幕間 森の国にて 1
一条視点。森の国から旅立つまでの顛末。数話続きます。
朝、起きて窓の外を見るたびに、魔道具というのは凄いものだと思う。
あれだけ降っている雪が、街の中にはほとんど見当たらない。
街の外は、大きな門が開かないほどに雪が降り積もっているというのに、結界の魔道具のおかげで、街の中だけは快適に過ごせるのだという。
ただ、気温だけはどうにもならないらしく、凍えるような冬の寒さを感じた。
俺は夏生まれだけど、冬は好きだ。
空気さえ凍るような冬の寒さで、自然に背筋が伸びる、あの感覚が好きだ。
「先生……? おはようございます」
窓を開けたせいで寒かったのか、佐々木も比良坂も目を覚ましてしまったようだ。
俺達は宿代を節約する為に、個室を取らず3人部屋を使っていた。
女子3人は仲が悪いので、それぞれ個室を使っているが、迷宮で稼いだ報酬は均等に分配しているので、自分で稼いだ分を、どう使うかまでは口を出していない。
「おはよう。すまない、寒かったか?」
窓を閉めながら振り返ると、二人ともベッド出て、身支度を整えていた。
まだ6時の1の鐘が鳴る前だから、夜は明けておらず、外は薄暗い。
だが、冒険者の朝は早い。
この時間でも、張り出されたばかりのクエストを受ける為に、冒険者はギルドに集まっている。
比良坂は魔道具の製作を習う為に、魔道具師の下へ弟子入りしていた。
製作を教えてもらう代わりに、店でも働いているから、どんなに遅くても2の鐘が鳴るまでには、店に行かなければならない。
そうなると、早朝か店を閉めた後しか、迷宮にいけなくなってしまった。
「大丈夫。おかげで目が覚めました。どうせ、女子はまだ寝てるだろうし、朝食前に迷宮に行きたかったんです」
今日は、朝の内に迷宮に行くらしい。
比良坂がいるときは3人で、行けそうにないときは、佐々木と二人で、早朝に一度、迷宮に入るようにしていた。
レベル上げもあるけれど、金策という意味合いが大きい。
スキルは使えば使うほど、能力も上がるようなので、佐々木の結界師のレベルを上げるためにも、迷宮にできるだけ行くようにしていた。
早朝に一度迷宮に行き、宿に戻って朝食を食べる頃、女子3人も起きてくる。
その後にもう一度迷宮に入ってレベル上げをするのが、最近の一日の過ごし方だ。
迷宮に行くだけでなく、本を読んだり、現地の人に話を聞いたりして知識を増やしているが、結界師というのはあまりいないらしく、レベルの高い結界師ともなると、どこの街でも歓迎されるらしい。
外を旅するのに、結界の魔道具というのは必須で、街の中でも、防犯のために至る所で結界の魔道具が使われている。
結界師が魔力をこめた魔道具は性能が段違いになるらしく、結界師の佐々木と、魔道具師の修行中の比良坂は、今後も何とかやっていけそうな様子だった。
装備を整えて、一度冒険者ギルドに行き、3人で受けるのによさそうなクエストを受ける。
クエストも、より効率のいい受け方や選び方を、佐々木と比良坂が教えてくれた。
いつも通り迷宮に向かい、3人で10層に出て、そこから下へと下っていく事にした。
俺が剣を持って戦い、比良坂は土魔法でゴーレムを作って操り、佐々木はタイミングを見計らって結界を出し、防御を引き受けてくれる。
敵の攻撃を食らって怪我をすることもあるが、俺が光魔法を使えるので、簡単な治癒はできた。
魔法のスキルを成長させるためには、できるだけこまめに使ったほうがいいらしく、宿にいる時も、できるだけ使うようにしている。
寝る前には、使えなくなるぎりぎりまで魔法を使ってから寝るようにしているので、比良坂たちが言うところのMPの量が増えたのか、それとも魔法の熟練度のようなものがあがったのか、具体的にはわからないが、魔法の使用回数は確実に増え、威力も上がっていた。
