15.カロンの店
馬車もあるらしいけれど、カロンさんの店は近いらしいので、歩いていく。
並んで歩くと、マスターは165cmある私よりも頭一つ以上背が高い。
すらっとしていて足も長く、もっと普通に表情さえあれば、もてそうな人だ。
こちらで背の高い人は珍しくないけれど、赤みがかった金髪はちょっと珍しい。
銀の輪になった髪留めで、長い髪を一つにまとめてあるけれど、とても綺麗だ。
「どうかしたか?」
私が髪に見惚れていたのに気づいたのか、訝しげに尋ねられる。
表情はほとんど変わらないのに、わかってしまうのが不思議でならない。
「髪の色、珍しいなぁって思って」
さすがに綺麗と褒めるのは恥ずかしくてそういうと、私の髪を一房、掬うように手に取られた。
普段はこんなに簡単に触れさせたりしないんだけど、マスターが相手だと、事前に動きを察知できない。
不思議なくらい嫌悪感がないのは、下心がまったくなさそうだからだと思う。
「黒の絹糸みたいなカグラの髪のほうが珍しいだろ。私の髪色は、森の国に行けば普通だ」
掬い取った髪に、気障な仕草でキスをされて、恥ずかしさで顔が熱くなった。
無表情の癖に、面白がってる雰囲気が伝わってきて、余計に恥ずかしくなる。
この人、性格が悪すぎる。
「森の国って、隣の大陸のエルフの国ですよね?」
恥ずかしさを誤魔化すように話を逸らす。
髪から手を離されたので、ちょっと距離を開けて歩き出した。
「そう、警戒するな。もうしないから。私は森の国の生まれで、見えないかもしれないがハーフエルフだ。エルフは長寿のわりに子供ができ辛いんだが、転生者が相手だと普通に子供も生まれる。だから私は森の国では珍しく兄弟が7人いる。異母兄弟も合わせれば余裕で二桁を超えるだろう。兄弟のほとんどは森の国にいるが、私は外の世界が見たくて行商人として旅に出た。その後、色々と縁があってこの地に落ち着き、何の因果かギルドマスターをしている」
私の問いに頷きながら、マスターが私的な事を教えてくれる。
まだ若そうなのに、って思ったけど、ハーフエルフだから若くないんだろうか?
エルフがどれくらい生きるのか知らないけれど、見た目通りではないのかもしれない。
「マスターはおいくつなんですか? 20代半ばだと勝手に思っていたんですが」
問いかけると、何故か苦い表情に変わる。
年齢を聞かれるのは、男の人でも嫌なものなんだろうか?
「その、マスターっていうのはやめないか? アーネストでいい。歳は人族に換算すればそれくらいだろう。ハーフとはいえ、エルフの血も入ってるから何事もなければ、200年くらいは生きるはずだ。長寿な転生者が相手でも、滅多な事がない限り先に死にはしないから、安心して嫁いでくるといい」
あの冗談、まだ有効だったのか。
長寿って、転生者はどれくらいいきるんだろう?
