断罪後、平民暮らしを満喫していたら元夫とその愛人が私の元へやってきた件
――王宮の地下にある罪人を収容する牢。
その一室に入れられていたのは、みずぼらしい格好をした女だった。
長い銀髪はずっと手入れされていないのかくすんでおり、目は虚ろで焦点が合っていなかった。
静寂の中で、コツコツと足音が響く。
「――落ちるところまで落ちたな。セリーヌ・ウィットロック」
「ウィットロック……?私はセリーヌ・アーヴィンよ。彼と結婚してアーヴィン夫人になったんだから」
セリーヌと呼ばれた女性は顔を上げた。
彼女を冷たい目で見下ろしていたのは、この国の国王だった。
セリーヌの最愛の夫の親友であり、昔から何かと彼女を毛嫌いしていた男。
「そなたの夫である公爵はそなたと離縁し、シャーロット嬢の母親と再婚することになった」
「そんな!そんなことあるわけがないわ!私はあの人の子供を産んだのよ!クラウディアはどうなるのよ!」
「あの子は罪を犯した。公爵は彼女とも縁を切り、二度と公爵家の敷居を跨がせないそうだ」
「な…」
セリーヌは言葉が出なかった。
娘のクラウディアまで見捨てるなんて。あの男には私たちに対する情はないのか。
「私の息子との婚約も無しにさせてもらう。お前のような女の娘と結婚だなんて御免だからな」
「そんな……」
クラウディアは王太子殿下の婚約者だった。しかし、あろうことか王太子はその異母妹と恋に落ちた。
母娘揃って人の物を奪うのが好きなのか。セリーヌはクックッと笑みを零した。
「今日からお前たち二人はただの平民の母娘となる。自らの愚かな行いを悔いるんだな」
「……」
それだけ言うと、王は立ち去って行った。
一人残されたセリーヌは、暗い地下牢の中で考え込んだ。
――いつ、どこで間違えてしまったのか。
夫であるクロード・アーヴィン公爵とは政略結婚だった。
彼女は彼を愛していたし、きっと彼もいつかは心を開いてくれるだろうと思っていた。
だが、結婚生活は思った以上にうまくいかず、クロードはセリーヌを疎ましがり、外に女を作った。
当時セリーヌのお腹には子がいた。しかし、そんなもの気にもならないようで彼は次第に家に帰らなくなった。
それからしばらくしてセリーヌは出産し、愛人の方にも子が出来た。
愛人の子の存在は、彼女にとって脅威でしかなかった。
ただでさえ夫の愛を奪われたのだから、これ以上他のものをあの母娘に奪われるわけにはいかなかった。
だからセリーヌは娘のクラウディアに必要以上に厳しく接した。
今思えばやりすぎだったのではないかと思うくらいだ。
しかし、彼女の努力は全て水の泡となった。
結局は平民の愛人に正妻の椅子を奪われ、その子供に次期王妃の座までも渡ってしまった。
(私のやってきたことって……何だったのかしらね……)
最後の恩情として、国王はセリーヌ母娘に郊外の小さな家を与えた。
セリーヌとクラウディアは貴族に戻ることも出来ず、死ぬまでそこで暮らすこととなった。
しばらくして、アーヴィン公爵の再婚、シャーロットが王太子の婚約者となったことが耳に入ってきた。
あまりにも惨めでみずぼらしく、精神的に耐えられなかったセリーヌは病気がちになり寝込んでしまった。
そんな彼女を、娘・クラウディアは決して見捨てなかった。
「クラウディア……」
「お母様、今日はお母様の好きだったジャガイモの冷製スープを作ってみたんです。公爵家のシェフに比べたら劣るでしょうが…」
クラウディアは献身的に母親を看病した。
愛なんてほとんど与えなかった。いつも厳しく接していた。
それなのに、クラウディアは笑顔でセリーヌの世話をし続けた。
最低な母親だったはずなのに、どうしてそんな風に笑えるのか。
セリーヌの胸に、今さらどうしようもない罪の意識と遅すぎる後悔が沸き上がってきた。
(これ以上、娘に負担をかけるわけにはいかないわ)
セリーヌはクラウディアに体を支えられながら、あることを決意した。
その夜、クラウディアが眠りについたのを確認した彼女は、思うように動かない体を何とか起こした。
向かったのは、家の近くにある深い池。
(クラウディア、どうか幸せになってね)
心の中で愛する娘の幸せを願い、セリーヌは池に身を投げた。
これでクラウディアは私の看病から解放されて自由になれる。
そう考えてのことだった。
(生まれ変わったら、もう一度あの子に会いたいな…)
――次はちゃんと父親もいて、愛情をたくさん注いであげたい。
そんなことを思いながら、彼女は目を閉じた。
***
「――お母様!」
「……クラウディア?」
セリーヌは再び目覚めた。
死後の世界かと思ったが、彼女がいたのはいつもの部屋だった。
ベッドの横ではクラウディアが大粒の涙を流してセリーヌを見つめている。
「私……助かったの……?」
「お母様、どうしてあのようなことを…!」
彼女は助かったようだった。もしかして、クラウディアがあの池の中から救出してくれたのだろうか。
だとしたら、いらぬ労力を使わせてしまった。
(それより、どうして泣いているの…?)
