78.商業ギルドでの攻防
「美咲、一緒に商業ギルドに行かないか?」
前日の約束通り、朝食が終わった頃に訪ねてきてくれた知巳さんに誘われて、商業ギルドに向かう事になった。
アーネストさんに手紙を渡したいらしい。
知巳さんが最初に辿り着いた森の国で、アーネストさんの妹さんにお世話になったと聞いた時は、とても驚いてしまった。
森の国に残った佐々木君達の後見もしてくださっているなんて、とても親切な人だと思う。
お父さんが転生者のはずだから、転生者に優しいのかもしれない。
この時間帯ならば、商業ギルド内はそんなに混んでいないはずなので、約束はしていないけれど、多分問題はないだろう。
最悪、アーネストさんの手が空かなくても、手紙は預ければいい。
商業ギルドが近いのと、知巳さんが一緒なので、供をつけずに二人きりで出かける事になった。
店を出ると、知巳さんに手を差し出されて、照れてしまったけれど手を繋ぐ。
昨日、私が話したことを覚えていてくれたらしい。
「こうして、一緒にいるのが、まだ夢みたいです」
歩きながら、甘えるように寄り添うと、指を絡めるようにしっかり手を握り合わされた。
こんな風に男の人と歩いた事は、もちろんなくて、ドキドキする。
知巳さんと手を繋いで歩けるのが嬉しくて、自然に笑みが零れてしまう。
「俺も、同じだ。こうして手を繋いでいても、まだ現実感がない。朝、目が覚めたときに、美咲と逢えた事が夢だったのではないかと、心が乱れてしまう時もある。離れていた時間が長すぎたようだ」
嬉しくて気持ちがふわふわ夢見心地なのも、一人でいるときの不安も、知巳さんも同じなのだろうか。
いつか、こんな風に感じることなく、傍にいるのが当たり前になる時もくるのかな?
「多分、美咲と同じベッドで目覚められるようになるまでは、不安は消えないだろう。目が覚めて、一番に美咲の姿を確かめられるようになる日が、今から待ち遠しい」
内緒話のように、耳元で囁かれて、つい、その状態を想像してしまった。
結婚したら、それが日常になるのかな?
別に、知巳さんが相手なら嫌ではない、というか、そういう相手は知巳さんしか考えられないけれど、でも、想像するだけでも恥ずかしくて困ってしまう。
「夏の旅行は王都になりそうだが、できれば、ミシディアにも行ってみたいな。佐々木達に米を送ってやりたいんだ。森の国では手に入らないようだから」
私が困っていたのに気づいたのか、知巳さんが話題を変えてくれた。
ミシディアは私も常々行ってみたいと思っていたので、何とかならないかなと思う。
「ご飯とか和食って、恋しくなりますよね。アルさんの実家が、ミシディアでは大きな商家なんです。もしかしたら、頼めば森の国まで行商人を出してくれるかもしれません。比良坂君たちが作ったオルゴールをもらいましたけど、あれは、こちらでも人気が出そうですし、仕入れついでに運んでもらえたらいいんですけど。家にも月に一度はミシディアから食材を持ってきてくれるので、もし、森の国にも行ってもらえるのなら、手紙も運んでもらえそうですね」
元クラスメイトで、先生のパーティメンバーだった人達だし、何か役にたてることがあるならと思う。
それに、故郷の料理が恋しい気持ちは、とてもよくわかる。
「手紙がもし届けられるのなら、美咲が簡単なレシピを教えてやってくれるか? あいつら、料理は全然ダメみたいなんだ。佐々木だけが何とか少しは食える物を作れるようになったんだが、多分、米が手にはいっても、炊き方はわからないと思う。もしかすると、米の研ぎ方もわからないかもしれない」
話しているうちに不安になったのか、知巳さんの表情が心配そうに曇っていく。
彼らの料理の腕は、それくらい微妙なものらしい。
知巳さんの様子で、佐々木君達といい関係が築けていたのだと伝わってきた。
それなのに、私を探す為に彼らと別れて来てくれたのだと思うと、知巳さんは私との約束を守るために、一体どれだけのものを犠牲にしてきたのだろうと思う。
何よりも私を選んでくれた事。
その事をもっと深く受け止めなければ、そう思った。
話しながら歩いていたら、商業ギルドは近いのですぐについた。
恥ずかしかったけれど手を繋いだままギルド内に入ると、何だかやけに注目されている気がする。
知巳さんに見惚れている女性職員が何人かいるのに気づいて、ちょっとやきもちを焼いてしまいながら、ミシェルさんのいるカウンターに向かった。
