不寝番と巫女姫~時々ジジイ~
今回は、若干短めです。
皇都周辺には、南や西に向かう街道を逸れると自然の要害とでも言うべき山々や渓谷が存在している。
そんな皇都を見下ろせる位置にある山の頂上付近に、一人の老人がいた。
禿頭に加え杖をついている為、一見すれば弱弱しそうに見える。だがその濁った、それでいて強烈な眼光を目にすれば、そんな印象は一瞬にして吹き飛んでしまうだろう。
時刻は日も沈み、夜。そのような時間に皇都の外に出歩いている時点で、老人の異質さは際立って見えた。
「ヒュフ、ヒュフフフフ……!」
老人は嬉しげに笑う。片頬がバックリと裂けている異様な容姿の為、笑うとそこから空気が漏れるのか聞き慣れない笑い声となる。
「ああ、久方ぶりに見てみたが……。どうやら、腕は落ちてはいないようだが、の。心の方は少々ヌルくなっておるようだが……何、想定の範囲内よ。むしろそれが良き苦悩となってくれる筈。悩み、考えるからこそ人はより高みへと登るのだ」
傍らには、控えるように一人の人影が存在していた。が、老人はその人影には話しかけてはいない。何の反応も示しはしない、そんな存在に一々話しかける程老人は暇でも酔狂でも無かったからだ。
「ヒュフッ! ……さて、さてさて。それではそろそろ、一度会ってみるのも良いかもしれんのう。もうアレも体に馴染んだ事じゃろうし」
いやいや、ここが堪え時。赤子が泣いても蓋は取るべきでは無いか、の。
そう呟くと、老人は身を翻し夜の闇の中へとするりと溶け込んでいった。カツンという打ち鳴らされる杖の音と、傍らに控えていた人影もまた同様に。
◇
さて、突然ではあるが。美楯は他国で言う近衛隊、即ち国家元首を頂点とした構造を取っている。当然、皇国での国家元首は巫女姫様であり、その御身をお守りする事は如何なるモノにおいても優先される。……と言うか、普段こなしている任務は全て、名目上は巫女姫様に害をなす遠因となるモノの排除なのも以前言った通り。
巫女姫様の普段お住みになられているのは皇城天守、最上部だ。
オレ達黒猫隊のような例外を除き、美楯の面々はシフトを組んで皇城の中や周囲を巡回したり、天守へ通じる扉を初めとした幾つかの扉には門番のように立ったりしている。更にその美楯の中でもごく一部の存在には、巫女姫様の寝室にて不寝番が課せられる事となる。巫女姫様のお世話をする侍従を除けば、この不寝番が最も巫女姫様のお近くに侍る存在と言える。
この不寝番には選定基準が二つあり、絶対に裏切らない忠誠心と侵入者から巫女姫様をお守り出来るだけの確かな実力がある者しか選ばれない。
忠誠心と言っても、ただ巫女姫様を裏切らないというだけではない。例えば年頃の男が忠誠心を高ぶらせ過ぎたとして、お休み頂いている巫女姫様に忠誠心の塊を放出しようとする事などあってはならないからだ。ドコからとは明言しないが。あるいは可愛さ余って憎さ百倍のケースか。その辺りを加味されて、例えば男性であるうちのタイチョー等も不寝番には選ばれていない。
また、当然の事ながら忠誠心だけはあっても実力が無いという者も選ばれはしない。
不屈の精神、大いに結構。だが拷問や薬品など、人の精神などどうとでも出来る術をオレでも幾つかはすぐに思いつく。巫女姫様の最もお傍に位置する不寝番は、言わば刺客に対する最後の砦。実力が無ければここまで入り込んできた手練れには対抗出来はしないのだ。
それらの理由から、不寝番には出来得る限り同性の実力者が好ましいとされており、畏れ多くもこのオレもその一人に挙げられている。例外はオネェのママさんと、もう高齢で枯れ果ててる九尾隊のお爺ちゃん隊長だけか。
そして現在は、夕餉を終えたばかり。オレの目の前には、体を清められた為に薄らと薄紅色に染まった頬にまるで黒炭のように深い黒髪を長々と膝裏辺りまで伸ばしたお方がおられる。何を隠そう、このお方こそがヤマト皇国の頂点にして要石、今代の巫女姫様である。見かけの年齢十代後半の少女とも女性とも言える不思議な魅力と共に神秘性をも併せ持たれている『ヤマトの至宝』と称せられる巫女姫様が、ご就寝の準備を終え床に就くところ。オレ以外の誰の目も無い為、手早い動きでパッパと済まされてしまうがその動きもまたフワリと可憐である。