確か、アルさんの曾お祖父さんは120歳くらいって聞いた気がしたけれど。
アルさんの話では、まだまだ元気でとても老人には見えないそうだ。
「残念だ、もっと口説きたいが時間切れか。カグラ、ここがカロンの店だ。この一帯は、富裕層の住宅兼店舗が多い。カグラが言っていたような店は他にはないから、ここに店を構えるなら、競争相手はいないだろう」
たいして残念そうじゃない無表情で言いながら、仕事に戻って説明してくれる。
マスターじゃない、アーネストさんが立ち止まり示した方には、綺麗な庭のある2階建ての建物が見えた。
白く塗られた石造りの壁には蔦が這い、瀟洒な雰囲気を醸し出している。
塀の代わりに生垣があって、馬車が通れるほどに広く取られたアーチ型の門には、蔓薔薇が絡み花を咲かせていた。
これは、庭の手入れをする人も雇わないといけないかもしれない。
「想像以上に立派なお店ですね」
感嘆しながら言うと、案内するように先に歩き出したアーネストさんが振り返った。
「下手な下級貴族の家よりよほど豪華だからな。……それにしても、カグラはやはり育ちがいいのだな。まったく気圧された様子がない。頼もしい限りだ」
私としては、言葉一つで素性まで読む、アーネストさんに気圧されそうですが。
言わずとも伝わったのか、アーネストさんは無表情を崩してくすっと小さな笑みが零し、エスコートするように手を差し出してきた。
「育ちがいいのはあなたの方でしょう」と、ため息をつきながら軽く手を重ねる。
顔は無表情だけど、仕草は洗練されていて、ちゃんとした教育を受けた人だとわかる。
森の国の貴族だと聞いても、納得できる感じだ。
アーネストさんが、ノッカーで扉をノックすると、両開きの大きな扉はすぐに開き、使用人らしき人が出てきた。
中はいかにも引越し作業中といった様子で、荷造り途中の荷物が散乱している。
こちらの引越しはどんな感じなのかな?と思ったけど、アイテムボックスがある分、日本よりは身軽に動けるような気がする。
「カロン氏はおられるか? 商業ギルドのマクダネルがきたとお伝え願いたい」
中へ促され、アーネストさんに手を取られたまま、応接室らしき場所へ連れて行かれた。
玄関ホールも広々としていたけれど、応接室も立派だ。
「ここは、貴族が来店した時に、個室が整うまで待たせる部屋だ。外で待たせるのは失礼に当たるからな」
ソファに腰を落ち着けてから、アーネストさんが教えてくれた。
カーテンや調度品もそのままなので、今は立派に見えるけれど、これらがなくなってしまったら随分寒々しいんじゃないだろうか?
好みに合わせて1から揃えるのもいいのだろうけど、そうするとかなりのお金が飛びそうだ。
やっぱり、お店を持つというのは大変な事なんだと実感する。
「お待たせいたしました。ギルドマスターが自らお越しとは、一体どのようなご用件でしょう?」
引越し作業中で忙しいのか、部屋に入ってきたカロンさんは、すぐに本題に入る。
変に挨拶が長いよりは、個人的には気が楽だ。
「いい話を持ってきた。まずは紹介をさせてくれ。こちらはカグラといって料理人だ。店を出すことを検討中なんだが、珍しいレシピをいくつも持っている。……カグラ、まずはいくつか料理をカロン氏に出してくれないか?」
渡せるレシピの料理を出せということだろう。
アイテムボックスから、クロワッサンとデニッシュをまず取り出した。
耐熱のミトンを両手につけてから、焼き立てをしまっておいたグラタンも取り出した。
あんなに食べたのに、さっきなかった料理を見て、アーネストさんが目を輝かす。
無表情の癖に、全身で食べてみたいと訴えられてる気がする。
「こちらが、クロワッサンとデニッシュ。パンの一種です。そして、こちらはポテトグラタン。器はランスの街の陶器屋さんで作ってもらったものです。まずは召し上がってください。グラタンは熱いですからお気をつけて」
仕方がないのでアーネストさんの分も、応接テーブルにランチョンマット代わりの布を広げ、その上にグラタン皿とフォークとスプーンを置く。
パンは小皿に盛り、カロンさんにだけ出した。
アーネストさんがちょっと残念そうだけど、見ない振りだ。
「これは、確かに珍しい。クロワッサンですか? パンなのにさくっとした生地のようですな」
