27.領主の館 前編
年が明けてしばらくして、商業ギルドに呼び出された。
貴族の礼儀作法を教えてくれる人が見つかったので、アーネストさんが自ら案内してくれるそうだ。
貴族街に行くのに、亮ちゃんが私を一人で出してくれるはずもなく、鳴君と一緒についてきてくれた。
礼儀作法を教えてもらえるのなら、亮ちゃんと鳴君も覚えてくれればと思う。
二人とも中高と生徒会役員をやっていただけあって、目上の人の対応には慣れている。
商業ギルドにつくと、ちょうどアーネストさんが外に出てきたところだった。
貴族街に徒歩で行くわけにはいかないので、今日は商業ギルドの馬車で行くらしい。
「時間通りだな。詳しくは馬車の中で説明する」
アーネストさんが先導して、紳士らしく私が馬車に乗るのに手を貸してくれる。
馬車に乗り込むと、亮ちゃんはちゃっかりと私の隣に腰掛けた。
向い側にアーネストさんと鳴君が並んで腰掛ける。
「随分ガードが堅いな」
アーネストさんが苦笑するけれど、馬車の中は狭いから仕方のないことだと思う。
この中で誰の隣がいいかと言われたら、迷わず亮ちゃんを選ぶ。
「嫁入り前の娘が、不用意に男性と接触するのはよくありませんから。あなただって、美咲に変な噂が立つのは不本意でしょう?」
亮ちゃんは、アルさんとは打ち解けたのに、アーネストさんに対しては警戒モードのままだ。
愛想なく対応するので、時々困ってしまう。
アーネストさんも鉄仮面と言われるほどの無表情だし、似たもの同士なんだろうか。
「亮ちゃん、程ほどにね? アーネストさんはお忙しいのに、今日は私のために時間を作ってくださってるんだから。礼儀作法を教えてくれる先生を探してくださったのもアーネストさんだし、本当に助かっているのよ?」
忘れそうになるけれど、アーネストさんは商業ギルドのトップだ。
そういう人に対して、礼を欠いた態度はよくないと思うから、やんわりと亮ちゃんを窘めた。
走り出した馬車は、思ったほどには揺れないけれど、乗り心地がいいかというと、車を知っている私達には微妙だ。
ただ、石畳を走る馬車の音は、異国情緒があって悪くないと思う。
「アーネストさん、すみません。私が随分心配を掛けてしまったから、過敏になってるんです」
亮ちゃんの代わりに謝ると、気にするなというように、緩く首を振られる。
アーネストさんが大人な対応をしてくれて助かった。
アルさんといる時みたいに、喧嘩になったらどうしようかと思ってしまった。
「それより、今日の行き先なんだが、ラルスの館なんだ。行儀作法の教師もラルスが紹介してくれた、ラルスの館の侍女長でね」
何やら言い辛そうに話し出したアーネストさんが、一度言葉を切り、ため息をつく。
やっぱり、ラルスさんは貴族だったのか。
そんな雰囲気はあったけれど、でも、噂に聞いていた嫌な貴族とは全然違っていた。
「年末に紹介する前から、私の話を聞いて、カグラに興味を持っていたようなんだが、実際にカグラに逢って料理を食べて、すっかり気に入ってしまったようなんだ。店にお忍びで顔を出すくらいなら、問題はないだろうと思って紹介したんだが……」
アーネストさんの眉間に皺が寄って、小難しい顔つきになってる。
どこに問題があるのかわからなくて、首を傾げてしまう。
「アーネストさんがそこまで言い辛そうにするということは、やはり、ラルス氏はこの街の領主ですか。噂に聞く人柄とも重なりますし、アルフの反応もおかしかったから、そうではないかと疑っていたのですが……」
鳴君が、確信を持ったように言い、アーネストさんは驚きに目を瞠る。
亮ちゃんもまったく驚いた様子がないので、気がついていたみたいだ。
私は、貴族かとは思っていたけれど、領主様とはさすがに思わなかった。
驚く私の手を取り、亮ちゃんが宥めるように撫でてくれる。