「うだ~……今日も疲れたよ~!」
ゴテゴテとした十二単は既に体を清める際に脱ぎ捨て、化粧も清めで落ちている。巫女姫様の行動は何も阻害するモノは無い。天蓋付のベッドへと軽やかにインされる。ぼすんと音を立て着陸する。
うむ、今日もお美しいフォームだ。
「リッカリッカリッカ~? そんなトコで立ってないで、ボクと一緒にベッドでお話しようよ~」
「や……ワタシは、結構です……」
「ねー? いいじゃんか、別に。ウルサイ爺もいない訳だしさぁ?」
「……では」
巫女姫様の猫撫で声で呼ばれると弱い。猫人だけにな! などと現実逃避をしながら、二人が上に乗ってもまだまだ余裕のあるベッドに座る。実はこのやり取り、毎度恒例のモノでもある。
うす暗闇が空を支配する中、何故いつもよりも早く床に就いているのかというと巫女姫様のストレス解消の為だ。
他の面々はどうか知らないが、不寝番には護衛だけでなく巫女姫様の話し相手を務める事も含まれる。その点オレには務まらないのでは無いかと思うだろうが、日頃は周囲の人には話せない事(鬱憤や隠し事・下世話な噂話等)を溜めこんで不寝番に話される為、こちらは話題を提供せずとも時折相槌を打つ程度で済む。
それに、オレはあまり寄りつかない為に皇城の中の事はあまり知らない。その為、こちらとしてもそれなりに興味深い話を聞けるので退屈はしない。最近の女官達のトレンドは皇城七不思議。皇城を歩いていると、どこからともなく呻き声のようなものが聞こえるとかそんなヤツである。この国には幾つ七不思議が存在するのだろうか。ちなみにその前は美楯隊員と女官のラブストーリーを脚色二割増しで話されていたし、それより以前はカムイ・ヤマサキの体を素材にした伝説の武器があるとか何とか。まことネタには事欠かないものである。
その為オレには就寝まで何時間も続く怒涛の口撃(誤字に非ず)もさして苦に思わず、まるで抱き枕か何かのようになすがままにされていたのだが。
(……? 誰か、近づいてきているな)
ピクリ、と耳が動く。
美楯の実力者達に守られているここは、皇国で一番守りが堅いと言っても過言では無い場所だ。その割に騒ぎになっていない事から、入る資格を持っているという事。
推察するに、おそらくは男。早歩きで向かってきている。あまり武芸の嗜みは無さそうであり、早歩き程度でも呼吸が荒れている。体力的に不利な、老人の可能性あり。
ここまで情報が出揃えば、誰が来たのか分かる。やんわりと巫女姫様の手を除け、音も無く扉を開けた際に死角になる位置へと移動する。万が一にも無いとは思うが、もしも危害を加えようとした際に反応出来るようクナイを袖の下に隠すよう持っておく。
「ん、誰か来たの……こんな時間に一体誰だよ、もー」
こちらの行動で状況を把握した巫女姫様は、ベッドの上で身を起こして簡単に身だしなみを取り繕う。
スッ――と目を閉じ、ゆっくりと開く。そこには、別人のように気品を纏った姿があった。
「ひ、姫様ぁっ!」
それとほぼ同時に、けたたましくも扉が開かれる。開いた先には見立て通り老人が一人。
この皇国において、文官の頂点である五老中筆頭にして『内政』を取り仕切っているモミヤマ様だ。かつては巫女姫様の教育係もなされていたらしい。現在では巫女姫様の頼りになる右腕として、その辣腕を遺憾なく発揮されている。
梟の獣人であり、赤みがかった茶髪をしたフクロウが着物を着用しているといった印象を受けるのは否めない。また、全身を覆うふんわりとした体毛が体を必要以上に大きく見せ恰幅が良さそうに見えるが、お風呂に入った後に確認したら物凄く痩せていたらしい。(巫女姫様情報)
しかし、普段は理知的な光を瞳に宿しているというのに何やらそれを感じさせない程に血走った表情を浮かべている。
(そもそも、モミヤマ様は巫女姫様が寝室に入られてからお越しになられる事など今まで無かった。一体何事だ……?)
