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密やかに想う  作者: 水城雪見
本編
14/109

閑話 バレンタインも悪くない

前半神楽視点、後半一条視点。神楽が一年生の時のバレンタインの話。



 いつも人気の先生だけど、今日は特に女子生徒に囲まれている。

 バレンタインだから仕方がないとは思っても、ちょっと恨めしい。

 告白とかそういうつもりはまったくないけど、いつもお世話になっている先生に、一応チョコレートを用意してあった。

 手作りなんて迷惑かと思ったけれど、洋酒を効かせたトリュフを作ってみた。


 けれど、渡す隙がまったくない。

 さすがに他の女子生徒を押しのけてまで、渡す勇気はなかった。

 副担任の先生にはすぐに渡せたのだけど、一条先生に渡すのは諦めるしかないのかもしれない。

 放課後は、あまりのんびりしていられないから、先生が一人になるまで待つなんてできない。

 先生の机の上に置くとか、靴箱に入れるとか、色々と考えてみたけれど、どれもできそうにない。

 どきどきとしてしまって、先生の机に近づくことすらできなかった。


 朝からずっと、何度も先生を目で追ってしまう。

 朝のホームルームの後も、午前の授業のあとも、お昼休みも、先生はずっと一人になることはなかった。

 帰りのホームルームの後もやっぱり同じで、ため息が漏れる。

 義理チョコのようなものだから、意識しないでさっと渡せばいいのにとも思うけれど、どうしても後一歩踏み出す勇気がもてなかった。


 放課後になり、いつもよりも長く教室に残っていたけれど、もうそろそろタイムリミットだ。

 先生が一人になっていることを願って、帰りに職員室を覗いてみたけれど、先生はいなかった。

 古典の教科担当室の方にいるかと思って、そちらに足を向ければ、ドアの向こうから賑やかな女子生徒の声が聞こえる。

 とてもこの中に入っていけない。

 チョコレートの入ったサブバッグを、胸に抱えるように抱いて、ため息をついた。

 仕方がない、このチョコレートはお父さんに食べてもらおう。


 とぼとぼと昇降口に向かい、靴を履き替えた。

 一瞬、職員用の靴箱の方を見てしまったけれど、渡したい気持ちを振り払うように頭を振る。

 勇気は出せないくせに、未練がましい気がして、嫌になってくる。



「渡せなかったなぁ……」


「何を?」



 ため息混じりに呟いた言葉に返事があって、驚きすぎてびくっと震えてしまった。



「あぁ、すまない。そんなに驚かせるつもりじゃなかったんだが」



 申し訳なさそうに謝られて、振り返ると、そこには一条先生がいた。

 今日はずっと女子生徒に囲まれていたのに、今は一人だ。

 ようやく、一人きりの先生に逢えたのに、言葉が出ない。

 ずっと、チョコレートを渡したいと思っていたのに、腕の中のバッグにそれはあるのに、硬直して動けない。

 あれほど、先生が一人きりになってくれないかと願っていたのに、ほんの少しの勇気が出せないなんて、情けなくなってくる。



「神楽、どうしたんだ? 気分でも悪いのか?」



 私が何も言わず固まったままなのを不審に思ったのか、心配そうに問われて、否定するように首を横に振る。

 何か言わないと、変に思われる。

 焦ってしまって、どうしたらいいのか、わからなくなってしまった。

 よく冷静沈着と言われるけれど、全然そんなことはなくて、私は予想外の事態に結構弱い。



「先生っ……あのっ、これっ!」



 それでも、このまま帰るのは嫌で、サブバッグの中から、昨夜一生懸命包装した箱を取り出して、先生に差し出した。というより、押し付けた。

 渡さないで帰ったら、絶対後悔するから、そう思って勇気を振り絞った。



「よかったら、召し上がってくださいっ。あのっ、でも、たくさんもらってるでしょうし、好みに合わなかったら処分してください……」



 押し付けたはいいけど恥ずかしくて、段々、何を言いたいのか、わからなくなってきた。

 頬は熱いし、涙目になってるし、みっともない姿を晒していると思えば、余計に混乱してくる。



「ありがとう、神楽。遠慮なくいただくよ」



 もらいなれているからか、先生は優しい笑顔でチョコレートを受け取ってくれた。

 受け取ってもらえてホッとしたけれど、同時に、取り乱してる自分が恥ずかしくて逃げたくなる。