クロワッサンを手にして、千切り、口に運んで、味や食感を確かめるようにカロンさんが頷いている。
バターが手に入りやすいランスだからこそ作れるパンだ。
他のパンと比べて、使うバターの量が多い。
「デニッシュの方は、リンゴをスライスしたものをのせて焼きました。パンですが甘く仕上げてあります。ちぎると手がべたつきますので、そのまま齧っていただく方がいいと思います。もし、齧るのが作法的に問題があるようでしたら、お店で出す時は小さめに作る方がいいかもしれません」
デニッシュは生地だけなら甘くないけれど、リンゴを乗せてアイシングも掛かっているので、食べると甘い。
こちらの食事マナーがどういうものかわからないので、一応、解決策も提示しておく。
「こういったパンは初めて食べました。確かに、デニッシュはちぎって食べるものではありませんな。……こちらは器ごと焼いたのでしょうか?」
カロンさんがポテトグラタンをスプーンで掬って、とろっとしたホワイトソースとその下のほくほくのじゃがいもを絡めて口に運ぶ。
熱かったみたいで、一瞬ビクッとしていたけれど、すぐに目を瞠って、もう一口、確かめるようにグラタンを食べた。
その向いで、アーネストさんは幸せそうにグラタンを食べている。
熱いのは平気みたいで、スプーンを動かす手が止まる様子はない。
「熱くて驚きましたが、味にはもっと驚きました。これは牛乳を使ったソースでしょうか。実に味わい深い。私の店でこの料理を出せたらとは思いますが、大事なレシピを譲っていただいて本当にいいのですか? 店を手に入れるためとはいえ、料理人にとってレシピというのは秘伝のものです。同じ料理でもそれぞれが創意工夫をして、長い時間をかけて作り上げるものです。料理人の命というべきものを引き換えにして、後悔はなさいませんか?」
同じ料理人として、若い料理人を諭すように訴えてくるカロンさんは、とてもいい人だと思った。
そしてきっと、料理をより良くする苦労を惜しまない、いい料理人なのだろう。
例え、店を手に入れることができないにしても、こういう人にならレシピを譲りたいと思う。
「私は転生者なんです。私の故郷ではレシピは簡単に手に入ります。書籍もありますし、他にも入手手段はたくさんあります。確かにカロンさんの言われるとおり、秘伝の味を守る伝統のあるお店もあります。けれど、これは故郷ではありふれた料理です。他の転生者でも作れる人がいるかもしれません」
カロンさんの誠意に応えるように、あえて事情を誤魔化さずに告げた。
唯一のとか、そういう付加価値をつけるつもりはない。
転生者と聞いて、納得したように頷いたカロンさんは、何事か考え込む。
「私は、転生してきたばかりで、今は一人ですが、友人が私を探してくれています。そして、他にも再会を約束した人がいます。その人達を待つ為に、家になる場所が欲しいんです。苦労して旅をしている友人達が探し当ててくれた時に、故郷の料理を振舞いたいんです。だから、お店が欲しいです。それに、王都でカロンさんの料理を、故郷の誰かが口にすることもあるかもしれません。それを考えたら、レシピを譲ることは何の問題もありません」
言葉を重ねると、黙って頷きながら聞いていたカロンさんが、まっすぐに私を見た。
私の気持ちを確認するかのような眼差しを向けられて、同じようにまっすぐに見つめ返す。
「そういった事情があるのでしたら、是非、レシピは買い取らせていただきたいのですが、私も家を手放して、まったくお金が残らないというのは困ります。レシピ3つで金貨150枚で、残りの金貨50枚は支払っていただくというのではいかがでしょう?」
レシピ一つあたり金貨50枚というのは破格だと思う。
前にシグルドさんにレシピを譲った時も、随分高く買い取ってくれたけれど、ここまでではなかった。
カロンさんとシグルドさんの資金力の差と、出しているお店の客層の違いだと思うけど、一番大きいのは、カロンさんが好意的に高値で買い取ってくれてるってことじゃないかと思う。
金貨50枚ならば払っても問題はないし、これだけのお店がそれで手に入るのならばいいんじゃないだろうか。
アーネストさんをチラッと見ると、自分で決めろとばかりに、目を閉じて腕を組んでいる。
ちゃっかり、ポテトグラタンは食べ終わっているのが憎たらしい。