ともかく、今己が為すべきことは何も無い。ただ場の様子をひっそりと息を殺して見守るのみだ。
「――爺、お主このような時間に妾の寝所に一体何用か?」
先程とは打って変わった凛、とした声。あるいは覇気とでも呼ばれるものが含まれているのか、まるで澄み切った声がこの寝室自体に染みていくかのように響き渡る。
これこそが、普段人々が目にし耳にしている巫女姫様のお姿。人の上に立つ事が生まれながらに義務付けられ、そして周囲の大人にそのように在れと育てられて来た、その集大成。
「姫様! このようなお時間になって姫様の寝室に踏み入るなどと言う無礼、平に、平にご容赦を! しかしそのような暴挙を為してでも急ぎお伝えせねばならぬ事案がございます……!」
平時であるならば、巫女姫様へのご挨拶と言うのは本当にややこしい。確か、「畏くも巫女姫様におかれましては、うんぬんかんぬん」と前口上があったはずだ。それを身内しかいないとはいえすっとばしてしまうというのは、それだけ一大事という事。あの礼儀にうるさいモミヤマ様が、それをかなぐり捨ててでも情報を自ら伝えに来た。この状況に、若干。本当に若干だが、不謹慎にも気になってしまう。うずうず。
当然それは巫女姫様も興味を持たれたようで、目線で先を促す。
「――シラミネが、あのシラミネがエゾの牢獄より抜け出しましたぞっ!!」
ゾッ、と。背筋が凍った、そんな気がした。常日頃から無表情ではあるが、今この時ばかりは自分が何の表情も浮かべていない事が容易に知れた。
「間もなく彼奴めをひっ捕らえた時から丸五年が過ぎようとしておりますっ! おそらく……」
「――爺っ!! 貴様、疾く口を閉じぬか痴れ物が!! 今宵の不寝番は誰と心得ている!」
「む? ……これは!? ――失礼した黒猫殿よ。確かに、そなたの前でする話では無かった。許せ」
「……いえ」
シラミネ。その言葉を聞いた瞬間、心の中に煮えたぎるような熱い何かと、凍えそうな程冷たい何かが蠢いているような、そんな感覚に襲われる。その二つは決して混ざらず、相反せずにオレの体の内に潜んでグルグル、グルグルと――。
「――ッカ、リッカッ!? しっかりしなよっ、リッカ! 気を確かに持ちなさいっ!」
ふっ、と意識が戻った。
気が付けばモミヤマ様はおられず、心配そうな表情を浮かべられた巫女姫様がオレの肩を掴んでゆさゆさと揺さぶっていた。
「すみま、せん……巫女姫、様」
「いいから……ねっ、今日はもう眠っちゃお。それで、明日になったら忘れちゃえっ」
ベッドに入り先ほどよりも強く、ギューっと抱き締められる。
正直少し苦しいが、その分だけオレの事を心配してくれているのだと思うと嬉しく思えてくる。
「リッカ……ダイジョーブだから、ねっ。あんな奴、皇城にいる時から好きじゃ無かったんだからっ!」
巫女姫様は時折少女の見た目とは裏腹に、ひどく経験を重ねたような言動をする時がある。今も年不相応に、まるで母のように慈愛に満ちた表情を浮かべてオレの頭を撫でておられる。
それは……どこか安心できるような感覚。揺り籠に揺られているような安心感の中、そっと懐の小刀を握りしめながら、やがて、オレの意識は驚くほど緩やかに溶け込んでいくのであった――。
◇
リッカが深い眠りについたのを確認した後、巫女姫は表情を一変させた。それは研ぎ澄まされた刀を思わせるような鋭利なモノであり。武士でなくとも、実際に刀や弓を用いておらずとも、数々の戦いを繰り広げてきたことは想像が付く。
「シラミネ……元『諜報』を司る五老中、かぁ。――厄介だね」
皇国の政治を担う五老中は、珍しい形態ではあるが各々一つの分野に特化して分かれていた。それぞれ、『内政』『外交』『神祇』『軍務』、そして『諜報』だ。