セリーヌは、クラウディアが泣いている理由がわからなかった。
何故、こんなろくでもない母親のために涙を流すのか。
「…貴方は…私を憎んでいるんじゃ……」
「……お母様が私を大切に思っていたことは知っています」
クラウディアが泣きながら口にしたのは、意外な言葉だった。
「本当に私を嫌っているのなら、お父様のように放置するはずです。でもお母様はそのようにしませんでした。それにお母様が教えてくれたことは、全て社交界でとても役に立つことでした。今の私があるのはお母様のおかげです」
「クラウディア……」
セリーヌの目から、自然と涙があふれた。
貴族社会ではクラウディアは可憐な妹を虐げる悪女として有名だった。
それは間違っている、こんなに優しい子が悪女なわけがない。
(二度とクラウディアを悲しませたくない……)
この日、セリーヌは娘のために生きていくことを決意した。
***
――五年後
王国の郊外にある古びた小屋にて。
一人の若い女性と、ローブをかぶって顔を隠した謎の人物が暗い部屋の中で向かい合って話をしていた。
「夫が家に帰らなくて困っているんです。子供がいるので離婚するわけにはいかないし、私どうすればいいか……」
女性は俯きながら、消え入りそうな声で言った。
謎の人物はそんな彼女の悩みを真剣に聞いていた。
「……聞くところによると、貴方家庭内でも旦那さんに仕事の話をしているそうね?」
「はい……私と夫はビジネスパートナーでもあるので、無意識に……」
「それが原因よ」
「え!?」
女性は驚いたように声を上げた。
「ただでさえ仕事で疲れているというのに、家でもその話をされたら家庭を窮屈に思ってしまうでしょう」
「……!」
言われて初めて気が付いたようだ。そんな彼女に、向かいに座っていた人物はトドメを刺すように結論を言った。
「夫婦仲が悪化している理由は一つ。唯一の憩いの場が、旦那さんにとって安らげる場所ではなくなってしまっているからよ」
「それは……たしかに……」
原因は自分にあったのかと、彼女は落ち込んだように視線を下げた。
謎の人物はそんな彼女を元気付けるように、ローブの隙間から見える口元を緩ませた。
「一度夫婦で話し合ってみなさい、旦那さんも話せばきっとわかってくれるわ」
その言葉に、彼女は感激したように顔を上げた。
「そ、そうします!ありがとうございました!」
今すぐにでも夫と話したかったのか、彼女は慌ただしく小屋を出て行った。
彼女が去ったあと、謎の人物はローブを脱いだ。
「ふぅ、今日も疲れたわね……」
中から顔を出したのは、セリーヌ・ウィットロック――元アーヴィン公爵夫人だった。
クロードとの離婚から五年、セリーヌは自身の経験を生かした夫婦問題専門のカウンセラーとなっていた。
最初は町へ出て軽く相談に乗る程度だった。
しかし次第にその評判は広まっていき、今では予約三ヵ月待ちの人気っぷりだ。
王国の貴族たちも訪れるほどの人気カウンセラーとなっていた。
(クラウディアが豊かに暮らせるだけのお金は十分貯めたし……そろそろ引退してもよさそうね)
そんなことを考え始めていたある日、彼女のよく知るお客様がやってきた。
「夫との仲が上手くいっていないんです。顔を合わせると喧嘩ばかりで…」
「ただ単に元々合わなかったのでは?離婚するべきだと思いますよ」
それはクロードの元愛人であり、現公爵夫人ロレーナ・アーヴィンだった。
かつてセリーヌが熾烈な争いを繰り広げた因縁の相手。
クロードとの真実の愛を貫いた彼女が、結婚五年目にしてこのような場所を訪れるとは。
一体誰が予想できただろうか。
「ですが、愛人だった頃はそれはそれは仲が良く…」
「それは貴方が愛人という立場だったからです。愛人と本妻では求められるものが全く違います。離婚したほうがいいと思いますよ」
「貴方も私を元平民だからと差別するんですか!」
ロレーナは声を荒らげて席を立った。
