第一話:少年剣士
もうすぐ前方にそびえ立ち連なる緑地が見える山ふもとに、今日も紅色に染まった夕日は切なさを感じさせる
輝きを魅せながら、徐々にその姿を潜めてゆく。
ほんの数枚だけの、薬草を取りに来ただけだったのに。
神秘の森と伝えられている、ルードの森。
水はサラサラと清く流れ、緑は辺りをいつも慰めるように風と共にその葉を揺らす。
降り注ぐ太陽の光が差し込むその光景は、まさに「神秘」そのもの。
その為にここにしか生息しない植物も多い。探しに来たのはそのうちの珍しくも無い葉。
昼間は魔物が少ないし、夜までに帰れば問題は無い。
―――無いはずだった。
しかしその夕日の静けさ漂う空の下、一人の少年の声は先程から途絶える事無く、悲痛に響き渡っていた。
普段は鳥のさえずりのみしか届かない、まさに孤独と称するにふさわしい、赤く染まった森の中で。
「リュート…リュート!!」
少年はその静寂の空気を引き裂くかのように叫びながら黒いバンダナをたなびかせて走り、ただ一本の道を
力の限り走り続けていた。道と言ってもその地面は一面伸び放題の草で敷き詰められ、一見見たまま手入れは
されていないと言っても過言では無い。
それでも少年は生い茂るツタを必死に掻き分け、枯れ葉を幾度と無く踏み荒らすと後は葉が困惑させるかのように
舞い踊るだけ。頬をかすめる硬葉で血が滴り落ちようとも、手にした深紅のお守りを握り締めて、時折悔しそうに
眺めては、少年は走った。そしてすっかり枯れ果てた声で、無理やり搾り出すように再び叫ぶ。
歳は17半ば程だったが、それにしては身体は意外と華奢で、背中に背負っている大剣は少年と比べて大きすぎるようにも見えた。
「リュート! リュート!! 居るのなら、返事をしてくれ!!」
度々立ち止まっては返事の無い空間に、答えを求め続けた。
帰ってくるのはいずれも自分の木霊した声ばかりでそれが更に焦りを煽った。返事を信じて叫ぶ声が空しく
響いては枯れるように消える度、頭には何も考える事が出来ないほどの不安が蘇っては染み付き、そして
離れない。
肩を上下させ、必死に酸素を取り込みながらその気持ちを何とか抑えつける。
そしてあるだけの神経を出来るだけ耳に集中させ澄まし、左右には目を泳がせた。
夕日に赤く染まって辺りを威圧するような雰囲気を一面に漂わすこの不気味な森は、まるで少年自身を
取り込んでしまうのではないかと思う位に深く染まり、恐怖を煽る。
日が沈んで暗闇に捕らわれる頃となると、人影どころか動物の気配すら安易に掴めなくなる。人が居ないのは
別に偶然でも無ければ当たり前でもないが、森は気配を混沌とさせる…言い換えれば、気配が取り難い中、悟れなくなったと言うわけだ。…危険と隣りあわせなのだ。
「雲隠れなんて無しだ! 危ないんだぞ、リュート!!」
焦りにこわばる顔に似合わず、まるでその場に居る幼い弟を咎めるように怒鳴る。けれど、やはり返事は
風の葉揺らす音のみだった。少年の気持ちとは裏腹に風で和む葉の音を耳にする度、焦る反面、どこかで
静かに怒っている事実も隠しようがない。
想っていればその分に、消えた後の残された者が抱く戸惑いは、見付かるまで永遠に途絶える事は無いのに。
その事を思うと、どうしても後先考えずに行動する奴に対しては、怒りが込み上げてきてしまう。
…まだ小さいくせに、何で勝手な行動なんか…!
少年は眉を潜めて、地面に何重にもして這いつくばる木の葉を睨んだ。枯れているくせに、どこか執念深く
意思を持っているようにも見えるその自然の残り火は、まるで自分の存在を認めてはくれないともがく
哀れな自分の姿と重なった。
手を伸ばして、届くことろまで…泣いてるのは、誰だ…?
