ヤマサキ本家にて、緊張のご対面
ヤマト皇国西部に位置する広大なヤマサキ領。肥沃な土地も多く、帝国との貿易では必ず通る地の為栄えている、そんな地。皇都からであれば健脚な者なら歩いて7日程で辿り着く。地図上であればそのほぼ中央に位置する場所に、御三家筆頭ヤマサキ本家が堂々鎮座していた。
比較的華美な装飾を嫌う傾向にあるヤマト皇国において、その屋敷は例外の様な様相を呈していた。
常緑樹である松の木が、存在を主張するように敷地内で青々と茂っている。
白砂が敷き詰められた地面には、波や水の流れを抽象的に表現した美しい砂紋が描かれている。生垣が一部の隙も無く、まるで一枚岩から切り出したかのように整えられてもいる。石畳や石灯籠も景観を損なわぬよう、絶妙な計算の元に配置されている。
清らかな池の中を見てみれば、さながら主のような傲慢さで錦鯉のような見た目の生き物が数匹、悠々と泳いでいる。鹿威しの鳴り響くさまも、また然り。
総じて、風流と呼ぶ他無かった。
これらは全て、一流の技量を誇る専属の庭師が丹精を込めて作り上げた傑作であり、そしてそこを訪れる者達の心を捉えて離さない代物となる筈であった。
だが、その期待は呆気なく裏切られる。
何故か。答えは簡単。
今現在の来訪者の中で、そのような余裕のある者など一人もいはしなかったというだけの事である。
◇
「ご、ごごごご当主様におかれましては、えと、ご機嫌麗しく……」
「……お為ごかしはいらん」
「は、はいぃ……」
余りに頼りない知識を総動員してそれらしい挨拶の言葉を考え出し、それを慣れない口調で挨拶をしようとしたナズナを目の前の男は一蹴する。それは言葉であれ何であれ華美を良しとはしないこの男の質実剛健さを表すようであり、戦わぬようになって久しくあるにも関わらず、今なお外面よりも中身を重視する武人としての性質を色濃く残している事をも表していた。
ともあれ、第三者としてそれを伝え聞くだけであれば、ナズナとて「へ~そうなんだ、それはすごいねー」と暢気に感心しているところであるが、今現在は紛うことなき当事者である。唯々帰りたい、というのが正直なところか。
今までこのお屋敷を訪れた人達も、こんな思いをしながらこの人と顔を会わせてきたのだろうか。だとしたら、人種・性別・役職の区別なく、その人達とはいいお友達になれそうだ。
益体も付かない事を考えているのが現実逃避である事は言うまでも無い。
チラリと横目で覗いてみると、横にいるリッカも表情を変えずかつ背筋正しく正座してはいるものの、どこか気まずそうにしている気がする。確かめようもないので、あくまで気がするだけであるが。
(さすがだなーホント憧れちゃうなー、リッカさん。だからその不動の心と無表情をどうか私に分け与えて下さいいや冗談ではなくっ……!?)
そこまで考えて、気づかれぬよう薄く浅くさりとて長く、溜息を胸中より解き放つ。現実逃避を止め、改めて目の前の現実に果敢にも向き合う時が来たのだ。目が部屋の中を行ったり来たり、じっとりとした汗が額に張り付いているのはご愛嬌。
目の前で腕を組み、正座。その微塵も揺るがぬ様に、ナズナは大木を想起した。その人物の名は誰有ろう、ヤマサキ家当主リュウドウ・ヤマサキその人である。ナズナが事前に聞いていた話では御年41にも関わらず見た目は若々しく20代後半ぐらいに見えはするが、だからといってその重厚な雰囲気には些かの緩みもありはしない。
威圧感を伴う挨拶は、必然的に相対する者にとっては苦行と化す。
(い、胃がっ……胃の壁がものすごい勢いですり減っている気がしますっ。それに、何かかいてはいけない類の汗がじじじじっとりとぉ……っ!)
