「機械たちの葬列」
その街に近づいたとき、ルナはまず「音が少ない」と思った。
風の音も、人のざわめきも、どこか遠い。
代わりに耳に届くのは、金属が擦れ合うような、小さく規則的な機械音だった。
舗装の剥がれた通りを進むと、やがてそれが何の音なのか見えてくる。
ぎこちなく歩くロボットたち。
脚の関節が半分錆びついた配達機、羽根の欠けた清掃ドローン、油の滲んだ警備ロボット――そんな機械たちが列を作り、同じ方向へと進んでいた。
行列はゆっくりしている。
一歩ごとに足を確かめるようにして、転ばないように注意しながら進んでいる感じだ。
「……葬式でもやってんの?」
ぼそっと漏らした言葉に、隣で同じ行列を見ていた老人が反応した。
腰の曲がった、工具袋を提げた男だ。作業着の襟には油汚れがこびりついている。
「お嬢ちゃん、いい目をしてるね。そうさ、機械たちの“葬列”だよ」
「やっぱり?」
ルナは電子タバコの煙をひと口吸い、行列をじっと眺めた。
列の中には、完全に動力が切れて、ほかの機械に引きずられている機体もある。
腕のないロボットが、壊れた仲間の残骸を大事そうに抱えている姿もあった。
誰も声を出さない。
金属が小さく触れ合う音だけが、静かな通りの上を流れていく。
「どこに運んでんの、これ」
「街の外れにある“砂場”さ。あんたも来てみるかい?」
「砂場?」
「墓地、みたいなもんだ。機械用の」
ルナは少しだけ悩んで、結局、老人の後をついていくことにした。
行く当ても、急ぎの予定もない。
そして――こういう“終わり方”を見るのは嫌いじゃなかった。
葬列は街の中心を抜け、崩れたビル群の隙間を縫うように進む。
人間たちは行列に道を開けるが、誰も特に声をかけない。
ただ静かに、帽子を取ったり、胸に手を当てたりして見送るだけだ。
「この街、全員こういうの受け入れてる感じなんだね」
「最初は怖がられてたよ。機械が勝手に埋葬なんて、どこのホラーだってな」
老人は苦笑した。
「でも、誰かがやらなきゃいけないことだったんだろうね。壊れた機械が積み上がっていくのを見るのは、なかなか堪えるものがあった」
「……それで、機械の方が自分たちでやるようになったってわけ?」
「そう。最初は俺たち人間が埋めてやってた。そのうち、まだ動く機体が、壊れた仲間を運ぶようになった。今じゃ、俺たちは“手伝い”だ。主役はあいつらさ」
ルナは行列を眺めながら、ふうん、と曖昧に頷いた。
終わりをきちんと片づけようとする誰かがいる。
それだけで、その街は少しだけまともに見える。
やがて街の外れに出る。
そこには、小さな丘があった。
土ではなく、白っぽい細かい砂が厚く積もった丘。
足を踏み入れると、さらさらと靴底が沈む。
「ここが、機械の墓場……」
「名前はない。みんな“砂んとこ”とか“白い丘”とか呼んでるよ」
丘のあちこちには、もう形のわからない金属の塊が半ば埋もれている。
部品をばらして再利用したものもあれば、そのまま眠らせたものもあるらしい。
葬列の先頭にいた大型ロボットが、一歩前へ進むと、行列が止まった。
ひとつ、またひとつと、運ばれてきた機体が砂の上に寝かされていく。
壊れた関節の代わりに、他の機械がそっと持ち上げ、姿勢を整える。
砂が静かにかけられ、最後に小さな金属片が墓標のように立てられた。
言葉はない。
けれど、儀式としては十分すぎるくらいだった。
「……人間の葬式より、よっぽど丁寧かもね」
「そうかもしれないな」
老人は肩をすくめた。
「人間は、死んだら死んだで忙しいんだ。泣いたり、書類書いたり、金のことで喧嘩したり。その点、あいつらは“終わり方”だけに集中してる」
「いいね、それ」
ルナは電子タバコをくわえ、なんとなく丘の真ん中あたりを見つめた。
風が吹くと、砂の表面だけがやわらかく流れる。
ふと視線を落とすと、足元でひとつのロボットがこちらを見上げていた。
人型というより箱に手足が生えたようなシンプルなデザインだが、センサーの光はまだしっかりと灯っている。
『あなた』
機械の合成音にしては、どこか遠慮がちな声だった。
『あなたは……旅人ですか?』
「まあ、そんな分類で合ってると思うけど」
『そうですか』
ロボットは短くうなずき、砂に半分埋まったままの軌道を見た。
『私は、埋葬を希望するロボットです』
「希望?」
『はい。まだ動作は可能ですが……“眠り”を望んでいます』
ルナは目を細めた。
「壊れてないのに?」
『壊れていないからこそ、です』
ロボットは胸のあたりを押さえる仕草をした。
もちろん本当の“胸”があるわけではない。
でも、その動きには妙な人間味があった。
『私は、長いあいだひとりの整備士と共に働いていました。その人は、毎日ここへ来ては、壊れた機械を直し、話しかけ、時には愚痴をこぼしていました』