俺だって、人間なんだ――――…
少年はそこまで自分の中に思考を走らせて、はっと我に返り首を左右に振りかぶった。
「違うだろ…俺の事はどうでも良いんだ」
どんなに責めても、想いを巡らせても、探す相手はいつもみたいに泣きじゃくり、自分に対して必死になり、
微笑む許しを請いにその小さな身体を走らせてくる事は無いのだから…。
何としてでも見つけてやらなければならない。
俺には取り返しのつかない責任がある…もっと、冷静に。良く考えるんだ。
少年は深呼吸をして、自分の気持ちを落ち着けた。闇雲な捜し方でこの森をうろつけば、間違い無く生死に関わってくる。目の利かない闇の中は、わずかな音も逃さない聴覚の方が何倍も役に立つ。
しかし…どうしてこんなに捜して声を荒げて求めても、その姿は見付かってくれないのだろうか。
色んな感情で埋め尽くされた頭は、捜し求めている者の名前しか思い浮かんでくれないというのに。
周囲を見渡す目には情けないと分かっていても、心配の余り涙が浮かび、頭はもうすぐ奇跡的に見付かって、
喜び合う光景を想像してやまなかった。すぐに小さな身体を抱きしめて、慰めてやりたかった。…誤りたかった。
しかし身体においては走り続ける度に荷担される疲労に悲鳴を上げていたが、それに逆らうように自分の身体に
鞭打ち少年は再び走り続けた。
何よりも大切な自分の家族だから…それ以外の理由など、少年には不要だった。
「リュート、リュート!! 返事を…ッ!?」
身体が言う事をきかない…。
視界はぐにゃりと歪み、それが焦りすぎた思考と限界を超えた体力を露にした。
「…畜生ッ! 一体、どこへ行ったんだよ!!」
走っても走っても同じ空間が続く。少年はついに足を止めた。
そして見付からない不安とやり場の無い怒りをぶつけるかのように、相当な樹年を重ねていると思われ
る近くの木を力任せに殴りつける。
その衝撃で周りの木の葉がざわめいた。返事の無い森は、少年の声を吸い込むかのように呆気無くざわめき
の中に消して行く。
しかしそれで感情が和らいでくれる訳にもいかなくて。
腕に走った鈍い痛みより、今頃リュートはどうしているのか…その一つだけを考えるだけで胸が何かに激しく
締め付けられ、鼓動が早まる。
少年は、余りの情報の少なさと自分の無責任感に、震えた手中でお守りの中の木板を折れんばかりに
握り締めた。リュートが剣士になった自分に、無事を祈って託してくれた大切な物だった。
”兄ちゃん、またぶじに帰ってきてね!”
”あたりまえだろ、お前の兄ちゃんなんだから”
”うん、知ってるよ!! 僕の兄ちゃんは、強いんだよね?”
”ああ、こんな僅かな力でも、お前等を護る事くらいはたやすい事さ”
”じゃあ、大きくなったら、次に僕が兄ちゃんを護ってあげるからねー”
”…そうか。それじゃ、期待しないで待っててやるよ”
”えー、損しても知らないよ?”
”バカだな、お前…”
「…あ…」
すっ、と。少年の脳裏には見慣れた、幼い弟の無邪気な笑顔が走馬灯のように過ぎる。
それと同時に、何度も白い頬に伝わるこの温かい涙。泣くのは久しぶりだった気がする。
…もう心の何処かで、自分に出来る事は何も無いように感じていた。言うなれば、これこそ絶望。
「ごめん。頼りないな…。俺が剣士になったのは、お前等守る為だったのに…」
少年は木の葉で何重にも遮られた光漏れる夕空を見上げて、見えない弟に心底誤った。
こんな事になるのならば、歩き回る幼いお前から目を離すんじゃ無かった…
大丈夫だと思っていたのは自分の失敗だった。
こんなに声が響く森の中だから、何かあったら即座に悟れるだろうと。
それに人並み外れた鋭さと言われる自分の感にも自惚れていた。
うわべでは謙遜する自分がいても、心内ではどこか誇らしげに得意となっている自分もいたはずなのに。
それが誤りだったなんて、こんな重大な事態に追い込まれなきゃ気付く事が出来なかったなんて…
少年は、絶望の淵に立たされた心境の中、歯を食い縛って後悔する事しか出来なくなっていた。
馬鹿だった、俺…もう、今更!
