8.家族
今日もいつものように忙しくて、お昼の営業が終わった後には、ぐったりとしていた。
けれど、仕込みをしながら作った煮込みハンバーグを、賄いで出さなければならない。
朝に炊いたご飯が残っていたので、温かいうちにお皿に盛って、アイテムボックスに入れてあった。
ご飯に、煮込みハンバーグとシグルドさんのスープを添えて出す。
ハンバーグには、温野菜を茹でたものを添えて、彩りもきれいになるように意識した。
アンさんは、ご飯が好みに合わないかもしれないので、一応パンも出しておく。
「今日は珍しい料理なんだね。カグラが作ったの?」
興味津々といった感じで料理を見るアンさんに頷きを返して、いつもの自分の席についた。
「トマトソースで煮込んだ、煮込みハンバーグです。トマトソースは他の料理に使っても美味しいと思うんだけど」
実家にいた頃は、大量に作って、冷凍保存していた。
ピザやパスタにも使えるし、煮込み料理にも使えるので重宝していた。
「これがハンバーグか。ソースはいい匂いがするな」
シグルドさんが確かめるようにハンバーグにナイフを入れる。
箸はない世界なので、こちらの食事は基本的にナイフとフォークを使う。
けれど、この店ではフォークだけで食べてしまう人も多い。
「あ、切ったら肉汁が溢れてきた」
ハンバーグを二つに切った瞬間、溢れてきた肉汁にアンが驚きの声を上げる。
食中毒を防ぐためか、こちらの肉料理は、焼く場合は焼きすぎというくらい焼くので、肉汁は珍しいらしい。
「……柔らかい…それなのに、お肉の味もしっかりしてるし美味しい」
アンさんの好みには合ったみたいで、美味しそうに食べてくれる。
シグルドさんを見れば、言葉もなくがつがつと食べていた。
何を言われるよりも、気に入ってくれた事がよく伝わってくる。
ホッとしながら、久しぶりのハンバーグを食べてみた。
弟達はまだ幼くて、ハンバーグは大好物だったから、週に1度は作っていた。
嫌いな人参やピーマンも、みじん切りでハンバーグに混ぜれば食べてくれた。
私にとっては作りなれた、懐かしい料理だ。
弟達は、今頃どうしているのだろう?
元気でいてくれるのだろうか?と思ったら、涙がじわっとわいてきた。
瞬きをして、涙を誤魔化そうとする。
最近、涙脆くていけない。
「カグラ、食べないのか? どうした?」
目敏く気づいたシグルドさんに問われて、涙を堪えるのに必死で、一瞬言葉が出なかった。
この世界にきてから、随分涙脆くなっているけれど、人前で泣くのは嫌だから、何とか堪えた。
「この料理、弟達が大好きだったんです。今頃、どうしてるかと思ったら寂しくなってしまって……」
まだ7歳で小学校に上がったばかりだった。
2人とも悪戯っ子で、とても甘えん坊だった。
1歳の誕生日前にお母さんが死んじゃってから、ずっとお祖母ちゃんと私で育ててきた。
「弟さん達に逢いにいけないの? 離れ離れになるなんて、よほどの事情があったんだろうけど、寂しいだろうね」
アンさんが何故かしみじみと言いながら、小さな息をつく。
何か共感できることがあったのかもしれない。
「こんなに美味いものを作ってもらえなくなるとは、かわいそうだな。その口ぶりだと、歳の離れた弟なんだろう?」
アンさんとは別方向でしみじみ言われてしまって、ずれたその意見がおかしくて、つい笑ってしまった。
それに、作った料理を美味しいと思ってもらえるのは嬉しい。
シグルドさんは腕のいい料理人さんだから、余計に嬉しくなる。
「まだ7歳だけど、料理はおばあちゃんが作ってくれてると思います。ハンバーグは私の育ったところでは、ありふれた料理ですから」
学校の調理実習で作ったりするくらいありふれてる料理だ。
ちなみに、調理実習では、いつも大活躍できた。
家庭科の班だけは、組む相手に困ったことはない。
「これがありふれた料理ねぇ。カグラの故郷に行けるものなら行ってみたいもんだ」
よほどハンバーグが気に入ったのか、シグルドさんが不思議そうに首を傾げる。
アンさんは、頭痛を堪えるような表情で、軽くシグルドさんの肩を叩く。
「そういう誤解をされるようなことを、年頃の女の子相手に口にするもんじゃないわ」
お姉さんの留守中に問題が起きてはと思っているのか、アンさんの雰囲気が怖い。
でも、シグルドさんはただの料理馬鹿で、浮気とかしないタイプだと思うけど。
アンさんのお姉さんは、よく、この料理以外に興味なさそうなシグルドさんと結婚できたものだと思ってしまう。