「ありがとうございます、カロンさん。その条件でお願いします。もちろん、紙にも書き残しますが、作りながらも説明しますね。デニッシュとグラタンはアレンジもできますから、そちらもお教えします」
私の言葉を聞いて、カロンさんが目を輝かせる。
一流の料理人さんなら、アレンジは教えなくても自分でやりそうだけど、ヒントくらいは出していいと思う。
私なりの感謝を、精一杯形にしたい。
「私はギルドで契約書を作ってまいりますので、その間にレシピの伝授をされてはいかがでしょう?」
新しいレシピというのは、やはりわくわくとするものなのか、カロンさんはすぐにでも作りたそうだったので、アーネストさんの言葉に頷き、このまま、厨房を借りて料理をすることにした。
厨房にある大きなオーブンなどは、王都で最新のものに変えたらしいので、ここにあるものはそのまま残していくそうだ。
コテージのと違って、業務用のオーブンは大きくて、一度にたくさん焼けるから嬉しい。
料理人のレベルが4だというカロンさんの料理の腕はさすがという感じだった。
手早く無駄がなくて、とても器用だ。
クロワッサンとデニッシュの作り方もすぐに覚えてもらえて、アレンジの仕方も少し意見を出すだけで、カロンさんの方からもアレンジのアイデアが次々と出てきた。
王都で店を出す出資者がつくというのも、納得できる腕前だ。
グラタンの方は、じゃがいも、挽き肉、玉ねぎで作っていたので、他の野菜を使ったり、トマトソースも使ったりすると、味わいが変わる事を教えておく。
挽き肉を作るためのミートチョッパーも欲しそうにしていたので、ディランさんが作れることを教えておいた。
カロンさんも、ディランさんのところを利用しているそうで、すぐにディランさんのところにお使いを出していた。
今、製作を頼めば、引越しまでには出来上がるはずだ。
ディランさんは忙しくて大変かもしれないけれど。
「挽き肉と玉ねぎはとてもあいます。炒めて、塩とコショウで下味をつけて、オムレツに入れてもいいですし、じゃがいもをゆでてつぶしたものと混ぜて、衣をつけて揚げるとまた違う料理になります」
レシピを譲ると約束したもの以外は、簡単に口頭で説明するだけにしておく。
ヒントさえあれば、似たようなものを作れるだろう。
「たくさんヒントをいただいたので、私からもサービスをしておきましょう。それと、もしよろしければ腕のいい庭師の紹介をしましょうか? ここは庭を広く取ってありますから、どうしても手入れが必要になります」
よくしていただいたから、お返しのつもりだったのに、カロンさんは恩のように受け取ってくださったらしい。
でも、庭師の紹介はありがたいので、素直に受ける事にする。
これだけ大きいお店だと、維持と管理が大変だと思う。
カロンさんと一緒に一通り料理を作り終えた頃、タイミングを見計らったようにアーネストさんが帰ってきた。
一応、契約前にと、屋敷の2階部分や、庭も見せてもらう。
外からは2階建てに見えたけれど、屋根裏と倉庫代わりの地下室もあった。
屋根裏といっても、しっかりとした部屋になっていたし、従業員用の更衣室にしたり、色々用途は多そうだ。
庭は、ガーデンパーティーの様子が両隣の家から見えないように、不可視の魔道具が置いてあるそうなので、コテージを使うのも気兼ねなくできそうだった。
アーネストさん立会いの下、契約書を取り交わし、残りの代金を支払う。
思いがけないことではあったけれど、これでお店を手に入れることができた。
引越しまではもう少し時間があるので、その間にディランさんに必要な調理器具を作ってもらったり、迷宮に素材集めに行けそうなら行こうかと思っている。
仕事として料理を作るとなると、大変になりそうだけど、一つ一つ問題を片付けていこう。
実のところ、契約を交わしたというのに、まだ自分のお店が手に入ったという実感がない。
思ったよりも遅くなったので、帰りはこまどり亭までアーネストさんが送ってくれた。
商業ギルドに近いとはいえ申し訳ないので、一度は断ったのだけど、強引に送られてしまった。
ちょうど帰ってきたアルさんと、アーネストさんは知り合いだったようで、一悶着あったけれど、二人ともこまどり亭の女将さんに叱られて解決した。
お店が手に入ったので、包装素材は必要なくなりました。
次回はアルフレッドが出てきます。
ちなみにアーネスト氏は40歳です。