「くっ…!」
俯いて、歯を思いっきり食い縛り、怒りをあらわにする。
今思えば、響く場所で口を塞いだり眠らせたり卑劣な行為をするのは、犯行を実行する上での最も身近で
単純な常識。
そして剣士の村に生まれた子供を脅迫して、村の秘密と強さを手に入れようとするんだ。
奴等の真っ先に考えそうな事…口を割らなければ拷問されて、最後には殺される。
そう、村長からは聞いている。
あんなに幼いリュートが、自分も知らない事を知っている筈など無いのに!
もう後悔しても、全ては後の祭りなのか。
「…リュート…」
少年はもうまるで竜巻に切り裂かれたようにボロボロに擦り切れた服と身体で、殴った木に背を預けて
愛しい弟の名を呼んだ。返事が無いのは承知の上だが、口にせずにはいられなかった。
しかしもう約三時間以上も走りつづけた身体は、少年の意思に逆らうようにピクリとも動いてくれず、
何処からか深い睡魔も襲ってくる。
茶色の前髪の隙間から見える、既に半分に欠けた夕日に少年は自分の終焉をわずかながらも感じ始めていた。
見つけたいと嘆く反面、自分の身体の体力は、既に限界を超えていた事にもとうに気付いていたのに、
感情に焦りを生み、そして最後には動けなくなってしまった。
無理に消費した体力は、計り知れない。
自分の吐息だけがその場に残る。
一人になる前までは、あたりまえのように取り巻いていたもう一つの聞こえる事の無い吐息。
それがこんなにもあっさりと自分の知らない所で途絶えてしまうなど、現実でありそうではないような世界に
入り込んでしまったようだ。
それこそ悪あがきだと口々に蔑まれるかも知れないが、その一言で片付けられる程、諦めが良い人間では無かった。
「…リュート…」
もうすぐ日が沈む、そうなれば弟を見つける事はおろか、自分も街に帰る事すら出来なくなる。焚き火も
思っているよりも危険だった。木が辺りくまなく敷き詰められたこの森に、火を焚く場所などありはしない。
火をつけたら最後、この場は火の海と化すのだろう。
…それも良いか。元々この森が存在している意味など無い…
しかし少年は、手元にある擦り切れたお守りを虚ろな瞳で眺めると、自然と緑の瞳には光が戻る。
「っ…どうすれば、良いんだ…!!」
リュートは俺の助けを心待ちにしているのだろう…泣いているのか、それとも気を失って倒れているのか。
ここで帰るものならば、一生探し続けてここで朽ち果てる方が何倍も楽だろう。
畜生…いざとなってからじゃなきゃ、守護者である剣士も役には立たないのに!!
悔しさや不安となって溢れる涙は、止まることを知らなかった。
「……?」
ふと、少し感情的になって考えていた少年の耳に、一瞬何かの影が後ろをサッと過ぎる音が鼓膜を揺さぶった。
確かにいた、いや…それも悪あがきか?