「おはようございます、ミシェルさん。アーネストさんに届け物があるんですけど、今、お会いできるでしょうか?」
私が声を掛けると、驚いたように知巳さんと私を見ていたミシェルさんが、すぐに我に返る。
「おはようございます、カグラ様。ご無事で帰って来られたようで、何よりです。ギルドマスターからは、カグラ様がお越しになったら、すぐに案内するようにと申し付けられておりますので、ただいまご案内いたします」
いつもならば案内を断って一人で行くけれど、今日は知巳さんもいるので案内してもらうことにした。
手を繋いだままというのは恥ずかしかったけれど、知巳さんが離してくれる気配がないので、そのまま階段を上っていく。
ミシェルさんがギルドマスター室の扉をノックすると、すぐに返事があって、中に案内してくれた。
お茶をいれるためか、ミシェルさんはすぐに退室してしまう。
「お久しぶりです、アーネストさん。この度は色々とご迷惑をお掛けしました」
挨拶をするのに手を繋いだままは嫌だったので、手を離そうとすると、知巳さんはその気持ちをすぐにわかってくれたみたいで、絡め合わせた指を解いてくれた。
「迷惑など掛けられていない。心配はしたけどな。カグラが無事でよかった。そちらの男性はどなただ? カグラが紹介してくれるのだろう?」
いつも通りの鉄仮面に、今日は表情が垣間見えない。
いつもなら、少しはアーネストさんの考えている事が伝わってくるのに、今日は全然ダメだ。
でも、口ぶりから、知巳さんが、私がずっと待っていた相手だと、知っているのではないかと思った。
「一条知巳さんです。私の転生前に通っていた学校の先生で、私がずっと待っていた人です。今は、私の大切な人です。結婚を前提にお付き合いしています」
照れくさいとは思ったけれど、アーネストさんは私に求婚していた人だから、はっきりとするべきだと思って紹介した。
私は知巳さんでなければダメだから、それを理解してくれるといいなと思う。
ちなみに、知巳さんが草原の国の王子であることは、できるだけ伏せる方向で行くそうだ。
貴族街に家はあるけれど、あれは所有権がお義父様のままだし、草原の国に帰るまでは、ただの冒険者として過ごすらしい。
「初めまして、トモミ=イチジョウと申します。森の国の王都では、あなたの妹のユリア嬢に大変お世話になりました。彼女から手紙を預かっていますので、お受け取りください」
知巳さんは丁寧に挨拶をするけれど、表情が少し硬い。
もしかして、アーネストさんが私に求婚していたのを知っているんだろうか?
「それは遠くからありがとうございます。アーネスト=マクダネルです。商業ギルドのギルドマスターをしております。立ち話もなんですから、よかったらお掛けください」
アーネストさんも鉄仮面のまま、ソファを勧めてくる。
伺うように知巳さんを見れば、すぐに帰るといった雰囲気でもなかったので、一緒にソファに腰掛けた。
いつものように、簡単に抱き寄せられるような距離に座られ、近すぎて照れてしまうけど、嬉しくなる。
「こちらをどうぞ」と、知巳さんがテーブルに手紙を出すのとほぼ同時に、ノックの音が響いて、ミシェルさんがお茶を運んできた。
チョコレートを使ったクッキーを籠に詰めたものをアイテムボックスから取り出して、お茶を並べ終えたミシェルさんに手渡す。
「皆さんで召し上がってください。これは、売り物にはしないので、これだけしかないのですけど」
チョコレートがたくさんあるとはいえ、売り物にするほどではない。
お店の期間限定デザートに使う予定ではあるけれど、定番のデザートに使うには、森の国が遠すぎる。
「いつもありがとうございます、カグラ様。みんな喜びますわ」
知巳さんの事を聞きたそうにしていたけれど、仕事中だからか、ミシェルさんは何も言わずに下がっていった。
アーネストさんも甘いものは好きなので、生チョコレートとチョコクッキーを出しておく。
「……チョコレートか、懐かしいな」
森の国出身の貴族であるアーネストさんにとって、チョコレートは懐かしい食べ物みたいだ。
生チョコレートを一つ食べて、驚いたように目を瞠る。
「うちのレシピとは違うようだ。カグラも生チョコレートのレシピを知っていたんだな」
優雅な仕草で、お茶と一緒にチョコレートを楽しむ姿は、どう見ても貴族にしか見えない。