「ばれていたか。私的な部分とはいえ、領主の館に定期的に顔を出すとなると、他の貴族と遭遇する可能性もある。さすがに領主の館で誘拐されるということはないが、その代わりに、取り入ろうと近づいてくる貴族も増えるだろう。君達なら問題はなさそうだが、言動には十分注意してくれ。平民とはいえ、転生者で領主の客人だから、高位の貴族でも粗雑には扱えない立場になる。けれど、何か問題が起これば、領主の顔に泥を塗ることにもなる」
アーネストさんの説明に、黙って頷きを返す。
ラルスさんは、感じのいいおじ様だった。
迷惑を掛けるような事はしないように気をつけたい。
「領主の申し出は、美咲を気に入ったから、それだけですか? 何か含むところは? 確か領主には、独身の息子が3人いましたよね?」
亮ちゃんが何を心配しているのか、アーネストさんに問いを重ねる。
領主様は先王の弟という話だったし、その子供となれば王位継承権だって持っていてもおかしくない。
そんな人達が平民の私に見向きするはずもないのに、心配性すぎる。
「そんな心配があるなら、私がカグラを案内するはずないだろう。下手な貴族の館で行儀作法を習うよりは、領主の後ろ盾があるほうが安全だと思ったから連れて行くんだ。それに、独身といっても、まだ結婚していないだけで婚約者はいたはずだ。それでも第二夫人にという心配もあるかもしれないが、正妻がいるような男に誰がやるか」
こちらの世界では一夫多妻もその反対もあるみたいだけど、複数の伴侶を持つ人は、それだけの経済力も要求されるから、そう多くはないらしい。
私も、結婚するなら他に奥さんがいる人は、絶対に嫌だ。
どんなに好きになっても、他に誰かいるとわかった時点で諦めると思う。
「それならいい。後は俺達がしっかりガードすればいいだけの話だ」
亮ちゃんは安心したように息をついて、軽く私に凭れかかってきた。
どこにも行かないから、安心してていいのに。
離れ離れになったことでついた、亮ちゃんの心の傷は、私が思うよりも深いのかもしれない。
「頼りにしてるね、亮ちゃん」
寄り添ったまましっかりと手を繋ぎ合せると、指を絡めるように握り返された。
そんな私達の様子を、複雑そうにアーネストさんが見ていることに気づいたけれど、亮ちゃんの心のケアの方が大事だ。
馬車はしばらく走り、領主の館へと辿り着いた。
ランスの街の領主の館は、執務をする公的な場所と、領主の家族が暮らす私的な場所に分かれている。
門も別になっていて、一度門番に確認をされてから、領主一家が使う門を通って中に入った。
馬車の窓から見えた門は、大きく立派で、中に入ると噴水や綺麗に手入れをされた庭も見えた。
3階建ての大きな館の前で馬車は止まり、今度は亮ちゃんに手を貸してもらい馬車を降りる。
アーネストさんがノッカーで扉をノックすると、すぐに扉が開けられ、使用人らしき人に中に招き入れられる。
さすが領主の館だけあって、玄関ホールは広々としていて、解放感がありながらも重厚さを兼ね備えていた。
こちらの建築様式は似ているのか、規模は大違いだけど、お店の作りとも似通った部分がある。
玄関ホールからは2階に続く大階段が見えて、左右にじゅうたんを敷かれた廊下がある。
「マクダネル様、ようこそお越しくださいました。そちらが、話にあったお嬢さんですか? 案内いたしますのでこちらへどうぞ」
中に入ると、姿勢のいい執事らしき人に出迎えられた。
一部の隙もなく身嗜みが整えられていて、いかにもといった感じだ。
アーネストさんは何度もここへきたことがあるのか、礼儀正しく接しながらも、親しみのこもった様子だった。
執事さんらしき人に案内され、右手の方へと歩いていくと、一つの扉の前で立ち止まった。
扉をノックすると、すぐに返事があり、中へ招き入れられる。
「よく来てくれたね。そこに掛けて待っていてくれたまえ」
先日、お店に来てくれたときとは、全然違う雰囲気のラルスさんが、私達にソファを勧めた後、人払いをする。
部屋には、執事さんらしき初老の男の人と、ティーセットの乗ったワゴンを押してきた中年の侍女らしき人だけが残った。