「…………」
「…………」
無言。
ナズナにとって、余りにも胃に優しくない時間が過ぎていく。
リュウドウはじっとこちらに座る二人を観察しているかのように、表情を変えずに黙り込んでいる。その様子は、あるいは彼女が正常な状態であるならば、誰かと似ているという印象を持ったかもしれないが、幸か不幸かそのような余裕など微塵もありはしなかった。
元村娘にとってはヤマサキ家の、それも当主などという存在は正しく雲上人だ。その彼が何の反応も示していないのに再び動き出せる程、ナズナは勇者でも無ければ蛮勇の持ち主でも無かった。
美楯の同期を一度に十数人伸してしまったり、無数に湧いて出てくる骨人相手に無双をしたり、ゴロツキを強引にジャイアントスイングしたとしても、彼女の心の在りようは未だ純朴な村人だったという事である。少なくとも彼女だけはそう信じていた。
「……シミズ、と言ったか」
「は、はいっ! ナズナ・シミズでしゅっ! ……っ!」
噛んだ。死んだ。殺される。
奈落に落ち行く己を幻視し心の中でアワアワと慌てふためきながらも平伏して、失礼な事を仕出かした沙汰を待つ。
が、一向に当主からの反応が無い。
恐る恐る上目使いで様子を確かめてみると、そんな事はどうでもいいと言わんばかりに固く目を閉じていた。
「……用件は聞いている。お前を指導する者は既に、鍛錬場に用意してある。……疾く、行くが良い」
体は正面を向き微動だにせず、目線だけで外へと誘導される。
「は、はいぃっ! ……えと、リッカさ~ん? 早く動いてくださいよー……」
「……まだ話が残っている。もう下がっても構わない」
提案の形ではあるが、実質命令だ。
その程度の事は流石にナズナも知っている。リッカには申し訳ないが、これ幸いとナズナは案内人に連れられそそくさと別の場所へと向かうのであった。
「…………」
「…………」
残ったのは二人。互いに黙し、何も語らず時間だけが過ぎていく。
「……久しい、な。リッカ、息災か?」
「……はい、父様。……ご挨拶が、遅れた事。ここに、お詫びさせて頂きます」
「いや、構わん……」
再び、無言。
だが、先程の無言とは状況が異なる。
リッカの様子は、何も変わらない。落ち着いた色合いの着物を身に着け、背筋を正して対面している様子からは、いつもの食いしん坊な姿の残滓すら見られはしない。どこのお嬢様かと見紛う程だ。今の言葉を踏まえれば、事実れっきとしたお嬢様であるのだが。
だが、リュウドウの様子は違った。今までの泰然自若とした様子からは想像も付かぬ程の様相を呈していた。それは皮肉にも、リュウドウと相対したナズナを彷彿とさせるものであった。
◇
それは、武辺者故に己が子への接し方が分からぬ男の葛藤。
生まれてこの方、真剣勝負では数十数百と戦ってきてほぼ負けなしの凄まじい戦歴を誇る男が、十数年振りに会う自分の娘へどう話しかければいいかが分からずに狼狽えるこの状況。
(分からない程、忘れちゃいないけどな)
心の中、リッカはそう独白する。
彼女とて、かつては男だったのだ。残念ながら、家族を持てる程には年は取る事は無かったが、それでも兄姉の子供である甥っ子や姪っこは存在していた。
その気持ちはよく分かるのだ。以前子供達と顔を会わせた時は悩んだ挙句、取りあえず笑っとけ的考えで微笑みながら、ただ立ち尽くしていた結果。子供達は怯えていた。それはもう、模範的な怯え方で。
あの時の事を思い出すと、リッカは今でも暗澹たる思いになる。あの後、己のプライドなど捨てて必死に道化を演じていたが、ある程度は上手くいったものの、最期まで仲良しとは口が裂けても言えなかった。
(実に恐ろしきはメラビアンの法則、か……)
メラビアン自身はそんな事は立証してはいないが。
閑話休題。
ともあれ、リッカには己が父の心の中が見えているかのように分かっていた。
ならば、成すべきは父を己と同じく慣れぬ事をさせ道化を演じさせる事では無く、父の誇りを守る事にある。
その辺りのリッカの心遣いは、あるいは奇跡的に良妻賢母のレベルにまで到達していたと言っていいのかもしれない。
「……父様、お話が。……無いようでしたら、失礼しても、よろしいでしょう、か……?」
「ム……う、む。いや待て。後で渡す物がある。準備が出来たら人を寄越すので、それまでお前の部屋で待っていなさい」
