ep3 ①
夜の訓練棟は、昼間の喧噪が嘘のように静まり返っていた。
廊下を照らす薄明かりが、誰もいない空間に淡い影を落とす。
明日の――初めてのランク戦。
僕ら、凪小隊にとって“公式戦”の初陣だ。
「……明日、か。」
独りごとのように呟きながら、僕は訓練室の中央に立った。
手のひらを開くと、指先の奥がジリ、と微かに熱を持つ。
《静中動》――僕の能力。物質やエネルギーの「運動」を止める、危険な力。
(止めるのは……動くものだけ。意思は止められない。視線も、思考も、流れ続ける。)
訓練しても慣れることがない。不安は常に、胸の奥の柔らかい部分を押してくる。
「凪、またひとりで考え込んでる。」
背後で、柔らかい声がした。
振り返ると、つぐみがタブレットを抱えて立っていた。
「つぐみ……まだ起きてたのか。」
「明日が初戦だからね。データの最終確認中。あなたもでしょ?」
「まあ、ちょっと、ね。」
つぐみは僕に近づくと、タブレットを操作し、立体モニターを展開した。
透明な光のシートに、僕ら三人の戦闘データが並ぶ。
【凪の能力使用ログ:安定度37% → “低安定域”】
【イオ:索敵行動の反応速度A−】
【リオ:近接火力B+、防御行動C】
「……改めて見ると、僕だけ数値がおかしいな。」
「“止める”って能力がそもそも規格外だから。安定度はまだ気にしないで。問題は……」
つぐみはスライドを切り替え、“凪小隊の戦術案”の項目を示した。
◆【明日の基本戦術案】
1:イオが前衛・高機動索敵
2:リオが中衛・火力支援
3:凪は後衛・一点停止(短時間のみ)
「凪は絶対に“広域停止”を使わないこと。いいね?」
「わかってるよ。」
僕はうなずいたけど、胸の奥にわずかな刺が残る。
広域停止は、使えば確実に勝てる。でも同時に、味方すら巻き込む。
(僕が止められるのは、“動くすべて”。陣素子通信も、隊友の動きも、砲撃も、敵の視線すらも。)
だから、危険だ。
そんな時、訓練室の扉が開き、イオとリオが入ってきた。
「お、揃ってるじゃん。ミーティング、始めよ。」
「夜ふかし三人衆だな。僕も混ぜてくれ。」
イオは軽い口調だが、その目は鋭く状況を測っている。
一方リオは、いつも通り穏やかな微笑を浮かべている。
「じゃあ、まず明日の相手だけど――」
つぐみが表示した相手チームのデータを見て、イオが口を尖らせた。
「初戦なのに……いきなり“Cランク中位”ってどうなのよ。」
「ランク戦は基本ランダム組み合わせだからね。文句は言えない。」
リオがなだめるように言ったが、つぐみの眉はわずかに寄っている。
「相手は機動型2名+射撃型1名の三人チーム。特に怖いのは、機動型のアヤメ。加速スキル持ち。凪の“停止”を当てづらいタイプ。」
「……うん。動きが早い相手は、僕の相性が悪い。」
僕の停止は、基本的に“対象の動きのパターン”を捕らえる必要がある。
読み違えれば、何も止まらないどころか無駄な消耗だけが残る。
イオが腕を組む。
「凪、明日は絶対に“無理に止めようとしない”こと。狙いすぎると動きが止まるのは、お前だ。」
「……わかってる。」
イオは僕を見つめ、柔らかく息を吐いた。
「自分のペースでいい。お前は点で止めればいい。広げる必要はない。」
リオが笑う。
「僕の砲撃が当たれば勝てるからね。凪は一点だけ、最適な場所を止めて。」
「リオは……気楽だな。」
「ふふ、僕の仕事は撃つだけだから。ね?」
リオが笑うと、部屋が少し暖かくなる気がした。
つぐみがタブレットを閉じて言った。
「よし。じゃあ、細かい戦術はこれで決まり。凪の停止は“要所だけ”。イオは敵を散らして、リオは狙い撃つ。」
「了解。」
「了解。」
「了解!」
三人の声が重なる。
その瞬間、胸の奥に何か熱いものが広がった。
僕たち――まだ弱いCランク下位チーム。
だけど、初めて“勝つための話”をしている。
(勝ちたい。僕が、役に立ちたい。)
訓練室の空気が少しだけ高揚していると、リオがふと僕の肩に手を置いた。
「……凪、顔がちょっと怖いよ?」
「え。そんなに?」
「うん。“明日止めまくるぞ”って顔してた。」
イオが吹き出す。
「お前の顔はすぐわかるからな。」
「わ、悪かったよ……!」
つぐみも小さく笑っていた。
夜は深まり、訓練棟の時計が23時を指す頃。
僕らはそれぞれの部屋に戻ろうとした。
その時――
廊下の奥、曲がり角の向こうから小さな音がした。
「……?」
イオが一瞬で表情を変え、手を挙げて合図する。
「動くな。」
風の流れすら変わったような張り詰めた気配。
僕は反射的に《静中動》の回路を半分だけ開く。
(なにか、いる?)
気配は一瞬で消えた。
しかし――つぐみのタブレットが小さく警告音を発した。
【影粒子・微量反応】
その言葉に、僕ら四人の鼓動が一斉に跳ねた。
影――まさか、ここに?
イオが囁いた。
「……凪、明日はランク戦だけじゃないかもな。」
緊張が静かに、しかし確実に僕の胸を締めつけた。
(影も……僕を見ているのか?)
廊下の暗がりの奥で、ふっと何かが揺れたように見えた。
だが次の瞬間には消えていた。