数値で見えないのは不便だが、使える呪文のようなものが増えているので、目に見えないだけでレベルは上がったのだろうと感じている。
寝る前に魔法を使いきるという無茶ができるのも、仲間と一緒に街にいる今だけなので、今の内に少しでも鍛えておこうと必死だ。
「先生っ、それ、倒すとおいしいやつだから、逃がさないで!」
戦闘中に瀕死のダメージを食らうと、逃げ出す黒兎が出てきた。
この兎は倒すと何故かチョコレートを落とす。
世界中で、チョコレートを落とす黒兎がいるのは、ここだけらしく、チョコレートは高値で取引されている。
パーティメンバーの鈴木の職業が菓子職人なので、売らないにしても、あって困るものではない。
初めてドロップしたチョコレートを見たときに、好奇心からみんなで食べてみたが、かなり苦かった。
知っている味に例えるなら、カカオ99%くらいのチョコレートに近い。
苦いチョコレートは嫌いじゃないが、70%くらいのが好みだ。
だから、ドロップしたチョコレートを菓子に使うなら、何らかの加工が必要だった。
「わかった。佐々木、結界を頼む」
他の魔物は無視で、黒兎に集中して攻撃する。
白兎も突進を掛けてくるが、佐々木の結界に阻まれて攻撃は届かない。
剣道をやった事があるとはいえ、当然の事ながら戦闘経験などなかった。
だから、最初は剣を持っていても、酷い動きだったと思うが、最近は普通に戦えるようになってきた。
神からもらった装備には、盾もあるが、最近は剣だけを使うことが多い。
それというのも、防御は盾よりも佐々木に任せた方が、佐々木の結界師のレベルが上がりやすくなるようだからだ。
一人になった時や、誰かを守りながら戦う時に備えて、盾を持った戦い方も、そのうち練習しようと思っている。
元々、そこまで強くない黒兎はすぐに、きゅぅうっと声を上げて事切れた。
残りの白兎も難なく片付けて、解体ナイフでドロップアイテムを手に入れる。
「先生、早朝の迷宮で出したチョコレートは、全部先生にあげるから、アイテムボックスに残しておくといいよ。神楽さんは絶対お菓子を作ると思うから、チョコレートがあったら喜んでくれると思う。ここの迷宮に通えるうちに、ためられるだけためて、持っていってあげて。それに、アイテムボックスって使えば使うほどスキルが育つらしいから、どんどん使ったほうがいいって、お師匠様が言ってた」
言いながら、ドロップしたチョコレートを比良坂が差し出してくれる。
ここでしか手に入らない食材なら、他の街では貴重品だろう。
「ありがとう、遠慮なく受け取っておくよ。でも、代わりに他の素材は二人で持って行ってくれ。特に比良坂は、魔道具を作るのに使う物もあるだろう?」
高級食材だというのに、鈴木が一緒の時も、二人はチョコレートを譲ってしまう。
他にも高い素材はあるし、討伐クエストも受けているから、十分利益があるのは知っているけれど、できるだけ報いてやりたい。
「先生、気にしないで。チョコレートは僕達からのプレゼントでもあるから。いつか、神楽さんが作ったお菓子を持って、先生が逢いにきてくれたらそれでいいよ。それまでに、絶対、すごい魔道具師になっておくから」
目標を持ってから、比良坂も佐々木も、前よりも更に生き生きとしていて、何をするにも楽しそうだ。
森の国の住人は、エルフがほとんどだけれど、エルフは転生者にとても優しく、この街はとても暮らしやすい。
「お互いに遠慮してないで、たくさん狩れば解決すると思う」
佐々木の提案に、それもそうかと頷き、次の獲物を探して歩き出した。
確かに、討伐クエストは倒せば倒すほどに報酬も増えるし、倒せば手に入る素材も増える。
時間も限られている事だし、警戒しながらも足を速める。
レベルが上がれば上がるほどに、体は疲れにくくなっていった。