表情さえあれば、騒ぐ女の子もいっぱいいそうだ。
「私達の世界には、バレンタインというチョコレートを贈る日がありましたから。毎年何かしら作っていれば、レシピも覚えてしまいます」
小さい頃から、毎年作っていたので、生チョコはそんなに難しくないし、レシピはすぐに思い出せた。
知巳さんと再会したときは、バレンタインを過ぎていたので、来年は特別なチョコレートを渡せるといいなと思う。
「何故チョコレートを贈るんだ?」
アーネストさんに尋ねられて、簡単にバレンタインというイベントの説明をしておいた。
私達の住んでいた国では、好きな人にチョコレートを贈って告白したりもするのだと話したら、人の悪い笑みがアーネストさんの美麗な顔に浮かぶ。
「来年のバレンタインとやらを楽しみにしておこう。カグラはもちろん、私にもチョコレートを用意してくれるのだろう? 材料が足りないのなら、取り寄せてもいいぞ?」
ご機嫌な様子でチョコレートをねだられる。
知巳さんは無表情なまま、私の肩を抱き寄せた。
「義理チョコというのもあるから、もらえる事もあるのではないでしょうか。美咲の本命チョコは、一生俺のものですが」
何やら、知巳さんは対抗意識を燃やしているらしい。
私を抱き寄せたまま、アーネストさんを見据えている。
私が好きなのは知巳さんだけだから、子供のように張り合わなくてもいいのになって思ってしまう。
「イチジョウ殿は、自信家でいらっしゃる」
こういう時だけ笑顔のアーネストさんが、きっちりとやり返す。
二人とも、表面上はにこやかな笑顔で、睨みあってる。
器用なことをするものだと、思わずため息が漏れた。
「二人とも大人気ないです。アーネストさんはいい年なんですから、もっと落ち着いてください。知巳さんも、アーネストさんは若く見えても、お義父様と同世代なんですよ? それなりの敬意を持って接するべきです」
私が仲裁すると、アーネストさんが目に見えて落ち込んでしまった。
「美咲、お前が一番酷いと思うぞ?」
ため息混じりに言いながら、私の肩を抱いていた手で、知巳さんが頭を撫でてくる。
そんなに酷いことを言ったかな?と、首を傾げてしまうと、仕方がない、そんな顔で微笑まれた。
「アーネスト殿、何か申し訳ない。詫びに、チョコレートくらいで目くじらは立てないことにする」
知巳さんが謝ると、アーネストさんはすぐに気を取り直したようだ。
よくわからないけれど、険悪な雰囲気は完全に消えている。
「いや、こちらこそ、大人気なかった。前にカグラの誕生日に、首飾りを用意していたんだが、イチジョウ殿の指輪があるからと、断られてしまったことがあってな。つい、その恨みをぶつけてしまった」
アーネストさんも反省モードで謝っている。
誕生日って、やっぱりあの時に、アーネストさんは首飾りを用意していてくれたのか。
知巳さんの指輪を外したくなかったからといって、失礼な事をしてしまった。
あの時は、後日、お祝いとして、お店に出るときも使えるような髪飾りをいただいたから、すっかり忘れていた。
「指輪が首飾り??」
何故指輪があると首飾りがダメなのかわからないのか、知巳さんが不思議そうにしている。
知巳さんの指輪を肌身離さずつけていたことは、まだ話していなかった。
首元から、ネックレスに通した指輪を出して見せると、知巳さんは納得したようだ。
私はずっと外さなかったネックレスの留め金を外して、指輪をネックレスから外した。
「指には緩すぎたので、こうしてずっとつけていたんです。大切な指輪なんですよね? 返すのをすっかり忘れていてごめんなさい」
形見というのを聞いていたのに、毎日、知巳さんといられる嬉しさで、すっかり忘れていたのが申し訳ない。
知巳さんを感じさせてくれる唯一の物だったから、この指輪にはとても救われた。
「あの時、何か美咲との繋がりが欲しくて、咄嗟に渡してしまったんだ。懐かしいな……」
私が差し出した指輪を手に取り、知巳さんはとても優しい顔で指輪を撫でた。
「俺が教師になるきっかけをくれた先輩が、初めて作った物だったんだ。大事に持っていてくれて、ありがとう。このまま、美咲につけておいて欲しい気もするが、美咲が首飾りを受け取ってくれないと俺も困るから、返してもらうことにする。指輪は改めてサイズのあうものを贈るから、待っていてくれ」
知巳さんはしばらく懐かしそうに見ていた指輪を、右手の小指に嵌めた。
