77.ただいま
「ミサちゃん! 心配したよ~。結花ちゃんもっ、無事でよかった……」
ランスに辿り着くと、玄関先でリンちゃんに泣きながら飛びつかれた。
本当に心配させたみたいで、しゃくり上げながらしがみ付いてくるので、しっかりと抱き返して頭を撫でる。
「ほら、リン。みんな疲れてるんだから、中に入れてあげて。玄関先を塞ぐんじゃないの」
優美さんに促され、何とか泣き止んだリンちゃんと手を繋いで中に入ると、エリーゼさんやユリウスさん夫妻までいた。
今日帰るのを、妖精を通して聞いて、待っていてくれたらしい。
「ミサキ、おかえりなさい。怖い思いをしたわね。でも、本当に無事でよかったわ。それと、私達の娘になってくれて、ありがとう。これからは、お義母様と呼んでくれるのでしょう?」
ホールに入ると、エリーゼさん改め、お義母様も優しく抱きしめてくれた。
感情の昂ぶりを、余り表に出さない教育を受けたお義母様だけど、抱きしめる腕は安堵でか、少し震えていた。
あの侯爵に、お義母様も攫われた事があるらしいから、嫌なことでも思い出させてしまったのかもしれない。
「心配をおかけしました、お義母様。お義父様が颯爽と助けてくださったから、そんなに怖い思いはしませんでした。それに、結花さんも一緒だったから、励まし合えたのも大きかったです」
誘拐されたのに、心の傷を負わなくて済んだのは、みんなのおかげだ。
不安を感じたりはしたけど、それすら、すぐに吹き飛ばしてくれた。
その後、ユリウス義兄様にも、改めて家族になった挨拶と、お世話になったお礼をして、みんなとも無事に再会できたことを喜び合った。
やっと帰ってきたという感じがしてホッとする。
ここが私の家なんだと、しみじみと思う。
「ホントに一条センセーだ。先生、きらきらだねぇ」
やっと笑顔になったリンちゃんは、知巳さんの金髪がやっぱり気になるみたいで、ジーっと見ている。
無邪気な様子に和まされてしまう。
やっぱり、リンちゃんは笑顔が一番だ。
「林原は相変わらずな感じだな。元気でよろしい」
教師の顔で笑みながら、知巳さんがリンちゃんの頭を撫でる。
リンちゃん達のクラスは理系の進学コースだったから、古典の授業はなかったはずなのに、仲がよさそうだ。
「トモミ殿、妻と息子を紹介しよう。リンは、ミサキが新作のデザートを持っているから、もらっておいで」
お義父様は、相変わらずリンちゃんを小さい子扱いだ。
でも、「新作~」と喜んで、私に突進してくるので、扱いは間違っていないかもしれない。
「知巳さんがチョコレートをたくさん持ってきてくれたから、色々作ってみたの」
突進してきたリンちゃんを受け止めてから、とりあえず、茶器の用意がしてあるテーブルの上に、チョコレートを使ったお菓子を並べていった。
「ミサちゃん、先生の事、名前で呼ぶようになったの?」
驚いたような様子で尋ねられて、恥ずかしくなってしまいながら頷いた。
色気より食い気のリンちゃんが、チョコレートより名前呼びに食いついてくるとは思わなかった。
「そっかぁ……。ずっと待ってたんだもんね。よかったね、ミサちゃん」
しみじみと呟いた後、無邪気に微笑みかけられて、照れてしまいながら頷いた。
知巳さんと再会できて、本当によかったと思う。
「男なんて、ろくなものじゃないと思っているけど、一条先生は違うかもね。本当に美咲さんを探し当てるなんて、見直したわ」
優美さんは辛口な事を言いながら、チョコクッキーを摘んだ。
優美さんも私を探して旅してくれていたから、探し当てる事がどれだけ大変なことか、身を持って知っている。
だから、知巳さんに対する評価があまり厳しくないのかなと思った。
お菓子を並べた後、用意してあった茶器でお茶をいれていく。
リンちゃんもやっとお菓子に気が向いたのか、チョコムースを堪能するように食べ始めた。
幸せそうに食べている姿を見ると、嬉しくなってしまう。
こういう顔が見るのが嬉しいから、私は料理が好きなのかもしれない。
「隣の大陸の森の国から、ずっと探してくれたそうなの。無事に再会できて、本当によかったわ」
優美さんの男性不信は根強いなぁと思いながら、知巳さんから聞いた話をする。
6つの国を探してくれたのだと、教えてもらっているから、無事に再会できてよかったと、心から思ってしまう。
「美咲、おかえり。俺にもお茶をくれ。それと、夕飯はから揚げがいい。俺のアイテムボックスに入ってた料理は食い尽くしたから、また作ってくれ」
尊君がお茶をねだるついでに、夕飯のリクエストもしてくる。
わがままを言っているようでいて、そうでないのが尊君らしい。
から揚げは、下味をつけた鶏肉を常に持っているから、揚げるだけで簡単に出来上がる。
手間を掛けなくても出せるメニューだという事を知っていて、私に負担がないようにリクエストしてくる尊君の優しさは、いつも通りわかり辛い。
でも、素直な尊君は気持ち悪いから、これでいいのかなと思う。
