ep1 ②
――そして二週間後。
凪は再び、あの日の異常に近い“前兆”を感じていた。
訓練区画の天井灯がきらつき、
視界の奥で世界の輪郭がわずかに震える。
空気に混じるざらりとした静電気の気配。
「……来る」
凪は軽く息を吸い、足を半歩引いた。
負荷が来ると分かれば、受け入れる準備ができる。
この二週間、イオと共に“静中動の基礎回路”を作り続けてきた成果だ。
背後から声がする。
「また発作の前兆か? 凪」
振り返ると、リオが大型の観測スコープを肩に担いで立っていた。
淡い金色の目が、凪の表情を鋭く観察している。
「落ち着けよ。イオも待機してるし、暴走しても全員で止める」
「暴走前提になってる……」
「まあ、お前の能力は“全部が規格外”だからな」
リオが肩を竦める。
つぐみも駆け寄り、霧のように柔らかい声を出した。
「凪くん、脈は? 呼吸は浅くない?」
「大丈夫。だいぶ慣れてきた。……来るけど」
「来る前に言ってくれるの、助かるよ」
つぐみは胸に手を当て、霧感応で凪の体温揺らぎを見ている。
彼女の能力は精神ではなく“身体状態”の揺らぎも視るため、
凪の暴走前兆は非常に読み取りやすいらしい。
ほどなくして、イオも姿を現した。
「凪。今日の目的は“停止領域の拡大”だ。10mを目安にする。無理なら即中断する」
「10m……いけるかな」
「いける。俺が思考テンポを整える。つぐみは外界の揺らぎを監視。リオは運動量の異常を視る。お前の負荷は、全員で背負う」
凪は小さく息を呑んだ。
――一人じゃない。
不安が、薄氷のように溶けていく。
「……お願いします」
◆
訓練区画の照明が一段階落とされ、
全周の壁が静かに閉じていく。
空間中央に立つ凪の前に、三人が三角形の陣を描くように配置。
「シンク・リンク、開始する」
イオの声が低く響くと同時に、
凪の脳内に紫の光が流れ込んだ。
《精神系D-Sync波形:安定》
イオの補助回路が、ひとつ、またひとつ接続されていく。
凪の呼吸と心拍、視界と空間認識が“外から支えられる”ような感覚。
「凪、来るタイミングは任せる」
リオが構えて言った。
スパイラル弾の回路を開きつつ、凪の動作を注視している。
「凪くん……ゆっくり、ね」
つぐみは霧の紋様を広げ、凪の周囲を観察する。
凪は目を閉じ――
そして、開いた。
世界が、ひっそりと“軋む”。
《静中動——起動》
青白い符号が視界に走り、空気の粒が一つ一つ静止していく。
光が尾を引き、音が薄膜の奥へ遠ざかる。
――止まった。
ほんの0.4秒ほどで、凪の周囲10mの世界が“沈黙”した。
だが今回は――
“自分だけ”ではない。
『……すげぇな。これが凪の停止領域か』
リオの声が、脳内通信で流れる。
『気を抜くな。凪の思考速度が空間を上回ってる。つぐみ、揺らぎは?』
イオの警戒が響く。
『安定してる……でも、凪くんの中心部分だけ、“周囲より一段速い”感じ……』
つぐみの霧視界が、凪の視界に重なる。
凪は歩き出す。
止まった世界の中、自分の足音だけが静寂を切り裂くように響く。
(……見える)
停止した空気の粒。
鈍い光の尾。
つぐみの霧の揺らぎ。
すべてが、触れられるほど近い。
『凪、次だ。停止領域内で“他者の動量”を操作する。リオ、弾を撃て』
「了解」
リオが撃ったスパイラル弾は――
停止領域に触れた瞬間、完全に“止まった”。
弾が空中で静止する景色は、凪でさえ息を呑むほど異様だった。
(……これを使えば)
不意に、戦場のイメージが浮かぶ。
敵の一斉射撃を停止させ、仲間の一手で突破する――
『凪、考え込みすぎるな。思考密度が上がる』
イオの注意が刺さる。
「……すみません」
凪は深呼吸し、手を伸ばした。
止まった弾丸にそっと触れる。
《動量吸収》
青い電流が走り、凪の指先を通じて弾の運動量が吸収される。
世界に流れていた“速度”が凪の体内に吸い込まれる感覚。
いつもはここで負荷が爆発する。
しかし――
『負荷レベル……30%低下。同期補正が効いてるな』
イオが驚いたように言う。
(……いける)
凪はさらにもう一歩踏み込む。
静止領域を――
“拡大”させる。
世界がぎしり、と軋んだ。
20m、25m、30m……
限界が近い。
『凪! 負荷跳ね上がってる! 止めろ!!』
『凪くん危ない!!』
「……まだ……いける……!!」
視界が白く弾け、
思考が熱を持ち、
脚が震える。
30mを超え、
静止領域の端が“ひび割れた”瞬間――
――空間が、凪に牙を剥いた。
鈍い衝撃が脳を揺さぶり、世界が上下逆転する。
停止領域が崩れ、破片のように散った。
『凪!!』
つぐみの悲鳴が響き――
凪の意識は、そこで途切れた。
◇◇◇
凪が目を覚ました時、見慣れた天井があった。
医療室だ。
隣ではイオがモニターを睨み、つぐみがタオルを握りしめ、リオが腕を組んで立っていた。
「……みんな、どうしたんですか。なんか、死にそうな顔を……」
リオが噴き出した。
「いや死にかけたんだよ、お前。停止領域の崩壊で、脳にフィードバックが直撃した」
つぐみは潤んだ瞳で凪を睨むように見つめた。
「凪くん……心配したんだから……!」
イオは深く息をついた。
「……凪。お前は“限界を超えすぎる”。確かに能力は特異だ。だが、命を削ってまで使うものじゃない」
凪は、胸が締め付けられるような感覚に襲われた。
「……ごめんなさい」
イオは首を振る。
「違う。悪いのは、俺たちが“凪の限界”をまだ知らないことだ。今日で分かった。静中動は、制御しないといずれ確実に凪を壊す」
「でも……」
「だからこそ俺たちはチームになる。凪の限界を超えないように、凪の強さを最大限に出せるように」
イオは言い切った。
「凪。お前は一人で戦うんじゃない。これからは――俺たち四人で戦う」
凪は少しだけ目を伏せ、それから小さく笑った。
「……はい」
その瞬間、
四人の“世界”がひとつに繋がった気がした。