「大丈夫よ、何の含みもないことはちゃんとわかってるから。シグルドさんは料理が好きなだけだもの」
寂しい気持ちや、哀しい気持ちは、話していたら紛れてしまった。
こうして、話をできる相手がいるのは、やっぱりいいものだ。
「そうそう、義兄さんは料理馬鹿だから。でも、カグラはわかってくれてるからいいけど、姉さんの事を考えると、心配になっちゃうわ」
「アンさんはお姉さんと仲がいいのね」
切り分けたハンバーグにフォークを突き刺しながら、アンさんが大げさなため息をつく。
シグルドさんの考えなしの言動が、気に入らないみたいだ。
よほど、お姉さんの事が好きで大切なんだと思う。
小さい頃は、お兄さんかお姉さんが欲しいって思っていたから、お姉さんと仲よさそうなアンさんがちょっと羨ましい。
「うちも、カグラのところと同じなの。私と姉さんは歳が離れていて、母さんがいないから、姉さんとおばあちゃんが私を育ててくれたの。私が大きくなるまではって、お嫁にも行かずに働いて、義兄さんと結婚してやっと幸せになったのよ」
私とアンさんでは立場が逆ではあるけれど、環境が似ているというだけで親近感がわく。
どうして、シグルドさんの浮気をそんなに心配するのかと思ったけれど、お姉さんの幸せを守りたい一心なんだ。
心配しすぎの気もするけれど、奥さんの妊娠中に浮気が多いのは、こちらの世界も同じなんだろうか?
「カグラはエミリアと似てるしな。見た目はカグラの方がずっと美人だが、中身が似てる」
奥さんと私の見た目を比べるような発言に、アンさんの目が釣りあがるけれど、シグルドさんの言葉に同意なのか、文句は言わないで代わりに、またため息をつく。
美人と褒められるのは嬉しいけれど、どう反応していいのかわからない。
でも、シグルドさんが奥さんのことをちゃんと想ってるのは伝わってきた。
だって、奥さんの名前を呼ぶ時の声が、凄く優しい。
私に親切にしてくれるのも、奥さんと重ねてみてるからというのもありそうだ。
「他にもいろいろ試作してみましょうか。それにシグルドさんがアレンジを加えてくれてもいいし、私も色々作れるのは嬉しいので」
話を変えるように切り出した。
がっつり系のレシピを色々考えるのは楽しそうだ。
お店の雰囲気や客層を考えて、私に作れそうなものを考えてみる。
本当は、携帯に保存しているレシピを見られたら一番いいんだけど。
お菓子も作ったりしたいけど、作り方は覚えていても、材料の分量までは覚え切れていない。
頻繁に作っていたクッキーやマドレーヌは、さすがに覚えているけれど、もっと色々作ってみたい。
自分で、もしお店を持つなら、デザートも充実させたお店にしたい。
「美味しいものが食べられるから賛成。この料理、私は好きだわ。姉さん達にも食べさせてあげたい」
美味しいものを食べた時に、家族にも食べさせてあげたいって思う気持ちはとてもよくわかる。
その方が、一人で食べるよりもずっと美味しいから。
アンさんは少し口うるさくもあるけれど、家族を大切に思う気持ちは同じなんだと思った。
「ハンバーグならまだ残ってるから、帰りに持って帰って。あ、それと、これはどうかな?」
街に着くまでの間に、大量に作ってアイテムボックスに保存していたから揚げがあったのを思い出して、取り出してみる。
揚げたてをしまっておいたから、まだ熱々のままだ。
これは、塩コショウとしょうがを少し使って味付けをした。
醤油やみりんがないのが本当に残念でならない。
小麦粉もこれを作った時は手元になかったので、ちょっと不本意な出来だ。
「これは、下味をつけたコケッコの肉を油で揚げた料理なんだけど」
木の器に盛りつけたから揚げを、取りやすいように真ん中に置く。
そういえば、シグルドさんの厨房では、油で揚げるのを見たことがない。
「これも美味しい! 油で揚げた料理なんて、私は初めてだわ。義兄さんは食べた事がある?」
職業柄、あちこちの街を巡って働きながら、食べ歩きをしていたこともあるシグルドさんは、いろんな料理を知っている。
そのシグルドさんでも、から揚げは食べた事がないみたいで、噛み締めるようにして味わって食べている。
「油で揚げる料理があるのは、話には聞いたことがあるが食べたのは初めてだ。まず、揚げるだけの油を集めるのが大変だからな。油の樹は魔物も寄り付きやすいから、集めてる間に襲われるおかげで、大量に欲しければ冒険者に依頼するしかない。……でも、これは、いいな。少し割高になってもいいから作ってみたい」