ずっと持っていたものを、今度は知巳さんが身につけてくれるなら、それはそれで嬉しいと思った。
私は、あまりアクセサリーはつけない方だし、知巳さんがいてくれたら、それだけで満足なのだけど、でも、周囲の人に恥をかかせないように、着飾らなければならないときもある。
そんな時に、知巳さんのプレゼントで身を飾れたら、とても嬉しいと思う。
「これで、首飾りも贈れるな。これは、カグラのために作らせたものだから、ずっと持っていた。あの時のドレスによく映えるだろう。改めて受け取ってくれ」
アーネストさんが、アイテムボックスから、首飾りが入っているらしい箱を取り出して、テーブルの上に置いて差し出す。
「誕生日には違うものをいただきましたし、いただく理由がありません」
理由のないプレゼントは苦手なのを、アーネストさんも知っているのにと、少し不満に思いながら断る。
私がそう言う事を予測していたのか、アーネストさんが珍しく笑みを零した。
「懐かしいチョコレートの礼だ。後は、カグラがイチジョウ殿と再会できたお祝いなら、問題ないだろう? めでたい事なんだからな?」
相変わらず強引だ。
知巳さんと再会したお祝いなどと言われたら、断れなくなってしまう。
「美咲、アーネスト殿の気持ちも考えてやれ。美咲のために選んだものを、他の女性に贈れないだろうし、そうなると持ち腐れだ。美咲に使ってもらえるほうが、その首飾りのためでもあるだろう。それに、首飾り一つで、美咲の気持ちがどうにかなる等と、俺もアーネスト殿も思っていない。俺達の婚約祝いとでも考えて、素直に受け取るといい」
私が受け取りやすいようにか、言葉を重ねていた知巳さんが、最後は眩しいような笑みで言い切る。
婚約祝いという言葉に、アーネストさんは苦い顔をしているような気がする。
「そうだな、まだ婚約だ。結婚ではないからな」
何だかやたらと、まだというところを強調された気がするんだけど、気のせいかな?
とにかく、私が受け取らなければ、いつまでもこの薄ら寒い空気が続きそうな気がしたので、お礼を言って首飾りを受け取り、アイテムボックスにしまった。
早く、話題を変えたい。
「そういえば、アーネストさん。知巳さん達は、大迷宮の完全攻略を目指すそうです」
迷宮の事に話を変えると、そこから後は知巳さんが説明を引き受けてくれた。
私も、知巳さんに教えてもらうまで知らなかったけれど、完全攻略が済んでいない大迷宮は、魔物が溢れて出る可能性もあって危険だそうだ。
実際に草原の国の大迷宮からは、魔物が溢れ出て被害が出るところだったのだと聞いて、知巳さんが無事でよかったとしみじみと思ってしまった。
知巳さんの話は、情報の早い商業ギルドでも知られていなかったのか、アーネストさんの顔が厳しいものに変わっていった。
「今までも攻略は進めていたが、念のために、集中して攻略した方がいいかもしれないな。ずっと、今回に限って転生者が多いことが不思議だったんだ。もしかしたら、大迷宮から魔物が溢れる事を予知して、それを防ぐ為に、たくさん転生させたという可能性もあるんじゃないか?」
アーネストさんは、今までと違って、同時に多数の転生者が現れた事に、何か意味があるのではないかと考えているみたいだ。
そういえば、ディアナさんも、最初に複数の転生者がいると聞いて、不安がっていた。
何もないならば、それが一番だけど、でも、何があっても対処できるようにしておくのも大切だ。
「幸い、ランスには転生者も、質のいい冒険者も多い。早目に攻略できるよう話し合っておこう」
知巳さんも、念のために事態を重く考える事にしたみたいだ。
ただの杞憂ならそれでいい。
でも、最悪を想定して動いていた方が、何かあったときに対処はしやすいはず。
ランスは大切な街だから、何の問題も起きて欲しくない。
それに、魔物がもしも溢れた時に危ないのは、立派な外壁のあるランスの街よりも、近隣の村の方だ。
立場の弱い人たちが犠牲になるようなことは、ないようにしてほしい。
その後、いくつか二人は打ち合わせをして、その間にすっかり打ち解けていた。
険悪な雰囲気になられるよりはいいんだけど、たまに二人して争う感じになるので、見てると少しはらはらとする。
ライバル関係と思っておけばいいのかな?
出来ればもう少し、穏やかな関係に落ち着いて欲しいなぁと思った。
大人気ない一条と諦めの悪いアーネストの攻防でした。