「リョウジとナルだったか? 君達も掛けたまえ」
私の後ろに立って控えようとしていた亮ちゃんと鳴君にも、ラルスさんが声をかける。
亮ちゃんは私の隣に、鳴君は一人掛けのソファに腰を落ち着けた。
「カグラ嬢、正体を隠していて申し訳なかった。先日は、急な参加にも関わらず、快く迎え入れてくれてありがとう。おかげで、とても楽しい時間を過ごさせてもらった」
向かいに腰掛けたラルスさんにお礼を言われる。
ここに残った人の前では、取り繕わなくていいということなのか、以前会った時の様な雰囲気だ。
「いいえ、領主様ともなれば仕方のないことですから。それに、お世話になっているアーネストさんの紹介ですから、当然の事をしたまでです」
私的な集まりのあの時に、領主様だと聞いていたらみんな緊張してしまっただろうし、正体を隠すのは当然の事だと思う。
アルさんだって領主様だとわかっていたけれど、何も言わなかった。
私達が気楽に楽しめるように、黙っていてくれたのだと思う。
「アーネストと私は幼い頃からの知り合いでね。森の国の迷宮に行く為に、しばらく滞在していたのがアーネストの生家だったんだ。幼友達といってもいいアーネストが、私の治める地の商業ギルドのマスターになった時は、随分驚かされたよ」
商業ギルドのマスターだからじゃなくて、ずっと前からアーネストさんはラルスさんと交流があったのか。
それにしても、40代半ばに見える領主様の幼友達って……。
アーネストさんはどう見ても20代半ばなんだけど、実際は結構な年齢なんだろうか?
思わずじーっとアーネストさんを見ると、苦笑された。
「ラルスよりは年下だぞ。人族の倍は生きるハーフエルフだから、別に年齢詐称しているわけではない」
前に年の功って言った時に嫌がっていたし、歳のことは気にしているのかもしれない。
あまり触れないでおこう。
「そうだな。アーネストはまだ若い。私の娘のような歳のカグラ嬢に夢中になるくらいだからな」
人の悪い笑みを浮かべて、ラルスさんがアーネストさんをからかう。
反論できないのか、アーネストさんが鉄仮面になってしまった。
私も下手に口を挟めず、黙って見守った。
「そんなことより、本題に入れ。カグラに礼儀作法の教師を紹介してくれるというから、連れてきたんだぞ」
領主様に対する言動ではないけれど、いつものことなのか、執事さんも侍女さんも気にした様子はない。
香りのいい紅茶を出され、遠慮なくいただくことにした。
侍女さんが紅茶を出す順番を見ていたけれど、ここは私的な場だからか、まずアーネストさん、それから、私、亮ちゃん、鳴君、最後にラルスさんといった順番で出していた。
公の場なら、領主様であるラルスさんから出すんじゃないだろうか。
「それなんだがな、使用人としての礼儀作法と貴族としての礼儀作法はまた違うだろう? カグラ嬢の場合、どちらも覚えておいた方がいいのではないか?」
貴族が来店した時の対処法を知りたかっただけなのだけど、ラルスさんが思いがけない事を言い出す。
どうしてだろう?と思ったけれど、とりあえず話を最後まで聞くことにした。
「茶会に招かれる事もあるかもしれないということか。カグラの作る料理も菓子も女性向けだからな。貴族の女性の間でも流行る事を見越しているのか?」
アーネストさんが少し堅い雰囲気で、ラルスさんに問いかける。
確かに、私の出す料理は女性をターゲットにしている。
しかも富裕層の女性や働く女性だから、そこに貴族の令嬢や奥様が混ざってもおかしくはない。
でも、お客として店にくるのと、お茶会に招かれるのはまた別だと思うのだけど。
「あの、お茶会に招かれたら、出席しなければならないのでしょうか?」
お店を離れたところでまで、貴族との付き合いをするのは避けたいところだ。
別に、社交の場に慣れてないわけじゃないけれど、身分差がある以上、気が進まない。