涙は少年が無意識のうちに、その流れを止めた。
少年は咄嗟に、しかしもたれ掛かる木からは一歩も離れる事が出来ないまま、左腰に提げている剣の柄を握り、腰をなるべく低くして辺りの気配に集中した。
もしかしたら、見付かってほしいと思うばかりに聞えた幻聴なのかも知れない、とも思ったが、せっかく
見つける事の出来た僅かな希望、ここで逃したくは無い。
確信など無いのに、どこか溢れるように期待して次の時を待つ。
しかし魔物と言う大きな可能性も否定することは出来ない。
危険すぎるその為に夜は封鎖されているこのルードの森。
考えてみるのなら、きっとその方が結果として正しいのだろう。
息を押し殺すと、額から一筋の汗が垂れ落ちる。緊張した声が、僅かに震えた。
「…人か?」
返事は無い。期待していたわけでも無いが、返事が無いとなればもう明確。
十中八苦、魔物か動物だろう。恐らく素早さからしては、小型と分かる。
そして苛立ちを募らせるように挑発的に背後を行ったり来たりといった行動を繰り返している。
僅かに奇妙な音を発すれば、此方が怖気づいて逃げるとでも思っているのだろうか。
そこまで把握した上で襲ってくるというのは、ここに足を踏み入れた人間もきっと少なくないのだろう。
そして…襲ったのだろうか。
少年は一瞬剣を抜く事を躊躇したが、すぐにそんな戯言はと振り切った。
――――もしも、これが救援だったのなら…!
「はあっ!!」
少年は素早く剣を抜くと、その細い腕に大剣を掲げて、後ろに佇む太い樹木を一振りで場の空気を裂くが如く
なぎ倒してみせる。振り切った直後に発した風が、辺りの葉をも切り裂いた。
木は辺りの静寂を全てを巻き込むかのようにバキバキと鈍い音をたて、年月を刻んだ巨体で地面を震わせその場
に倒れた。
葉が周りを慰めるように舞い、少年から焦りを取り除くかのように取り囲んでは、一枚ずつ散った。
影の後ろに何の姿も見当たらない光景を目の当たりにした少年は、ふっ…と肩透かしをくらったような気分に
なる。
何も無いに越した事は無いが、それは逆に希望も切り捨てられるという事だったからだ。
少年はその柄に似合わない大剣をいやに柔らかい地面に突き刺し、空いている手で髪を掻き揚げると同時に
重い溜め息をついた。手の平に生温い汗をびっしょりと感じたが、それは過ぎた疲労を身体に与えたせいなのだろう。
傷が蓄積していく身体に残る体力も、もう完全に使い果たしたに等しい。
立っているのと息をするのでやっとだった。そして、自らを嘲笑う。
・・
――――モシモ、コレガヒトダッタノナラ…!
「魔物じゃ無い…動物だったのか? なら、罪も無い獣に悪い事をしたな」
剣の刃にはりついた木の葉の破片を、振りかざしやっとのことで全て払う。
本当はそんな事微塵にも思っていないくせに。
「…人間、諦める事を知れ、か」
不本意にも、口に出る。
自らは諦めを知らない野生児と異名を取ったものだが…。所詮、こんな物なのか。
世の中は、悪党ばかりだ…強い奴等が、上に立つ。弱い物は、殺される…弱肉強食。
そこまで辿り付いて、少年はふと思う。いっそのこと、帰ってしまうか? その途中で見つけられるのかも
知れない…もし見付からなかったら、村長に頼んで調査隊を派遣してくれるように頼めば良い…と。
しかし少年ははっと我に返り、自らを心のそこから信頼してくれた幼い味方を無碍にしたことに、深く詫び、
恐ろしい事を無意識に胸に刻んだ自分を、震える手で覆い、目を見開いた。
「どうした…? そっちが本性なのか、俺…」
俺が、村に祟りを生む原因…”忌み子”だから…!!
そこまで考えて、少年は自らを叱咤した。
こんなに醜い自分は、リュートの純粋な瞳に映る事が出来るのだろうかとも自らに問い掛けたが、答えも
無ければ迷っている時間も無い。
「駄目だ…家族を捨てた上に掴む名誉なんか、俺はいらな…」
ザッ!
「…?!」
咄嗟に気配が動く。
目で瞬時捕らえた少年は、反射的に剣を地面から引き抜いて我の感覚を忘れ、走り出した。
長くなりました。最初は短かったはずなのに…。
読んで下さった方々、有難う御座いましたー。
何か言い回しとか意味不明な文とか、多数ありますが…
…勘弁して下さい…。
今後とも、宜しくお願い致しますー。