次のから揚げに手を伸ばしながら、しみじみ「うまい」と褒められて、嬉しさで笑みが零れた。
本職のシグルドさんに褒めてもらえるのは、本当に嬉しい。
でも、本当はから揚げを作るのなら醤油があるといいんだけど。
にんにくとしょうがはあるだけに、惜しいと思ってしまう。
最近は塩から揚げが人気のようだったけれど、私は醤油で下味をつけたから揚げの方が好きだった。
「ここのお客さんは男の人が多いから、お肉料理の方がいいでしょ? 油で揚げるレシピは他にもあるから、また作ってみます。それと、油の採取は依頼してもらえたら、いつでも行きますよ。今も、行かなくても大きなたらいいっぱいは持ち合わせてますから、それを譲ってもいいです」
とんかつもいいけど、ソースがないから、トマトソースをかけて食べる事を考えたら、違う料理の方がいいかもしれない。
ミラノ風カツレツの方が、トマトソースにはあうのかな。
こうして考えると、調味料は足りない物だらけだ。
もっと自由に料理をしたいけれど、制限も大きい。
「カグラが米で大喜びした理由がわかった。この料理は米とあうな。ハンバーグとから揚げと、油で揚げるレシピをもう一つ、俺に譲ってくれ。後、油も頼む。明日は店が休みだから、自分なりに作ってみる」
この街では、お店には基本的に定休日がある。
日本の日曜日みたいに、全部が一斉に休むわけじゃなくて、それぞれの店で定期的に休みを入れる感じだ。
シグルドさんの店は、6日に一度お休みを取る。
他の店と比べると、休みが多いみたいだけど、その休みに食べ歩きにいったり、食材を集めに行ったり、料理の研究をしたりしているらしい。
「明日、姉さんが逢えるのを楽しみにしていたのに、本当に料理馬鹿なんだから。子供を産んだばかりなんだから、少しは構ってあげてよね」
本来ならば、明日はアンさんの実家に行く事になっていたらしい。
アンさんが拗ねたように言うと、シグルドさんが困ったようにため息をついた。
「仕方がないってエミリアはわかってくれる。アンにはまだわからないかもしれないが、男が働くのは妻と子供のためでもあるんだ。しっかり養っていくためにも仕事は大事なんだ」
私の調べた限り、社会保障のようなものはほとんどない世界だ。
貴族ならばあるのかもしれないけれど、平民は、自分で稼いですべてに備えるしかない。
シグルドさんは、まだ30にならないくらいだけど、自分の店を持っているというだけで凄いことだと、前にアンさんに教えてもらった。
この店は、借りているわけではなく、シグルドさんの持ち家らしい。
「うちのお父さんもそうだったのかな。仕事ばっかりで、あまり家に帰ってこなくて、会話も少なかったけど、私達のために一生懸命働いていてくれたのかな」
お父さんは会社を経営しているせいで、いつも忙しくしていた。
お母さんが死んでからは、悲しみを忘れようとするかのように、更に忙しくなってしまって、ほとんど会話もなかった。
お祖母ちゃんが色々教えてくれたし、毎日忙しかったから、寂しがってる暇はそんなになかったけれど、それでも時々、家族なのにすれ違ってばかりの事を悲しく思うときもあった。
「間違いなくそうだろ。これは男に限った事じゃないが、守るべきものがあれば強くなるからな。少なくとも、俺が頑張れるのは守りたいものがあるからだ」
少し照れくさそうにしながらも、私が家族に逢えないというのを思いやってか、シグルドさんが本音を話してくれる。
『守りたいもの』か。
もっと、親孝行しておけば良かったなぁと思った。
一生懸命働いてくれたお父さんのおかげで、何不自由なく暮らすことができていた。
私が忙しかったのも、家に人を入れるのが好きじゃないお祖母ちゃんが、家のことをしてくれる人を雇わなかったからであって、お父さんのせいじゃない。
『孝行したいときに親はなし』という言葉があるけど、まさにその通りだ。
今の私と同じように後悔した人が、過去にもたくさんいたから、そんな言葉があるのだろう。
「さっさと食って、夜の仕込みに入るぞ」
段々恥ずかしくなってしまったのか、話を切り上げるように言って、残っていた料理をシグルドさんがかき込む。
あまり突っ込むのもかわいそうなので、アンさんと二人で、「はーい」と返事をして、ご飯を食べ終える事にした。
夜もいつも通り店は大繁盛で、私は疲れ切って宿に戻る事になった。