狩りの効率を重視して、クエストを受けているので、この辺りの魔物で苦労することはない。
佐々木と比良坂が言うには、ゲームと違って、レベルでクエストを受けられなくなるということがないから、助かるそうだ。
俺には何のことかよくわからないが、楽に狩りができて、クエストも受けられるというのは、ありがたいことなのだろうと思うことにしている。
2の鐘が鳴るのは9時だが、その前に比良坂が食事もしなければならない事を考えて、8時には迷宮を出るようにしている。
腕時計なんかあっても、使わないかと思っていたが、意外と役に立っている。
旅に出れば、鐘の音は聞こえない場所もあるだろうし、もっと役に立つだろう。
限られた短い時間の間、迷宮内で狩りをし続けた。
3人で戦う事に慣れたのと、素材集めという目的があったので、いつになく収穫が多かった。
アイテムボックスのスキルを育てる為に、これからは、自分の分配分の食料はできるだけ残しておくことにしよう。
冬篭りをしている街の中で、大量の買い物は迷惑になるから、旅の間の食料は、迷宮で手に入れたもので何とかするのが、一番いいように思った。
迷宮を出て、冒険者ギルドでクエストの報告をした後、一度宿に戻る。
個室には風呂がないものの、宿には温泉があるので、迷宮から帰った後は風呂に入ることにしていた。
佐々木も比良坂も風呂は夜だけで十分というので、ここからは別行動になる。
最初に温泉を見たときは、不思議に思ったが、何でも、昔の転生者に地質学者がいたそうで、その転生者が、あちこちを旅しては温泉を掘り当てたらしい。
森の国は、名前の通り森が多いというのに、温泉も多く、その熱を利用してできた村もある。
温泉の熱と結界を利用して、雪の積もりにくい村を作っているらしい。
ただ、一晩でかなりの量の雪が降り積もるので、雪が降る間は村から村の移動はできない。
首都でさえも例外ではなく、雪の季節が終わるまでは完全に閉ざされ、どことも交流できなくなる。
もちろん、流通も止まるので、冬支度は大変なものになるらしい。
森の国の首都は迷宮があるので、迷宮で手に入る食料を利用して冬篭りができるため、自然に人口が多くなったらしい。
この時間帯は、風呂に入る人もなく、常に貸切のようになっている。
植物を利用して作られた石鹸やシャンプーは、植物と相性のいいエルフの作ったもので、質もいい。
魔道具がたくさん出回っていて、拭くだけで乾燥してくれるタオルまである。
2ヶ月と少しの間に、髪が随分伸びてしまい、根元だけ色が違う事になるかと思っていたが、少しずつ染めていた色が落ちていた。
不思議に思うが、異世界だから仕方がないと、最近は何でも納得するようにしている。
細かい違いを気にしたら、切りがないというのもある。
元の色の淡い金髪のままでは、あまりに教師らしくないかと、違和感の少ない薄茶に染めていたが、異世界でまで気にする事でもない。
湯船に浸かったまま、今後の事を考える。
比良坂と佐々木は問題がないから、後は女子3人のことを何とかしなければならない。
日永は絵師、鈴木は菓子職人、雪城は回復術師だった。
日永だけ職業レベルは2で、他の二人は1だ。
絵を描けるような質のいい紙が出回っていない世界の絵師と、菓子を売る店がないので弟子入りも出来ない菓子職人と、俺の光魔法よりも回復力の弱い回復術師となると、先行きは不安だ。
一番不安なのは、3人ともあまりやる気がないことだ。
戦うのが嫌なだけなら、迷宮に入る以外の生活手段を何か考えるべきなのだが、とにかく3人とも仲が悪い。
日永が怒る理由は何となくわかる。
鈴木も雪城も、日永を下に見ていて、それが言動に表れている。
俺が窘めたり取り成したりすると、特別扱いだと騒ぎ出すし、頭が痛い。
我が家は男系らしく、俺は男兄弟しかいなかったし、いとこや親戚も男が多かった。