「分かりました。……では」
丁寧に一礼し、リッカは自分の部屋へと去って行った。その間泰然とした様子を崩しはしない。僅かに見受けられる気配を辿り、リッカが絶対にこちらの様子を知れない場所まで行った事を確認した後、リュウドウはようやっと一息つく。肩の力も抜けた事で、今まで自分の体に要らぬ力が入っていた事に気が付き、眉を顰める。若干乏しくはあるものの、彼は娘と違って表情を表に出さない訳では無い。
娘は代わりに身振り手振りのバリエーションが豊富である為に、よく観察をすれば父親よりも余程相手に感情が伝わるのだが。
「今更……何を父親面をしていると言うのか。我が子の笑顔すらも守りきれなかった『逃げ腰大将』が何を……」
ギチリ、と耳障りな音が耳に入る。
それは知らぬ間にリュウドウが噛みしめていた奥歯の悲鳴であり、彼の呟く言葉は懺悔の台詞であった。
かつての天覧試合で負った怪我を原因に実戦の場から身を置いた己自身を、そう揶揄する輩がいるのは知っている。彼は自虐的にそれを用い、そして自分自身を嘲笑う。
リュウドウは黙したままそっと目を閉じ、ただ過去へと思いを飛ばすのであった。
◇
20年前。
今まで魔物との戦いに明け暮れていた若かりし頃のリュウドウに、いきなりヤマサキ家当主の座が転がり込んできた。
リュウドウにとっては、正に青天の霹靂と呼べるものであった。
何故なら、彼には優秀な二人の兄がいた。長兄が当主の座を継ぎ、次兄がそれを支える。長兄・次兄、共に人格的にも能力的にも申し分は無く、また兄弟仲が良かった事もあって、これでこの世代のヤマサキ家は安泰だと誰もがそう思っていた。三男であるリュウドウも、それを確信していた為に何も考えず安心して戦場に出る事が出来ていたのだ。
それが、ある一つの出来事によって、脆くも打ち崩された。
『大侵攻』。
太陽の騎士ソリュオン率いる勇者パーティが魔王領に旅立った後に、まるで最期の抵抗の様に魔物達が雲霞の如き勢いで魔王領より押し寄せてきた。その勢いは凄まじく、大陸に存在する全ての人の統治する国家に甚大な被害を与えていったのであった。
この時ばかりは、押し寄せてくる魔物にヤマト皇国が誇る大結界も許容限界を超えて一時的に壊れてしまったのだ。
待っているのは、武士達が今まで戦った事の無いような強力な魔物の大軍勢であった。
この、後から考えれば魔王の断末魔とも取れる攻勢によって多くの優秀な武士と共にリュウドウの二人の兄は共に討死。唯一生き残ったリュウドウに当主の座というお鉢が回ってきた、という訳である。
リュウドウにしてみれば、たまったものでは無かった。自分は華々しくも泥に塗れて戦場に生き、そして戦場で散ろうと考えていた矢先にこれだ。
当然必死に抵抗はしたものの、相手は長きにわたって生き抜いてきた老獪な長老衆。
刀を振るしか能の無い男がその手の事で敵う訳も無く、適性など一切考慮されずにただ血筋が最も濃いという理由だけで権謀術数渦巻く世界へと身を投じる羽目になった訳である。
そして、今までの血生臭い戦場とは勝手が違う血の出ない、さりとて戦場と呼ぶに相応しい慣れない当主業に試行錯誤しながらも何とか落ち着いてきた頃。
「お目にかかれて光栄でございます旦那様……どうぞ気安く、ユキナとお呼び下さい」
「あ、ああ。その……宜しく、頼む。……ム、うむ」
リュウドウは、最愛の女性と出会ったのであった。
◇
リュウドウの就任直後、長老衆は今後のヤマサキ家の行く末について、悩んだ。
兄達の期待が高かった分、リュウドウの出来の悪さに失望したのだ。
上の兄二人が殊更優秀であった事からくる、当の本人からすれば勝手に期待されて勝手に失望されているという憤慨物な状況ではあるが。
そこで長老衆は一手講じた。
政略結婚である。分家からではなく、彼らはヤマサキ以外の、外部からの血を入れる事を決断したのだ。
ただの貴族と違い、武門御三家は高貴さ以外に強さをも兼ね備えていなければならない事を鑑みての奇手であった。と言っても、分家の増えた現代ならばともかく昔はごく一般的に為されていた手段なのだが。
そして武門御三家筆頭としてのヤマサキ家、その権勢をより繁栄させていく為に最適な人材がいた。