「店があるからと言えば、料理をカグラしか作れない以上、無理には誘われないだろうが、流行の店の店主を茶会に招くというのは、よくある話だ。断り続けるのも難しいだろう」
目上の人からの誘いを、何度も断るのは失礼に当たるというのは、理解できた。
まだ開店もしていないのに、気が重くなってきた。
「そこでなんだが、使用人としての作法は、ここにいるデラが教える。そして、貴族の礼儀作法は私の妻に習うのではどうだろう? 娘が二人とも嫁いでしまってから、妻も時間を持て余していてね。それに、領主の妻の後見があれば、余程の身分の貴族でなければ、茶会に誘ったりもできなくなる。妻の後見があると知れれば、妻を通して茶会の招待は行われるはずだから、カグラ嬢が望むのなら、参加しても問題のない茶会をこちらで選別することもできる。カグラ嬢にとっても、悪い話ではないと思うんだが……」
ということはつまり、領主夫妻の後見があることを公にすることが前提なのか。
直接、お茶会の招待がくるとなると、相手がどの階級の貴族でも断るのが大変だろうけど、ラルスさんの奥様のところで処理してもらえるのなら、私が直接断る事もない。
それはとてもありがたい事ではあるけれど、私には利益があっても、ラルスさん側にはまったくないと思う。
ラルスさんには何も関係ないことだというのに、ここまで親切にしてもらえる理由がわからなくて、首を傾げてしまう。
「どうして、そこまで親切にしてくださるんですか? 言い方は悪いですが、領主様ともなればお忙しいでしょうし、転生者とはいえ、平民の料理人がどうなろうと、関係ないですよね?」
失礼かと思ったけど、思うことを尋ねてみると、ラルスさんは一瞬驚いた様子だったけれど、すぐに可笑しそうに笑い出した。
亮ちゃんと鳴君は、私を立ててくれているのか、黙ったまま話を聞いている。
「見た目はたおやかでありながら、芯はしっかりしているのだね。アーネストが夢中になるのも仕方がない。カグラ嬢、君は自分の価値をまだよく理解していないようだ。君の店は、開店したらランスの名物となるだろう。専属料理人としての誘いや、王都での出店の誘いが、次々と出てくることは、簡単に予測がつく。場合によっては他国から出店の誘いがあってもおかしくない」
誰かの専属になる気はないし、先生と再会するまでは、ランスを離れる気もないから、そういう誘いがくるのは、正直なところとても鬱陶しい。
それが顔に出てしまったのか、くすっと鳴君が笑う気配がした。
「領主として、他の国や王都にカグラ嬢を取られないように、優遇するのは当然の事だ。街を訪れる人が増えれば、その分栄える。私は君の料理を食べて、それだけの価値があると判断したんだ」
ラルスさんの言いたいことはわかるけれど、段々話が大きくなっている気がして、不安になってしまった。
自分のしたいことをしているだけのつもりだったのに、まだ開店もしていない店のことをそこまで評価されても、怖いとしか思えない。
そんな不安を感じ取ったのか、亮ちゃんが私の手をしっかりと握ってくれた。
伝わる温もりで、少しずつ不安が和らいでいく。
そうか、亮ちゃん達がいてくれるから、大丈夫だ。
私はもう一人じゃない。
支えてくれる人がいるから、自分を見失わないでいられる。
私は私にできることを、精一杯やればそれでいいんだ。
ありがとうという気持ちを伝えようと、亮ちゃんの手をしっかり握り返す。
ここに亮ちゃんがいてくれて、本当によかった。
「そこまで評価してくださって、ありがとうございます。ご期待に沿えるかどうかわかりませんが、精一杯頑張ってみたいと思います」
「よろしくお願いします」と、頭を下げると、ラルスさんは優しく微笑んでくれた。
いい領主様のいる街に辿り着き、後見もしてもらえるというのは、もしかしたら、神様が下さった運気の上がる称号のおかげもあるのかもしれない。
気休め程度とおっしゃっていたけれど、この世界に転生してからの私は、とても運がいいと思うから、関連はありそうだ。
長くなるので一度きりました。




