変だ したい 変だ したい~男の子って狼さんだよね。もしくは古くて新しいモスリン~
美夏。みかっちったら。
「なぁに。智子」アンタ誰だ。「あなたこそどなた?」「お前の親友だ」
まったく。澄ましたものだ。良く化けたと褒めてやるよ。
私の名前? 村神智子。16歳。花をも恥じらう乙女ってヤツ?
まぁ実家は花屋だけど。言っておくけど花屋って肉体労働だからね。絶対華やかではないと断言してやるよ。
ちょっと間が空いたね。済まない。いやはや私だって忙しいのだ。乙女の悩みってヤツ? 自分でも鼻で笑っちゃうわ。ないわ。
渡俊一。すっごく真面目で可愛くて優しくて運動も出来て真面目に良い奴。
うん。こんな男が恋人だったらさぞ幸せだとのろけて。
……うん。何だろうこの違和感は。
さて。うちの学校は中高一貫ののんびりした学校だけどそうじゃない奴もいないわけではなく、その最たる存在が私と連れだって歩いているこの女だった。
コイツの名前は夢野美夏。同じく16歳だが四つ輪を操って敵対グループの車を煽る。ナナハンを飛ばして自分の家に乗り上げる等々のとんでもない不良娘。
……ではない。
素行よし。愛想あり。学業運動共に優秀。
理想的な女の子。男が好きにならない筈がない。
実際、阿久津というこれまた渡君と劣らないカッコいい彼氏持ち。
なんだろう。不思議な気持ち。なんだろう。コレジャナイって感じ。
幸せなのに。辛い。辛いと幸せって漢字にているよね。この間あろうことか間違えていて驚いたわ。
俺、成績は良いつもりだったのだが考えを改めなければならないらしい。
この間まで完璧に理解できていたはずの教師の話がまるで分からない。
ノートに板書きするより早く先生の話が終わっている。どうも要点を掴めないらしいのだ。これではテストで良い点は取れないだろう。
俺は必死の思いで担任のオールドミスの盛大な日本語訛りの英語を聞き取る。
あんまり言いたくないけど外国人の知り合いがいる人間に日本の英語教師の発音とか私が好きな音楽ラジオのDJの台詞ってすっごく違和感があってダメなんだよなぁ。
お蔭で余計授業に身が入らない。
でも不思議なことがある。
今まで感じていた。時折感じていた殺気立った『視線』を感じないのだ。
まったく。いや全然。
勉強が理解できるようになって余裕が出てくるとさらに不思議な気になる。
今までは好きな人の事を考えていたら不意に全身が総毛立つほどの殺気を感じていた。
風呂の中でびくっとなって体中がガタガタと震え、戸惑う私にあざけるような聞こえない声が聞こえる妄想にかられたこともあるのに。
今は。幸せだと思う。
色々あるけど渡は良い奴だ。
阿久津もとても良い奴でこの間ダブルデートってやつを体験した。
これってすごく楽しいよね。ちょっと女同士だと牽制してしまうけど。
こっちの男のほうがカッコいいんだぞ。あはは。俺も女になったもんだ。
『それで良いのか』
悶々とした答えが出たのは体育館裏の倉庫での一幕だった。
ぶっちゃけると。男は獣だ。昨今はそういう漫画が増えた。仕方ない。
原っぱで濡れたエロ本を見かけることはあるが、それを男どもが恥ずかしそうにつ突き倒しながら周囲を警戒してみたり、冒険心にあふれた奴は持って帰って隠すのも見ているし知っている。
で、実践したいとか思うかも知れない。
詳しくは聞くな。恥ずかしい。
そんな俺と美夏っちは『なんでこいつがここに』という目線を合わせる。
野郎どもは大いに弁明に励んでいるがまぁ下心大粉砕だ。いい気味だし。
「ちょっと、ちょっと。ともっち」「うん」
ぐいっと引っ張られた。
この間まで俺が近づいただけで迷惑そうにしてたのに『ともっち』ときたもんだ。
「なんか知ってない?」「何をだ」「とぼけないでよ」
泣きそうな顔、戸惑った顔。怒りと憎しみと諦観。俺があの日見た涙。
知っているでしょ。応えてよ。答えてよ。
振り払ってやろうと一瞬思った。何故? お前どれだけ失礼な態度取ってたよ。
そうおもうのが『私なら』当然の対応。
当然? 本当に?
俺の戸惑いを知ってか知らずか彼女は小さな布きれを差し出す。
「体育館倉庫に。優君に連れ込まれてマットに倒れて。
それでもいいかなって一瞬思ったらなぜか握っていたの」
その布の切れ端は着物に使うものだ。
赤い、赤い着物の切れ端。柔らかくて肌触りがよさそうで。
「飛行機とか自動車とか着物とは思えない柄もあるな」「モスリンだもの」もすりん?