当時魔王を倒した勇者パーティの一員、自国の英雄として民衆からの人気は飛ぶ鳥を落とす勢いであったユキナである。このまま落ち目となってしまう事を恐れた長老衆にとって、ヤマサキ家ここにありと世に知らしめるには正にうってつけの人材であった。
ユキナには、名声こそあれど身寄りは誰もいなかった。生まれは孤児だったのである。当然後ろ盾となってもらえるような人物も近くにはおらず、そんな彼女にとっては直接力づくで来られれば話は別だが、搦め手で来られてしまえば途端に付け入る隙がいくらでも出てくるような状況であった。
彼女や未熟な当主を利用するのは、海千山千の狸達な長老衆にとって赤子の手を捻るようなものだったのだ。
そうした紆余曲折の果て、ユキナはヤマサキの家に入る事となったのである。
◇
恋愛結婚ではなく政略結婚という事もあり最初はぎこちなかった夫婦生活も、次第に慣れが生まれ、情が生まれ。偽りでは無い愛が生まれ、そして二人の愛の結晶が生まれた。女子であった。
二人で共にああでもないこうでもないと名前について悩みながら、最終的に男子の場合はリュウドウが、女子の場合はユキナが付けると取り決めた為に、その名はユキナが決めた。
リッカ。
そう愛おしげに赤子に向けて呟いた妻の顔は、今でも目を瞑ればすぐに浮かび上がってくる程に慈愛に満ち溢れていたとリュウドウは回想する。
リッカとは、確か古い言葉で雪の結晶を意味する言葉であった筈だ。名前にユキという冬の季語が入るユキナにとっては、決して譲れないものだったのだろう。
何せ、彼女にとって生まれて初めての血を分けた存在だ。誰よりもその誕生を祝福していたのだろうと、容易に想像はつく。
妻の事を思いながら、リュウドウは己の唇が先程までとは違い綻んでいる事に気づいてはいなかった。
子供の頃のリッカについて、こんなエピソードがある。
リッカは、小さい頃は他の赤子に比べて言葉を話し始めるのが遅かった為に先天的な頭の病気を心配されていた。
(ふふ……。医者に宣告された時のユキナは、今思えば可哀想なほどに取り乱していたように思える、な)
自分自身は、まるで皇都中に響き渡るような大声で吼えたという事実を全力で棚の上に放り投げて、リュウドウはかつてを偲んで小さく笑う。
結局5歳になる頃には日常生活に支障を来さない程度には喋る事が出来るようになった為に、周囲はほっと胸を撫で下ろしたのだが。
(まさか、今度は一緒にいた私と同じ喋り方になるとは……)
当時はまだ任される仕事が少なく時間に余裕のあった新米当主のリュウドウと違い、英雄として戦火に傷ついた村々へ慰安に飛び回っていたユキナはあまり家にいなかった。
そこで数多くいる使用人に世話や遊び相手を任せていれば良かったのだろうが、夫婦の事前の取り決めによって、出来る限り時間を作り自分達で世話をするように心がけるていた。
別に家の者を信頼していない訳では無い。少しでも多くの愛情を我が子に与えられるようにする為だ。
お互い、それぞれの事情から親からの愛情は満足に与えられはしなかった者同士。そういった経緯がある為に、絶対にその取り決めは守ろうと、互いに固く誓ったのだ。
そういった事情から、じっとこちらを見つめてくるリッカに対し、ぎこちないながらも訥々と話しかけていく毎日。
気づいた時には一人称はオレ。まだ髪も短く活発な様からは、着ている服さえ変えれば男子と見間違う方が自然と思える程であった。
その事に気づいた新米夫婦と女中達で慌てて矯正をしようと試みたものの、あえなく失敗。
お仕置きをすると脅したり、逆に皇都で有名な美味しいお菓子で釣ってみたり、お手本になっていると思われるリュウドウの話し方を変え一人称を私にしたりと試行錯誤を繰り返したものの、存外強情な娘に、救世の英雄とヤマトが誇る武門の当主が、いずれ年頃になれば自然と話し方も変わるでしょう……と、遂には白旗を上げる事となったのである。
縁側に座り、過酷な予定の合間を縫って家に帰ってきた妻と庭の片隅で仲良く遊ぶ娘を見ながら、リュウドウは静かに思ったのだ。
(失う物など何も無かった、あの頃のオレはもう居はしない。魔物共との戦いも、魔王の死後は終息に向かっている。――この平穏を、私は必ず守り抜いてみせる)
だが父親となった男の小さな決意は、脆くも崩れ去る事となる。
リッカ、五歳の時であった。