「それじゃ、電車の時間があるので、失礼しますっ!」



 居たたまれなくて、ぺこりと頭を下げてから、駆け出した。

 頬が燃えるように熱くて、けれど先生にチョコレートを渡せたのは嬉しくて、自然に頬が緩んでしまう。

 そんな私の様子を、先生が笑いながら見送ってくれていたことに、気がつかなかった。





 バレンタインというのは、面倒なイベントだ。

 と、教師になってからは特に強く思うようになった。

 一日中、何度も女子生徒が訪ねてくるので、落ち着いて仕事もしてられない。

 しかも、普段まともに料理をしない女子高校生の手作りのチョコレートというのは、ある意味凶器だ。

「ありがとう」と、受け取りはするが、食べようとするなら多大な勇気が必要だ。

 義理チョコとして、軽く渡されるのならいいんだが、本気で告白してくる生徒もいて、それを断るのも気が重い。

 もちろん、教師と生徒である以上、断るしかないんだが、断って泣かれるのが一番困った。

 時には、一度きりでいいのでとか、思い出にとか、理由をつけてキスを迫られることもある。

 どんな理由があろうが、それがばれた時は、こちらは最悪の場合は解雇処分になるというのに、そこまで思い至れないらしい。


 そんなわけで、バレンタイン当日は朝から憂鬱な気持ちだった。

 朝、学校に到着すれば、靴箱にも職員室の机の上にも既にチョコレートが置いてあったが、これはまだ、告白されることはないとわかるだけ、ありがたい。

 用意しておいた紙袋に、全部纏めて入れて、机の上を片付ける。

 教師になったばかりの去年、チョコレートを持って帰るのに苦労したので、今年は準備しておいた。


 その後、授業に行くたびにチョコレートを渡され、昼休みには、憩いの場である教科担当室まで女子生徒が訪れ、去年以上に鬱陶しい事になる。

 不幸中の幸いは、女子生徒に囲まれていたおかげで、特定の生徒からの告白をほぼ受けずに済んだということだ。

 さすがに、俺だけを連れ出して告白するのは、厳しかったんだろう。

 熱の篭った、思いつめたような目をしているから、告白してくる子は何となくわかる。 


 朝からずっと、神楽が俺を見ていることには気づいていた。

 副担任の鳥海先生が、神楽にチョコレートをもらった事を自慢していたから、彼女の視線の意味も何となくわかった。

 けれど、放課後になっても、なかなか一人きりになることはできなかった。

 俺は一人の生徒を特別扱いする気はないし、神楽だって特別な意味を持たせたチョコレートではないだろう。

 だから、受け取れないのなら、それはそれで仕方がないと思っていたが、妙に落ち着かない。

 いつも帰るのが早い神楽だから、もういないだろうと思いつつ、賑やかな教科担当室を出て、昇降口に向かった。

 放課後の校内は、ほとんど生徒も残っていなくて、静かだ。

 だから、彼女が呟くように口にした言葉は、はっきりと耳に届いた。

 いつもより遅い時間まで神楽が残っていた事に驚きながらも、反射的に、彼女に問いかけてしまった。

 随分驚かせてしまったみたいで、体を震わせる反応が可愛かった。

 驚きに見開かれた瞳は少し潤んでいて、焦っているのがほんの少しだけ表情に表れている。

 ほんのりと赤らんだ頬が、高校生とは思えないほどに艶っぽく、思わず見惚れていたら、箱を押し付けられた。

 大人びた表情をするくせに、物慣れない様子に、心を擽られる。

 純情さが見て取れるほどなのに、潤んだ瞳で上目遣いに見てくるとか、これを無意識でやってしまう神楽が、少し心配になってしまう。

 変な男に纏わりつかれなければいいんだが。


 恥ずかしさに耐えかねるように、駆け出した神楽の後姿をしばらく見送る。

 いつも冷静に見えるのに、慌てた様子が可愛くて、笑みが零れてしまう。

 教師と生徒だから、これ以上は近づけない。

 けれど、これくらいの潤いはあっても許されるだろう。

 決して触れはしないから、ただ、綺麗に咲く様を見ていたい。

 神楽はそんな気持ちにさせる生徒だ。


 自宅に戻ってから食べた神楽のチョコレートは、甘過ぎず、しっかりと洋酒が効いていて、とても美味かった。

 一度に食べるのが惜しくて、しばらく冷蔵庫の中で保存され、一つずつ大事に食べたのは、誰にも内緒だ。

 バレンタインも悪くない。

 そう思わせてくれたのは、神楽だった。


 


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