ロボットの声が少しだけ柔らかくなる。
『その人は言いました。〈機械だって、最後はちゃんと看取られたいだろう?〉と』
「優しいやつだね」
『はい。私にとって……とても大切な人でした』
ロボットは少し沈黙し、それから続けた。
『でも、ある日、その整備士はここに来なくなりました。数日後、私は“彼の死亡”を知らせるデータを受信しました』
ルナは、胸の奥がきゅっとなるのを感じた。
『それから、私は彼との記録を何度も再生しました。会話ログ、作業ログ、工具の扱い方……。しかし、記憶領域の劣化が進み、少しずつ、彼の声が崩れていきました』
ロボットはゆっくりと頭を垂れた。
『今はもう、彼の声の周波数を完全には再現できません。顔も、笑い方も、動きの癖も――断片だけが残っていて、繋ぎ合わせようとするとノイズになります』
「…………」
『思い出そうとするたび、“思い出せないこと”ばかりが増えていきます。それが、とても苦しいのです』
ロボットは、かすかに震えるような動きで続けた。
『だから私は、眠りたい。“思い出せないまま動く自分”よりも、“ちゃんと終わった自分”でいたいのです』
ルナは煙を吐き出した。
風に流れる白い煙が、砂の上で消えていく。
「……それで、埋葬行きの列に混ざってるってわけ」
『はい。ただし、ひとつだけ、問題があります』
「何?」
『私の胸部には“最終停止スイッチ”があります。しかしそれは、本人には押せない位置に設計されています』
ロボットはゆっくりと胸部の装甲を開いた。
中には、小さな赤いボタンがひとつだけ埋め込まれている。
『最終停止には、“人間による同意”が必要です。ひとりでは、自分を終わらせてはいけない、という設計思想なのでしょう』
「……ロボットのくせに、妙に真面目な設計入れてくるね」
ルナは、知らずに眉間に皺を寄せていた。
『旅人さん。あなたに、お願いがあります。このスイッチを押していただけませんか』
「押したら、あんたは起きなくなる」
『はい。起きなくていいのです』
風が少し強くなり、砂がすこし舞い上がった。
丘の上の残骸たちが、薄い影を落とす。
ルナはしばらく黙ってロボットを見下ろした。
目の前の金属の箱は、構造的にはただの機械にすぎないはずだ。
それでも、“思い出せないまま動くのが苦しい”という言葉には、妙に心当たりがあった。
「……記憶がないのってさ」
彼女はぼそっと呟いた。
「別に、死ぬわけじゃないんだよね。普通に歩けるし、笑おうと思えば笑えるし。でも、どっかでずっと、“何か忘れてる”って違和感だけ残る」
自分の胸の中を覗き込んでいるような気分になる。
第十七暗渠区で見上げた空の色。
胸ポケットの中の紙切れ。
どうしてそんなものを持っているのか、説明できない自分。
「……わかるよ、その気持ち」
ロボットのセンサーが、一瞬だけ明るくなった。
『では――』
「でも、これは私の判断だからね。あんたが本当に後悔しないって、保証はできない」
『構いません。私は、あなたに判断を委ねたいのです』
ルナは息を吸い込み、電子タバコを一度外した。
両手が空く。
胸の中で何かが重く沈む感覚を抱えたまま、ロボットの胸部に手を伸ばした。
「……わかった」
指先が小さなスイッチに触れる。
ごく軽い力で押せてしまいそうな、頼りない感触だ。
「おやすみ」
カチ、と小さな音がして、ロボットの光がふっと落ちた。
それは本当に一瞬で、あまりにも静かな終わり方だった。
隣にいた老人が、帽子を脱いで胸に当てる。
ほかの機械たちが、そっとそのロボットの体を支え、白い砂の上へ寝かせた。
砂が、静かにかけられていく。
「……あっけないね」
「人間だって似たようなもんさ。一瞬で終わるのに、そこに行くまでにやたらと時間がかかる」
老人は優しい声で言った。
「でも、あんたに押してもらえて、あいつはきっと満足だろうよ。“誰かに見届けてもらった終わり”ってのは、それなりに贅沢だからな」
ルナは白い丘を見つめた。
さっき止めたばかりのロボットの上には、もう他の残骸と見分けがつかない薄い砂の層が乗っている。
「記憶がないまま動くのが苦しいって感覚さ」
彼女は煙を吐きながら、小さく笑った。
「正直、私もわかる。けど――歩くのやめるほどじゃない」
「それがあんたの在り方なんだろうね」
「たぶんね」
電子タバコのランプが、小さく赤く点滅する。
それも、いつかはバッテリーが尽きて消えるだろう。
でも、そのときまで――
ルナはたぶん歩き続ける。
丘を離れるとき、風が背中を押した。
振り返ると、機械たちの葬列はまだ続いていた。
誰かを送り、また誰かを連れてくる。
終わるものがある限り、葬列は止まらない。
ルナは灰色の街へ背を向けて、静かに歩き出した。
自分の中にも、埋葬しきれない記憶の残骸があることを、
なんとなく認めながら。