学生時代は纏わりついてくるタイプの女は、まともに相手してなかったから、うまい付き合い方がわからない。
ああいう嫌な意味で女らしいタイプは苦手だ。
精神的に不安定なせいだろうと様子を見ていたが、そろそろ何とかしないとだめだ。
彼女達の将来のためにも、きっちりと話し合うべきだと思う。
「先生ー、倒れてない?」
俺がいつまでも風呂にいたので、心配したらしい佐々木が、脱衣所から声をかけてくる。
「すまん、考え事をしてた」
謝りながら風呂を出た。
体を拭き、手早く身支度を整えていると、視線を感じる。
「どうかしたか?」
がしがしと髪を拭きながら見遣ると、佐々木が慌てて首を振った。
「先生、大きくていいなぁって思って。背も体格も違い過ぎです」
佐々木は160ちょっとくらいの背丈で、かなり痩せている。
東洋人としても細い方だろう。
しかも、職業が結界師のせいか、こちらにきてレベルが上がってからも、体格は変わらないようだ。
「俺はクォーターだからなぁ。父方の祖父さんだけ日本人なんだが、その祖父さんも日本人にしては背が高くて、体格もかなりいいんだ。だから、体つきは完全に遺伝だろうな」
髪と目の色は、スウェーデン人である母親譲りだ。
個人的にスウェーデンは美形が多いと思う。
母の帰省に付き合って向こうに行くたびに、日本では何かと目立っていた容姿が、ありふれたものと受け止められるので、居心地が良かった。
「そういえば、何を考えてたんですか?」
手櫛で髪を整え、佐々木と一緒に脱衣所を出た。
比良坂はもう魔道具師の店に行ってしまったのだろう。
考え事をしていたせいで、長湯をし過ぎた。
「女子3人の今後のことだな。3人とも迷宮はあまり好きではないように感じるから、何とか生活手段を見つけるための、話し合いをするべきかと思っていた」
俺の言葉を聞いて、佐々木は何やら憤慨した様子だ。
温厚な人柄なのに、こういう表情を見せるのは珍しい。
「あいつら、先生に甘え過ぎ。日永は多分、絵が描けないせいで自棄になってる感じがする。鈴木と雪城は論外。動物の縄張り争いみたいに、先生を争ってる。先生の気持ちなんか全然考えてない」
温厚な佐々木が怒っているのは、俺のためなんだと思ったら、何というか胸の中が暖かくなるような、じんわりとした嬉しさが沸いてきた。
「ありがとうな、佐々木。それじゃ、一番何とかなりそうなのは日永かもな。何とか絵師としてやっていける道があるといいんだが……」
画家というのがいないわけではないようだが、こちらの絵画はほとんどが肖像画だから、貴族社会にツテが必要だ。
そうなると、いわゆる貴族の作法というのも必要になるだろうし、絵が描ければいいという問題ではない。
身分というのがない世界で育ったから、なかなか実感できないが、貴族とは圧倒的な力の差がある。
いくら転生者とはいえ、やり方を間違えば、最悪の場合は、命の危険さえあると思っていたほうがいいだろう。
転生者が一人だった時代ならともかく、今回は70人以上いて、希少価値はない。
言動には十分気をつけなければ、危険なときもあるはずだ。
「日永は僕達に任せてください。多分、先生より僕達の方が話しやすいこともあると思うし、先生が日永に構っていると、またあの二人がうるさくなるから」
うるさくなると言う辺りで、佐々木が顔を顰める。
日永に対しては悪印象はないみたいなので、任せる事にした。
「じゃあ、日永のことは頼む。でも、俺が必要なときは、すぐに声を掛けてくれ。いつでも手助けするから」
よく考えてみれば、日永は俺に遠慮がちだ。
他の女子がうるさいせいもあるかもしれないが、離れたところから見ていることはあっても、俺が話しかけると結構素っ気無い。
俺が腹を割って話しても、反応は薄いかもしれないと思った。