以前はカムイ・ヤマサキの頃からの伝統によって全ての席に学を修めた文官が座っていたのだが、ある出来事が起きて以来問題が発生し、今では『軍務』は通常の武士団を率いる征夷大将軍が、『神祇』は御三家の一つオウマ家当主が、『諜報』は美楯総隊長・英雄ユキナが兼任するようになっている。そのせいで信頼出来る一部の人間に負担が増しているのは修正すべき点である。
(うん……。取り敢えず、ユキナはもうこの情報を知っているはず。ユキナの事だ、きっとボク以上に力が入ってるはずだよね。とすると、この件に関しての人員を見繕ってくれているだろうから、向こうから出してもらおう。今日はもう遅い、あの用心深いヒヒ爺の事だ、きっと闇に紛れて徒労に終わる。向こうへは明日朝一番に連絡させておくとして。武士団の方からは出せない……かな。何をきっかけにして北伐が始まるかもしれない、今僅かでも隙を見せれば王国からの侵攻が始まってしまうかもしれないし……)
あるいは、この他国との情勢がきな臭く、人員を大量に動員出来ないところまで奴の掌の上なのでは無いだろうか? そんな気さえしてしまう程に、シラミネという老人は厄介な部類なのであった。
何せかつては諜報……と言うより、暗殺や流言のような裏工作を一手に担う闇に潜む者達を養成する機関、『醜の御楯』の最高責任者でもあった男だ。当然、そういったモノにも誰より熟知していると言っていいだろう。
少なくとも、この自分より。
(だからと言って、徒にヒヒ爺の影に怯えてちゃ駄目なんだけど……さ)
そもそも何故奴が現れたのか。奴の目的、それがどうにも解らない。奴に最後に会った時の言動から推察しようと試みる。
(奴は……五年前、何をしていた? ボク達が踏み入ったあの時、醜の御楯で養成した幾人もの子供を使って試して……!)
「もしかしてっ……!」
「ん……」
思わず声に出してしまったようで、抱き締めていたリッカが身じろぎをした。慌てて口を閉じたのが功を奏し、またスヤスヤと眠っているようだ。
(アイツは、言わば性質の悪い芸術家だ。以前一度だけ言ってたじゃないか、奴が生涯を賭して成し遂げたい事……!)
完全完璧なる殺人者の作成。
それこそが、奴の目的。
何を持って完全完璧と言えるのかは解らないし、解りたくも無い。
だが奴曰く、友にして英雄。暗殺の技術で言えば大陸全土でも一、二を争う程の腕前を誇るユキナですら「あと一歩足りない」らしい。
巫女姫自身が現段階で考え得る暗殺者の理想像、それはユキナだ。しかしユキナとて生き物だ、もう40前後のその年齢ではとてもではないが劇的に成長する事は不可能だろう。
(となれば暗殺者としてユキナを超える存在、あるいはその可能性を秘めた存在にシラミネは向かうと考えるのが道理かな)
はっきり言って、そんなモノは一人しかいなかった。今己が胸の中でスヤスヤと眠る愛らしいこの少女、リッカだ。
(あるいは歯車が一つ違えばリッカ、キミも虫一つ殺さずに済む人生を送れてたかもしれないって言うのに……)
それは侮辱も同然だと分かっていても、それでも巫女姫はこの少女に憐みの眼差しを向ける事を止める事は出来なかった。それは、それだけこの少女が波乱に満ちた人生を送ってきたという事でもあり、また同時に巫女姫がこの少女の事を娘のように思っているという事の証左でもあった。
「とにかく、今は眠りなよ……。明日からは苦しい事が起こるかもしれないけど、さ。今は、この胸に抱かれて安らかに眠りなよ、リッカ――」
先程までの抱き枕のような抱き方とは違い、巫女姫は慈母のように抱き締めるのであった。
何も考えずに書いてましたが、これと前回の終わり方がおんなじような終わり方だった事に書いてから気づき、ほんのり変えておりますw