「ただいま。尊君には特におせわになりました。お礼に、から揚げは、山ほど揚げてあげる」
お茶を出してから、軽く冗談めかしつつも、丁寧に頭を下げた。
本当に、尊君のおかげでとても助かった。
桔梗を通して、尊君には凄く励まされた。
「そういえば、最近、桔梗が意味不明に悶えるんだけど? 真っ赤になってじたばたしながら、ふらふら飛んでる時とかあるぞ?」
理由がわかっているのか、からかうように言われて、頬が熱くなる。
火照る頬を抑えながら、「どうしたのかしらね?」と、誤魔化したけれど、尊君は訳知り顔で笑っている。
妖精と感覚が繋がるとどんな感じか、尊君は知っているから、誤魔化しが効かない。
「美咲、俺にもお茶をくれないか?」
お義父様達との歓談はおわったのか、知巳さんが私の隣に腰掛ける。
お茶をいれて差し出すと、ふぅっと小さく息を吐きながら、カップを手に取った。
「ご家族揃って、まだ嫁にはやらないと言うんだ。溺愛されてるな、美咲」
知巳さんがぼやきつつ、ため息を吐く。
楽しく話をしていたように見えたけれど、遊ばれていたらしい。
「ありがたいことです。私、結婚する前にしてみたいことがたくさんあるから、まだ先でも大丈夫でしょう?」
当たり前のように将来のことを語れるのが嬉しくて、笑顔で問いかけると、返事の代わりに髪を撫でられた。
知巳さんに触れられると、それだけで胸がきゅうっとなって、落ち着かない。
「何をそんなに、してみたいことがあるんだ?」
見つめながら問いかけられて、やってみたい事を思い浮かべた。
「まずは、お友達に知巳さんを紹介したいです。後は、待ち合わせてデートしてみたいし、手を繋いで街を歩いてみたいです。私のコテージの妖精にもあってほしいし、次の夏は知巳さんも一緒に旅行したいし、やりたいことだらけです」
思いつくままにしてみたいことを並べていくと、知巳さんの表情がとても甘くなった。
私を見つめたまま、髪に触れていた手で、優しく髪を梳き撫でてくる。
仕草で愛しいと伝えられているようで、幸せを感じてしまう。
心地よさにうっとりと目を閉じると、小さな咳払いが聞こえた。
「二人とも場所を考えて自重しろ」
亮ちゃんに呆れたように頭を小突かれる。
見れば、リンちゃんと尊君は並んで座ったまま、真っ赤になっていて、優美さんも赤面しつつ呆れ顔を作っている。
「ミサちゃんが、いつの間にか先生とらぶらぶだねぇ」
真っ赤な顔のまま、ぼそっとリンちゃんが呟く。
我に返ると恥ずかしくなってしまったけど、知巳さんは平然としている。
俯きかけた私の顔を上げさせて、熱くなった頬に唇で触れてきた。
「俺は、今夜はラルス殿の館に泊めてもらうから、そろそろ行くよ。明日、また逢いに来る。ラルス殿に譲り受けた屋敷はここの近くらしいから、一番に美咲を招待したい」
知巳さんはもう、お義父様と一緒に帰ってしまうらしい。
留守の間の仕事が溜まっているお義父様に、あまり時間がないのはわかるけれど、まだ一緒にいられると思っていたから、心の準備が出来てない。
再会してからずっと一緒にいたから、場所がお義父様の館とはいえ、離れ難い気持ちが沸いてきて、寂しくなってしまう。
今までだって、部屋は別々だったし、夜はもちろんそれぞれの部屋にいたのだから、たいして違いはないと思うのに、何だか切ない。
「先生、帰っちゃうの? 一緒に住まないの?」
リンちゃんが寂しそうに問いかける。
知巳さんも一緒に暮らすものだと思っていたらしい。
「俺には従者がいるしな。部屋が足りるにしても、結婚前から一緒に暮らすのは気が咎める。それに、俺は、俺の美咲に対する自制心を信じていないから」
知巳さんの言葉の意味がわからなかったのか、リンちゃんが首を傾げる。
私もわかるようなわからないようなといった感じだ。
「わかってない顔だな。例えばだ、林原。俺はどんな美女の裸が目の前にあっても、手を出さない自信がある。興味ないからな。だが、美咲が相手だと、きっちり服を着てようが、些細な言葉や仕草で、理性を吹っ飛ばす自信がある。だから、一緒に暮らすのは結婚するまではお預けだ、わかったか?」
教師モードで、例えを出してわかりやすく説明するのはいいんだけど、私は恥ずかしくて仕方がない。
意味をよく理解したリンちゃんも、真っ赤な顔で何度も頷いている。
「結婚するのは決定事項なんだな」
尊君が赤い顔のまま、ぼそっと突っ込みを入れた。
「当然だ。美咲が結婚したくなるまで待つが、離しはしない」
力いっぱい肯定されて、嬉しいけどでも、顔がみっともなく緩みそうで、両手で頬を抑えた。
知巳さんはいつも、言葉が直球過ぎて、心臓に悪い。
嬉しいけれど、何て言えばいいんだろう?
胸がきゅっと切なくなる感じで、じたばたと悶えたくなってしまう。
「桔梗が悶えるわけだ」
尊君に更に追い討ちを掛けられて、撃沈した。
おかげで、知巳さんと離れる寂しさは、少しだけ紛らわす事ができた。