彼女は公爵夫人ではあるが、生まれは平民で、長い間市井で過ごしていた。当然、貴族の世界で生きていけるはずがない。
「いえ、平民を差別しているわけではありません。公爵夫人は夫である公爵を仕事面においてもサポートする必要があります。ただ肉体関係を結ぶだけの愛人とは違うのです。離婚をお薦めします」
「肉体関係を結ぶだけだなんて!私たちは心から愛し合っていました!あなたに何がわかるんですか!」
ロレーナは頭の中がお花畑なのか、愛だけで夫婦生活が成り立つと思っていたようだ。
セリーヌはそんな彼女に、現実を突き付けた。
「貴方は納得いかないでしょうが……夫にとって仕事と家庭の両方において必要不可欠な存在となる。それでこそ真のパートナーと呼べるのではないでしょうか」
「……」
セリーヌの正論に、ロレーナは言い返すこともできずにただ黙り込んだ。
そしてもう一人。
「妻と離婚したいんだ。彼女とはやっていけない」
「…離婚したいのならすればいいのでは?」
「子供がいるんだ。そう簡単に決められることではない」
セリーヌの元夫クロード・アーヴィン公爵だ。
ロレーナが彼女の元を訪れた僅か数日後のことだった。
「彼女とやり直す気はないと?」
「ああ、愛人として囲っていた頃は気付かなかったんだ。あそこまで低能で仕事が出来ないことにな!おかげで私があの女の尻拭いを全てやらされているんだ」
「……さすがに言い過ぎでは?」
彼は握り締めた拳でドンッと机を叩いた。彼女たちとの生活で相当ストレスが溜まっていたのだろう。
正妻とその娘を捨ててまで愛した女でしょうに。一体何故そのようなことになってしまうのか。
「娘の方も母親に似て愚かなんだ。あの子に王妃が務まるか……不安でしかないよ」
「……公爵夫人、王太子妃になるための教育は受けさせているのですか?」
「ああ、二人ともまだ淑女教育すら終えていないがな」
クロードは吐き捨てるように言った。
全てを二人だけのせいにしている彼にも問題があるが、それは言わないでおこう。
「やっぱり離婚した方がいいと思いますよ、はっきり言って解決策が見当たりません」
「……妻とは毎日喧嘩してばかりだし、唯一残された娘は使い物にならない。一体どこで間違えたんだろうな……」
クロードは憔悴しきった顔で、額を押さえながら呟いた。
***
クロードがセリーヌの元を訪れた三ヵ月後、アーヴィン公爵夫妻の離婚が発表された。
元公爵夫人ロレーナは離婚後、二十数年ぶりに王都を離れ、実家がある田舎に帰るそうだ。
そして娘のシャーロットは王太子殿下の婚約者という地位から降ろされ、伯爵家の令息と政略結婚することが決まった。
シャーロットも王太子妃教育が全く進まず、王太子とは喧嘩が絶えなかったらしい。そしてつい最近、他国の使節とトラブルになったことから、王太子は彼女を完全に見限ったようだ。
国王は一連の騒動で疲弊しきっているようで、早々に退位を発表した。
王太子妃には隣国から嫁いでくる王女殿下がなることとなった。
そして、ちょうど二人の離婚が発表されたその頃。
「お母様、私ね。お母様に紹介したい人がいるの」
「初めまして、夫人。クラウディアさんとお付き合いさせていただいています、エドアルドと申します」
「あら、まぁ……」
クラウディアがセリーヌの前に連れて来たのは、王国でもトップを誇る大商会の息子だった。
見た目も良く、何より誠実そうだ。
「こんなにも綺麗で思いやりのある女性は見たことがありません。どうか、娘さんを僕にください」
「……」
セリーヌの目に、じわりと涙が滲んだ。
彼女が手に入れることのできなかった女としての幸せを、クラウディアは見事掴み取ったのだ。
「娘を……よろしくお願いします」
彼女の言葉に、二人は顔を見合わせて喜んだ。
クラウディアは嬉しさのあまり、子供のように母親に抱き着いた。
セリーヌは愛する娘を受け止め、彼女のこの先の幸せを心から願った。




