわけではない。
だから、ここでユリアを抱いたとしても、責められる事などないとわかっている。
けれど、俺が嫌だ。
心の中の一番大事なところに神楽がいるのに、不誠実な事はしたくない。
「悪いが、俺には無理だ。今抱いたら、間違いなく違う女の事を思い浮かべて、そいつの名前を呼ぶ。君に好意を持っているから、惚れた女の代わりにしたくない」
簡単に引くような覚悟で来たわけではないだろうから、きついくらいの言葉を選んではっきりと断る。
思わせぶりな事はしたくないし、気を持たせることもしたくない。
できれば、ユリアにはいい友人でいて欲しい。
俺の恋人や伴侶になりたいというわけではなく、転生者の子供が欲しいだけのようだから、それなら、友人でいて欲しいと伝えても失礼ではないだろうか。
昔、告白されて、いい友人でいて欲しいと伝えて、殴られた事がある。
愛情を求めている相手に、友情を要求するのは酷な事なのだと、そのときに学んだ。
「――そこまで言われたら引くしかないわ。トモミに嫌われたくないもの」
しばらく俯いていたユリアが、ため息をつき、諦めたように離れた。
ホッと息をつきつつも、昂ぶったままの体を持て余す。
アルコールのせいにするには、何かおかしい。
「ユリア、酒に何か入ってたか?」
問いただすように見つめると、ふいっと視線を逸らされた。
その仕草だけで、肯定している。
「軽い興奮剤を入れただけよ。すぐに抜けるわ。それこそ、一度抱いてくれたら確実に」
悪びれずににっこりと微笑まれて、深々とため息をついた。
距離を取るように、向かいのソファに移動する。
「何も、逃げなくてもいいじゃない」
笑いながら文句を言われるけど、無視だ。
無性に煙草が欲しくなったが、元々、滅多に吸わないので持ち合わせはない。
「妊娠しようと思って、薬まで飲んでいたのに、本当に残念だわ。私がトモミに襲い掛からないように、理性があるうちに戻るわね。……おやすみなさい」
冗談とも本気ともつかないことを言いながら、ユリアが席を立つ。
軽く言い放つ語尾が、ほんの少し震えているのに気づいた。
もしかしたら、子供が欲しかっただけではないのかもしれない。
そう思ったけれど、気づかない振りをした。
気づいたからといって、今、俺がユリアにしてやれることは何もない。
「おやすみ、ユリア。明日は美味いケーキを食わせてやるよ」
俺にできることは、友人としての立場を崩さない事。
俺の生徒達を引き受けたとき、少しでもユリアにも益があるようにする事。
それくらいだ。
「楽しみにしてるわ。また、明日ね」
ユリアがしっかりと視線を合わせて、微笑みかけてくる。
こういう気丈なところは、口にはしないが結構好きだ。
ユリアを見送って一人になり、ぐったりとソファに横たわった。
早々に出て行ってくれて助かった。
理性は保てるが、体の変化は誤魔化しようがない。
「水でもかぶるか……」
この寒いのに水をかぶるのは自殺行為のような気もしたが、体が熱くて収まりそうにない。
軽い興奮剤とかいっていたが、本当に軽いのか?
自分の感情とはまったく関係なく、無理矢理昂ぶらされるような感覚が気持ち悪くて、耐え切れなくなる。
部屋に備え付けの浴室に行き、浴衣を脱いで、水をかぶった。
凍えるように冷たいけれど、体を醒まさなければ吐きそうだ。
もっと楽に薬を抜く手段があるのはわかっていても、水をかぶって醒ます以外の手段は選びたくなかった。
いつでも体を温められるよう、浴槽に湯を張りながら、しばらく修行僧のように水をかぶり続けた。
翌日、風邪を引くなんてこともなく、レベルアップで随分体が頑丈になっているのを体感した。
ユリアは、昨夜の事が夢だったかのようにいつも通りで、ホッとした。