また、あの顔をする。
あの人たちが知識を披露する時の顔。
優しい顔。呆れた顔。ただ知っているだけの事と垂れ流す顔。
そういったことを全て超越した。
絶対忘れてはいけない顔を。
「モスリンというのは智子。羊毛から作るの」「これが毛糸?! 嘘つくな」
本当よと告げるヤツ。
ムカつく顔だが、しばらくその顔をしていて欲しい。
きっと、きっと一番大事なことを思い出せる。
本当に知りたかった。絶対に忘れたくなかった気持ちを。
「メリンスとか唐縮緬とか、ほら、メリヤスっていうじゃない」「おう。それならわかっぞ」
というかそれ間違ってる。メリヤスって言うのは編み方だからな。
「え?」戸惑った顔。
なんだろう。元のあいつに中途半端に何でもつけたような。
本で書いていることをそのまま朗読して自慢しているような違和感。
「なによそれ、不良みたいな喋り方」
あ。ごまかしたな。まぁいいけど。
ああ。でも俺はぶりっ子ちゃんは完璧だったはずなのに。
あ、そっか。俺もごまかしていいよな。女って楽しーわー。あっはは。
「実は本性はこっちなんだ」「うっそ?!」
本気で驚いた顔。
「普段はぶりっ子している」「渡君が聞いたらどういうかしらね」
あれ? あれ?
「でも、うらやましいな。智子って」「うん?」
寂しそうな顔。
泣きそうな。実際に泣いて笑っているあの顔。
真っ赤な木刀を手に、プールを破壊して笑っていた時の顔。
「ありのままでさ。好かれて」ううん? あれ?
木刀を手に迫ってくるときのあの表情。
あの時の俺は小便をちびり、泣きながら寄ってこないでと叫んでいた。
彼女は泣きながら思いっきり木刀を振って。プールのコンクリートが砕け散って。
「近寄らないで。怖い。やめて美夏っち」それだけしか叫べなくて。
「あなたも」その時の奴の唇から洩れた台詞。
乾いた唇がつむいだ言葉。涙にぬれた奴が漏らした本音。
私が受取れなかった。親友なのに受け取れなかった事!!
「私は、私は」
ぞくぞくとなる鳥肌を肩のあたりで両手で押さえ、
あの時言えなかった台詞を。思うことを叫ぶ。
「美夏っちを怖いと思わない。私が本当に怖い。憎むのは」
私は告げた。忘れていた思い。最も大事な事。
それを気づかせてくれた人たちを忘れていたことを。
「美夏っちを怖いと思う自分が一番怖い。そして許せない。私は。私は」
どんなときでも、いつでもお前の親友だから。
そういうと奴は「ありがとう」といって満面の笑みを見せた。
涙。暖かい涙。あの時の涙とは違う綺麗な涙。
今までの俺の罪を洗い流してくれるそんな涙を。
「どんな時だって、いつでもそうだったろう」
紺野さんは。浅生先生は。
美夏っちを一度だって暴走族や悪い女の子だからと恐れなかった。
もちろんからかいはしたけど、愛情にあふれていた。
全てを知ったうえで受け入れてくれた。
今は解る。私がしなければいけなかったことを。
憎んでいた。親友を恐怖した自分自身のふがいなさを。
ほのかに憧れていた。美夏っちを知ったうえで変わらぬ態度を取りつづけるあの店主に。
目指していた。そんな二人を暖かく見守る教師の強さに。
こいつが思っていたことは、理想の自分になりたいと思っていたことは。
ぶりっこを通しながら。
まったく中身がぶれていないのに。
そう。中身を変えようとするこいつをどこかあざけっていた。
中身を変えずに生きていける自分にすがっていたのだ。
「私も思い出した。智子。ともっち」うん。
もう俺はお前を恐れない。自分を憎まない。
お前の事がスキだ。大好きだ。
俺は自分を憎まない。自分の恐怖を恐れない。
怖い事は沢山あるけど、それが、感情の波が過ぎ去った時に本来の『自分』が残っているのを知っている。
それを教えてくれた人たちがいる。それを示してくれた教師がいる。
浅生先生。紺野さん。私は。私たちは。
「あのね。さっきの話の続きなんだけど、モスリンっていうのは羊毛を加工したもので、とっても肌触りがよくて気持ちいいの。戦後の統制のあとすたれちゃったけどすっごく色々な柄があって、モダンさと着物独特の伝統が出て綺麗な上に斬新で」
おい。お前はマジでしっかりしろ。
お前だけ変わってねー?!
さっきの感動を返せ。マジで。
私の名前は村神智子。
何処にでもいる16歳女子高生。
今日の親友。ちょっとおかしいと思う。
「おかしいのは智子のほうじゃない。何を言っているの」
そういって可愛らしく膨れて見せる彼女の顔は、確かに彼女が夢見た『非の打ち所の無い美少女』ではなかった。




